8月の長い夜シリーズ

8月の長い夜


2003.8.31UP




プルルルルル……
プルルルルル……
プルルルルル……

ピッ

『はい?』
 3回のコールの後、焦がれていた声が機会音となって耳に響く。
「啓太?俺」
 いつもの電話を通した会話。
 夏休みに入って実家に帰省した親友とのコミュニケーションは、いつもこうして始まる。
『わかってるよ。ちゃんとディスプレイに表示されるんだから。しかも和希が登録した『My Dear』でね』
 くすくすと楽しそうに、離れている距離を感じないかの如くの返答に、寂しさを感じているのは自分だけだと思ってしまう。
「…何してた?」
『んー?家族とテレビ見てた。和希は?』
 移動しているのだろうか。
 啓太の声が少し揺れる。
「さっき部屋に戻って来たんだ。今日も1日仕事だったからさ」
『…日曜なのに大変だね』
 何気ない会話が少し悲しい。
 窓の外をぼんやりと眺めながら、心地いい声に身を委ねる。
『…和希、少し酔ってる?』
 心配そうな声。
 今手もとにおいてあるグラスが見える訳でもないのに何故ばれたんだろう。
「…どうして?」
『口調がね。そんな感じ』
 自分では意識していなかった事柄を言われて、少し驚いた。
「いつもと違うかな」
『うーん、ほんのちょっとね』
「どう違う?」
 暫しの沈黙。
『…なんていうか…ちょっと甘えた感じになる』
「…そうか?」
『うん。でもそんなにすぐに判る程ではないけどね』
 小さい頃から人の心の動きを敏感に察知する人物だとは思っていたけど。事。自分の事を見られていると思うと少し据わりが悪い。
「そういえば…あの人とは会ってるのか?」
 わざとらしい話題変換。
 けれど途端に沈む啓太の声。
『忙しそうだもん。8月に入ってからは全然。会うどころか電話もしてない』
「…そうか。まあ仕様がないのかな」
『普段だって和希と話してる方が断然多いじゃん』
「まあそうか」
『イイ友達だよね。和希って』
「そうかな…」
 友達以上の感情を持っているっていったらどうなるんだろう。
 とうに忘れてもおかしく無い日々に執着している自分を啓太が知ったら…。
「…辛く無いか?」
『えっ……』
「そんなに会えなくて…寂しく無いのか?」
『……』
 多分、聞かれたくは無い事だろうとは思う。
 聞かなくても判りきっている事だから。
 でも………。
『…いつもの事じゃん。俺が何かいってもどうしようもないし』
 電話の向こうの声が再び少し揺れる。
「言ってみればいいじゃないか。それを言う権利は啓太にはあるだろ?」
『…ないよ。そんな権利』
「そうかなあ」
『うん…』
 バルコニーに面した大きな窓からは夜の暗い海が見える。
 夏の日差しを受けてきらめく昼間の様子は影を潜めていて、普段の明るさの見えない電話の向こうの啓太と重なる。
「俺はいつでも啓太の事愛してるからな」
 隠しているつもりの鳴き声は聞こえない振りをしておいてあげて、ふざけた調子で真実を告げる。
『ふふっ、和希はまた…ありがと』
「ホントなのにな〜」
『そう言う意味だったら俺も和希の事愛してるよ』
 電話の回数も会う回数も関係ない事はよく分かっている。
 だてに年は重ねていない。
 でも、時が経つに連れて大きくなるこの思いをどうすれば良いのかも分からなくなってくる。
「じゃあ、あの人と別れたら俺と付き合おうよ」
『あはははっ…保険みたいな言い方だね』
「そうそう、啓太はいつあの人と別れてもカッコイイ彼氏が保証されてます」
『う〜ん、カッコイイか?』
「そこに突っ込むなよ。ひどいなあ」
 小さなスピーカーを通した声に明るさが戻る。
 昔から啓太の泣き声には弱い。
 この泣き声の前では、どんなに鉄の決意をしていても脆く崩れ去ってしまう。
『でも…和希の顔も久しぶりに見たいな』
「嬉しいよ。俺も啓太に会いたいよ」
『俺、和希と居る時が一番落ち着くよ』
 それを俺の本当の気持ちを理解した上でも言ってくれるのかな。
「そうか?でも俺と居ると啓太はあの人の愚痴ばっかりだしなあ」
『そうかな…ゴメン』
「あははっ、ゴメンゴメン。嘘だよ」
『っ!んだよ和希』
 今はまだちゃかしていられる。
 だから。
 こんな関係でも良いから傍にいさせて。
「啓太、これから暇?」
『え?これから?』
「うん…どう?」
『…暇と言えば暇だけど』
「じゃあこれから迎えに行くよ。憂さ晴らししよう」
『い…今から!?もう11時だぞ!?』
「どうせそんな調子じゃ夜なんて眠れないだろ?お兄ちゃんが甘やかしてやるよ」
『…なんでもわかっちゃうんだ。和兄には』
「見直しただろ」
『…ありがと』
 下心を隠してイイ友達を演じてる自分をあざ笑いながら、受話器を片手に車の鍵を手に取る。
『あ、でも和希、飲んでるんだろ?』
「もう3時間も前だよ。大体電話し始めてどのくらい経ってると思ってるんだ?」
『う〜ん…』
 ちょっとした嘘。
 今は何より啓太の傍に行きたい。
「俺の心配より、啓太は顔洗って涙の後は消しておく事」
『え!?』
「そのまま出かけたら俺が泣かせたみたいだろ?」
『…わかった』
 あいつの為の涙の後なんて見たく無いのが本音だけど…。
「じゃ、今から出るから1時間後に玄関の前に出てて」
『…うん』
「それじゃあ後でね」
『気をつけて…待ってるよ』
「判った」

ピッ

「…愛してるよ、啓太」
 君の気持ちが俺に無いと判っていても…

 切った後の受話器に向かって呟いてみても何にもならないけど。
 ミネラルウォーターを一気飲みして顔を洗い、友人の顔を作る。
 落ち込んでいる親友のもとに向かって、蒼い夜の闇の中、車を走らせた。

 

 

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