休日、俺がメイドとして働いている鈴菱邸にチャイムが鳴り響いた。
「はーい」
いつもの様にとてとてとインターフォンに近付いて受話器を取り上げると、画面に映ったのはこの家のご主人様の和希のお母さんだった。
いつもは来る前には電話をくれるのになんだろうと思いつつ、和希に声をかける。
「和希、お母さんが来てるよ」
「はぁ?」
ココは和希の個人宅で、和希のお父さんとお母さんは本宅に住んでいる。
でも行き来が全く無い訳じゃなくて、特にお母さんはよくこの家に来るんだ。
俺がこの家でメイドを始めてすぐ位からちょくちょく顔を見せてくれて、可愛がってくれている。
妹も同居しているこの家に遊びに来ては、俺と妹の朋子を可愛がってくれているんだ。
だけど……なんか画面に映ったお母さんの顔がいつもと違う気がして、ちょっと足早に玄関に向かって歩いた。
ドアを開けると、そらもうびっくりな光景が広がっていた。
「……どうしたんですか?」
第一声でそう声をかけてしまう程、お母さんは泣き腫らした顔をしているし、なんと言ってもお母さんの背後の人の数が普段の3倍と来れば、その異様さが想像してもらえるだろうか。
俺の後ろからのんびりやって来た和希も、ぎょっとした顔をした。
お母さんは和希の顔を見るや否や、泣き腫らした目から更に涙を流して、和希に縋り付く。
「和くーんっ!」
「ちょっ…なに!? どうしたの!?」
この家でメイドを始めて2年だけど、こんな事は初めてだ。
いつも陽気で明るいお母さんが、こんなに泣いているなんて……。
「お願い! 暫くココに置いて!」
え……それって……家出って言うんじゃ……。
涙をぽろぽろ流しながら頼む様な口ぶりをしつつ、お母さんは背後の人達に荷物の運び入れを指図した。
そう、お母さんがぞろぞろ連れていたのは本宅のメイドさん達で、何やらお母さんの生活用品を持っているらしかったのだ。
困った顔のメイドさん達に俺もどうしたらいいのか解らなくて、視線で和希に指示を求める。
和希もいきなりの事でどうしたものかと考える素振りをしたけど、泣いているお母さんを無碍にする訳にもいかず、俺に部屋への案内を促してくれた。
俺が本家のメイドさん達と一緒にお母さんの部屋を整えてあげてリビングに戻ると、朋子がお母さんにお茶をいれてくれていた。
こういう時、ホントに妹が一緒でよかったと思う。
女の子だから気が付くんだろうなって。
俺が同じ年の頃なんて、絶対にこうはいかなかったと思う。
女の子って凄いなって心の底から思う瞬間だ。
俺が感心しつつポットからお茶を注ごうとしたら、朋子に止められる。
「まだダメ。もうちょっと冷ましてからじゃないと、泣きながらは飲めないから」
……ああ、熱いとしゃくり上げてる時って辛いか。
凄いぞ、妹よ。
お母さんはソファで相変わらず泣いていて、取りあえず俺はお母さん愛用のティッシュを側に置いてあげた。
だけど……これ以上はどうしたらいいんだろう。
俺が困っていたら、朋子が俺のシャツの裾を引っ張って、リビングから出る様に促してくれた。
そうか、そうだよね。和希と二人の方が落ち着くかもしれないし。
俺達がそっとリビングから出ようとしたら、今度は和希が俺のシャツの裾を引く。
なにか凄い意気込みの視線を送ってくる。
……どうも、二人っきりにしないでと言っているようだ。
いやまあ、確かに親子と言えど、この状況で二人っきりは辛いかもしれない。
だけど……。
俺が二人に挟まれておろおろし始めた頃、お母さんはやっと顔を上げてくれた。
「和くん……」
「なんですか?」
和希の促しにお母さんはしゃべろうとするんだけど、涙で喉が詰まっているらしく、一拍置いて……。
「パパとママ、もうダメかもしれないっ」
………えええぇ!
何その急展開!
ついこの間までラブラブだったじゃん!
和希の両親は、ホントにラブラブなんだ。
お父さんの出張にはお母さんがついていくし、お母さんの仕事にもお父さんがついていく位、二人が離れている事って無い。
和希はそのあおりを食らってお父さんの代役をしなきゃいけなかったりと、結構大変なんだけどさ。
それでも仲睦まじい両親の邪魔なんて出来る訳も無い。
俺と和希は思わず呆然と視線を交わしてしまう。
そんな呆然とした空気の中、再び鈴菱邸のチャイムが連打された。
なんかもう、ピンポンダッシュみたいな凄い連打。
「は、はーい!」
俺が慌てて再びインターフォンを取り上げると、今度は焦ったお父さんが画面に映った。
これは…と思ってちらりとお母さんを見ると、お母さんは丁度リビングから走り出した所だった。
多分、行き先はいつもお母さんが使っている部屋だと思うけど……。
とにかく玄関を開けなきゃと思って俺が玄関に手をかけると、外側から凄い力で開けられてしまった。
思わずよろめいてしまったけど、何とか姿勢を保つ。
「希美子!」
いつもはダンディなお父さんが凄まじく取り乱して、お母さんの事を呼びながら家に駆け込んで来た。
その頃には当然お母さんは二階に上がってしまっていて、お父さんの声が聞こえるか聞こえないかのタイミングで、部屋のドアが閉まった音がした。
お父さんもお母さんがいつも使っている部屋は解っているから、一目散にソコを目指す。
えーと……俺はどうしたらいいんだろう?
ソコで外をちらりと見れば、本家のメイドさん達も呆然としていた。
そりゃそうだ。
帰れとも言われてないし、上がれとも言われていない。
外で待つしかないよね。
それでも寒空の中立たせているのも可哀想なので、俺はメイドさん達を中に呼び込む事にした。
リビングは話し合いに使うけど、今の所ダイニングなら大丈夫だよねと思いつつ。
人数も6人だから、椅子もあるし。
ゾロゾロと移動を始めて家の中に入ると、二階から必死な声のお父さんの様子。
俺達メイド組は、その様子を見なかった振りをする事に決めて、ダイニングで落ち着いた。
本家のメイドさん達にお茶をいれてあげると、いつもお母さんと一緒にいるお母さんの秘書の工藤さんが、俺に平謝りして来た。
「すみません。今まではこんな事は無かったんですが……」
「いえ、大丈夫ですよ」
と、何事も無い様な顔をして返事をしつつ、やっぱり長年勤めている人でも初めて見る光景なのだと知る。
だって、お父さんとお母さんのラブラブっぷりは、はっきり言って半端じゃない。
普通の会社員の夫婦では出来ない事も出来てしまうから、それはもう目も当てられないというか、うらやましいと言うか。
和希が俺と恋人になってから俺にべったりなのは、きっと両親を見て来ている所為だと理解出来てしまう。
それでもまだ俺達の方がマシだけど。
和希には最近出張に一緒に行ってくれって誘われるけど、我が家には嫁入り前の年頃の女の子がいるので、あまり一人にもさせられないと言う事で、俺はそのおかしな誘いを断り続けている。
和希も俺が断ると「そうだよなぁ」なんて寂しそうに言いながらも、納得してくれている。
というか…仕事に行くんだろうと俺は思う訳で、なんで俺が一緒に行かなきゃいけないんだとも思う訳だけど、この両親を見て育ってしまったらソウイウ感覚になるのかなとも納得してしまう。
っていうか、そもそもなんで和希の仕事に合わせて、俺が学校休まなきゃいけないんだよ。
俺は誰かさんみたいに趣味で高校生やってる訳じゃなくて、本当に高校生だから。
…とまあ、本音はその辺だけど、ソコはソレ、心の中にしまってある。
やっぱり恋人だし。
べったりが大好きな和希に言ったら、ダメージ与えそうだし。
前にちょっとえっちの間が開いちゃったら、「俺の事愛してない!」とか叫ばれて、ホントに大変だったのが教訓だったりもする。
ソレだって、テスト期間だったからって理由がちゃんとあるんだけどさ。
ダイニングでメイド全員でため息をついた所で、二階からしょんぼりとした足音が聞こえた。
あからさまにぐったりと降りて来るのは、きっとお父さんだろう。
お母さんも泣いていて可哀想だったけど、あの必死さが空振りしているお父さんも可哀想なので、俺はお父さんがお気に入りのコーヒーをいれてあげる事にした。
コーヒーをいれてリビングに行くと、ソコにはとても世界を股にかけるグループの総帥とも思えない、お父さんの項垂れた姿。
何があったのかは解らないけど、二人を放っておく訳にも当然いかないので、俺はお父さんに付き合う事にして、二階のお母さんは朋子にお願いした。
朋子がいれたカモミールティと一緒にクッキーもお皿に盛りつけて、女は女同士でお願いすると、朋子は素直に従ってくれた。
「………はぁ」
朋子がリビングを出ると、お父さんが思いっきりため息をつく。
それを合図に、和希が口を開いた。
「で、この騒動はなんなんです?」
やっと本題。
泣いているお母さんには聞く暇がなかったし、まあ…この状態のお父さんに話させるのもかなり鬼畜だと思うんだけど、聞かないと埒があかないのは解る。
いつもはピシッとしていて隙なんか見えないお父さんの意外な一面。
お母さんの事がこれほどのダメージを与えるとは。
いや……いつもの様子を見てれば解らなくもないけど。
お父さんはもう一度大きくため息をついて、事のあらましを説明し出した。
「私が悪かったんだ……」
「悪かったって……何したんです? 浮気とか?」
え……和希、それあり得ないでしょ。
そう心の中で俺が呟いたら、思いがけないお父さんの返答。
「まあ、ある意味裏切りなのかもしれない」
えええぇえ!
あんなにいつも一緒にいるのに、どこにそんな暇あったの!?
……と思ったら、やっぱりそんな事じゃなくて。
「私が……記念日を間違えてしまったんだっ」
……………………。
…………………………………え。
それだけ?
そう突っ込みたいのをぐっと堪えて続きを待つと、なんと和希の反応にもびっくり。
「あー、それは怒りますね」
…………えぇ?
それって普通なの?
それだけでこの騒動なの!?
それが常識なの!?
俺が非常識!?
そんな自問自答をしている間にも、鈴菱親子の会話は進む。
「私だってキチンと覚えてはいたんだ。ただ、数を数えている時に聞かれた物だから、つい逆に口にしてしまって……」
「逆にって、どういう事です?」
「だから、3月21日を、1月23日と言い間違えてしまったんだっ」
……………………どうやったらそうなるんだ?
いやまあ、確かに「3・2・1」が「1・2・3」にはなってるけど……。
俺が頭の中で整理していたら、お父さんがいきなり俺の手を掴んで来た。
「啓くん、どうやったら希美子は許してくれるだろう? 君なら和希にそういう目に合わされたら、どう対処する!?」
「え……俺ですか?」
えーと、ココで説明を入れさせて頂きますと、俺と和希が恋人だと言う事は、和希の両親は知っています。
というか、和希が俺の事を「恋人」と紹介しました。
ちなみに付き合い始める前から「好きな男の子が……」と、親に言っていたらしいです。
なんと言うか、グローバルな家族は考え方が普通と違う。
とまあ、説明はこれくらいなんだけど…俺はどう答えたらいいのか解らない。
だって俺なんて、和希が言わないと記念日なんて覚えてないもん。
ウチの死んだ両親だって、何年か置きに思い出した様に結婚記念日とか言ってたけど、毎年じゃなかったし。
何日か過ぎた頃に、「あ、今年忘れてた!」とか二人ですっとぼけてたし。
俺が答えに困って引き攣っていたら、和希が救いの手を差し伸べてくれた。
いや、救いの手だと思いたい。
決してお父さんを責めているのではないと思いたいっ。
「俺、啓太との記念日間違えた事無いので、啓太に反応求めてもダメですよ」
「そうか……やっぱりそうだよな……私が悪いんだ……」
………えーと、ソコって反省する所なんだ。
がっくりきているお父さんは、俺の手に縋ったまま。
理由は置いといても、可哀想にと思ってそのままにしていたら、俺ではなく和希が怒り始めた。
「ちょっと、いつまで啓太の手を握ってるんですか。いい加減離して下さいっ」
なにその追い剥ぎに追い銭みたいな言葉。
こんなに落ち込んでるのに可哀想じゃんっ。
と言う事で、せめて俺だけはお父さんの味方でいてあげようと、和希を睨んだ。
「いいじゃん別に。和希冷たい」
「啓太は俺のなの。いくらお父さんでも簡単に啓太には触って欲しくないの」
死ぬ程恥ずかしい事を事も無げに言い放てるのが、和希の和希たる所以だと俺は思う事にしている。
和希の言葉に従うお父さんもお父さんだと思うけど、お父さんは素直に和希に「ゴメン」と言って、俺の手を離す。
なんなんだこの親子……。
落ち込んでるから、今日は何かお父さんが好きな物でも作ってあげようかと算段した時、再び玄関のチャイムが鳴る。
今外にはお母さんの車とお父さんの車の運転手さんと秘書さんがいる筈なので、俺は今度はインターフォンを取り上げる事なく玄関を開けた。
すると案の定、お父さんの秘書さんがお辞儀をして待っていた。
「会長にお話があるのですが、よろしいでしょうか」
お父さん、がっくりしてるけど……まあココは俺の判断するべき場所じゃないので、俺は秘書さんをリビングに通した。
スタスタとお父さんの近くに寄った秘書さんは、今日ココに来た誰よりも勇者な行動に出た。
「会長、もう会議のお時間です」
……まあ、仕事だよな。
そうだよな。
グループの総帥ともなれば、早々時間なんて無いよな。
だけどココでも俺はお父さんと和希の血の繋がりを見た。
「何を言っているんだ。希美子がいないのに、行ける訳が無いだろう」
「奥様は今回の会議にはお出にならなくても大丈夫です。ですが、会長がお出にならなければ話になりません」
うわぁ……すっごいすっぱり物言った。
今度から俺も見習おうかな……。
「だが、希美子が泣いているんだぞ。私がここを離れられる筈が無いだろう」
「会長が会議に出席下さらなければ、150人の社員が泣きます。奥様の事は和希様にお願いして下さい」
いやもう、凄い会話。
コレ、社員が聞いたら涙して笑うか、本気で泣き崩れるかだよな。
「ああ、和希がいるじゃないか。お前、代わりに会議に行って来てくれ」
あ、息子に擦り付けた。
だけど和希もソウイウのには負けない。
なんかもう、アホの応酬。
「何言ってるんですか。俺は昨日まで啓太と離れて仕事してるんですよ。お父さんは昨日までお母さんと一緒にカナダだったじゃないですか。俺にだって啓太との時間は大切なんです」
えっと…そう言う理由ってどうなんだろう。
「そうだよな…そうだ。啓くんにも我慢をさせているんだ…お前達の時間を奪う訳にもいかないか」
あー、納得しちゃった。
俺にはよく解らない理由で納得したお父さんは、最後にもう一度二階に上がってお母さんに何かを言っていた。
それでもお母さんは天岩戸のごとく、部屋からは出てこないみたい。
しょんぼりとした背中で家を後にするお父さんに、せめてちょっとでも元気を出して欲しいから、俺はお父さんに朋子の手作りクッキーを渡した。
「ちゃんと食べなきゃダメですよ。体力勝負のお仕事してらっしゃるんだから、気をつけて下さい」
庶民クッキーは、今鈴菱家で流行っているのだ。
ラップに包んだそれを車に乗るお父さんに渡すと、少し涙ぐんでいた。
「夜、また来させてもらうよ。それまで希美子を頼む」
はいって頷こうとしたら、すかさず秘書さんが口を挟む。
「何をおっしゃっているんですか。今日は夜は食事会が入っています。その後は直ぐにロンドンに向かって頂きます」
「なっ…! 希美子がいないのに、どうやって出張なんてするんだ!」
「奥様はロンドンのお席にもご不在でも問題はありません。ですが会長がいらっしゃらないと大問題になります」
……つまりは、お母さんはお父さんの付き添いな訳か。
なんかもう、新婚さんみたいだよね。
いや、世の中の新婚さんでも、ここまでべったりじゃないといられない人達っていないよね。
とてもじゃないけど、社会人の息子がいる夫婦には見えないよね。
排気ガスと共にお父さんの悲鳴を聞いた気がしたけど、気が付かない振りをして俺は手を振ってお父さんを見送った。
とは言っても、当然騒動が終わっている訳ではない。
お父さんがいなくなったのを悟ったお母さんは、天岩戸にしていた部屋から出て来て、こっそりリビングを覗いた。
「……浩和さん、帰った?」
そのあまりの可愛らしい仕草に、うっかりこの人が40過ぎている事を忘れそうになる。
というより、和希の童顔のルーツがここにあるのだ。
どんなに頑張って年嵩を増してみようとしても、外見ではどうやっても20代後半くらいにしか見えない。
下手をすれば、まだ大学生くらいで通りそうな感じ。
コレで成人した息子がいるんだから、世の中不思議だ。
「帰りましたよ。予定通り今夜からロンドンにも行きますから、暫くは来れないです」
和希が説明すると、お母さんはホッとした様な複雑そうな顔をした。
なんだかなぁ。
そんな顔するなら、さっさとお父さんの謝罪を受け入れてあげればよかったのに。
女心は解らない。
ふと気が付けば、もうお昼の時間だった。
あんまりの激動に、時間感覚がおかしくなっちゃってるよ。
俺は傷心のお母さんが食べられそうな物を考えつつ、聞いてみる事にした。
「お母さん、お昼食べられます? あっさりした物なら入りますか?」
「………………」
「………お母さん?」
「『ママ』って呼んでくれなきゃ返事しない」
……………えーと。
いや、別にコレを言われたのは初めてじゃないんだけどさ。
何でもお母さんは『ママ』って呼ばれたかったらしいんだけど、和希は一度たりとて呼んであげた事が無いらしい。
すっごい小さい頃は解らないけど、物心ついた頃にはもう「お母さん」と呼んでしまっていたらしく、お母さんは凄く不満らしいのだ。
それを俺達兄妹に強要してくる。
でもコレって、俺に対してはかなりイジメな気がするんだよね。
可愛がってもらってるんだけど、俺だってもう高校生な男だから、流石に『ママ』って呼ぶ事には躊躇いもある訳で。
そもそも俺と和希は恋人だけど、別に結婚してるとかじゃないんだから、精々『お母さん』が限度だと思うんだよね。
でもまあ…傷心が少しでも慰められればいいか。
「…………ママ、お昼食べられる?」
俺が戸惑いながら口にすれば、今泣いたカラスがもう笑った。
ぱあぁっと辺りに光が差す様にお母さんは笑顔になって、「食べる」と答えてくれた。
いやもう……何でもいいよ。
俺が引き攣った笑いをしたら、和希が俺を可哀想な人を見る目で「ドンマイ」と親指を立てる。
お前の親なんだから、お前が言ってやれ!
……とは、やっぱり口に出来ない。
俺よりも年齢が上な和希が呼ぶのは、俺以上に苦行だと理解出来てしまうから。
社会人で秘書までついている人が自分の親でも『ママ』呼びはね……。
おかあさ……ママは、俺を横に置きつつ当たり前の様に「かなちゃーん」と、本宅のメイドさんを呼んだ。
なんだろう?
用があるなら俺に言えばいいのに。
そして言いつけた用事は、それこそ俺の仕事だった。
「お昼お願いね。それが終わったら夕方まで家に戻ってていいわ。夕ご飯は啓ちゃんと朋ちゃんが一緒だから、二人の好きな物をお願いね」
「はい、奥様」
「え、ちょっと……」
俺は当然それにストップをかけた。
だって俺の仕事無くなっちゃうじゃん!
口を出した俺を、おかあ……ママは不思議そうに見る。
俺の苦悩を解ってくれた和希は、今度こそ普通に救いの手を差し伸べてくれた。
「いいよ。この家の事は啓太がやってるんだから、君たちはあっちの家を頼む。この家は6人も動けるスペース無いからさ」
当たり前の様にそう言って、本宅のメイドさん達を家に帰した。
それに対して俺は思う。
いや……あります。
この家の広さは十分あります。
確かに本宅の広さはびっくりしたけど。
何度かお呼ばれしてお邪魔してるんだけど、俺と朋子は最初は開いた口が塞がらなかった。
ずーっと塀だなって思ってたら、ソコがまるまる個人宅だなんて思わないだろう。
美術館か何かかと思ったよ。
それに比べれば、まだ『家』として認識出来るこの家は狭いんだけどさ。
あんな広さで生活なんて出来ない。
俺には出来ない。
所詮庶民な俺には、この家だってでかいんだ。
やっぱりこたつがあって、ソコに潜って背伸びで物が取れるスペースが最高の広さだと思う訳だ。
そんな庶民の生活を自分の中で確立させていると、おか……ママが、再び不思議そうな声を出す。
「あら、啓ちゃんが作ってくれるの?」
作ってくれるのって…俺、メイドなんだけど。
思わず「あはは」…と乾いた笑いをしてしまう。
「うれしいわ。そんなに歓迎してくれるなんて!」
……えーと、いや、歓迎はするけど、『そんなに』って何?
俺は首を傾げつつ台所に向かった。
とは言っても…今日は簡単に済ますつもりだったから、大した材料は無い。
取りあえず予定通りパスタのソースを作って、おやつにでもしようかと思っていた冷凍しておいたピザ生地を引っ張り出して、それとサラダとスープを並べた。
簡単メニューで悪いなって思ったんだけど、それにお……ママは何やら大感激してくれた。
「おいしいわ! 凄いわ! 高校生でご飯が作れるなんて!」
いや…味は普通だと思うんだけど。
というか、普通まで来れただけなんだけど。
それでも喜んでくれているからいいかと思って、笑顔の戻った……ママを囲んで皆でご飯を食べた。
「お礼に今晩は私が作るわね!」
………いや、だから俺の仕事だからってちょっと思ったけど、ふと今の…ママの気持ちを考えてみた。
多分、何かに没頭していないとやっていられないのかなと。
異常にテンションの高いママを見て、何となくそう思った。
だけど、珍しく鋭いと思った俺の気持ちを、隣りの席で一緒にご飯を食べていた和希が打ち壊す。
「えー、今日は掻き揚げ丼だって言ってたから、楽しみにしてたのに」
鋭い筈の和希なのに、どうしてこう自分の思う通りにいかないと思うと素直に言葉にしてしまうのかと頭を抱えて、取りあえずママの代わりにテーブルの下で足を蹴ってやった。
「……って!」
仕事では多分こんな事はないんだろうけど、家だと気を抜き過ぎだよ!
そんな和希に、ママも不満たらたら。
「もう、だから和くんは可愛くないのよ。いいわよ、別に和くんは食べなくても。啓ちゃんと朋ちゃんと三人で食べるもの」
ねーっと相槌を求められても、どう答えていいやら。
まあ和希には予定通りに掻き揚げ丼を作ってあげればいいんだけどさ。
結局その日のごたごたは、その日のうちに解決はされずに、長期化の予感を俺達に齎した。
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