8月の長い夜シリーズ

ENGAGING UNIVERSE Act,1


2004.03.07UP




 啓太の痴態に嫌悪を感じた夜を境に、俺は啓太の傍に居ることをやめた。
 教室で騒ぐ時も、食事時も、徹底的に啓太とは別行動をとるようにした。
 夜、啓太の来る時間には、仕事を入れるようにして、自室には帰らなかった。
 そんな風にして2週間が過ぎた頃の深夜、仕事机の上に放り出しておいた携帯電話が着信を告げた。
 ディスプレイには『啓太』の文字。
「…ふぅ」
 ため息をつきながら、それでも手は通話ボタンを押している。
『…忙しい時にごめん』
 最初に流れてきたのは、謝罪の言葉だった。
「いいよ。どうした?」
『…今日さ。何時ごろ戻る?』
「…・・」
 また、俺の知らない啓太の瞳で、俺のことを誘うのか?
 言葉を飲み込んだ俺の沈黙に、啓太はゆっくりと補足の言葉を届ける。
『ちょっとさ。頼みたいことがあるんだけど…』
「…頼みたいこと?」
 意外な言葉に、思わず繰り返して問う。
『今さ。外に居るんだよ、俺。でさ…ちょっと帰れなくなってて…』
「帰れないって…どうして?」
『酒、飲みすぎちゃってさぁ。こんなんで帰ったら、さすがに問題になると思うから、外泊届け、出しておいて欲しいんだ』
 呂律の回っていない言葉は、啓太の言うことが本当の事だと告げている。
「でも啓太、帰らないでどこで寝るつもりだよ」
『えーと、ファミレスかなんかで夜明かしするからヘエキぃ』
 その、とても平気とは思えない口調に、ため息と共に問いかけた。
「…今、どこに居るんだ?」
『えーと、…隣駅の繁華街』
「彼氏は?一緒じゃないのか?」
『うーんと、さっき呼び出されて帰っちゃった。まだエッチもしてなかったのにさぁ…』
「わかったわかった。駅前で待っていられるか?今から迎えにいってやるから」
 俺の言葉に、啓太は一瞬沈黙する。
「…啓太?聞いてる?」
『うーん、でもぉ…悪いよ。忙しいんだろ?』
 啓太が酔っているお陰で、久しぶりに普通の友人の会話をできていることが嬉しい。
「なに言っているんだよ。そんな状態で一人で外に居て、補導でもされたら、そっちのほうが問題だよ」
『そっかー…お兄ちゃん、ごめんねェ』
 甘えた口調に笑がこみ上げる。
「はいはい。じゃ、30分くらいで行くから、ちゃんと待っていろよ?」
『はーい。お願いしまーす』
 苦笑と共に通話を切り、外泊届けの手配と久しく戻っていない家の鍵を取りに、寮へと急いだ。




 車を走らせること10分あまりで、目的の駅に到着する。
 今日は土曜日で、休前日ということもあり、万が一の学園の生徒との鉢合わせを避ける為に、駅から少し離れた駐車場に車を止め、啓太の待っているであろう駅前へと足早に向かった。
 人ごみの中、所無さげに植え込みの花壇の端に座り込んでいる啓太を見つける。
「啓太」
 急いで歩み寄り声をかけると、とろんとした瞳で俺を見上げてきた。
「あー、和兄だ〜」
「…なんか、懐かしい呼び方だな」
 苦笑と共に、その相変わらず癖の強い髪をなでてやる。
「…歩けるか?」
「うん、ダイジョーブ」
 言葉とは反対に、ふっと傾く体を俺の腕にしがみついて保たせながら、啓太はよろよろと立ち上がった。
「車、少し離れた所に止めてきてるけど…もって来るか?」
「ダイジョーブだよぉ…相変わらず心配性なんだからぁ」
 人目も気にせず、俺の腕に自分の腕を絡ませて、啓太は楽しそうに歩いている。
「なんか〜、こーやって歩いてるとぉ…デートしてるみたいだよねぇ」
 安心しきった顔で、うっとりと俺の肩に頭を凭せ掛けて来る。
 きっと、以前の俺なら嬉しかったんだろうなと、その顔を眺めながら自嘲気味に心の中で呟いた。
「…さっきまで、デートしてたんだろ?」
 何気なく言った言葉に、啓太はふっと視線を落とす。
「うーん、してたんだけどぉ…やっぱ、愛し合ってる人同士じゃないと、雰囲気でないんだよねぇ」
「…え?」
 聞き間違えたのかと思った。
「和希とってさぁ、デートしたことなかったよねぇ」
 俺の疑問符は啓太には届かなかったようで、啓太の言葉は先へと進んでいった。
「いっつもさぁ、寮でエッチばっかりでェ…せっかく相思相愛になれてたのに、もったいなかったよなぁ」
「啓太に、他の相手が居るからだろ?」
「うーん、まぁそうなんだけどさぁ…」
 普段と違う啓太の言葉に耳を傾けていると、動いていた足は二人を目的地へと誘っていた。
「…ほら、ついたぞ。啓太乗って」
 助手席のドアを開けて、啓太を中へ促す。
 ふと、啓太が俺の腕を掴んで引っ張ってきた。
「和希ぃ、キスしてぇ」
 あの夜以来、触れていなかった唇が近づいてくる。
 あの時感じた嫌悪は、今は感じないけれど、やはりそんな気分にはなれなかった。
「こら、酔っ払い。大人しくしろ」
 すがる腕を引き剥がして、シートベルトを装着させる。
「えー、エッチに付き合えなんてもう言わないからさぁ。キスぐらいしてよぉ」
「酒臭さが抜けたらね」
 言い訳をもっともらしく言って、啓太の頭を軽く撫でて運転席へと乗り込んだ。
「じゃあ、出すよ?」
 要求を退けられて、頬を膨らませた啓太に向かって声をかける。
「…けち」
 きっと、酔いが抜ければ今の言葉も覚えてはいないだろう。
 その仕草の愛らしさに、素直に笑みをこぼして車を動かそうと、差し込んだ鍵に手を伸ばす。
 …その時、啓太の口が動いた。

「…和希、俺の事、やっぱり嫌いになったんだね」

 静かな車内に響いたその言葉は、今まで聞いたこともない啓太の声で発せられた。
「そんな事ないよ」
 返事と共に振り向けた視界には、啓太の顔は入らない。
「…ごめん。ここまで来てもらって悪いけど、やっぱり俺、明日一人で帰るよ」
 自分の体に巻きつけられているシートベルトを外そうと、啓太は振り返る。
「…!?」
 暗がりの中でも浮かび上がる頬を伝う光。
 予想もしていなかったその光景に、我を忘れて力任せに啓太の肩を掴んでいた。
「和希…痛い」
 アルコールの所為で何時もよりも赤みの増した唇は、少し震えている。
「何かあったのか?」
 俯いていて見えない表情を確かめようと、体を傾けて啓太の顔を覗き込もうとする。
 だが、その動きとは反対側に、更に啓太は顔を反らせた。
「別に…和希が気にする様なことじゃないよ」
「なんだよ…それ。彼氏と、なんかあったんだろ?」
 強い口調に、啓太は目元の涙を袖で拭い、誰が見ても無理に作ったと判る笑顔で顔を上げた。
「…別れてきた」
「…振られたのか?」
 俺の質問に、啓太はしっかりと首を横に振る。
「ううん。俺から別れて下さいって頼んだ」
「なんで…そんな事。まだ付き合っていたいって、この間言っていたじゃないか」
 だから俺が、啓太から離れたんじゃないか。
 これ以上、誰かの代用にされるのが耐えられなかったから。
 俺を見ない、啓太の傍にいるのが耐えられなかったから…。
「だって、和希に嫌われちゃったら、付き合っていてもらう理由なんてないもん」
「どうして…」
 分からなかった。
 啓太の言っている意味が。
「和希のこと、諦められる様に付き合っていて貰っていただけだもん。嫌われちゃったんだから…もう必要ないから」
 時間と共に嗚咽に変わる啓太の声が、頭の中に渦を作る。
「諦めるって…俺の事…どうして」
「だって、和希、偉い人でしょ?俺なんか…俺みたいな一般家庭で育ってるガキなんて、どうあがいてもずっとは傍にいられないじゃん。その上男同士じゃさ。だから…理由無しで傍に居られる友達でいたかったんだけど…」
 息をするようなタイミングで訪れた沈黙は、夏以来の関係を指している事は分かる。
 いつでも…啓太からだったから。
「でも、覚えちゃったからさ。セックスってやつ」
 覚悟が決まったかのように、啓太は再び口を開く。
「どうしても、和希としたくなっちゃってさ。だから夏休みのあの日、誘っちゃったんだ。一度すれば、きっと満足するだろうって思ってさ。そしたら…また元の友達に戻って…恋愛とか、関係ない、いつまでも一緒にいられる友達として…いつか、和希に家族が出来たときも、笑って付き合っていられるようにって…でも、ダメだった」
 啓太の肩に置きっぱなしになっていた俺の手に、そっと手を重ねて更に言葉を続ける。
「もう、一回しちゃったら、どうしようもなかった。あの人に抱かれても、何にも感じなくなって。キスしていても頭の中には和希とのキスが出てくるし…止められなかった。和希が欲しくて、欲しくて…頭がおかしくなるかと思うくらい欲しくて…自分のものにはならないのは分かっているのに」

 最中に、名前を呼ばなかったのは、溺れない為。
 縋り付かないのは、自分のものだと思わないようにする為。

「…どうしてそんな事言うんだ。俺はもうとっくに、啓太以外は考えられないのに…」
 俺の言葉に、啓太は再び俯いた。
「…和希が俺の事、考えてくれているのは分かっていたよ。でも、和希がどう思っていても…和希の立場は和希一人の考えじゃどうにもならないじゃないか。対外的にも、内情的にも、和希がしなくちゃいけない事。俺がいたら出来ない事、沢山あるじゃないか。もう俺だって、それが分からない程…子供じゃないよ」
「…だから、あんな風にしていたんだ」
「うん…でも、もう嫌われちゃったからいいよ。俺の心配なんて取り越し苦労もいいトコだったよね。ごめんな、和希に嫌な思いさせちゃって…もう、まとわりつかないからさ」
 ひとつ、大きく息をついて、啓太の手は、再びシートベルトの金具へ向けて動き出した。
「…啓太、とにかく今夜は俺の家に行こう。一人で夜明かしするのは、ちょっと黙認出来ないからさ」
「…そうだよね。和希、大人だもんね。未成年を一人で放り出せないよね」
 俺の制止の言葉をどう受け取ったのか。啓太ははかなく微笑んで、手を止めた。
「でも、寮でもいいよ?大分時間も経ったし、今日なら誰かが裏口開けているだろうから入れるだろうし」
「…俺の家には行きたくない?」
「和希が…俺とは一緒に居たくないだろ?」
 視線を逸らせながら気まずそうに呟く啓太の頭を、軽く何度か叩いて、車をスタートさせた。

 

 

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