あした となりには Act,7


2007.2.23UP




 啓太の頭痛の一件から、和希はそれまで以上に啓太を気にする様になり、月に一だった啓太との時間を2週間に一度に増やした。和希の気遣いは啓太にとってあまり歓迎出来る事ではなかったが、和希との時間が増えた事は、素直に嬉しいと感じていた。
「和希は、何にも思い出してないのか?」
 頭痛の一件は、啓太が過去の記憶の一部を呼び戻した事が発端になっている。その記憶を啓太は和希に略話していたが、和希から過去の記憶が戻ったとの話は一切なかった事に啓太は気が付き、普段の会話の中で話を振った。
「あー、そうだなぁ…コレと言っては思い出してないと思う」
 和希の場合、和希自身が過去の記憶と断定出来るものは思い出せていない。だが、啓太から彼女の存在を知らされた日に過った事は、和希の中で疑念として残っていた。
 もし、啓太と恋愛関係にあったのなら。
 それは、現在の和希が強く望んでいる事であって、希望の様なものになっていた。だからこそ、和希はそれを過去の記憶として認識し切る事が出来なかった。
 啓太の顔を見る度に思い出す、夢の中で痴態を晒していた姿。
 その夢は、その時一度ではなかった。和希はその後も、度々啓太との夢を見ていた。場所は様々だったが、大抵啓太と何かしらの性的行為をしているものだった。その夢から覚める度に、和希は激しい自己嫌悪に陥っている。故に、決して和希はその夢の事を口にする事は無い。
「でもさぁ…、俺達ってどう言う感じで一緒に居たのかなぁ」
「どう言うって…何?」
 目の前で、啓太の母が入れてくれた紅茶を飲みながらケーキを突いている啓太に、和希は頭の中に広がり始めた光景を慌てて打ち消した。
(うわ…俺ってばホントに変態…)
 気が付けば、啓太の中に夢の中の情景を探している自分が居る。
(あんな事、ある筈ないのに…)
 そんな和希の困惑を他所に、啓太は話し続けた。
「だってさぁ、この間思い出した事も、今考えると変だなぁって思う訳だよ」
「変って、何がだよ」
「普通、男2人で水族館なんて行くか?どう考えても寂しさを募らせるだけだろ。それに、何で手をつなぐのを怒ってたのかも分んないし…」
 言われてみれば確かにそうだと和希も思った。だが、手をつなぐ行為を怒るのは、少し心当たりがある。
「大方、俺が啓太の事子供扱いでもしたんじゃないのか?今だって啓太、すぐ怒るじゃないか」
 和希の言葉に、啓太は「だって子供じゃないもん」と頬を膨らませる。そんな仕草が、幼さを強調しているとは露程にも思わない啓太に、和希は苦笑した。
「まぁ、手の事はいいよ。でも、あの辺で有名なデートスポットだよ?この間行った時も、俺達以外もカップルばっかりだったしさぁ…それに、事故の時だって2人っきりで旅行に行った帰りなんだろ?クラスの奴らは俺達がホモだって思ってたらしいし」
 啓太の一言に、和希はドキリとした。確かに和希の啓太への感情は恋であって、それを言われれば当時も自分が啓太に対してそういう感情で接していたのではないかと思わされる。だが、啓太がそれに答えてくれていたかと問われれば、「否」と答えが出る。啓太はキチンと女性に興味を持つ普通の子だからだ。
「仲が良かったんだろ?今だってそうじゃないか。大体ホモって、只からかわれてただけじゃないのか?」
「ホモはからかわれてただけだと思うけど…でも俺、周りに2人っきりで水族館に行ったり、旅行に行く様なヤツ見たら、絶対ホモだと思うよ?」
「じゃあ、啓太は俺達がそうだったって思ってるのか?」
 少しドキドキしながら和希は疑問を口にした。だが、その返答は素っ気ない物だった。
「いや、それは思わない。だって、もしそうだったら、今だって和希に対して何か思ってるだろ?」
「『記憶がなくなっても貴方の事が』ってヤツか?そんなのは分らないだろ。漫画とか小説とかの中の話じゃあるまいし、実際に親兄弟の事まで忘れてるんだから、恋愛関係なんて覚えてなくても当たり前なんじゃないのか?」
 だが、和希は己の言葉とは反対の事を考えていた。
 確かに現在、和希は啓太に対して恋愛感情を持っている。それが過去から続く物だったとしても、何の不思議も感じなかった。だが、啓太は違うのだ。
「でも俺…親兄弟の名前を忘れてても、和希の名前だけは覚えてたんだよ?」
 啓太の言葉に、和希は驚きに目を見開く。
「…マジで?」
「あれ?聞いてなかった?」
「聞いてないよ…嘘だろ?」
 検査結果は漏らさず見ていた筈なのだが、和希にその事実が知らされる事はなかったのだ。それは、2人の恋愛関係を伏せる事にした双方の家族の中で決められていた事だった。
「ホントホント。『知ってる名前があるか』ってお医者さんに聞かれた時、『和希』って名前だけは覚えてたんだよね」
「…へぇ…」
 知らされてなかった事実に、和希は動揺した。
(落ち着け…落ち着け…)
 呪文の様に心の中で唱えながら、啓太の次の言葉を待つ。
「でも、それ以外の事は綺麗さっぱり覚えてないけどさ」
 あっけない落ちに、和希はがくりと肩を落とした。
「でもさ。やっぱり和希の名前だけは覚えてたって事は、何かあると思わない?」
「何かって…なんだよ」
「もしかしたら…」
 真剣な啓太の声に、和希はごくりと喉を鳴らす。
「…ホモに見せかけていて、俺達は何か凄い犯罪を犯していた同士だったとか!」
「………バカ」
 まるで映画のストーリーの様な事を語る啓太に、和希は再び肩を落とした。2人が犯罪を犯していた同士だと言うならば、まだ恋愛関係にあったと言われた方が納得がいく。
「バカは酷いじゃないか!いや、俺入院中に思ってたんだよ。事故もさ、実は警察とカーチェイスしてる時に起こったんじゃないかとか!」
「それなら、俺達とっくに逮捕されてるじゃないか」
「あ、そうか」
 元々本気で思ってはいなかったので、啓太は何事もなかったかの様に再びケーキに視線を戻した。
「でも啓太、そんなに思い出したいのか?」
「和希は気にならないのかよ」
「いや、気にはなるけどさ…やっぱり思い出がないってのは寂しいと思うし」
「だろ?俺だってそんなもんだよ」
 ケーキの上に乗っていたイチゴを、ざくりとフォークで刺して啓太は軽く返答する。
「ホモかどうかはどうでもいいとしても、取りあえずその水族館に一緒に行ってみるか?2人で行けば、また何か思い出すかもしれないし」
 和希の提案に、啓太は眉を顰めた。
「…ホントにホモみたいな気分になるから行かない」
「だって、手がかりだろ」
「和希はあそこの雰囲気知らないからそんな事言えるんだ。ホントにもう、『盛り上がって下さい』って感じに作られてるんだぞ!」
 啓太の力説に、和希は苦笑を漏らす。
「だけど、そんな場所に2人で行ったって事は、何かあるだろ。…もしかしたら、啓太の彼女とのデートの下見だったりとか…」
 和希は自分の言葉に少し傷ついた。だが、有り得ない話ではない。
「和希の彼女かもしれないじゃん」
「あぁ、それは無いと思うぞ。俺、事故から前何年か、随分清い生活してたみたいだから。石塚が言ってた」
「そんなの、隠してただけかもしれないじゃないか」
「じゃあ、やっぱり行ってみる?」
 再びの和希の提案に、今度は眉をしかめる事は無く啓太は考えた。
「うーん…それなら…」
「『それなら』?」
「俺、事故の時に行ってたっていう和希んちの別荘に行ってみたい」
 啓太の提案に、今度は和希が眉を顰めた。
「それはダメ」
「何でだよ」
「俺、暫く旅行とかは控えろって言われてるから」
「何で?」
 大の大人が、何故そんな事を言われているのか啓太には分らなかった。だが、和希は事も無く啓太に理由を話した。
「俺の周りをちょっと危ない人がうろついてるって情報があるんだ」
 そんな、考えもしなかった理由に啓太は驚愕した。
「なにそれ!ストーカー!?」
 危ない人=ストーカーの式が成立している啓太に、和希は思わず吹き出す。
「いや、ストーカーじゃないと思うけど…まあ、会社関係の事だよ」
 和希の言葉に、啓太は不安を覚えた。だが、まだ学生であり、何の力も持たない自分が心配などしてもどうしようもないと考えて、『会社関係』と言葉を濁した和希に便乗して、明るく言い放った。
「なんだ…ホモって間違われる和希だから、ホントにホモの人に付け狙われてるのかと思った」
「おい…ホモだって思われてたのは俺だけじゃないだろ」
「いや、絶対和希の方がホモチック」
「もうホモから離れろ…大体、ストーカーは男だけな訳じゃないだろ」
 不毛な押し問答に、和希は頭を抱えた。それに、啓太の行っている事は的を得ているのだ。その事をなんとか誤摩化したくて、和希は別の話題を始めた。最初は何かと話を引き戻していた啓太だったが、そのうち忘れた様に和希の振った話に夢中になった。




 2週間に一度和希と会っているという事は、啓太は彼女と会う時間を削っているという事だった。啓太がその事を不満に思う事は無く、寧ろ和希と過ごす時間が楽しくて仕方が無かった。だが、そんな事が相手に通用する筈も無く、啓太の記憶にある限りの初恋は、何ともあっけなく終わってしまった。啓太自身、ショックを受けたのかと問われれば、確かにショックだった。だが、彼女に振られた事よりも、最後に彼女に言われた一言の方がショックだったのである。
 啓太が決定的に振られた時、彼女は啓太に対して『一番になれないから』と告げていた。それは、和希の存在を示しているのだと啓太にも分った。だが、その言葉を言われるまで啓太は気が付かなかったのだ。自分が、和希を一番に優先している事に。
(なんでかなぁ…)
 自室のベッドの上に寝そべりながら、啓太は考えていた。和希と、自分との関係を。
 確かに、単なる幼馴染みと言うには近過ぎるとは思う。だが、他に何と形容していいのかは分らなかった。和希との時間は、何を置いても確保したいと思っている。それは、とても楽しい事だからなのだ。それこそ、目の前の恋愛ごとなど霞んでしまう程に。
(俺、あいつの事、そんなに好きじゃなかったのかな)
 恋だと思っていたのだ。彼女の髪の毛が揺れる度に、胸の中が熱くなった。切れ長の目が、笑った拍子に驚く程柔らかくなる事にドキドキした。性交渉もあったのだが、彼女の裸を見るよりも、その髪の毛や瞳を見ている時の方が嬉しく思っていた。
(男じゃないかも…俺)
 枕を抱えて、その皺を目線で辿りながら、一人啓太は考える。何故、目の前の恋よりも和希を優先してしまったのか。何よりも、和希といる時間を楽しく感じる意味を。
(一番、安らぐんだ)
 それは、同じ境遇の相手だというだけでは無いと思った。実際に啓太は被害者で、和希は加害者だ。その事に憤りを感じるのならば納得も行くが、そんな感情は啓太の中には当然無かった。何よりも、近くに居て欲しいと願う人。和希は啓太にとって、そういう存在だった。幼馴染みと聞かされてはいるが、当然啓太の中にも和希との思い出はない。啓太が持っていた子供の頃の写真には、和希は写っていなかった。ただ、耳から入れられた情報のみの幼馴染み。それだけの存在だというのに。
 だが、いくら考えた所でそれ以上の答えは出なかった。ただ、和希の側にいたい。それが、啓太の出した結論だった。ベッドから体を起こし、携帯電話を手に取り、躊躇する事無く彼女のデーターを削除した。その直後、啓太の気持ちが通じたかの様に携帯電話が着信を告げる。相手は和希だった。
「もっしもーし」
『…なんだよ、そのテンション』
 啓太の事情をまだ知らない和希は、驚いた声を出した。そんな和希に啓太は笑って、普段通りの口調に戻す。
「んー、ちょっとね。で、なに?」
『いや、今啓太の家の近くにいるからさ。家にいるかなって思って』
「居るよ。イマスイマス。お土産なに?」
『何でお土産あるって分るんだよ』
「だって、この間出張だって言ってたからさ」
『次から買ってくるのヤメようかな』
「わーんっ!ウソウソ!和希大好きー!」
 彼女にふられたと言うのに、和希との会話は相変わらず楽しかった。それが、余計に啓太の心を揺さぶる。
(ホントに、変なの)
 女の子と一緒にいるよりも楽しいと思う。まるで、和希の隣が自分の帰る場所の様に感じる。
(まだ子供なのかな)
 異性と一緒にいるよりも、同性と一緒にいる方が楽しく感じる己の心を、啓太はそう解釈した。それ以上の事を考える事を拒否する様に。
『じゃあ、これから寄ってもいいか?』
「うん。あ、ご飯食べた?母さんに言っとく?」
『いいよ、すぐ帰るから。じゃあ、後10分くらいで着くからよろしく』
「ん、わかった」
『じゃあな』
 普段通りの電話を終えて、啓太はため息を付く。浮かれる心を宥める様に。




「よう。お邪魔」
「よっ!お疲れ」
 宣言通り、電話を切ってから10分後に現れた和希は、仕事帰りのスーツ姿だった。顔はそこはかとなく疲れを醸し出しているのに、服装には一切の乱れが無い事が、いつも啓太に憧れを抱かせていた。
「今回は何処だったんだ?」
 いつも持ち歩いている物よりも二周り大きい和希の鞄を見て、啓太は和希の旅先に興味を抱く。
「ロンドンだよ。だから今回は、啓太のお土産よりも、おばさんと朋子ちゃんへのお土産の方が豪華」
「えーっ!ずるいっ!」
 啓太は、自分よりも家族を優先させた和希に、少し不満を抱いた。
「ずるいって…啓太、ネックレスとかピアスとか欲しい訳?」
 和希の言葉を受けて尚、啓太は頬を膨らませる。その愛らしさに、和希は格好を崩す。
「まぁまぁ。啓太にはコレ」
 手渡されたその包みに、啓太は首を傾げた。
「コレ、何?」
「開けてみれば分るよ」
 大きさの割には重さのあるそれを、啓太は開ける。包みを取り除くと、爽やかな香りが鼻を突いた。
「これ…チョコ?」
「そう。ちょっと形も可愛いだろ?」
 それは、オレンジを象ったチョコレートだった。形ばかりではなく、その香りもオレンジそのものだ。
「オレンジのチョコって、初めてみた」
「何言ってるんだよ。この間ロスのお土産でもオレンジチョコレート買って来ただろ」
「アレは普通の板チョコだったよ。…へー、なんか面白い」
 先程の不機嫌も忘れて、啓太は嬉しそうにそれを一つ摘んだ。
「おいしい!」
「だろ?イギリスはお菓子はおいしいからな。おじさんには酒だけど」
 和希の鞄から出てくる包みに、啓太は夢中になった。自分は知らない異国の空気がそこに詰まっている様な気がしたのだ。そしてそれは、まるで自分達の過去の様に感じる。そこに必ず存在している物なのに、触れる事の出来ない場所。
「…俺、海外とか行った事あったのかな?」
 ふと漏らされた啓太の言葉に、和希は視線をあげた。
「おばさんに聞いてみたら?啓太、くじ運強いから、なんか当たって行ってたかもよ?」
「…うん。っていうか、和希と一緒に行った事あったのかなって思って…」
 啓太は突然、無性に和希との思い出が欲しくなった。今もこうやって、和希はどこにいても自分の事を思ってくれている。きっとそれは、過去も変わらない物だったに違いない。それを何一つ覚えていない事に、胸を締め付けられる様な寂しさを感じた。
「海外かぁ。それはどうだろうな。啓太が16歳になるまで、俺達会えなかったんだろ?そう考えると多分無かったんじゃないかなと思うけど」
「…俺、そんな仮定の話なんかどうでもいい」
「…啓太?」
 今までに無い深刻な様子の啓太に、和希は違和感を感じた。
「何?なんかあったのか?」
 不安をそのまま口にすると、啓太は少しムッとして顔をあげる。
「和希はっ、俺との思い出が戻らなくてもいいのか?」
 事故以来、啓太がここまで過去にこだわった発言をしたのは初めてだった。日々移り変わりの激しい学生の啓太にとって、過去はそこまで重要な物では無かったのだ。…この時までは。
 彼女との別れによって己の中の和希の位置を理解した今の啓太は、自分の中に確固たる和希の存在を欲しがっていた。
「…いや、それは良くないけど…でも、急にどうしたんだよ」
 心配そうに自分を伺い見る和希の顔に、啓太は必死になって過去を探した。だが、当然の事ながらそれが見つかる筈も無い。自分の中の空虚な場所に、啓太は自然と涙を流した。
「けっ!啓太!?」
 突然泣き始めた啓太に、和希は心底驚いた。和希の知っている範囲の啓太は常に明るく、情緒も安定していた人物であり、こんな突然泣き始める様な事態を予測する事は無かった。
 予想外の出来事に慌てふためいた和希だったが、泣き続ける啓太の頭を抱き寄せると不思議と落ち着いた。
「なにかあったのか?」
 穏やかな和希の声に、啓太は促される様に話し始めた。
「俺…っ彼女に振られて…っ」
「………うん」
「あいつ…っ、俺にとって、和希がっ、一番大切だからっ…和希に、勝てないから…っ、付き合えないって…」
「………」
「でもっ…俺もそうだっ…て、思って…」
「………え?」
 自分との時間の所為で啓太が振られたと思った和希は、啓太のこの一言に耳を疑った。
「俺っ…あいつといるより…和希、と…一緒に、いたかった…っ。かず…きとっ、一緒にいるのが…一番、楽しくて…」
 まるで告白の様な啓太の言葉に、和希は複雑な心境になった。その言葉の意味する所が、果たして自分と同じであろうかと。
「そうしたら…やっぱり…和希のっ、事…、もっと知りたくて…っ、思いっ…出せないのが…辛くて…っ」
 嗚咽まじりの啓太の言葉はそこで止まった。後はただ、涙を押し殺す様なうめき声が、和希の胸元から時折響くだけだった。
「………ゴメンな」
 和希はこの時、改めて啓太に対して罪悪感を持った。これまでも幾度となく啓太に対して感じていた事だったが、それでも明るい啓太を見ていて救われていたのだ。そして、そんな啓太に無意識に甘えていた。自分の犯した過去の過ちに、無性に腹が立った。だが、それを表に出す事も敵わない加害者は、ただ泣き続ける被害者の体を抱きしめる事しか出来なかった。

 

 

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