君が見ていた空 Act,1

2005.7.6UP




「今年は期待しない」
 カレンダーを眺めつつ、和希は一人呟いた。
 和希の視線の先のカレンダーには『July』の文字。
 そう、七月。
 七夕である。
 付き合い始めて3年目。誕生日、バレンタイン、クリスマスと色々な行事を恋人と楽しんで来たが、この七夕だけはまだ二人で楽しんだ事が無い。
 いや、初めの年は特に何も用意している訳ではなかったけれど、それなりに楽しかった。『先の約束』をした事が、何よりの思い出になったからである。
 だが、その思い出は昨年、無惨に打ち砕かれた。
 和希の恋人『啓太』は、その容貌と二人の恋愛関係における役割と相反し、かなりさっぱりとした男らしい人となりをしている。
 故に、一々細かい約束などはいつも覚えていない。
 覚えているのは和希だけ。
 容貌と相俟ってか、誰が呼んだか経済界のプリンスのお相手は、お姫様ではなくナイトだったという落ちである。
 去年、1年前のピロートークをすっかり忘れ去って、友人達と楽しく過ごしてしまった啓太は、その後、猛烈な和希の不機嫌を挽回すべく、言葉の通り身を差し出してご機嫌を取った。
 当然その時「来年は二人で・・・ね?」との約束もしていたのだが、やはり、と言うか当然、というか。最近の啓太の行動に、その約束を覚えている素振りは無い。
 だが、去年と今年には決定的な違いがある。
 付き合い始めて3年目。
 高校一年生からの付き合い。
 故に、啓太は今年、高校3年生である。
 つまりは受験生。
「勉強だって、あるしな。うん。邪魔はしちゃいけない」
 7月の初旬は、3期制の学校では期末試験の時期である。
 その上、3年生の1学期の期末試験ともなれば、内申を決めるのに重要な試験。
 導く立場の『学園の理事長』である和希が、邪魔をして良い訳が無い。
「来年だって、再来年だって、七夕は来るんだ」
 忘れていようが覚えていようが、どちらにしても啓太に和希と過ごす時間は無い。
 いや、和希から誘える訳が無い。
 故に、拗ねる事も出来ないのだ。
「いつまでも、ずっと一緒だっていってたもんな」
 半ば、自己暗示のように呟きながら仕事をしている上司を、部下達は無言の合図で生暖かく見守るしか無かった。


 こんな、何も無い時に限って仕事は早く終わる。
 啓太が3年生という事は和希も3年になり、授業も以前に比べて格段にコマ数が減少した。おかげで略毎日、午後からは職場にこもって普通に仕事をしていたりする。故に書類が溜る事も、最近では滅多に無くなった。しかも、いつも来る強力なハッカー達も、何故か今日はなりを潜めていて、防衛隊長たる和希の出番は無く、クラブ活動の時間にすら間に合う時間に上がりとなった。
(何でコレが去年じゃないかな〜)
 和希の第一の仕事場である理事長室に付いているロッカーに仕事着を治め、かわりに今年で最後になる夏の制服に袖を通し、濃いブルーのネクタイを結ぶ。
 いつもの、きわめて平凡な風景。
 何かある予感など、決して起こせない様な日常に、それは鳴り響いた。
 その音の正体は、和希の携帯電話の着信音。
 愛しの恋人からのコール。
『カーズーキー。電話だよー』
 わざわざ録音をして、着信音に変えてある恋人の声が、狭くはない部屋に轟く。
(?・・・啓太?)
 普段、滅多な事では電話など寄越さない啓太が、まだ日も傾かない様な時間に連絡してくるなど、只事ではない。
 和希はあわてて机の上に置いておいた携帯電話を手に取り、通話ボタンを押した。
『あ、出た。俺だけど、今平気?』
 和希の緊張した空気を打破するように、小さなスピーカーからはのんきな声が流れ出る。
「ああ、大丈夫。今帰り支度してるところ」
『なーんだ。じゃあわざわざ電話なんかしなくて良かったんだ』
「う・・・まあ、そうだけど」
 出来れば和希自身は、「今ナニしてる?」や「コレから帰るから」のカエルコールなど、多々電話をかけたい理由はあるのだが、残念ながら啓太にはその感覚はないらしい。
『まあいっか。今から帰るって事は和希、今日空いてる?平日だから、やっぱり無理かな』
 和希は、自分の耳を疑った。
「いや、空いてるけど・・・試験前じゃないか?」
 口に出している大人の発言とは程遠い表情で、和希は啓太の質問に、一瞬の間を置いて返答した。
『まあ、そうなんだけどさ。俺、今回は筆記試験って2教科しかないんだよ。しかも最終日の1日だけ。だから平気。レポートはもう仕上げてあるし。・・・で、よかったらプラネタリウムの七夕特別プログラムでも見に行かないかなって』
 自分に用意出来るのなんてこれくらいだったと、おそらく電話口で照れながら話しているであろう啓太を思い浮かべた和希は、『NO』という言葉を即座に己の辞書の中から削除した。
『じゃあ、いいね。今から迎えに行くよ』
 ぷつりと通話は切れ、厳格な雰囲気の理事長室には、まるでゴールを決めた直後のサッカー選手の様に、体全体で喜びを表している青年が一人居た。




「啓太、その服・・・」
「ん、やっぱりおかしい?」
「いや、想像していたよりも全然似合うよ」
 その日の啓太のコーディネートは、相変わらずのラフなジーンズと、和希からのプレゼントのサマーセーター。
 このサマーセーターは去年の夏にプレゼントしたものだったが、少し胸元が開いているタイプで、胸筋があまり無いという理由で、啓太は今まで恥ずかしがって着なかったものだ。
「着てくれて、嬉しいよ」
 蕩けそうな笑顔で言われたセリフに、啓太はぱっと頬を赤らめる。
 そんな様子は、付き合い始めた頃と何の変わりもなく、少し縮んだ二人の身長差以外は、二人の間に変わるものはなかった。
「あ・・・今日さ。よかったら車で行きたいんだけど」
 和希は少し首を傾げた。いつもなら嫌がる車での外出を、啓太が自ら望んだからだ。
「いいけど、珍しいな」
「うん。ちょっと帰りの時間も気になるしな」
 思案顔で厚い雲のかかった空を眺める啓太に、少しの違和感を覚えなくもなかったが、和希は気にせずに会話を進める。
「それは、今夜は期待していいって事?」
「ばっ、馬鹿!!」
「今更照れる事も無いだろ」
 真っ赤になって恥ずかしがる啓太の様子に、いつもと変わらない穏やかな空気を感じて、和希は幸せに浸った。

 

 

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