あした となりには Act,8


2007.2.27UP




 涙が治まると、啓太は途端に恥ずかしくなった。何をいい年をして子供の様に泣いてしまったのかと。それに、口走った言葉が余りにも告白めいていて、泣き終えた後、和希の顔を見る事が出来なかった。
 そんな啓太の心中を察している筈の和希は、何事も無かったかの様に、俯いている啓太に向かって一つの提案をした。
「なぁ、よかったらこの後、俺のうちに来ないか?」
「…え?」
 それは、初めての誘いだった。
 これまでは、啓太が高校生だった頃は寮に寄宿していた事もあり、また、二人が会う理由の殆どが啓太の体の事と言う事もあって、いつも啓太の自宅の部屋だった。
「ほら、初めての失恋記念でさ。丁度週末な事だし、ぱーっとやろうよ。ちゃんと防音効いてるから、夜中まで騒いでオッケーだぞ」
 啓太は、和希の言葉に瞳を輝かせた。常々一度行ってみたいと思っていたのだが、なかなかスケジュールが合わなかったので、言い出す機会が無かったのである。
 和希の誘いに啓太は一も二もなくOKし、30分後には和希の迎えのリムジンの後部座席に座っていた。
「そういえばさ、和希って結局免取りだった訳?」
「違うよ。普通に免停だった。後続車もいなかったらしいから、巻き込みも起こさなかったしな。なんで?」
「あんまり自分で車運転してるの見た事無いから」
 啓太も高校を卒業して実家に戻って来た後、すぐに車の免許を取得していた。なので、事故当時よりは車に付いて詳しくなっていた。
「なに?俺の運転に乗りたいの?」
「………恐いからいい」
「だろうな」
 啓太の素直な言葉に和希は苦笑した。だが和希も、自分の運転に啓太を乗せようとは思っていなかったので、乗りたいのかという言葉は冗談でしかなかった。
「でも、俺が和希を乗せてあげてもいいよ?」
「………それも恐いからいい」
 和希の言葉に、啓太は眉間に皺を寄せる。
「何でだよ」
「初心者でしかも啓太なんて…マジ恐い」
「失礼だぞ。俺のどこが恐いんだ」
「子供みたいな顔した啓太が運転なんて、恐いって」
「童顔はお互い様だ!大体顔で運転するんじゃないだろ!しかも和希だって人の事言えない!」
 2人の下らない掛け合いに、運転手は笑いをかみ殺している。こうしてじゃれ合っている2人は、端から見れば本当に仲の良い兄弟の様だった。
 だが、口先の軽い会話をしていても、2人の心の中は別な事で一杯だった。
 和希は啓太への思いを抱え、啓太は和希への思いが分らずに思い巡らしている。そんな不確かな関係を乗せて、車は静かにその時へと2人を運んだ。




 和希が一人暮らしをしている部屋は、学園島にほど近い高層マンションの一室だった。3LDKのその部屋は、あまり華美に見えない質の良い家具で統一されていて、啓太は感嘆のため息を零す。
「いいなー、こんな所に一人暮らしなんて。やっぱりオボッチャマは違うね」
 自分の自宅と比べて、啓太は呟いた。
「ばーか。オボッチャマはオボッチャマなりに大変なんだよ」
「それはそうだと思うけどさ…あ、コレ何!?」
 啓太ははしゃいで、次々と部屋の中を物色していく。その様子を和希は笑いながら眺めた。
(ホントに…まだ子供だな)
 途中で寄ったコンビニで仕入れた飲み物をリビングテーブルの上に置き、和希は背を向けた。
「俺、着替えて来て良い?」
「あー、うん…これ、アルバム?」
 和希の言葉に上の空で返事をしながら、啓太はボードに並べられた冊子を指差す。
「ああ、そうだよ」
「見て良い?」
「どうぞ…じゃあ、ちょっと隣の部屋にいるから」
「はーい」
 いいお返事な啓太の声を聞いて、再び笑いながら和希は寝室へと足を運んだ。
 クローゼットから、部屋着にしているダンガリーのシャツとジーンズを出して、袖を通す。その動作中、ふとベッドに視線が止まった。そこは、最初に啓太の映像が過った場所だ。シーツに包まり、柔らかい視線を投げ掛けていた、あの映像。空想だとも思えない程鮮明に浮かぶそれに、和希は苦笑した。
(あの啓太が、そんな事するわけないだろ)
 己の妄想力に感服していると、リビングから啓太の声が届く。
「和希ー。トイレ借りるよー?」
 その声に自分を取り戻した和希は、啓太のいるリビングへと戻った。
「ああ、トイレなら…あれ?」
 そこには、既に啓太の姿はなかった。啓太がそこに居た証の様に、リビングテーブルにはアルバムが広がっている。不審に思って和希が辺りを見回すと、案内もされないのに当たり前の様にそのドアに消える啓太がいた。
「………え?」
 和希の部屋に付いているドアは、略同じ様式で出来ている。唯一違うのは、玄関とリビングを分けるドアだけだ。故に、初めてそこを訪れる人は、どこがどのドアかと言うのは一目で分からない。だが、啓太は迷う事なくそのドアを開けた。和希の中で、再び疑念がわく。
(もしかして…ホントにあった事?)
 幾度となく夢に見た、この部屋での啓太との情事。ずっと願望だと思っていた事が、急に現実味を帯びる。
(俺が聞こえてなかっただけで、他のドアも開けてたとか…)
 だが、啓太の声が聞こえて、ソファーから立ち上がる衣擦れの音も聞こえたのだ。それから和希が寝室を出た時間を考えると、とてもそんな時間の余裕は無い筈。和希は今し方出て来た寝室に視線を送り、一笑に伏した光景を思い出していた。
「…和希?どうした?」
 いつの間にか戻って来た啓太に顔を覗き込まれて、和希は思考を散らした。
「あ、ああ…なんでもない。それより啓太、よく場所分ったな」
「え?何の?」
「トイレだよ。うちにくる人は、大抵分らないって言うから」
「………あれ?ホントだ」
 啓太は今自分が歩いて来た道筋を振り返り、大きな目を瞬かせる。
「…知ってて行ったんじゃないのか?」
 そんな啓太の様子に、和希は訝しげに問いかける。その和希の問いかけに、啓太は首を傾げて考え込んだ。
「いや…言われてみれば知らなかった。でも俺、あそこがトイレだって、当たり前の様に思ってた」
 啓太は、不思議そうに部屋の中を見渡す。その視線に、和希はどきりとした。
(まさか…)
 そんな筈はない。あれは、単なる自分の希望だ。心の中で何度も唱えていると、和希の心を代弁するかの様に啓太が口を開いた。
「俺…ここに来た事あるかも」
「………」
 導かれる様に、啓太はバルコニーへと足を向ける。
「…ここで、花火見た事…ある」
 それは、和希の夢とも合致していた。だが、和希はそれ以上の事を夢に見ていた。その花火を背景に、和希と啓太はキスをしていた。だが、啓太の口からは『花火を見た』以上の事柄は出ない。
「…他には?何か覚えてる?」
 和希は、自分の見て来た夢のどこまでが現実で、どこからが夢なのかが知りたかった。それが、己の望む物と違っていたとしても。
 和希の声に、啓太は体を部屋の中へと向けて、バルコニーの手すりに体を預けた。
「他にはって言われても…何となく見覚えがある様なってだけで…」
 黒く沈む海を横目に、啓太は思考を巡らす。だが、それ以上の事は思い浮かばなかった。
「でも…その言い方だと、和希、知ってたんだ?」
 啓太の言葉に、和希は再びどきりとする。啓太の言う通り、知っていたと言えば知っていた事になるのかもしれないが、和希にとってはどこまでが現実の事か分らないのだ。
「知ってたっていうか…啓太がここに居る夢を見ただけだよ」
「夢?」
「…そう」
 単なる、夢。だが、もしかしたら本当にあった事実。
「どんなシチュエーションの夢?」
「どんな…って」
 それは、言える訳が無いのだ。だが、啓太の追求の瞳は、和希を捉えて離さない。部屋の明かりは外に居る啓太を照らし、部屋の中に居る和希に暗い影を落とす。まるで、2人の心を表すかの様に。
「…俺も、そこで啓太と一緒に…花火見てる夢だったよ」
 そして、甘いキスを交わして。
 残りの言葉を和希は飲み込み、視線を逸らす。
「…他には?何か見た?」
「他は……」
 リビングのソファで啓太の体を抱きしめ、バスルームで体を弄り合い、そして、ベッドで……。
 鮮明に浮かび上がる光景は、口には出せない物。
「……特に、無いかな」
 自然と指は、頬にかかる。その和希の行動を、啓太は見逃さなかった。
「なんで、隠すんだよ」
「隠してなんか……」
「隠してるだろ」
 断定的な啓太の言葉に、和希は視線を啓太へと戻した。そこには心を射抜く様な強い眼差しを称えた、最愛の人。
 一歩一歩、啓太は和希に歩み寄る。そして、和希の頬に掛かっていた手を掴み上げた。
「コレ、なんだよ」
「……あ…」
 掴んだ手首を証拠の様に突きつけて、啓太は尚も言い募る。それは、隠された事に対する怒りではなく、和希が自分達の間柄に関する事を知っていると直感しての言及だった。だが、この段階になっても和希はまだ口を開けない。目の前の、あらゆる意味で愛しい存在を手放す事になるかもしれない状況に和希は怯えていた。
「和希っ」
 無言で視線を逸らした和希に啓太は苛つき、和希の視界に入る為に、少し背伸びをしてぐっと顔を近付ける。窓の側での2人の体勢は、和希の夢の中のものと酷似していた。夢と現実の境界線が、和希の中で弱体化して行く。真剣な啓太の顔に、その時初めて和希は夢の中の啓太を見た。そして、夢の様子を再現するかの様に、和希の掴まれていない方の腕が、啓太の腰にまわる。
「……え?」
 不意に動き出した空気に、啓太は驚きを隠せない。だが、和希の顔が当たり前の様に近付いてくるのを、また啓太も当たり前の光景として捉え、自然と瞳を伏せた。
 ゆっくりと、唇が重なる。
 一度軽く触れ合い、それがお互いのものだと確認するかの様に一旦離れ視線を絡める。瞳の中に写るお互いの顔を確認して、再び唇を合わせた。
「……んっ」
 形を確かめる様に、唇に舌を這わせ合う。和希が啓太の下唇を舐めれば、啓太は和希の上唇を舐める。そのうち舌は触れ合い、互いの口腔に吸い込まれた。ぴちゃっと濡れた音が鼓膜をくすぐり、思考力を奪って行く。奪われて行く思考を補うかの様に、2人はお互いの体を抱きしめる。和希は啓太の腰を弄り、啓太は和希の髪を指に絡め、五感で相手を感じた。
 長い口付けも、終わりを迎える時が来る。それは性感がその先を告げる時だったり、また、息苦しくなったりと理由はあるが、2人が感じたのは前者だった。そして、その行動を促したのは啓太だった。
「…啓太…」
 和希の開いたシャツの胸元に、一つキスを落として頬を摩り寄せる。啓太の茶色の髪の毛が、和希の視界いっぱいに広がった。それはやはり、和希の見た夢の中と同じ光景だった。和希の呟きに、啓太はうっとりと吐息を漏らした。
「なんでかな…こうするのが当たり前な気がする…」
 和希はぼやけた思考の中で、啓太の言葉を聞いていた。その緩慢な思考のまま、夢の中と同じ様に啓太を抱き上げて寝室へと踵を返した。

 

 

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