あした となりには Act,3


2006.8.28UP




  啓太は一人、ベッドの上でぼーっと白い天井を見上げる。
 今まで、自分はどんな人生を送ってきていたのか。母に聞いた所によれば、BL学園という名門男子校の生徒だったと言う。自分は、そんなに優れた子供であったのだろうか。だが今、ベッドの上で何か無性に「これがしたい」という欲求もなかった。
(特別な才能を持った子供達の学校だって聞いたけど…それさえも忘れてるのかな)
 啓太は、とてつもなく不安だった。
 なにを忘れているのか。
 また、なにを忘れているのかわからないという事は、なにを覚えているのかという事も合わせてわからないという事なのだ。
 今の友達。また、今までの友達。自分はどう言った交友関係を築き、どう言った物を嗜好していたのか。そして、どんな恋をしてきたのか。
 恋人は?
 聞く所によると、自分の年齢は16歳だと言う事である。
(普通は彼女くらい居てもおかしくないよな)
 だが、母親からその話がでないという事は、居ないのかもしれない。自分と言うものがまるでわからない事が、こんなにも不安な事だと、啓太は思い知った。
 それにしても気になるのが『和希』である。
 だれも、彼との関係に付いて啓太に明言する物が居ないのであった。
(隠さなきゃ、いけない関係だったとか)
 もしかして、ある犯罪に加担した同士だったとか?
 事故は、警察に追われている最中に起こったものだったとか…。
 どこかの物語の様な事を思いついて、啓太はベッドの上で一人笑った。
 暫く一人で想いを巡らせていると、病室のドアががらりと音を立てて開き、啓太の両親が姿を現した。
「お話、終わったの?」
 二人に向かって啓太は何気なく問いかけた。
 すると、父は神妙な顔つきで啓太に向かって口を開く。
「…明日、和希さんの絶対安静が解かれるそうだ。彼は啓太よりかなり軽少だったからな。…で、明日ここにお詫びにくると言っていた」
 啓太は父の言葉に瞳を煌めかせた。
 明日、会える。
 何故か、唯一覚えていた名前の人物と。
 会ったら聞きたい事が山ほどある。
 自分との関係。そこから何故自分が彼の名前だけ覚えていたのかわかるかもしれない。
 啓太の胸は期待に膨らんだ。
 だが、次の父の言葉に、その期待もはかなく萎む事になる。
「彼は右足首の骨折だけだったんだが、どうやらお前と同じらしい」
「………同じって、なに?」
「『記憶障害』らしいんだ」
 啓太は言葉を失った。
 これで、自分と彼との事を知る機会は無くなってしまったのだ。
 どうして、一緒に車に乗っていたのか。
 どうして、自分は彼を庇ったのか。
 また、どう見ても世間的に立場のありそうな人と、何故自分が知り合いだったのか。
 啓太は、自分の過去が永遠に去って行く感覚に襲われ、黙って瞳を伏せた。





 翌日、父が言っていた通り、お昼ご飯が終わると啓太の病室のドアは叩かれた。
 入ってきたのは昨日顔を見せた石塚だった。
「お加減はいかがですか?」
 にこやかな石塚に、啓太も笑顔で「良好です」と答えた。
 そんな啓太に石塚は笑顔を深くし、手に持っていた花籠をベッドサイドに置いた。
「和希様が只今の検査が終わり次第、お伺いしたいと申しておりますが、大丈夫ですか?」
 石塚の言葉に、啓太はぴくりと表情を固くする。
 記憶を失って以来、初めて当事者同士が顔を合わせるのだ。
 元来、人見知りをするタイプではない啓太だが、相手も記憶がない事に訳の分からない反感を覚えていたのである。
 別に、啓太は相手が全面的に悪いとは思っていはいない。自分もその助手席に乗っており、もしかしたら自分が運転の邪魔をした結果、事故に繋がってしまったという可能性だってあるのだ。それに、警察や医者の話によると、どうやら自分は相手を庇って、運転手よりも重傷を負ったらしい。という事は、当時啓太は運転手『和希』に悪い印象を持っていたとは思えない。だが、どうしてもまるで、『和希』その人が自分の全てを奪って行ったかの様な感覚を、拭う事が出来なかった。
 啓太の硬い表情を見留め、石塚は困った様に眉を寄せた。
「もしかして、お会いしたくないですか?」
「いえ…そんな事はない、です」
 引きつりながらも啓太は笑顔を作った。それは、明らかに『作った』とわかる物であったが、石塚は寄せた眉をもとの位置に戻した。
「それでは私は、これから和希様をお迎えに行って参ります。お母様がおいでになられましたらよろしくお伝え下さい」
 秘書課の教育そのものと言った45度のお辞儀をして、石塚は病室を出て行った。
 その直後、入れ替わりに啓太の母が病室の扉を開ける。
「今、石塚さんとすれ違ったわ」
「うん、これから鈴菱さんを連れてきてくれるって」
 啓太の呼び方に、啓太の母はぷっと小さく吹き出した。
「なに?その呼び方」
「だってさ…」
 啓太としては、笑われても、いくら名前だけ覚えている人とはいえ、よく知りもしない人をファーストネームで呼び捨てになど出来る訳もないと思ったのだ。
「まあ、啓太がそう呼びたいなら別にお母さんは止めないけど。それに付いてもこれからいらした時によく相談なさい。あちらもどの程度障害が出ているのかいまいちハッキリしないらしいしね」
 実際の所、和希の方の記憶障害は一般生活以外の所に発生しており、啓太程深刻な物ではなかった。花を見ればその名前が理解出来、その他、仕事に関しても、何の仕事をしていたかは覚えていなかったが、これまでの人生で蓄積された知識だけは完璧に覚えていた。だがやはり、人間関係の事となると、略理解出来ないという状況であった。
 ベッドの上から動けない啓太の着替えを啓太の母がすませると同時に、再び啓太の病室のドアが叩かれた。
 その音に、啓太はどきりとした。
 とうとう、来たのだ。
 啓太の母が代わりに返事をしいて、病室のドアを開けた。そこには見慣れた石塚が立っており、その背後に病院の検査着の人物が見え隠れしていた。
(あの人が…?)
 先ず石塚が病室に入ると、それに促される様にその検査着を着た人物が車椅子で病室へと入ってきた。
 石塚はにこやかに啓太に挨拶をし、車椅子をベッド脇に押し進めた。
「お二人とも記憶がございませんので、改めてご紹介させて頂きますね。こちらが事故当時伊藤君と車に同乗していた鈴菱和希様です。和希様、こちらが伊藤啓太君です」
 明るい茶色の髪の毛に、少し鋭い視線を持ったその青年『和希』は、神妙な顔で啓太に向かって頭を下げた。
「伊藤君、事故に巻き込んで本当に申し訳ない。しかもこんな重傷を負わせて…何とお詫びしていいかわかりません」
 他人行儀な挨拶は、今の二人にはとても自然な物だった。だが、それを聞いていた石塚と啓太の母は、神妙な顔をした。二人は、以前の二人の強い絆を考えて、もしかしたら二人が会えば記憶が戻るかもしれないと少し期待していたのだ。だが、その淡い期待も露と消えた。
 石塚は、啓太の母と目配せをして、二人の紹介を続けた。
「お二人の事故の状況は医師から説明がございましたでしょうから割愛させて頂きます。以前、お二人はとても仲の良い…幼馴染みでございました」
 石塚の一瞬の躊躇に、啓太は違和感を感じたが、続いた石塚の言葉によってその疑問は流されてしまった。
「和希様は伊藤君との幼い頃の約束を先日果たされて、只今は同じ学校のクラスメートとして生活なさっていらっしゃいます。クラスの中でもお二人の仲の良さは抜きん出ているとの噂もございます。そんなお二人ですから、きっとこの先も…記憶が戻られるまでには元の中の良いお二人になられる事でしょう」 
 にこやかに説明を続ける石塚に、啓太は疑問を持ち続けたが、方やの和希を見ると、事故の責任からか神妙な顔つきで啓太を見つめていた。
「…どうかしましたか?」
 和希の只ならぬ様子に、啓太は問いかけた。啓太から見れば、それはまるで、自分の事を覚えていて、何かを黙っている様に見えたからである。
「…いや、どうもしませんが…どうして君は俺をかばったのかなって思いましてね」
 『幼馴染み』という言葉だけでは、命をかけて庇うという事態が起こるのであろうかと、和希は思った。そもそも、和希の方が年上なのだから、庇うのなら和希の方が啓太を庇うのが普通の様な気がしたのである。そんな和希の問いかけに、啓太はにこやかに返答した。
「多分…ですけど、きっと、俺にとって貴方は自分の命より大切な人だと思ってたんじゃないかなと思うんです。さっき、石塚さんから説明を受けましたけど、小さい頃の約束を守ってくれて、更に一緒に居てくれる様な人が、大切じゃないとは思えない。記憶はないけど、俺、貴方を庇った事、たとえあのまま死んでたとしても後悔してないと思います。だって、今だって後悔してないから」
 啓太の言葉に、和希は破顔した。この子は損得無しで話をしている。きっと自分も、そんな彼を大切に思っていたに違いない。だからこそ、少ない休みをこのこの為に使おうと思ったに違いないと考えた。
「…あのさ、俺達、幼馴染みだったんだろ?だったら、『伊藤君』と『鈴菱さん』じゃなくて、『和希』と『啓太』で呼び合わないか?話を聞くと、以前はそう呼び合っていたみたいだし。その方がお互い、早く記憶も戻るかもしれないしさ」
 急にくだけた口調になった和希に、啓太は目をむいたが、堅苦しいのは自分も性に合わないので承諾した。
 暫くお互いの怪我に付いてやこれまでの入院生活に付いて話をしていると、看護婦が啓太の検査の時間を告げに来た。そして和希は自分の病室を啓太に教え、退室して行った。




 その後、度々病室やその他の場所で二人は会い、和希は仕事の話を、啓太は見ていたテレビの話をして、二人の時間を楽しんだ。だが、以前の様に二人の間には甘い雰囲気はなかった。それは、二人の家族同士の話し合いで、二人が以前恋人同士だった事は伏せておこうという事になったからである。なので、今の二人は全くの友人であり、お互いが恋人同士なのだという事などかけらも思っていなかった。それでも二人は楽しかった。過去の話はなくとも、和希は話し上手だったし、啓太は聞き上手だったので、二人の時間はあっという間に過ぎていった。
 そのうち、怪我の軽かった和希の退院が決まった。
「あ〜あ、俺一人取り残されるのか〜」
 啓太はぷくっと頬を膨らませ、和希の居ない入院生活を思って気を重くした。
「すぐに見舞いにくるからさ。啓太の入院中は、必ず週一では見舞いにくる。お見舞いは何がいい?お兄さんが何でも買ってあげるよ?」
「じゃあ俺、PSPのソフトがいい!なるべく時間のかかるヤツね。和希が居ない間、それやって時間潰すから!」
「OK。それと、ちゃんと他にもプレゼント用意してやるからな」
 にやりと和希は笑って、啓太のベッドに腰掛けた。
「…他のって、なに?」
「ふふふ。今までは俺が啓太の勉強見てたけど、見れなくなるからな。ちゃんと家庭教師を手配しておいた」
「えーっ!」
「『えーっ!』じゃないよ。退院するまでに勉強遅れたら大変だろ?事故を起こした人間として、その位は責任とらないとなぁ」
 和希のにやけ顔に、啓太は益々頬を膨らませた。
「ちゃんと優秀な人を選んでおいたからな。しっかり勉強するように!」
 啓太の入院は、いまだに絶対安静を解かれていない。最低でもこの先3ヶ月は入院が決まっているのだ。一度心肺の停止した人間が、そう簡単に退院出来る訳がないのだ。
「それと…」
 和希は少し顔を引き締めて啓太の瞳を見つめた。その和希に、啓太は不思議そうな顔をして見つめ返した。
「俺、学生やめる事になったから」
 石塚の説明で、二人が同じクラスに在籍していた事は知っていた。啓太も退院したら、和希と一緒に学校に通える事を楽しみにしていたのだ。だから、今の和希の言葉は少なからずショックを受けた。
「…どうして?」
 悲しげに潤んだ啓太の瞳を直視出来ないかの様に、和希は視線を逸らせて言葉を続けた。
「入院でかなり仕事がたまっちゃったみたいなんだ。この上学生まで続けてたら体が持たないって石塚が…。だから、ちゃんと仕事に専念しようって話になったんだ」
 それは、社会人として当たり前の事で。啓太は自分の父親の事を考えると、和希にそれ以上何かを言う事は出来なかった。
「でも、会えるんだろ?」
 啓太の精一杯の譲歩に、和希は破顔した。
「当然。休みの日は啓太と遊ぶ日って決めておくよ」
「そこまでしなくていいけどさ…会えるなら、いい」
 瞳を潤ませた啓太の頭をぽんぽんっと二回和希は軽く叩いて、その愛情を伝えた。

 

 

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