花のある家 Act,2

2007.4.30UP




 妹と一緒に引っ越しをしたその家は、もの凄く広かった。
 ちなみに元の家は、将来の為にも考えて貸家にした。
 駅から結構近い場所だったから、そこそこの金額で賃貸に出来た。
 そして新しい職場兼家では、元の通り二人とも別々の個室をもたせてもらえた。
 いくら兄弟でも性別が違うし、妹も微妙なお年頃という事で、雇い主が気を効かせてくれたんだ。まだ会った事ないけど、それだけで俺は『いい人』の烙印を押した。後になって石塚さんに聞いたんだけど、この家は俺の学校の理事長さんの家らしい。でもその理事長さん、殆ど帰ってこないんだとの事。理由は、本宅が別にあるらしいのと、他にも兼業してる事があるからすごく忙しいらしい。そんな訳でもうこの家に来て1週間経ったけど、まだ一度も顔合わせをしていないのだ。
 それでも俺は、学校に通いながらこの家を管理してる…って言っても、普通に住んでるだけだけど。掃除して、宅急便とか郵便とか受け取って、夜は今まで通り妹とご飯を食べている。
 でも今日、とうとう家主が帰宅するらしい。
 妹は腕によりをかけて晩ご飯を作った。
 俺はあちこちピカピカに磨き上げて、帰宅予定の8時を緊張しつつ待ってたりする。

 そして、8時5分前。家の外で車の音がした。
(帰って来たのかな?)
 妹と二人、緊張して玄関の扉が開くのを待っていると、予想通り扉が開いた。
 だが…。
「…………え?」
「………あれ?」
 当然の様にドアを開けて入って来たのは、同じ年くらいの若い男。
 しかも、知ってる顔だった。
 思わず呆然とその顔を眺めてしまう。
 だって今日、教室で会った顔なんだもん。
 ここって理事長の家だよな?
 何でコイツが当たり前の顔して入ってくるんだ?
「………なんで啓太がいるんだ?…って、伊藤って?え?」
「それはこっちの台詞だよ、遠藤」
「…お兄ちゃん、知り合い?」
 俺達の困惑に、妹は恐る恐る声を出した。
 いやもう、知り合いっていうか…。
「ここって、理事長の家だよな?」
「………あ、うん、そうだっけ」
 ………そうだっけ?
 なんだその返答は?
 っていうか、そもそも!
「ココって『鈴菱さん』のお宅だぞ?遠藤、知り合いだったのか?」
「ああそう!知り合い!」
 ………嘘っぽい。
「知り合いにしては、当たり前の様に玄関開けたな、お前」
「………あー」
 遠藤は頬をぽりぽり掻きながら視線を彷徨わせている。
 俺達が険悪な空気を醸し出していると、遠藤の背後から石塚さんが顔を覗かせた。
「何をしていらっしゃるんですか?和希様」
 ………和希、『様』?
 いや確かに遠藤は『遠藤和希』だ。
 でもだな!何で『秘書』の石塚さんが、コイツを様付けで呼んでるんだ!?
「伊藤君、お疲れさまです。こちらが…」
「うわあぁあぁあぁ!」
 なんだか遠藤がすごい奇声を発して、石塚さんの口を押さえ込んだ。
 ………ちょっと詳しく事情を聞きたい。
 別に、雇い主が遠藤なのはいいよ。誰だっていい。知り合いの方が気が楽ってのもある。それに妹まで世話になってるんだから、ホントに俺的には感謝してもし切れない訳で。でも、やっぱり事情がわからないと色々不都合があると思うんだ。っていうかそもそも、コイツ、ホントの名前はどっちなんだ?
 とにもかくにも、挨拶だけはちゃんとしないとと思って、俺は一度大きく息を吸って頭を下げた。
「…お帰りなさい。お世話になってます」
 頭を下げた俺に慌てて習って、朋子も頭を下げる。
「妹の朋子です。お世話になってます」
 俺達の挨拶に、石塚さんは口を押さえられたまま『うんうん』と笑顔で頷いた。でも遠藤は困った顔をしている。
 そのうち諦めたのか、遠藤は溜め息をついて口を開いた。
「…朋子さん、だね?初めまして。こっちこそお世話になってます」
 遠藤が口を開いたのを切っ掛けにして、俺達は立ち尽していた玄関を後にした。




「…とまあ、こんな訳」
 朋子が4人分のお茶を入れてくれて、俺達はリビングで遠藤の説明を聞いた。
 コイツの本当の名前は鈴菱で、理事長と薬剤研究所の所長をしているらしい。それでココは薬剤研究所の研究所所長の社宅っていう名目なんだって。だから俺の在籍も薬剤研究所だった訳だ。
「そう言えばお前、欠席多いもんな。あれ全部、体調不良とかじゃなくて仕事だった訳?」
「まあ、そう。どうしても昼間に抜けられない仕事が来ちゃうとね、休むしかないでしょ」
 そりゃそうだと思うケド…。
「でも何でまた、そんな無理矢理高校生なんかやってるんだよ。もうちゃんと仕事してるのに」
 確かうちの理事長様は、すごい経歴をお持ちだと聞いた事がある。
 アメリカでMBAをすごい高得点で取得したって言ってた。
 俺の質問に遠藤…って言うのはオカシイのか。なんて言えばいいんだ?
 俺が困った顔をすると、遠藤は笑って「和希でいいよ」って言ってくれた。そうか。下の名前は本当のだもんな。
「まあ、高校生はちょっとした趣味…かな」
 趣味で高校生かよ。
 あ・り・え・な・い。
 うさん臭さを隠しもせずに俺が和希の顔を眺めていると、また和希は困った様に笑った。
「ほ、ほら!俺って日本の高校の単位取ってないんだ!聞いた事あるだろ?俺が留学してたって話」
「それはあるけど」
 でも、大卒資格以上のもの持ってるんだから、そんなの必要なのか?
「それに…教育者だったら、ちゃんとその国の教育を知らないとな!だから…」
 …どうやら、俺には話せない理由があるらしい。
「…まあ、いいよ。そう言う事にしておく」
 あんまり根掘り葉掘り聞くのも失礼だよな。いくらクラスメイトって言っても、やっぱりコイツは雇い主なんだし。
 だから、これ以上の話をしなくていい様に、俺は話題を変えた。
「それよりも、今回は妹の事まで気にかけてくれて有り難う」
 これは心からの感謝だ。
 こんなに好条件で働かせてくれるなんて、やっぱりいい奴だと思う。
 和希の事はクラスにいる時からいい奴だとは思ってたけど、これほどいい奴だとは思わなかった。
「ああ、そんなの気にしなくていいよ。こっちだって仕事頼んでるんだから」
 俺の話題にあからさまにホッとして、和希は笑って手を振った。
「あ、でも俺が理事長だってのはクラスでは秘密な?」
「…うん。いいよ。秘密にしておく」
 そこで、俺のお腹がぐーっと派手な音を立てた。
 俺達の夕食はいつも7時で、今はもう9時近い。
 俺のお腹の音はその場の笑いを取るのに役に立った。
「ああ、もうこんな時間ですね。私はそろそろ失礼させて頂きます」
 石塚さんは笑いながら立ち上がって、和希にいくつかの封筒を渡した。
 なんか仕事の話みたいだったから、俺と妹は席を外して夕食の準備に取りかかった。っていっても、既に朋子が作っていたのを温めて並べるだけだけど。

 石塚さんが帰った後、俺はダイニングテーブルに一人分の食事を並べた。
 スーツを着替えて入って来た和希は、それを見て怪訝な顔をする。
「あれ?啓太達の分は?」
「だって俺メイドさんだもん。和希の食事が終わるまでは食べないよ」
 もともと一人暮らしの家なんだし、いくら俺達が知り合いでも、人と一緒の食事なんて疲れるだろうしな。
「えー、俺だけ食べるのヤだよ。一緒に食べようよ」
「仕事は仕事。いくら俺でもそこまで甘えられない」
 和希が優しいからって、甘えちゃいけない。だってお金貰ってるんだし。
「甘えじゃないよ。俺の気分の問題。他の人だったらわかんないけど、啓太と一緒に暮らせるなんて嬉しいし、ご飯は一緒に食べたいよ。それに啓太は妹と二人で食べるんだろ?なんか俺だけ仲間はずれっぽい」
 仲間はずれって…何言ってんだコイツ。
 お盆を持ってそっぽを向いて立っていると、コホンと一つ咳払いが聞こえた。
「じゃあ、こうしよう」
 俺は何事かと視線を戻す。
「俺と一緒にご飯食べるのも、お前の仕事。俺がいる時は、必ず一緒にご飯食べる事」
「え…でも」
「『でも』じゃない。啓太が『仕事』って言うなら、俺だってちゃんと『仕事』として依頼するよ」
 にっこりと何時もの人のいい笑顔で、和希はうきうきと朋子を呼びに行ってしまった。
 そして、その晩から3人で食事をする事になった。


 その後、和希がお風呂に入ると言い出して、俺はいそいそと和希の後をついていった。
「……なに?啓太」
「だって、お風呂入るんだろ?」
「……啓太も一緒に入りたいのか?」
 そんな訳あるか。
 まあこの家のお風呂はすっごく広いから二人くらいは余裕で入れると思うけどさ。
「背中、流してやるよ」
「………は?」
 俺の言葉に和希は固まった。
「『は?』じゃなくて、背中流してあげるって言ってるの」
 別にここまでしなくてもいいって言うのはわかってるけど、色々と気を使ってくれたお礼はしたいと思ったんだ。
 俺が出来るお礼なんて、肉体労働くらいしかないからな。
「……そんな変なサービスはいいから」
「変か?俺、家でも父さんの背中とか流してたし、田舎に行くとじいちゃんの背中も流してたよ?だからちょっと自信あるんだ」
 料理には全然自信ないけど、こういう事なら自信ある。父さんもじいちゃんも「気持ちいい」って言ってくれてたし。
 和希は口元を押さえながら考え込んでる。目元がちょっと赤い気がする。
「遠慮しなくていいよ。折角知り合いなんだから」
 俺にとってもラッキーだけど、和希にとってもいい事ないとな。
 全然知らない女の人とか来たらやってもらえないだろうけど、俺だからやってあげられるんだから。
「いや、遠慮じゃなくてさ…」
「あ、恥ずかしいとか?別に和希の裸見てもなんにも言わないって。大体研修旅行の時に一緒に入ったじゃん。今更だよ?」
 4月中旬に一年生は研修旅行があったんだ。蓼科の山の中に2泊で行ったんだけど、凄く楽しかった。その時大浴場にみんなで…っていっても、クラスを半分に分けてグループごとの入浴だったんだけど、わいわい入ったのが一番楽しかった。安達は湯船に沈められるし、木村はタオルで芸するしで、笑い死ぬかと思った。…あ、そういえば和希は隅の方で大人しかったな。あれってやっぱり恥ずかしかったとか?
「単なる裸なら恥ずかしくなんてないけどな…」
「なんか問題あるのか?」
「まあ、男故の事情ってやつだな」
 …もしかして小さいとか?
「大丈夫だって。俺もエノキだから」
「………いや、そういう事じゃなくて」
「あれ?そういえば和希デカイってみんなに言われてたよな?」
 確かタオル取られて言われてたぞ?ちなみに一番小さかったのは俺じゃないよ。まだまだ上がいました。こう言っちゃ失礼だけど、あれ見てちょっと安心しちゃったんだよな。
「いや、だからサイズの問題じゃなくてだな」
 二人で脱衣所で言い合ってたら、台所で朋子が騒ぎ出した。
『そういう会話は、お願いだからあたしの聞こえない所でして!』
 あー、すっかり忘れてた。
 家じゃあんまりこういう話題はしなかったし、やっぱり女の子がいるからって控えてたんだよね。母さんもうるさかったし。風呂からタオル撒いて出ると「女の子がいるんだから、ちゃんと服着てきなさい!」って怒ってた。でも朋子もタオル一丁で出てきたりしてたんだけどな…。
「あー、とにかく背中は遠慮しとくよ」
「……そうか?やって欲しい時があったら遠慮なく言えよ?」
「はいはい。その時はお願いします」
 あんまりしつこく進めてもなんだしな。
 和希が前屈みで服を脱ぎ始めたのに気が付かずに、俺は脱衣所を後にした。




 忙しくて殆ど帰ってこないと言っていた和希は、その日から毎日帰って来る様になった。
 遅い時もあったけど、その時は予め帰宅時間を言われてたし、食事の有無もちゃんと伝えてくれていたから俺達は楽しく毎日を過ごしていた。
 一緒に食事をしながら、最初は緊張していた朋子を和希は優しく促してくれて、最近は朋子から沢山しゃべる様になった。そして、大分表情が両親が生きていた頃と近くなった。俺は忌引き中に「コイツだったら俺よりも妹に対して巧く立ち回れるんだろうな」と思った事を思い出した。
 本当にここで働かせてもらえて良かったと思ってる。
 そして、和希が雇い主で本当によかった。
 当然俺も大切にされてるんだけどね。
 毎朝一緒にご飯食べて、一緒に登校してる。
 前は教室に入るとブラシ片手に待機してて俺の寝癖を直してくれてた和希は、今は家の洗面台で直してくれてる。
「ほんっとに啓太の髪の毛頑固だよな」
「だからー、何やっても無駄なんだって」
 和希は自分のセット剤を使って、一生懸命俺の頭と格闘している。
 でもね。ホントにどうにもならないんだって。そのくらいで寝癖直るなら、俺だって自分でちゃんとやってるよ。
「あーもう、今日の帰りに啓太の髪の毛でも言う事聞かせられるヤツ買って来てやる!」
「そんなのいらない」
「いーや、コレは俺の意地だ!絶対服従させてやるんだから!」
「服従とか言うな、バカ」
「あ、そろそろ時間だ…ケド啓太!またネクタイ曲がってる!」
 一動作事に叫んでは、俺の身なりを和希は整えていく。
 コレじゃどっちがメイドかわかんないよ。

 毎日同じ時間に一緒に教室に入る様になった俺達を、クラスメイトは意味ありげな視線で見始めた。
「ちょっとちょっと伊藤君」
「はいはいなんでしょう藤田君」
 クラスでも仲の良い藤田が、席についた俺のブレザーの裾を引っ張った。
「お前、遠藤となんかあったの?」
 なんかって、なんだ?
「え?別に喧嘩なんかしてないよ?仲良いよ?」
 毎日一緒に登校してて、まさかそんな事思われるとは…。
「だからー、仲良過ぎじゃない?」
 仲良過ぎ?
 なんだそれ。
「お前達、家の方向逆だろ。それなのに毎日一緒にご登校って、今までなかったじゃないか」
「あー、それね」
 別に和希の家でメイドしてるのは言ってもいいんだけど、どう説明したらいいんだか…。
 言葉を選んでいたら和希が後ろから抱きついてきた。
「俺達、同棲始めたんだ」
 俺の頸に抱きつきながら、明るくそんな事を言い放った。
 同棲って、なんだよ。
 隠すならもっと巧い事言え。
 俺は別に隠す事もないって思ってたから、素直に和希の家でメイドさん始めたって藤田に言った。
『メイド!?』
 藤田に向かって言ったのに、何故かクラス中が聞いていたらしくて、全員で大声で繰り返してくれた。
 いや、繰り返されるとちょっと恥ずかしいんだけど…。
 やっぱりメイドって言葉がいけないよな、うん。
 家政婦さんって言えばよかった。
「うん、そう。ホントは学校辞めて働こうって思ったんだけど、和希の家は学校通いながらでもいいよって言ってくれてさ。妹と一緒に住み込みさせてもらってるんだ」
「伊藤がメイド…」
 何か考え込んだ藤田はぽつりとそんな事を呟いた。
「あははは。やっぱりおかしいかな?」
「いーや、全っ然おかしくない。おかしくはないけど…遠藤って坊ちゃんだったのか」
 あ、そうか。俺も今回の事があるまで知らなかった。
 ていうか、和希は『坊ちゃん』じゃなくて『旦那様』だったりするんだけどね。
「うん、すごいよー。お家もすごい大きいし、妹と別に個室までもらっちゃった。しかも一部屋8畳もあるんだよ」
『妹と別!?』
 またもやクラスメイト全員で驚いてくれる。
 そうだよな。普通「住込み」って言ったら4畳半一部屋とか想像するよな。
 何たる高待遇って驚くよな。
「個室で遠藤と同居なんて…!何でそんな危ない事するんだ!世間知らずにも程があるぞ!」
「………は?」
 何で危ないんだ?
 なんか藤田、目がいっちゃってる気がするぞ。
「失礼な。ワタシは紳士ですぞ。君達と一緒にしてもらいたくないですな」
 固まってる藤田に、和希はゴホンと一つ咳払いして意味不明な事を言い始めた。
「募集かけたら巧い事啓太に話がまわってくれまして、今では我が家はパラダイスです。いやもう秘密の花園な雰囲気満々」
「それ、お前が声かけたんじゃないのか?」
「違います。顔合わせてびっくりしたんだから。いや、ちょっと啓太と境遇が似てるなとは思ったけど、まさかご本人が来るとは思いませんでした」
 世の中、俺みたいな境遇の人って多いのか?
 別に特別だとは思ってないけどさ。
 俺は急に一遍に両親いなくなったけど、小学生の時にもう両親とも他界してるって子も居たし。
 今更だけど、ホントに和希は俺だって気が付かなかったらしいけど、普通は履歴書くらい自分が雇うなら見ないのかな?
 人選は石塚さんが一任されてるって言ってたけど…やっぱりコイツって変わり者。
 こっそり和希を眺めていたら、急にすごい力で肩をつかまれた。
「伊藤君」
「はい、藤田君」
「今すぐ、そんな危ない所は辞めなさい」
「……なんで危ないんだよ」
 俺の疑問に藤田が答える前に、クラスで何人かが立ち上がった。
「じゃあ!俺んちでどうだ!俺の家も結構でかいと思うぞ!」
「えー!それなら俺んち!離れが俺の部屋だから、俺専用でお願いします!」
 いきなりの皆のノリに、幾らノリのいい俺といえども面食らってしまった。
 みんな、そんなにメイドが欲しいのか?
「駄目だダメだ!お前らなんか遠藤より危ない!」
「藤田マネージャー!メイドさんのスケジュール調整お願いします!」
 ……いつから藤田は俺のマネージャーになったんだ?
「スケジュールが空いてもダメだ!ケダモノの巣に子羊なんか行かせません!」
 ケダモノの巣って…俺はいつから子羊に?
「あーもう!啓太はもう俺んちで契約してるんだから騒ぐな!」
 とうとう和希まで騒ぎ出して、教室内は大騒ぎだ。
 いや、メイドって言葉がここまで波紋を投げ掛けるとは思わなかったよ。
 そしてちょっと恐かったのが、みんなもしかすると俺が最初に思った、フリフリのエプロン着て「いってらっしゃいませご主人様」とか俺がやってるって考えてるんじゃないだろうなという事だった。





「ただいまー」
「おかえりなさーい」
 一ヶ月も経つと、俺達はまるで家族みたいに挨拶をする様になっていた。
「はい。これお土産」
「またー?毎日なんでこんなに買ってくるんだよ」
 和希は殆ど毎日、お土産を欠かさない。
 大体がケーキと花。
 俺は甘いもの大好きだし花だって好きだけど、メイドにお土産買ってくる主人が何処にいるんだ。
 一度それを言ったら「買ってくるのはメイドさんにじゃなくて、同居人に」ってまたもや笑顔で返されてしまった。
 だからこの家には花が欠かされる事はない。
 今日の花は真っ赤なバラだった。好きな色なのか、和希はよく赤い花を買ってくる。中でも赤いバラはお気に入りみたいだ。今日だけじゃなくて、今までにも何度も買ってきている。昨日は赤いカーネーションだった。一瞬「母の日?」とか思っちゃったけど、とても綺麗だった。一昨日は赤じゃなくて白だったけど、なんか花が垂れてたから蘭の一種かなと思う。花の種類は色々だけど、綺麗な事は確かだ。
 その日に買って来てもらった花は、当日はリビングに飾る。次の日は玄関。その次の日は各部屋と、色々場所を移動させて楽しませてもらってる。
 ケーキは食後に三人で食べる。朋子は「太る!」って騒ぎながら嬉しそうだ。 勿論俺だって嬉しい。ここ一ヶ月で体重が8キロも落ちてしまっていたし、甘いものは幸せな味だと思うんだ。食べると自然に顔が綻ぶ。 ケーキを食べている時は、心底リラックス出来た。
 花の香りとケーキの甘い香りで、俺もいつの間にか当たり前の様に笑える様になっていた。


 何時もの食事が終わって、俺と和希は今日出た課題を一緒にやる事にした。
「あー、そこ。啓太間違ってる」
「え?どこどこ?」
 リビングで教科書を広げて、二人で楽しくお勉強。
 こんな仕事でいいのかなって思う時も沢山あるけど、それでも俺には有り難かった。
 ちゃんと学校に行けて、勉強の時間もある。
 それに…。
「だからー、そこは動詞を過去形にしないとダメなんだって」
「あ、そうか」
 流石、天才の名を欲しいままにしている理事長様だけあって、一緒に勉強してるって言うよりも、和希は俺の専属家庭教師みたいになっている。しかもコイツ、教え方巧い。前に通ってた塾の先生の説明よりもずっと丁寧だ。
 指摘された問題を解いていて、ふと疑問が過った。
「…そういえばさ」
「何?」
「和希って、成績普通だよな?」
 テストでコイツが学年トップになった事はない。
 入学式だって、他の生徒が代表だった。
 こんなに頭いいのに何でだ?
「あー、あんまり目立ちたくないからな」
 …そんな理由で?
「でも、折角だから日本の高校でもいい成績とか取っておいた方がいいんじゃない?」
「そんな事ないよ。大体は最高学歴しか聞かれないし、俺は普通の高校生活楽しみたいから」
 うーん、そんなモノか。
 俺だったらいい成績取れたら嬉しいけどなー。天才は考える事が違うのか?
「ほら、余計な事考えてないでヤルヤル」
「はーい」
 軽く頭を小突かれて、その疑問は流す事にした。
 だけど、もう一つ疑問が湧いてしまった。
 何で今まで気が付かなかったのかが不思議なんだけど…。
「…あのさ」
「今度は何?」
「和希って、本当の年っていくつなんだ?」
 だって、大学だって出てるんだろ?それに仕事もしてるんだし。どう考えても16歳じゃないだろ。
 同じ教室に今もいるから、あんまり考えた事なかったけど、どう考えたって年上の筈だ。なのに俺ってば、当たり前の様に今までタメ語で話してた訳で…。
「…何でそんな事知りたいんだ?」
「だって年上なんだったら、俺、ずっとタメ語でしゃべってて…」
「ばーか。そんなの気にしなくていいよ。いきなり敬語で話されたら、そっちの方が引く」
 まあ、そうか。今更だよな。
 ………いや、だから。
「だから、いくつなんだよ」
 敬語がどうのってだけじゃなくて、何となく気になり始めた。
「だから、どうして聞くんだよ。敬語はいらないって言ってるだろ?」
「敬語がどうのじゃなくて、気になり始めた」
「…気にするな」
「…する」
「………」
「………」
 言えない様な年なのか?
「もしかして、すっごい年?」
「どうしてそうなるんだよ」
「言えない様な年なんだったらって…」
 もしかして、もう30近いとか、それ以上とか…。
 いや、ちょっと前のニュースで60歳で高校に入ったって人もいるって聞いたしな。
 勉強するのに年は関係ないんだ。
「……啓太、今何考えた?」
「えっ?いや…」
 流石に引き合いで60過ぎの人を出すのは憚られる。
 見かけだけだったら同じ年って言っても違和感ない奴だし。
 ちょっと嫌な汗をかきながら、俺は視線を彷徨わせた。
 そうしたら和希のヤツ、クスクス笑って条件を出して来た。
「啓太が次の試験でトップ取ったら教えてあげるよ」
「…それって『教えない』って事じゃないか」
 俺の成績は真ん中も真ん中。学年120人中60番でど真ん中ストライクだ。
「教えないとは言ってないだろ?だから、啓太の頑張り次第だな」
 有り得ない事を引き合いに出すって事は、真剣に教えるつもりはないらしい。
 という事は、取りあえず世間で一般的な高校生な年じゃないって事は確かな訳だ。
 じーっと和希の顔を観察していたら、話を戻された。
「だから、さっさと課題終わらせないと」
「あ、そうだった」
 まあ、そのうち白状させよう。




「お仕事の調子はいかがですか?」
「御陰様で順調です」
 メイドの仕事を振ってくれた七条さんが、次の日のお昼休みに尋ねてきてくれた。
 中庭で和希と二人でお弁当を食べている時だったから、ちょっと気まずかったけど。
 七条さんは自分の分の購買で買ってきたらしいお昼ご飯を、俺の隣で広げ始めた。和希は「こんにちは」ってちょっと挨拶しただけでお弁当に集中してしまった。
 でもさ…いや、別にいいんだけど、俺の隣よりも和希の隣の方がスペース空いてるんだよね。何でキツキツに俺の隣に座るのかな?前から思ってたんだけど、もしかしたら和希と七条さんって仲悪いのかな。校内で会ってもなんか二人とも素っ気ないんだよね。
「雇い主に変な悪戯されてませんか?」
「……変な悪戯?」
 意味ありげに微笑んで、七条さんは難解な事を口にした。
 変な悪戯って…俺、男なんだけど。
 でも七条さんの言葉に和希は『ぶはっ』っと吹き出して凄い剣幕で否定した。
「するわけないでしょ!全く失礼ですね!」
「そうですか?遠藤君ならやってもおかしくないかなって思ったんですけど…制服がよくお似合いですし」
「制服とそれと、何の関係があるんですか!」
「僕はてっきり若い男の子を見に学校に来ていらっしゃるのかと思ってたんですけどね」
 ………あれ?
 何で雇い主が和希だって、七条さん知ってるんだ?
「七条さん、知ってて俺に仕事の事教えてくれたんですか?」
「当たり前です。何処の誰の家ともわからない所に、伊藤君を紹介する筈がないですよ」
 まあそうか。七条さんは優しいし、慎重だもんな。
 でも学校で和希が理事長だってのは秘密だって言ってたのに。
 って言う事は……。
「七条さんは和希の事知ってるんですね」
 俺を挟んで和希と楽しい会話を繰り広げていた七条さんは、俺ににっこり凍える様な笑顔で教えてくれた。
「そうですね…甚だ不本意ながら」
 なんだ?
 何かあったのかな?
「不本意なのはこっちですよ。全く……」
 え……っと、ここは俺は突っ込まない方がいいかな?
 二人はもの凄く不機嫌そうな顔で(七条さんは不機嫌そうでも笑顔だけど)、ムッツリご飯を食べ始めてしまった。
 だけど俺達がお弁当を食べてるのを見て、七条さんは「おや」と頸を傾げて、俺達のお揃いのお弁当を覗き込んだ。
「これは、伊藤君のお手製ですか?」
「いえ、伊藤『さん』のお手製です」
 俺が答える前に和希がすかさず答えた。
 何だってそんなに俺が七条さんと話すのを邪魔するんだ?
 別にこれくらいどっちが答えたっていいけどさ。
「伊藤さん…という事は、妹さんですか?」
「はい。俺は料理が破壊的らしいんで、妹がやってくれてます」
 和希もよくこんなんでメイドとして雇ってくれてるって思うんだよな。
 それでも一度だけ、俺は夕食を作ったんだ。
 最初の日の夕食を和希は俺が作ったって疑いなく思ってたらしいんだけど、俺が『それは妹が作ってた』って白状したら、俺の飯が食べてみたいってリクエストくれて。それを隣で聞いてた妹は顔を顰めたんだけど、まあご要望だしって作った訳だ。
 ……結果はご想像の通り。
 和希は二度と「啓太の作ったご飯食べたい」とは口にしなくなった。
 いや、俺も自分で不味いとは思うんだけどね。
 何でそうなるのか不思議なんだよな。
 一応普通に作ってるつもりなんだけど…。
「…妹さんは、いいお嫁さんになりそうですね。伊藤君と似てるんですか?」
「そうですねー。見かけはそっくりだって言われます。でもまだ11歳なんでやっぱり幼いですよ」
「じゃあ僕と6歳差ですね。……それくらいなら普通でしょ?」
「……えーと」
 それは暗に、妹を紹介しろって言ってるのか?
 まあ七条さんいい人だし、身長も高いし、俺から見ればカッコいいし、頭もいいし、お家もなんだか裕福そうだしな。朋子の好みと合えば別に……。
「11歳の子相手に何言ってるんですか!七条さんロリコン趣味なんですか!?」
 なんか和希がヒートアップしてきた。
 兄の俺の意見は無視か?
 それとも和希も朋子気に入ってる?
 あいつ、モテモテ?
 兄の俺は全然もてないんだけど、妹はモテるのか…。
「ショタコンよりはマシだと思いますけどね」
「ショタコンって誰の事ですか!」
「さあ、誰の事でしょう」
 ………。
 いやもう、二人で好きに話してて下さいって俺は思うね。
 BGMにボケ突っ込みを聞きつつ、俺は朋子が作ってくれたお弁当を美味しく頂いた。

 端で聞いていれば悲劇的な展開な、俺のここ一ヶ月で一変した生活は、殊の外穏やかに営まれていた。

 

 

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