あした となりには Act,4


2006.10.7UP




 その後、啓太の若さの御陰か、予定の3ヶ月よりも早い2ヶ月半で啓太は退院した。
 当然の事ながら、元の学園の私室に戻っても、そこは誰か別の人の部屋の様に感じた。クラスメイトは啓太の記憶がない事をあらかじめ知らされていた為、次々と自己紹介をしては、今までの己との関係を啓太に競って語って聞かせた。その様子に、啓太は自分がクラスメイトに好かれていた事を感じ、幸せに浸った。
「でもな〜。遠藤がやめるとは思わなかったな。彼奴の方が軽傷だったんだろ?」
「…遠藤?」
 聞き慣れない名字に、啓太は首を傾げた。
「お前、いくら記憶がないからって酷いヤツだぞー!あんなに仲が良かったのに。クラスの中じゃお前らホモかって位くっ付いてたぞ?」
 という事は、もしかして和希の事を言っているのであろうか。だが、和希の姓は『鈴菱』である筈。啓太は曖昧な返事をして、その場を誤摩化した。そして、休み時間になると慌てて人気の居ない所まで走り、和希に連絡を取った。
『ああ、なんか、『鈴菱』だと俺が理事長だってすぐにわかっちゃうから『遠藤』で通してたらしいぞ』
 そう言う事は早く言って欲しかったと啓太はため息を付いた。
「今日、クラスメートに言われて、冷や汗かいたんだからな!」
 怒り声の啓太に、和希は笑いながら髪を捲る音をさせた。
「わかったわかった。なんかお詫びするから。何がいい?」
 和希の言葉に、啓太は瞳を輝かせた。
「じゃあ!TAKENOのチョコレートパフェ!」
 甘い物の大好きな啓太の大好物を即答した啓太に、和希は再び声を上げて笑った。
「お前、そんなに甘いものばっかり食べてると、太るぞ?」
「望む所だ」
 やせの大食いの典型の啓太は、いくら食べても太らない。逆に、貧相な自分の体にコンプレックスを持っている位だった。
「わかったわかった。庵簫楼のゴマ団子もつけてやるから、機嫌治せ」
 和希の言葉に、啓太は直ぐさま笑顔を取り戻した。その後、クラスにおいて知らなければいけない和希の情報を石塚から得て、啓太はクラスに戻った。



 そして、2年が過ぎた。
 依然として二人の記憶は戻らなかったが、二人は以前の友人関係だった頃と変わりない生活を取り戻した。啓太は学園の卒業が決まり、大学への進学も決めた。和希は相変わらず学園の理事長と研究所の所長を兼任し、忙しい毎日を送っていた。だが、いつ出てくるかわからない事故の後遺症の件もあり、また、二人で居る事の楽しさからか、一ヶ月に一度は二人で会っている。事故当時伏せられた二人の恋愛関係は、依然として戻らなかったが、二人はそれでも幸せだった。ただ、二人で居る時に何か忘れている気がすると思う程度で、特にその事に付いて言及する様な事はなかった。二人はよく、啓太の部屋で話をしていた。それは、何処かに出かけても、話ばかりしている所為で、どこで何をしていたかあまり覚えていない事が原因だったりする。勿論、たまには新しいアトラクションが出来た遊園地に女友達を交えて出かけたりもしたが、それはあまりに稀な事だった。そして、今も二人は啓太のベッドを背もたれにして話をしている。
「で、なんで啓太、専攻が「経済学部」なんだよ」
「だって、将来やりたい事がサラリーマンなんだもん。出来れば商社系のね。一番採用してくれそうな学部だろ?」
「サラリーマンって…それ、夢なさすぎじゃないか?」
 啓太の説明に、和希は眉を寄せた。それは、自分が会社を経営している面白さを知っている所為かもしれない。
「ホントは理一と悩んだんだけどさ。俺って医者って雰囲気でもないだろ?血見るのもあんまり得意じゃないし。それに不器用だしな。薬学はあんまり興味持てなかったしさ。学園の先生は俺にしきりに理数系を進めてたけど、やりたい事がそれじゃないんだから仕方ないだろ」
 啓太の学力は、BL学園に入って格段に上がった。3年の時点では、それこそ啓太が一年の時の学生会会長丹羽哲也に近付く程になっていた。なので、大学など選び放題だった訳だが、啓太が選んだのは一番男の子として一番無難な場所だった。
「だけど、エンジニアも進められてたろ?あっちは興味持てなかった訳?」
 和希は自分の辿ってきた道の面白さを啓太に語って聞かせた。だが、何を聞かせても啓太の首は横に振られるだけだった。
「俺、人と接する仕事がしたいんだよ。まあ、エンジニアも人と接する機会もあるだろうけど、結局構築するのは自分一人だろ?やっぱり俺は商社系でサラリーマンやりたい」
 啓太の父親も、電力会社で働いている。その後姿を見ての選択だったのだろうか。人がいう程、サラリーマンという仕事は面白くない訳ではない。それは人によるのかもしれないが、啓太には自分はその道が合っていると思っていたのだ。
「留学は?結構いい大学揃ってるぞ?」
「俺は日本の飯が一番いい」
 和希が何を進めても、啓太の首が縦に振られる事は無い。
「…お前、飯で決めるなよ」
「一番重要だろ!俺はハンバーガーだけで生活するなんて想像付かない!」
 啓太の力説に、和希は思わず吹き出した。
「…何がおかしいんだよ」
 啓太は唇を尖らせながら笑う和希を眺める。
「いや、啓太らしいなって思ってさ」
 そんな和希の言葉に、啓太は和希の頬をむにっと引っ張って、顔を鼻がつくぎりぎりまで近づけて付け足した。
「それにな。留学は金がかかるだろ。俺んちにはまだ金のかかる妹御が残ってんの。親にそんなに負担かけられないだろ。坊ちゃんめ」
 現実的な啓太の普通の話なのに、二人はその場で固まった。その距離が、あまりにも自然に感じて。
 そして和希は思った。確か、前にもこんな風景があった様な…と。
 だがそれは、啓太の母親のドアをノックする音で掻き消える。
 二人はぱっと離れて、元の距離に戻った。
「美味しいケーキがあったから持ってきたんだけど」
 ありきたりな訪問の理由に、啓太は明るく部屋に招き入れた。
 だが、啓太の母はドアを開けた所で一旦足を止めた。
 その理由は、二人の座る位置にあった。
 以前は啓太の部屋の中央に置いてある小さな机を挟んで話し合っていたのが、今では隣同士で、今にも手でもつなぎそうな程近い距離だったのだ。それは以前の二人の関係を彷彿させる物で、啓太の母は不安にかられた。
「…母さん?どうしたの?」
 部屋の入り口に立ち止まったままの母に啓太は不思議そうに声をかけた。その声にはっと我を取り戻した啓太の母は、取り繕う様な笑顔で「なんでもないのよ」と、小さなテーブルの上にお盆を載せた。
 啓太の母親が持ってきたケーキは、虚言無く美味しかった。二人はおいしいケーキの話に花を咲かせ、あっという間に時間は過ぎていった。
 窓から差し込む日差しが優しくなり始めた頃、和希ははっと腕時計を見た。
「ヤバいっ!もう迎え来てるっ!」
 髪を掻き揚げながら、周囲の自分の荷物をまとめ始めた和希に、啓太は寂しさを覚えた。それはいつもの景色なのに、その日に限って何故寂しさを覚えたのか啓太にも分らなかった。
「…今日も仕事なんだ?」
 啓太の覇気の無い声に、和希は視線を啓太に向けた。すると、今まで見た事も無い様な寂しげな瞳をした啓太がケーキの皿を片付けていた所だった。
「…なに?なにか聞きたい事でもあった?それとも何か相談でもあったのか?」
「いや、そう言う訳じゃないんだけどさ…なんでかなぁ?」
 啓太は自分でも分らない感情に戸惑い、ふと天井を見上げた。
「啓太も明日には学園に帰るんだろ?俺がいなくなるイコール実家を離れるから寂しくなったんじゃないのか?まだお子様だからな〜」
 からかう和希の口調に、啓太はぷうっと頬を膨らませる。
「ばっかじゃないの?今までと同じじゃん。…でも、なんでかさっき『寂しい』って思ったんだよなー」
 啓太は、それを何処かで感じた様な気がしていた。だが、どこで、どう言うシチュエーションでといった細かい事は解らない。そして、啓太の疑問は和希の立ち上がる気配でかき消された。
「それじゃ、来月の検査結果が出たらまた会ってもらうから。一応来月末くらいで考えてていいか?」
 和希はすっかりスーツのジャケットも羽織り、仕事モードの服装をしていた。
「あ、俺来月末は模試があるんだ。だから会えないかも」
「啓太が今更模試?なんで?」
「和希が『学年全体で』って申し込んだヤツだろ?」
「あー、そんな事もしたか」
 和希は気まずそうに頬を掻いた。その様子に、啓太は言葉を付け加える。
「つかさ、俺、いつまで定期検診受けなきゃならない訳?こんなに健康になったのに。検査結果は毎回おんなじじゃん」
 その言葉に、和希は眉を寄せた。
「俺達はまだ治ってないだろ?特にここが」
 『ここ』と言いながら、和希は自分達の頭を突いた。啓太は突かれた部分を摩りながらぷうっと頬を膨らませた。
「それは記憶は戻ってないけどさ。でも日常生活では支障無いじゃないか。しかもいつ戻るかも分らないって先生も言ってるんだし、戻ったら報告に行けばいいんじゃないのか?」
「そう言う訳にはいかないだろ。毎回きちんと検査して、後遺症が出てないか調べないと。それだけの事故だったんだから。啓太なんて、三途の川を見たんだぞ?」
「まあ、そうだけど…面倒だよ」
 肩をすくめて両手を腰に置き、啓太はいやそうな顔をした。
「我慢してくれよ。もしこの先何か出たら、俺は啓太をお嫁にもらわなきゃいけないんだからさ」
 笑いながら和希は鞄を持って啓太の部屋のドアへと足を進めた。
「あ、嫁にもらってくれるなら朋子がいい!玉の輿ー!!」
 一緒になってふざけながら、啓太はいつもの調子で和希を玄関先に止まっている和希の迎えの車まで見送った。
 それはいつもの光景。
 なのに、啓太は一抹の寂しさをぬぐい去る事が出来なかった。
(なんでだろ…いつもの事なのに)
 ふざけて近づけた和希の顔。それがいつまでたっても頭から離れない。
「…受験勉強で疲れたのかな?」
 深く悩んでも仕方の無い事の様な気がして、啓太はありきたりな理由を呟いて、家の中へと戻った。

 

 

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