それは凄く、必然的な事だったんだろう。
世界中をあげてのお祭り騒ぎの12月24日は、当然二人でそれに一日中乗じるはずだった。
だけど、やっぱりそんな事を許してくれる程、世間は俺に優しく無くて。
それでも限られた時間くらいは、二人で楽しく過ごしたかった。
「……え?」
前回、いつ飾ったかなんて覚えていないクリスマスツリーを部屋に飾り、その電飾の明かりに照らされた啓太の笑顔は、俺の一言でかげりを見せる。
「ホントにごめん」
今日、二人で過ごせるタイムリミットは後30分。
残りは帰ってからだと思っていた。
「今日は多分明け方にはならない……」
「もういいよ」
スケジュールを全部言い切る前に、立ち上がった啓太の影に遮られる。
見上げた啓太の、つい5分前まで合わせていた唇が、悲しげに歪んでいた。
「啓太……明日の朝までには絶対に帰ってくるから」
「”仕事”なんだろ?別にそんな約束してくれなくてもいいよ」
我慢させるのは、何もこれが初めての事じゃない。
つきあい始めてから2回目のクリスマス。去年は一緒にいる時間を空ける事すら許されなかった。だから今年のこの計画には、二人で心躍らせて、この日の為に一ヶ月以上前からスケジュールの調整をして……
「今日のは取引先のクリスマスパーティの顔出しだけだから、1時くらいには抜けられるから」
きっと、どんなに言葉を尽くしても、啓太の心を和ませる事は出来ないけど。
それでも沈黙しているよりはマシだと思って、何度も謝罪を口にした。
そんな俺をどう思ったのか。
啓太はゆっくりと口を開いた。
「和希が帰りの時間を気にする事はないよ。……もう、俺の事、無理に気にする事はない」
「無理じゃ……」
急速に、何かが啓太の心を満たしているようだった。
いや、“急速”っていう言葉は合わないのかもしれない。
きっと、いつでも啓太の中にはあったものだったんだろう。
まるで、世界には俺たちしかいないような静寂の中、ついにそれは音となって啓太の口から溢れ出た。
「別れよう、和希」
一番、恐れていた言葉。
だけど、いつかは言われると思っていた言葉。
だって、こんな俺と利害なしに付き合っていけるような人は、きっとこの世にはいないだろうから。
「もう、こんな無理しなくてもいいよ。今日だって夜に仕事が入っていたんなら、無理に俺に付き合わなくても良かったんだよ。こんな……頑張って付き合ってもらうの、俺、嫌だ」
恋愛感情というものがなければ、人は利を与えていれば離れると言う事はない。
だが、俺が啓太に何の利を与えられているんだろうか。
きっと、何の利も与えてはあげられていない。
だから、この結果は仕様がない事なんだろう。
「無理ばかりさせちゃって今まで悪かったな。もう、大丈夫だから」
何が『大丈夫』なんだろうか。
いつもは思った以上の効果をもたらしてくれる自分の口も、何故か動かす事が出来ない。
啓太が俺から離れていく理由は、頭では嫌という程わかっているのに。
それでも動かない口を動かそうとする理由は、引き止める言葉を探しているから。
「さよなら、和希」
何も言えない俺に、啓太は最後の笑顔を見せて、荷物とコートを手に取って歩き出す。
横顔が背中に変わって。
視界には啓太の全身が入るようになって。
ゆっくりと。
まるで映画のスローモーションのように、目に映る啓太の様子が変わっていく。
そしてそれは、玄関のドアが閉まる音で終わりを告げた。
何も、言えなかった。
本当に、一言も。
だって、何が言えるというんだ?
啓太と同じ年頃の友達が過ごす恋人との時間は、きっと自分たちとはかけ離れているだろう。
一回も言われた事はなかったけど、それでもきっと、啓太もそんな時間が過ごしたかったに違いないんだ。
与えてはあげられないもの。
大人の都合が邪魔をする。
それでも。
どうしても。
「好きだったんだ」
初めてあった時から、好きだったんだ。
肉体関係とか、そんな事じゃなくて。
ただ、一緒にいたかっただけなんだ。
側で、笑い合っていたかっただけなんだ。
でも。
「俺の、エゴだったんだよな」
理性。
それが、啓太に対しては足りなかった。
だから……
「所長?」
「あ……」
背後にはいつの間にか、時間になっても部屋から出てこない俺を心配した秘書が立っていた。
「あ、ごめん。もう時間だったんだな。今からすぐに用意するから」
「はい。申し訳ございませんがお急ぎ下さい」
「うん、わかってる」
きっとこうやって、日々の喧噪に紛れて、この心の痛みも消えるんだ。
もう、啓太の事を惑わせない。
俺が側にいてはいけないんだ。
その方が、きっと啓太は幸せだから。
何も考えずにいつもの動作を繰り返して、啓太に言った通りに12時をすぎた頃には帰りの車に揺られていた。
「お疲れさまです」
「ああ、石塚もお疲れさま」
秘書との会話もいつもの通り。
お互いに労いの言葉を贈り合う。
「お部屋にはいらっしゃらなかった様ですが、どちらにお送りすればよろしいですか?」
この日を楽しみにしていた俺の事を、部下として、仕事仲間として、彼はよく知っている。
今日の予定を申し訳なさそうに告げてきた彼の顔は、数少ない本当の友人だと俺に感じさせた。
「いや……そうだな。じゃあいつも使ってるホテルに行ってもらおうかな」
言い淀んだ俺を、怪訝そうに助手席から覗き込む。
「いつも……と申しますと、お二人でご利用になっているお部屋ですか?」
「いや、近い方でいいよ」
どちらでも、いい。
いや、どちらかと言うと、あまり思い出のある所には行きたく無い気もする。
自分で思っていたよりもロマンチストなんだと、窓の外を流れる景色に目を向けながらぼんやりと思う。
「……今日は」
「うん?」
戸惑いがちにかけられた声に、視線を前方の彼へと戻す。
「これから、お時間がある、と言う事なんですか?」
「……ん、まあね」
驚いて、目を見開いている。
まるであり得ない事が起こったかの様な、そんな表情。
まあ、周りから見ればうまくいっている様に見えていたんだろうが。
「では、イヴの夜に寂しいもの同士、一杯いかがですか?」
ふと崩した彼の表情に、なんだか救いがある様な気がして。
「そうだな。……付き合ってくれるのか?」
「それは、こちらが申し上げる事でしょう?」
「ははっ……」
いつもの会話のつもりだった。
いつもの、何気ない顔を作っているつもりだった。
なのに、視線の先の彼は、ギョッとした顔をしている。
「……所長」
「ん?」
「気が……つかれないんですか?」
何を言っているんだろうと思った。
その時、自分の膝の上に置いてある手に水滴が落ちる。
「……あ?」
そうか。
俺は、泣いていたんだ。
止めどなく流れている涙に、自分自身でどうしていいのかわからない。
「……少し、お話ししたいのですがよろしいですか?」
彼の気遣いに、啓太が重なる。
いつも俺の様子をうかがっていた啓太。
『つかれてるんじゃないのか?』
『ホントはそんな事、思ってないくせに』
頭の中を、いろいろな場面での啓太が話しかけてる。
止められない涙に、俺は顔を背ける事しか出来ずに、彼の言葉を流した。
俺のそんな態度にも何も言わずに、運転手に一言二言かけて、それっきり彼は俺の方を向かなかった。
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