抽象的な愛 具体的な恋3

2010/07/08up

 

「刹那っ! あれ誰!? 超カッコいいじゃん!」

 そう意気込んで話して来るのは、高等部から留学編入をして来て、同じクラスで同じ演劇部に所属するルイス・ハレヴィだった。
 公演が終わった後、刹那達が部室から出て来るのを待っていたライルを見かけて、女子校で普段殆ど年頃の男性との接触の機会を持たない面々は、興味津々で刹那に問い質す。
 並の男であればここまでの騒ぎにはならなかったのだろうが、やはりライルは何処に行っても『いい男』と分類される容姿を誇っていた。
 ニールやライルがこうして刹那の学校の行事に来る事は初めてではなく、そしてその度にこのような質問攻めに会うのだが、刹那は毎回少し誇らしかった。
「隣に住んでいる幼なじみだ。小さな頃から可愛がってもらっている」
「幼なじみ……へぇ、いいなぁ。あんな人をちょくちょく見られるなんて、目の保養だわ」
「見慣れてしまえば気にならなくなってしまう。俺にはルイスの様に彼氏がいる方がうらやましい。そっちの方が楽しそうだ」
 通学電車で静かに本を読んでいた少年に一目惚れして、強引に落としたと有名な彼女の恋愛を指摘すれば、それでもルイスは首を傾げる。
「沙慈も当然いい男なんだけど、やっぱり華やかさが違うわよ。あの人なら連れて歩いて自慢出来そうじゃ無い?」
 ドアを振り返って、その外に居るであろうライルの場所に視線を移して、ルイスはうっとりとする。
 だが刹那は逆に首を傾げてしまった。
 二人を連れて歩く、と言う感覚がないからだ。
 刹那が二人に連れて歩かれる事はあっても、刹那が二人を連れて歩いた事は無い。
 あるとすれば、近所のスーパーが安売りで、更に『お一人様一点限り』とのチラシのあおりを見た時に、一緒に行ってくれと頼むくらいだ。
 首を傾げた刹那に、ルイスは意気込む。
「幼なじみなんでしょ? 血の繋がり無いんでしょ? いい男はゲットしてナンボよ刹那!」
 年頃の女の子らしく、恋の話の大好きなルイスは握りこぶし付きで刹那に詰め寄った。
 そこで初めて刹那は気が付く。
 刹那にとってはライルやニールは家族以上の感覚はなかったのだが、考えてみれば二人は『兄の様な存在』であって、『兄』ではないのだ。
 今まで当たり前の様に、刹那の学校の行事や買い物などを頼んでいたが、もしかしたら迷惑だったかもしれないと思い至る。
 あまり聞いた事は無かったが、もしかしたら二人の恋人にも疎まれていたかもしれないと。
 ライルはあまり無かったが、ニールは恋人がいた時に小さな刹那が一人で留守番になってしまった時、デートに何度も連れて行ってくれていた。大抵は可愛がってくれる女性だったが、複雑そうな顔をする女性には、刹那は頭を下げて「兄がお世話になっています」と、家族共々迷惑をかけると挨拶をした。
 だがそれが間違えていたことに、やっと今気が付いた。
 本当の妹なら、きっとあの女性は複雑な顔はしなかったのだろうと。
 そして更に、折角の休日を血の繋がらない子供に付き合わせているライルにも、申し訳ない気持ちが浮上して来てしまう。
 色々な事に気が付いてしまって、舞台用のドウランを落とす手が思わず止まってしまう。
 そんな刹那の気持ちを勘違いしたルイスは、手の止まった刹那の代わりに、刹那の身支度を手早く手伝った。
「ほら、折角の二人きりのチャンスじゃない! 急いで彼の所に行く!」
 あくまでも恋愛と話を切らないルイスに戸惑いは覚えたが、確かに待たせている事実は変わらないので、刹那はのろのろと身支度を再開する。
「あ、外出たら私にも紹介してね!」
 楽しそうなルイルの言葉に、それまでの思考を切り替えて刹那は問うた。
「沙慈からライルに乗り換えるのか?」
 散々『いい男』と絶賛して、更に紹介を求められれば、恋愛の機微に疎い刹那でもそこに思考は行き着く。
「まさか! でも顔がいい男の知り合いは幾らでも居てもいいのよ! 眼福じゃない!」
 ぐいぐいとコットンで刹那の化粧を落としながらウキウキと答えたルイスに、刹那は小さく笑った。
「なら、今度またウチに遊びにくればいい。会えるかどうかはタイミングに寄るが、ライルは双子だ。同じ様な顔がもう一人居るぞ」
 刹那の言葉に、ルイスは感嘆の声を上げる。
「なんて幸せなのあんたは! あの顔を日常でダブルでですって!?」
 オーバーアクションで仰け反るルイスに、刹那は我慢出来ずに声を立てて笑った。その表情は先程まで舞台で演じていた『千夜一夜物語』の妖艶な魔人の妻とも思えないコミカルな物だったからだ。
 明るいルイスとの会話で、少し浮かんだライルとニールへの申し訳なさという暗い感情が薄れる。
 ルイスに感謝しながら、刹那は身支度を進めた。


 刹那が部の仲間と別れてライルと歩く頃には、まだ春に早い季節は既に日が傾ききっていた。
 長い影を引き摺りながら、二人で駐車場に向かい、ライルの運転する車で家路に着く。刹那は助手席に座って、夕日の差し込む車内で黙々とライルの撮影した舞台の様子を見ていた。
 いつもと変わらない刹那の様子に、ライルは小さくため息をつく。
 静かな車内に響いた息遣いに、刹那はやっと顔を上げる。
「あんなに冷やかされてたのに、カッコいい俺と二人きりになっても、やっぱり刹那は何にも思わない訳?」
「……聞こえていたのか」
 部室内の様子を不意に問われて、刹那は目を見開いた。
「聞こえた聞こえた。もうまる聞こえ。あんなにきゃいきゃい騒いでたら、ドアの前じゃなくても聞こえるって」
 その時の様子を思い出したのか、ライルは笑った。
 その笑顔は、どことなく刹那がいつも見ているライルのモノとは違う様に感じて、頬に熱が溜まる。
「俺達はお年頃なんだ。しかも普段は枯れた男としか接触が無いから、若い男を見るといつもああなる」
 頬の熱を誤摩化す様に説明すれば、その説明が可笑しかったのか、ライルは更に笑った。
「教師は枯れた男か。まあ確かに俺はまだ枯れちゃいないな」
「現国の教師は比較的若いが、やっぱりどこか生気に欠けるんだ。だから人気がない」
「その先生、幾つよ」
「確か26と聞いた気がする」
 刹那の返答にライルは思いっきり頬を引き攣らせて「2歳しか違わないのに枯れてるとか……」と、その教師への哀れみではなく、ジェネレーションギャップに乾いた笑いを零した。
「じゃあ俺も、後二年したら枯れてるって言われるんかなぁ」
 赤信号で停車しているのをいい事に、ライルはステアリングに身体を預ける様にして落ち込んでみせた。
 その姿が刹那にとっては可笑しく、思わず吹き出してしまう。
「大丈夫なんじゃないか? 部室での会話は聞こえていたんだろう?」
「いや……二十代前半と後半は違うって聞くしさ……女子高生にあんな事言ってもらえるのも今のうちだけかなって思わなくもない」
 本格的に憂鬱になって来ているのか、ライルの瞳が半分伏せられる。
 その横顔を見て、刹那はライルの睫毛が案外長い事に気が付いた。
 幼い頃から見慣れている顔の筈なのに、部室での会話から何となく『男』として意識してしまう。
 それでもその先など刹那には思いつかず、いつもの様にライルに話しかけた。
「なら、今晩は若さを保つ飯にするか?」
 からかい半分、フォロー半分の刹那の言葉に、ライルは視線を刹那に向ける。
「何? 慰めてくれんの?」
 フォローの部分だけを抜き取ったライルの返答に、刹那は小さく笑って「スーパーに寄ってくれ」とだけ返した。





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