御伽噺のような 1

2011/05/08up

 

 春も深くなり、初夏の様な陽気の日差しが降り注ぐその日、市の中心にある公園にて夫婦でぼーっとする嵌めに陥っていた。
 中央モニュメントをベンチからただひたすら眺め、そのまわりを通り過ぎる人々を眺める。
 あまりにも無駄な時間に、ライルはため息をつく。
「……あのさ」
「なんだ」
 恐る恐る妻に声をかけるが、返される返事はいつもの通り素っ気ない。
 それでもいい加減、何もしない時間は退屈になり、立ち上がる。
「どこでもいいから動こうぜ」
 そう告げて振り向いても、妻のソランはぶすっとしたままベンチから動く事は無かった。

 何故陽気のいい日曜日に、こんな無駄な時間を過ごさなければいけないのか、ライルは再び深いため息をつく。

 切っ掛けは、ラグランジュ3からいきなり帰って来た、長女の発言だった。
「今日は二人で思いっきり楽しんで来てね!」
 早朝も早朝の夜明け前に家に帰って来て、朝食の席で突然そんな事を言われて、夫婦揃って「は?」と聞き返し、首を傾げる。
 そんな事を言われる理由が判らなかったのだ。
 首を傾げる両親に、長女は笑顔でカードを差し出した。
 いや、正確には両親にではなく、母親に。
 やっと自分でスプーンを握れるようになった末っ子の食事の面倒はライルが見ていたので、ソランは首を傾げながらそのカードを受け取って開く。
 そこに書かれていたのは。
「……Mothering Sunday
 あからさまにカードを棒読みした妻の言葉に、ライルは更に首を傾げる。
「はぁ? 四旬節なんてとっくに終ってるだろ?」
「え、四旬節ってなに?」
 ライルの疑問に、言い出した本人の長女が首を傾げる。
「なにって……母の日なんて、終ってるだろって……」
 言い出した本人が首を傾げるとは思わずに答えれば、それに長女は更に首を傾げた。
「なに言ってんの? 今日でしょ。5月の第二日曜日」
「ええぇ? 5月? 3月だろ? 四旬節は二月からなんだから」
「5月だよ?」
「3月だ」
「5月!」
「3月だよ! 俺だって子供の頃にはやったんだから忘れるか!」
「アタシだって小さい頃に託児所で5月にマムの似顔絵描いたもん! 忘れないよ!」
 普通に親子喧嘩を始めた二人に、幼い子供達はきょろきょろと視線を彷徨わせる。
 そんな中、長男が恐る恐る声を出す。
「……僕、3月にマムの絵描いたよ?」
 その発言に、ライルは大人げなく胸を張る。
「ほら見ろ、3月だ」
 自信満々の父親に、それでも長女は反論する。
「だって今日の休みだって、母の日って言ったら普通に受け取られたよ! 覚えてて偉いって、ティエリアだって言ってたもん!」
 生きる端末の名前に、そこから言葉が出れば間違いはないだろうと理解出来たが、それでもライルは首を傾げる。
「ああ? ティエリアもそろそろ耄碌してんじゃないのか? 今月が何月か忘れてるとか?」
「そんな訳ないじゃん! あの人に日付聞いたら、日にちだけじゃなくて秒単位で答えるのに! ダディがおかしい!」
「んな事言ったらマシューだっておかしくなるだろ! つか学校自体がおかしいって事だろ!」
 白熱して激論を交わす二人に、主役たる母のソランは、ため息をついてライルが放棄した末っ子のスプーンを手に取る。
 そして黙々と子供に食事を与えながら、二人の疑問に答えた。
「母の日は、地域によって違うんだ。この土地はカトリックの風潮が強いから、ソウイウ流れになっている。ニーナのはユニオンの意識だ。元々はアメリカの風潮だ。だから二人とも間違えではない」
 淡々と語られて、激論を交わした二人も沈黙せざるを得ない。
 つまりは、育った環境の違いなのだ。
 父親の生まれ育った今いる土地では終っているが、長女の意識では本日、と言う事で。
 それでも母親に感謝する気満々で帰って来てしまった娘は、暫く食事を採りながら沈黙したが、大本の目的を果たす為に、自分の食事を手早く終えて、まだゆっくりの食事しか摂れない末っ子のスプーンを母親から取り上げる。
「……何をする」
「いいの。アタシの意識の中では今日が母の日。だからマムに感謝するの」
「それとダンのスプーンとどう関係がある」
「別にスプーンが欲しい訳じゃないの! 今日はゆっくりしてって言ってるの! アタシの子守りの気迫を奪わないで!」
 マイペースの母親に、逆切れ気味に長女は言い放って、それでもその気迫を末っ子に向ける事なく、ベビーチェアの隣りの椅子に座っている父親を追い立てて、子守りの姿勢を取った。
 一方追い立てられたライルは、取りあえず娘の気持ちは理解して、やれやれとは思ったが、それでもお茶のマグカップを持ってソファに移動する。
 だが、座ろうとした父親に、娘は容赦なく告げた。
「ハイそこ、座らない。さっさと用意してくる」
「へ? 用意って何を?」
「だから、今日は二人で楽しんで来てって言ったじゃない。たまにはマムに年相応の楽しみ追わせてあげたいのよ。誰かさんがせっせと仕込むから、30代前半でこんなに子供が沢山で、全然遊べないでしょ? その為にアタシは帰って来たんだから。速攻出かける準備して来て」
 子供の世話をしようとしたのは分っていたが、何故ライルが動員されるのか。
 ソランは自分の母親な訳ではないと、夫たるライルは思ったのだが、娘からのプレゼントとして用意された時間に文句はない。
 何故かと言えば、付き合い始めた頃から妻は母親で、恋人らしい二人っきりの時間など、殆ど過ごした事が無いからだ。
 特に外でのデートなど、片手で足りる程しか経験が無い。
 思わずニヤッとしてしまったライルに、更に娘は追い討ちをかける。
「喜んでないで、早くして。ダディの為じゃないんだから」
「はいはい。俺の為じゃないのね。んじゃ一丁、俺が研究して来た乙女の喜ぶコースを披露しようじゃないの」
 気合いを入れて返事をしたが、それにも辛辣な娘の言葉が返る。
 その言葉に、ライルが入れた気合いは、一気に萎んでしまう。
「ダディの研究はどうでもいいの。昔の若者の流行はどうでもいいから、マムを楽しませたいだけなの」
「……昔か? え? 俺、そんな年じゃない筈だけど……」
 まだ40代に入りたてなのにと娘に訴えるが、それは見事にスルーされてしまう。
 所詮は父親。
 娘から見れば、普通におじさんなのだ。
 がっくりと項垂れて、ライルは寝室のクローゼットに向かうのだった。





 そうして二人で、半ば追い出される形で出かけて来たのだが、肝心のソランは家を出る時も散々渋り、それでも娘の気持ちを無碍にする訳にもいかずに一応家を出て来たが、ライルに町中の公園を指定して車を止めさせて、そのまま現在に至る。
 普段からあまり愛想がいいとは言えないが、明らかに妻は不機嫌で、2時間公園のモニュメントを睨み続けて動かない。
 どうしたらいい物かと考えながら、取りあえず日に当たり続けて乾いた喉を潤そうと、妻に言い置いて近くの露天に足を向けた。

 コーヒーとレモンジュースを購入して、ベンチに戻る。
 ジュースを手渡せば、それは素直に受け取ってくれて、取りあえずホッとした。
 隣りでぼんやりコーヒーを啜りながら、ポケットから煙草を取り出して、一本口にくわえる。
 火をつけて燻らせながら、ちらりと妻を見遣れば、相変わらずモニュメントを睨みつけていた。
「……なぁ」
「なんだ」
「なんでそんなに怒ってる訳?」
 滅多に無い二人の時間を、訳も分らず怒らせたまま終らせたくなく問えば、コレまた素晴らしくぶっきらぼうに「別に」と返されて、お手上げだと空を見つめた。
 いつも通りの、少し雲のある空。
 今日はいつ雨が降るのかと、慣れた気候に思いを馳せれば、漸くソランはまともに言葉を発した。
「……何が楽しいんだ」
「……は?」
 自分の行動に問題があったかとソランに視線を戻しても、やはりソランの視線はモニュメントから動いていなかった。
 だが、この時間をソランもつまらないと感じているのは伝わって、それでもこの場に居続ける彼女の気持ちは分らない。
 つまらないなら動けばいい。
 公園の時計はそろそろ昼に差し掛かろうとしているのを、長針と短針がライルとソランに告げていた。
 ちらりとソランの視線が時計に移り、再びモニュメントに戻る。
 訳が分からない。
 じっとライルがソランを見つめれば、モニュメントを睨んだまま、その行動の理由を口にした。
「ニーナが『恋人時代を思い出して、楽しんでね』と言っていたが、何が楽しいのかが分らない」
「……えーと、それって結婚する前って事か? 俺ら、こんな事したっけ?」
 ただ無為にベンチに座り込んで、モニュメントなど眺めた覚えは無い。
 そう考えて、それでは自分達は二人で行動していた時は何をしていたかを考えてみた。
 出会った頃はまだニーナが幼く、二人っきりの時間など無かった。
 二人での会話や楽しみは、もっぱら家で、ニーナを寝かしつけた後の話で、少しの会話とセックス。
 他の二人きりになれるチャンスは会社帰りの、会社の近くのコーヒースタンド。当然その後の託児所の迎えまでの僅かな時間だった。
 だが、その時はまだ付き合っておらず、必死にライルが口説いているだけで、二人の楽しみかと問われれば、疑問が残る。
 いつでも『仕方ない』という雰囲気を、ソランは持っていた。
 そうなれば、付き合い始めてからという話になるのだろうが、付き合い始めてからも殆ど変わらない日常だった。
 お互いに仕事が忙しく、仕事の調整をつけようか、などの話が出る前に、ソランは一度姿を消している。
 更に時間を追って考えたら、そこはもうCBの活動を始める頃で、やはりコレと言って二人で楽しみを追える状況ではなかった。
 精々出来たのが、紛争地帯に派遣される前後の潜伏場所で、外で食事を採る位。
 当然、夜はセックス。
 あまりの夢の無さに、ライル自身驚いてしまった。
 大人のデートの定番と言われる夜の食事などは、いつでも子供が一緒だった為に、雰囲気満点の所など行ける訳も無く、はっと気が付けば時間に流されてそのまま結婚に至り、欲望のままに子供を増やし続けている現在だ。
 一緒に行った映画は、やはり子供に合わせた子供向けのアニメであったり、情操教育的に自然のドキュメンタリーだったりで、恋人同士が見に行く物ではなかった。
 一応、妻以前の彼女達には、食事のデートやプレゼントなど、普通にして来ていたと言うのに、何たる失態かと頭を掻く。
 こんなに愛しているのに、その心を表現するのを忘れるなど、ティエリアから言わせれば万死に値するのだろう。
 それでも、無ければ無いで、今から作ればいい。
 そう思って、じゅるじゅると一気飲みしたソランのジュースのカップを取り上げてゴミ箱に捨て、肩を抱いてベンチから立上がるように促した。
「確かに俺達には、二人だけっていう時間が少なかったし、楽しんでも貰えなかったかもしれないけどさ、今日はその分楽しませてもらおうぜ?」
「それでは『思い出す』という事にならないだろう。だから一生懸命俺は思い出を追っているんだ。邪魔しないでくれ」
「いや……そこまで忠実に意見に添わなくてもいいと思うけど……っていうか、ここに何か思いでなんてあったっけ?」
 根本を問えば、ソランは今までになく不機嫌になり、肩に回っているライルの腕を払いのける。
 パシンっと軽い音が鳴り、歩いている人の何人かが振り返った。
 気まずい。
 これ以上無く気まずかった。
 出会ってからこんなに気まずい状態があっただろうかと、ライルは考え込む。
 考え込んで、はたと思い出した。
 同じような気まずい状況を。
 それはソランがライルをCBに勧誘に来た時だ。
 一般人だったライルがカタロンに属している事を知ったソランが、ライルの身柄の確保に来た時だった。
 そして、その待ち合わせ場所が、このモニュメントの前。
 それ以外の思い出の場所など、今日この日にいきなり言われても、行ける筈も無い遠いユニオン地区だ。
 軌道エレベーターのある、二人が出合った会社のあった、大きな都市。
 今住んでいるアイルランドからは、遠い地の果てだ。
 娘に言われた事を実行しようとして、妻がおそらく面白くない思い出の場所で不貞腐れている状況に、思わずライルは笑ってしまう。
「……何がおかしい」
「おかしいッ……お前、マジおかしいッ!」
 ライルを一般の生活の中に置いておきたくて、己の心を殺してソランは一時期ライルから離れた。
 なのにライルはその事で、一般の生活を捨てた。
 ソランの人生の中で、五本の指の中に数えられてしまうだろう最悪な事柄を、娘に言われたからと実行しているその姿が、まるで子供のようだ。
 4人も子供を産んでいるというのに、本人が子供のような表情で、子供のような素直さで、それでも子供の心を優先させる彼女がおかしくて、ライルは一頻り笑った。
 ずっと解っていた。
 ソランが、真っ直ぐで、嘘が付けず、底抜けに優しくて、自分よりも人を優先する事を。
 自分の信念に関わらなければ、何でも人の言う事を聞いてしまうという事を。
 それでも今日は母の日だ。
 娘の気持ちは無碍にしたくない。
 確かにソランはまだ三十代も前半で、同じ年頃の女性には、己の楽しみを追っている人が多いだろう。
 晩婚が問題になっている世界事情だ。
 おそらく娘は、去年から働き出した場所で、母と同じ年頃の女性を見てそう思ったのだろう。
 ソランが長女を産んだのは、17歳だ。
 覚悟があった事とは言え、ライルも出合った時に同じ事を思った。
 まだまだ、楽しみを追う年齢なのに、と。
 自分の子供ではない長女と意見が合致して、ライルは勢いをつけてベンチを立った。
 そして妻に恭しく手を差し伸べる。
 ソランはそんなライルの手を、胡乱な瞳で見つめた。
「ニーナは恋人時代を思い出せってだけを言ったわけじゃなかっただろ? 年相応の楽しみをさせてやりたいって、そう言ってただろ」
 ライルの言葉に、ソランは視線を逸らせた。
「……そんな物、俺は知らない」
「だろうな。俺も教えなかったし、多分兄さんもだろ? 朴念仁な兄弟で悪かった。だから今日は、恋人時代を踏襲しながら、それも実践しようぜ。娘の願いだ」
 ウィンクをつけて、ソランが実行しようとしている娘の言いつけを伝えれば、ソランは少し瞳をゆるがせて、それでも差し出されたライルの手を取った。





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母の日に、母じゃない時間をプレゼントされたせっさんです。
そしてライルは娘にも虐められていますヽ(;´Д`)ノ
年頃の娘なんてこんなものだよ!