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2004.10.01UP |
「和希、俺さ…学園辞めるよ」 「…え?」 考え込んでいた俺の耳に、今一番聞きたくない言葉が入ってきた。 「前の学校に戻る」 「学園辞めるって…何故だ?」 俺の問いかけに、啓太は悲しげな笑みを浮かべるだけだった。 「…俺の所為か?」 「違うよ。和希の所為じゃなくて、俺の所為だよ」 グラスに口をつけながら、きっぱりと啓太は言い切る。 「俺の居る学園に居たくないからか?」 「…微妙に違うけど、まあ概そんな所かな。近くに居たら、いつまでも諦められないしね」 外の薄い明かりを受け浮かび上がる啓太の横顔は、その力強い言葉とは裏腹に儚い笑顔に縁取られていた。 「啓太は俺自身が居なくても、少しでも俺とかかわりのある所には居られない?」 「そんな事はないし、俺に和希が関わらなくなる事なんてありえないんだろ?鈴菱には俺のデーターも保存されているわけだしね。和希があそこから居なくなるなんて事ないだろうから、せめて距離だけでも離れたいから…」 きっと、俺が傍に居なくても啓太は幸福な人生を送っていける。 むしろ、俺が居ない方が幸福な人生なのかもしれない。 「それが理由なら、啓太はやめる事はないよ。…俺、サンフランシスコに行くことにするから」 「…え」 思いもよらなかったのか。啓太は目を見開いて、俺の顔を凝視した。 「前々から言われていたんだ。あっちにも研究所があってね。ここより敷地も広ければ、研究している項目もレベルが違う。今製薬で主にしている研究所だから、内情をよく理解しておけってな所で父に言われているんだ」 「サンフランシスコ…」 啓太は俺の言葉を繰り返し呟く。 「今まで啓太と離れられなくて伸ばし伸ばしにしてきたけれど…今行く事に決めたんだ。だから啓太はあの学園をちゃんと卒業してくれ。一応うちを出られれば、前の学校よりはこの先の人生に有利になるはずだからさ」 今はせめて、大人の振りで啓太の幸せを考えたい。 これ以上、啓太の人生に関わっていくことを許されないなら…。 「やだよ…」 「え…?」 「いっちゃ…やだ」 いつか聞いた覚えのある言葉が、啓太の口から流れ出た。 その台詞に惹かれるように、俺は啓太の顔に視線を動かす。 動いた空気に触発されてか、啓太は俺の腕を掴んで力強く引き寄せた。 「何で和希が行くんだよ!あそこは和希の場所だろ!?あの学園が好きなんだろ!?シスコなんて行かなくたって、俺が出れば済む話じゃないか!!」 別れを望んだその口から、今度は引き止めようとする言葉を叫んでいる。 何故? 昔のトラウマしにたって、過去の理由と今の理由には大きく隔たりがある。 言ってしまえば昔は啓太が望んだことではないが、今回は啓太も望んでいる筈の別れなのだ。 あんな行動を起こした人間の近くにいられないと思うのは、ごく自然な事だと思う。 なのに何故引き止める? 「だから言ったろ?前から言われていた事で、啓太の為だけじゃないんだよ。いつか俺の代になったときに、またここには戻って来る訳だし…啓太にはあそこで楽しく学生生活して欲しいんだ」 「やだっ!そんな事出来ないよ!!」 「…啓太?」 啓太はまるで子供のように瞳から止め処なく涙を流して頭を振り続けた。 俺の手を掴んだ啓太の手が震えている。 いつかの光景そのままの現状は錯覚を起こさせる。 これからも愛していられると言う錯覚を。 いや、それは希望と言うのか。 希望と現実に、頭が混乱する。 「もう和希の事、困らせるような事しないからっ…怒らせるような事もっ動揺させるような事もっ悩ませる事もないように、俺が和希の前から消えるからっ!だから和希は俺から消えないでっ!」 『必死』という言葉がこれほど合う姿は無いだろうという啓太の様子に、俺の混乱は酷くなる一方だ。 「…啓太、どうして?離れたいんだろ?啓太の『離れたい』って気持ちはわかるよ。いくら激情に駆られたからといって、俺のしたことは許される事じゃないってわかってる。訴えられても文句は言わないけど、俺に消えて欲しくないって言う理由がわからないよ」 泣きじゃくる啓太を抱きしめて、また質問。 今日、何度目の質問だろう。 他の事なら全てを説明されなくてもなんとなく理解してきたが、啓太に関しては理解に苦しむ事ばかりだ。 「なあ…言ってくれよ、啓太」 再三の促しに、啓太はようやく口を開く。 「俺はどこにいても…いつでも和希からは会おうと思えば会えるだろうけど…俺は和希がどこかに行ったら二度と会えなくなるじゃないかっ」 「離れたい」と言ったのは啓太なのに。 「付き合えない」と、関係を退けているのは啓太なのに。 「…啓太、だからどうしてそこまで…」 言葉の続きは、啓太の言葉によって遮られた。 「好きだって言ってるじゃないか!和希の事っ、何度も何度も!他の人と出来る俺だけど…和希にあそこまで思い詰めさせた俺だけど…和希無しじゃこの先どうしてイイのかわからないよっ」 行動の伴わない啓太の言葉も、今日は繰り返し聞いている。 同じ質問。 同じ回答。 考えてみれば、あの幼かった日から啓太と二人、ずっと同じところを回っていたような気がする。 出会って別れて。 そしてまた出会って別れようとしていて。 二人で過ごした時間は楽しい事ばかり。 でも、いつでも実の無い時間で。 自分は真面目ではないが、そこまでの享楽主義者では無かったように思っていた。普段の啓太の生活を見ていても、そこまで享楽を追い求めているようにも見えないのに。二人の時間となると、訳が違うのか。 いや、違う。 怖かったのだ。 お互い、自分を曝け出す事が。 啓太に今まで何も言ってこなかったのは、相手の居る啓太に自分の胸の内を明かして、拒否される事が怖かったから。 自分の全てを曝け出して、離れて行かれるのが怖かったのだ。 啓太の事を、『卑怯』だと罵った自分が、啓太よりも余程卑怯だったのだ。 「…啓太」 言おう。 言ってしまおう。 それで終わるも終わらないも…全てを啓太にかけて。 「…俺、明日発つから」 腕の中の啓太の動きが止まった。 「啓太と居られる条件作る。啓太が不安に思わなくても一緒に居られる状況作るから…あんな事した俺だけど…どうしても啓太の居ない人生なんて考えられない」 嗚咽で震えていた体は、今、別の意味で震えている。 その震えは、只単に俺の手が震えていて、その振動が啓太の体を通して自分に伝わっているのかもしれないけど。 「啓太が高校卒業した2年後の夏に…俺たちがホントに始まった8月の最後の夜に、啓太の所に行くから…その時、返事を聞かせて欲しい」 自分の震えを隠す為に、更に強く啓太を抱きしめる。 どんな答えが返ってきても、震えないように。 「俺だけの…啓太になって」 もう、逃げないから。 逃げる事は出来ないから。 「2…年も、離れてなきゃ…駄目なんだ」 腕の中から声が聞こえた。 その体は相変わらず震えていて、それに併せるかのようにその声も震えている。 「…2年で啓太を手に入れられるなら、俺には短いよ」 「2年も…遠くからでも…和希の事見るの…許されないんだね」 「俺は、遠くからなんて見られたくないよ。ちゃんと近くで、啓太に俺だけを見て欲しいから」 腕の中で捉えられているだけだった啓太の腕が、恐る恐るといった風情で俺の背中に回った。 こんな事は久しぶりで、どう対処していたか思い出せない。 「…怖いよ…和希」 「『怖い』?」 何が『怖い』のか。 以前、啓太の口から同じような言葉を聞いた覚えがある。 あの時も、何が『怖い』のか聞けず終いだった。 「俺…この先どんな事で和希を困らせるのか…怖い」 “困らせる”? 「俺、ホントに…和希に対してだけは、自制って効かなくて…今までも散々困らせてきて…『和希が俺のものだ』って思うようになったら、きっともっと困らせる」 「困らないよ」 詰まりながらも必死に言葉を探している啓太に、本心からの返答をする。 「啓太の“俺”に対して言う事なら、困らない」 俺の返答に少しの間沈黙して、更に言葉を続けた。 「…和希無しで…2年も居られるかも…怖い」 「きっと、大丈夫だよ」 震える頭を撫でながら、昔、言い聞かせたのと同じように答える。 今までの相反する啓太の言葉と行動の意味が、ここに来てやっと理解できた気がした。 啓太の自分に対しての恐怖。 きっと、なれない感情の中、必死にあがいていたのだろう。 友人とは違う一線に戸惑い、かといって離れる事は出来なくて。 お互いの環境の違いにすら恐怖を感じて。 俺と同じだった。 ただ、方向が違っただけ。 俺は心の中に感情を押し込めて。 啓太は別の誰かにはけ口を求めて。 どちらが良いとも悪いとも言えない。 どちらにしても、お互いがお互いを傷つけていた事に変わりはないから。 「…大丈夫だよ。きっと全てがうまくいくから。俺は啓太の為なら、うまく行かせて見せるから」 今、この状況で言っても、きっと啓太は理解しない。 だが、それ以外に伝えられる言葉も見つけられなかった。 二人、暗い部屋の中で抱き合ったまま時間だけが過ぎていく。 初めに考えた別れのシナリオとは大きくずれたけれど、きっと、何を考えても、何をしようとしても同じ結果に行き着くのだ。 行き着く先は、一人きりの未来ではないと。 今までの堂々巡りですら、お互いの絆を確認するものだったに違いないと信じよう。 だから今はただ、腕の中の温もりを感じていたい。 約束された世界は、きっと手に届くところにある筈だから……。
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