御伽噺のような 2

2011/05/09up

 

 初めにライルが向かった場所は、乙女の憧れと言われるブランドショップだった。
 そこにソランをエスコートして入り、近寄ってきた店員に告げる。
「うちの奥さん、とびっきり可愛くして」
 おどけて告げれば、店員は営業スマイルで対応してくれる。
「どのような路線をお望みですか?」
「そうだなぁ……あんまり普段と変わらないんじゃ、つまらないし……」
 店員と二人で、スタイル抜群の妻の体を、頭のてっぺんからつま先まで眺める。
 その視線に、ソランは怯えたような瞳をした。
 理由はライルにはすぐに理解できた。
 流行の女性服は、ソランには抵抗のあるものだからだ。

 胸元を綺麗に見せるために晒す首元。
 足を綺麗に見せる為の、スカートの長さ。

 それらは彼女の習慣に合わない物なのだ。
 出身地が宗教色の濃い国で、その習慣がいまだに抜けない。
 ライルも付き合い始めた頃は、今時の流行の服を纏っている彼女の姿が見たいと願った事もあったが、今ではこれが妻なのだと思っている。
 故に、店員に注文をつけた。
「出来るだけ、肌は露出させないでくれ。コイツ、恥ずかしがるからさ。それと、スカートじゃなくてパンツスーツがいいな。ちょっと華やかに見えるコーディネイトしてくれ。この後遅めのランチに行きたいから」
 ライルの注文に、ソランは少し目を見開いて夫を見つめた。
 以前のライルの要望を覚えているという仕草に、ウィンクで返す。
 大丈夫だから、と。
「ヒールは大丈夫ですか? それと、ミュールは大丈夫でしょうか?」
「ああ、足先は大丈夫だ。あー、でもそれなら……」
 ライルが更に注文をつけようとしたところで、店員が先回りで答えてくれる。
「ネイルも承っておりますので、大丈夫ですよ」
「流石。なら頼むわ」
「かしこまりました」
 店員がライルに頭を下げて店の奥に姿を消したところで、ソランは口を開いた。
「ライル……」
「ん?」
「ねいるとは、なんだ?」
 女性のたしなみの化粧の一環を知らない子供っぽい妻に、思わず噴出してしまう。
 それでも彼女の経歴を考えれば、不思議ではなかった。
「スメラギさんもフェルトも、爪に色乗せてるだろ? アレの事。プロに頼むんだよ」
 仲間の女性がしている事を指して説明すれば、ソランは眉を顰めた。
「あんなもの、俺が出来るか」
「何で?」
 素直に疑問を返せば、その答えはあまりにもソランらしく、更にライルの笑いを誘う。
「料理に混じったらどうする。子供達が腹を壊す」
 母たる事を訴える妻に、それでも娘と自分の気持ちの、女としての楽しみを教えたいが故に、ライルはその言葉を逆手に取った。
「お前の刃物使いで、そんなヘマするかよ。爪を削らなきゃ落ちない特別な加工の色を頼んだんだよ」
 古代から、女性の化粧の進化は止まらず、24世紀の現在では、特殊溶液を使わない限り、欠けない保障をされているネイル素材があった。
 当然ライルはそれを知っていて、昔勤めていた会社の女性社員が愛用していた事も知っている。
 頑丈で、色あせしないその種類のネイルは、今も流行だった。
「それにお前、今時ネイルもしない女なんて滅多にいないぞ。マコーリーの家なんて、ばあさんと嫁さんと娘と、三人で一緒に必ず月に2回は通ってるんだぜ? 大体が行きつけのネイルサロンがあるんだから、お前もやってみろ」
 近所の幼馴染の家を指せば、ソランは地元に馴染もうと努力している事もあり、渋々だが頷いた。
 そんな遣り取りをしている間に、どうやら服をそろえるのに時間がかかるらしいとの事で、出迎えた店員とは別の店員が、二人を店の奥へと誘った。
 素直についていけば、立派な応接セットがあり、ライルは必死に笑いをかみ殺した。
 このブランドショップで、ライルのような注文を出す客など、そうそう居ないだろうとは解っている。
 それでもあからさまな店の対応に、自分も営業をしていた所為か、心積もりが見えてしまって笑ってしまう。
 出された紅茶に口をつけながら、たまにの事であるし、営業に乗ってやるかと、念のために持ってきておいた財布の中のカードを思い浮かべる。
 更に暫くすれば、出迎えた時の三倍の店員が、自分達が揃えたコーディネイトを5種類ばかりハンガーにかけて、二人の前にやってきた。
「こちらのコーディネイトはいかがですか? 今の季節にピッタリのお色だと思うんですが」
「あー、色はいいんだけど、ちょっと襟元が開いてるのがダメかな。出来ればスタンドカラーのシャツで頼む」
「ならこちらのセーターはどうでしょう? この右から二着目のコーディネイトとお似合いだと思いますが」
「ん、いいね。ソランはどう? これならこの後も楽しく着れそうか?」
 ソランの趣味を知り尽くしている夫の言葉に、ソランもライルを一度見つめて、もう一度指された一式を見て、小さくだが頷いた。
 青味の強い若草色のジャケットと、黒のパンツ。
 地味に見えそうな彩を、布の織りが華やかにしている、ソランの抵抗がないスタイルだった。
 それに合わせて、銀が強い印象を与えるヒールの高いサンダル。
 今までソランが経験した事のない、華やかなファッションだった。
 普段は子供達と格闘するための、シンプルなシャツとジーンズで、更には庭に畑を作っているソランの動きを邪魔しない、機能的なものだった。
 それ以外の服装など、CBの制服と、パイロットスーツと、変装用に与えられる衣装だけで。
 こんな、洋服の吟味など、遥か昔に彼の兄と一度だけしか経験が無かった。
 それもその時は時間が無く、特にその後の予定など考えずに、更にはこの後の時間に着ることを想定などしていなかった。
 初めての事に、ソランは珍しく心細そうに夫を見つめた。
 そんな妻に、ライルは笑って、頬に小さくキスを贈る。
「じゃあ、これに合わせてネイルも頼む。それと左端のスタイルも気に入ったから、そっちは包んでくれ。……あーっと、そうだ。もしかしたら、もう一着頼むかもしれないから、応用の利くネイルデザインで頼むわ」
「かしこまりました。出来上がりは一時間ほどお時間を頂きます」
「早いな。じゃあ俺はちょっと外に出てるから、頼むな」
「かしこまりました。奥様、こちらへ」
 店員に促されるまま、ソランは視線だけライルに向けながら、店の更に奥へと消えた。
 それを見送って、ライルは一旦店を出る。
 車を止めている駐車場まで歩きながら、家に通信を入れた。
 出たのはまだ幼い次女だった。
『ダディ? どうしたの?』
「どうしたのじゃないだろ。お前、お姉ちゃんの言う事聞いてるか?」
『聞いてるよ! ちゃんとお留守番してるもん!』
「嘘付け。お姉ちゃんが通信に出ていいなんて言う訳ないだろ。ちょっとお姉ちゃん出せ」
『はぁーい』
 最近次女は、何でも母親の真似をしたがり、特に通信に興味があるようで、目を離すとこうやって勝手に通信を受けてしまうのだ。
 そして手を焼いているのがわかる長女に、ライルは苦笑してしまう。
 案の定、慌てた様子で長女が画面に現れた。
『何してんのよ! 勝手に出ちゃダメだって言ってるじゃない!』
『ダディだったもん、いいじゃん』
『ダンはどうしたのよ! 頼んだでしょ!』
『寝てるんだもん。つまんない』
 果てしなく続きそうな会話に、ライルは笑った。
 子守の気迫満々で帰って来たのは分かったが、やはり15歳の少女には荷が重かったかと、この後家を頼む幼馴染を思い浮かべた。
「あー、その調子だと大丈夫そうだな」
 頑張っている娘の気持ちも汲んでそう問えば、長女は少し引き攣った笑いで元気よく答えてくれた。
『も、勿論! 任せといて! 今日は帰ってこなくてもいいからね!』
 無理をしても母親を思いやる子供に、その性質が母親と重なって、更に笑ってしまう。
 まだまだ子供だと、一昨年大反対した職業に就いた娘に、少し安心してしまった。
「帰らないって事は多分無いけど、遅くなるから。夕方には誰か行って貰うから、それまで頼むな」
『っていうか、何でダディ通信なんかしてるの。マムは?』
 楽しませてくれと頼んだだろうという娘の視線に、ライルはウィンクをつけて内容を伝えた。
「ばーか。女の楽しみっつったら、着飾ることと食い物以外、何があるんだよ。お前だってそうだろ?」
『だから、どうしてダディが離れてるのよ』
「今マムは、ネイル中なんだよ。俺は邪魔なの」
『あ、成る程。でもよくマムがやってくれたね』
「俺はお前達よりIQ低いけど、知恵が回るの。伊達に年は重ねてないんだよ」
『ワァオ。じゃあその知恵で、この後もよろしくね』
「了解。有難うな」
 母親を、自分の妻を思ってくれている娘に礼を告げれば、娘は照れくさそうに頬を膨らませた。
『だから、ダディの為じゃないの』
「でも俺も楽しいからさ。お前の成長に感謝だよ」
 同じ女として思うところがあったのだろう娘にそう告げれば、女になったのだと父に言われるのが恥ずかしいのか、娘は苦く笑った。
 この時、何故ニーナに女としての自覚が芽生えたのか、父親であるライルには分からなかった。
 些細な変化を見逃して、家族の様子を確認して、ライルは通信を切る。そして近所の幼馴染に娘の計画を話し、彼の妻に夜の子供達の世話を頼んだのだった。


 店を離れている間に、市内でも老舗の高級ホテルにディナーの予約を入れた。
 急な予約だったが、イースターも終わった日にちでは特に混雑はしていなかったようで、すんなりと受け入れてもらえた。
 それでなくとも、ライルの姓である『ディランディ』は、実は古い血筋で、その昔は貴族の称号もあった家柄だった。
 その事は、家族の誰にも伝えていない。
 妻にさえも。
 何故ライルの家族が命を落としたテロ事件が、大々的に報道されたかといえば、ディランディの名前が強かったからなのだ。
 故に兄は、普通の家庭の金銭感覚を持ち合わせていなかった。
 ライルも伝統のある寄宿学校に、当たり前のように通った。
 そんな家故に、何か祝い事があると、そのホテルのレストランを利用していたのだ。
 通信応対だけでは不安があり、ライルは直接、車で10分のそのホテルに出向いた。
 案の定、受付は若い人だけで、名前を言っても理解してくれなかった。
 ライルは支配人の名前を告げて、彼に伝言をと頼めば、支配人は慌ててフロントまで出向いて来て、ライルとの再会を喜んでくれた。
 今晩の予約と、その経緯を話せば、ニールの大学入学祝い以降、両親と妹の葬式の時の食事の手配で止まっていた関係の再開に、喜んでくれた。
 そして結婚祝いを出来なかった事を悔やんでくれ、今日はその分のサービスをと申し出てくれたのだ。
 他愛の無い会話の中で、兄もこの世を去り、唯一残ったのだと告げれば、そのライルの伴侶のソランの到着を心待ちにしていると、年老いた彼は笑ってくれた。


 下準備を済ませて、ソランの居る店に戻る。
 ライルが扉を潜れば、店員がすっ飛んで出迎えてくれた。
 そして予約が取れた旨を店員に伝え、急場しのぎで構わないからと、イヴニングドレスの購入の意思を伝える。
 当然、店は上へ下への大騒ぎになった。
 その店がアイルランドに店舗を構えたのは、ライルが職の為にこの地を去った後だった。
 そして、母が愛用していた店は、既に無くなっていた。
 そんな事情からチョイスした店だったので、当然ライルの事など店は知らない。
 突如現れた大口客に、慌てるのも当然だった。
 行き先のホテルの名前の大きさに、店員は店にある在庫を掻き集め、まだネイルの途中らしいソランが現れる前に、ライルに意見を求める。
 当然肌が隠れる物の注文には、最初から対処してくれた。
 名前が大きいだけはあると感心しつつ、出されたドレスの中でも、特に肌を隠せるタイプの深いブルーのものと、少しだけ足首が見えるタイプの深い紫の物を選んでおいた。
 更に、それにあわせたパンプスとバッグを数点。
 頭の中で計算して、ライルは久しぶりの金額の買い物に、笑ってしまった。
 過去の家族への懐かしさと、今の家族への愛しさに。
 この時間をプレゼントしてくれた娘にも、そのうちこの店でそろえてやろうと、そう思った。

 ソランの時間を待つ間に、応接室で、その店のカタログに目を通しながら娘のものを物色していれば、僅かな時間で妻が戻ってきた。
「ライル……」
「わぁお」
 店員に付き添われながら現れた妻は、今までライルが目にした事も無い程、華やかな女に仕上がっていた。
 元々の深い彫りの顔立ちに、上品に施された化粧が映える。
 そして爪の先には、結婚指輪を強調するように、清楚に、それでも存在感のある装飾がされた爪が光っている。
 初対面から美人だと認識していたが、結婚して惚れた欲目も合わせて、ライルには女神も足元に及ばないとソランを褒め称えた。
 神話であるならば、ソランは罪に値すると。
 甘い言葉の数々は、恋人らしい付き合いをして来られなかった今までも囁いていたので、ソランは少し照れるだけで、いつものようにライルに微笑んでくれた。
 その様子に見惚れる店員達。
 彼女達の様子を見て、やはり乙女の夢はいつの時代も変わらないのだと、家を出る前に娘に言われた「昔の若者の流行」という言葉は当てはまらないのだと、ライルはコッソリ笑った。
 そして更にドレスを試着し、くびれの深いソランの体型に、一時間で合わせてくれると申し出てくれた店に甘えて、二人で遅いランチに向かった。


 向かった先は、公園のスナックショップ。
 高級店の洋服で着飾らせておいて、何故そこにライルが向かったかといえば、昔のソランの食べものの嗜好を覚えていたからだ。
 恋人になる前も、なった後も、彼女は会社の昼休みには、ファーストフードの食べものを好んでいた。
 だが今は、子供の健康に悪いとソラン自身が自粛していて、頻繁に食べる事が出来なくなったのだ。
 ライルのチョイスに、ソランは笑った。
「覚えていて、くれたんだな」
「当然。でもケチャップ落とすなよ。落としたらもう一度あの店で、全身コーディネイトさせなおすからな」
「それは怖いな。気をつける」
 慣れない事柄に、店員の満面の笑顔の付き添いとは逆に、ソランは疲れ切った顔で、店の奥から出てきた。
 そんな先ほどの様子に、おどけて脅せば、ソランはやはりライルの思ったとおり疲れたようで、笑いながらも拒否をする。
 それでも家を出てきた時とは表情を変えた妻に、ライルは笑った。

 洋服は、好みではないかもしれない。
 それでも妥協点を探したつもりだ。
 そしてソランも受け入れてくれた。
 サイズ直しを頼んだドレスは、ぴっちり肌を隠す深いブルーのタイトスタイルではなく、深い紫の、少し足首が見えるものにしてくれた。

 お互いに、歩み寄っている。
 ライルにはそう感じられた。
 そして今更ではあるが、普通の夫婦になれたことに、喜びを感じる。
 新婚では、分からなかった事。
 結婚して年月が経った今だからこそ、分かるお互いのこと。
 その事に、深い喜びを感じた。
 更には成長した娘。
 出会ったときには幼子だった彼女が、母親を女として気遣い、育てる苦労を悟ってくれる。
 夫と二人の時間を与え、愛を深めてくれと、そう言ってくれた。
 幸せだと、心の底から思えた。
 そしてそんな妻に、CBに属してから初めてライルは本名で登録していたカードを使った。
 そのカードは、兄から送られて来ていた仕送りを纏めておいたものだった。
 当時、ライルは当然そんなものは受け取れなかった。
 同じ年の兄に負担をかけるなど、認識外の事だった。
 親が居なくなった後は勉強に精を出し、残された遺産をなるべく使わない方向で、必死にカレッジャーと呼ばれる特待生制度を取った。
 大学も当然国立の、国の補助が受けられる一流大学に入り、優秀と言われる成績で卒業した。
 結果、在学中に受けていた奨学金は、返済義務は無くなった。
 更に自分でもバイトを重ねて、親が居ない事を戒めにして、必死に世の中を渡ってきた。
 そして自分に一言も言葉を贈らず、何もかもを背負うようにライルに生活補助をし続けてきた兄が、自分を頼ってくる瞬間を夢見ていた。
 天才と呼ばれていた兄は、大学を卒業した途端姿を消した。
 だがその才能を使っている気配は見えなかった。
 全うな職業で稼げる金額ではない仕送りに、送金を確認するたびに、ライルは目を伏せていた。
 そして、親に詫びていた。
 自分が兄を、間違えた道に走らせたのだと。
 寄宿学校などすぐに辞めて、兄と共に道を歩まなかった自分を、責めた時期もある。
 共に歩んでいれば、彼は普通の、日の当たる人生を歩み続けていられたかもしれないと。
 そして探した。
 探して、探して、それでも結局兄とは二度と会えなかった。
 それでも彼が残してくれた遺伝子に、感謝した。
 そして彼も愛した女を愛して、妻にした。
 だからライルは、娘の心が成長して、初めてそのカードを使ったのだ。
 ライルに散々心を見せて、気遣い、そんな彼が残した女の為に。
 会計の時、ソランはライルの側にいなかった。
 更なる売り上げを期待した店員に囲まれていたから。
 そっとそのカードで会計をして、彼女の身を包むものを、兄の金で買ったのだ。
 女としての幸せを、与えるために。
 兄が与え切れなかった思いを乗せて、更に自分達の絆の為に。
 必要以上に思い出させたくは無い。
 ソランにとって、辛い記憶であるのだろうから。
 それでも彼の愛に包まれて幸せそうな彼女が見られるのが、ライルの幸せだった。
 カードを握り締めて、心の中で語りかける。

 二人で、彼女を愛そう、と。





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兄より弟の方が恥ずかしい男です。今でもこんな事する人いるんかいなと…(´ω`;)。
せっさんは世間知らずなので、これが恥ずかしい事だとも認識できない。良かったライルww
ディランディ家の設定は、確かどこかにこんな記述があった気がしたんです。不確か情報(;´Д`)
初期設定だったかな…。
大人になったら長男には教えるよ!…多分ww