Jesus bleibet meine Freude Act,1

2011.08.05UP




 毎年、記念日に贈られてくる品物を眺めて、和希は溜息をついた。
『今年は何が欲しい?』
 初めて母親がそう尋ねてきた誕生日に、和希は家族の時間と答えた。
 誰もが、当たり前のように持つ時間。
 子供の成長を喜び、その年一年の幸せを願う。
 そんな、当たり前の誕生日。
 高価な品物などいらなかった。
 普通にケーキを食べて、クラスメイト達が熱中しているゲームを強請り、そして喜んで親から手渡しされる。
 ただ、それだけの時間。
 だがそれが、一度たりとて叶えられた事は無かった。
 両親は忙しいのだ。
 仕事に。
 その影に、子供心でも気がつける、両親のお互い以外の異性の存在。
 父にも母にも、愛人が居る事など、物心が付いてすぐに気がついた。
 忙しく飛び回る両親が、子供の和希に向ける視線は、後継者としての優秀さだけ。
 一般家庭とは違う自分の家を、理解はしていた。
 それでも人の心など、そんなに変わるものではない。
 欲するものなど、誰も変わらないのだ。
 故に和希も欲しかった。
 誰もが一番に得られるものが。
 尋ねられた希望のプレゼント以外が届いた誕生日に、自室で拳を握り締める。
 物質的なものは、嫌というほど与えられる。
 更に生活環境も。
 勉強の進度に合わせて代わって行く家庭教師。
 精神の成長に必要な習い事。
 身の回りの世話をしてくれる、赤の他人。
 普通の家庭ではありえないものが、和希の周りには当たり前のように存在する。
 それでも欲するものは、他の子供と変わりないのだ。
 この年、初めて和希の希望を尋ねてくれた両親に、和希は予め、感謝の手紙をしたためていた。
 学校で習う、両親への感謝の言葉。
 他の子供同様に、和希も少し恥ずかしかったが、それでも自分の希望を叶えてくれる両親に、その気持ちを伝えたかった。
 だが、贈られた物は結局いつもの年と変わらない、年に不相応な高価な品物だった。
 そんなものは、欲しくない。
 家政婦が包みを開けて感嘆しているのを、冷たい目線で和希は見つめた。
 そして部屋に戻り、両親への手紙を握りつぶした。
 折角書いたのに。
 無駄になってしまった。
 けれど、同時に理解したのだ。
 他の家庭の子供が手に入れられる人の温かさは、決して自分には手に入らないと。
 期待した自分が悔しく、そして辛い。
 それでも握り締めた手紙を捨てられず、工作の時間に手彫りさせられた木の箱に、その手紙を収め、その箱を自宅の桜の木の下に埋めた。
 二度と、人に対して期待をしないように。
 その戒めと、決裂の儀式だった。
 工作の時間に作ったその箱は、手先の器用な和希は褒められた。
 きっと、ご両親も褒めてくれるわよ、と言った教師の言葉に、少し誇らしかったものだった。
 その気持ちと共に、埋めたのだ。
 木の根元を深く掘り、その中に投げ捨てるようにその箱を納め、土をかぶせる。
 すっきりした気持ちで見上げた桜の枝に、季節はずれの花が一輪咲いているのを見つけて、まるで見当違いの自分の思いと同じだと、そう思った。




 その場所を通りかかったのは、偶然だった。
 親の方針で留学をし、全ての必要な学業を終えて帰って来た和希を待ち構えていたのは、当然家の仕事だった。
 この日は飛行機で飛ぶには近く、鉄道もまともに通っていない様な山奥の研究所の報告会で、現在和希の家の事業の一つである製薬会社の代表取締役として参加しなければならなかったのだ。
 ヘリコプターの離発着所はあったのだが、天候の所為で、陸運局からの許可が下りず、仕方なく長時間車に揺られる破目に陥っていた。
 それでも仕事は途切れず、車の中でノートパソコンを開き、更に上がってきている書類のチェックをこなす。
 山の中の道でカーブが多く、疲れた目を画面から上げた所に、その景色はあった。
 一面の、桜の花。
 一瞬のこの季節を過ぎてしまえば、おそらくただのつまらない森になるのだろうその場所に、珍しく和希は惹かれた。
「止めてくれ」
 運転手に声をかければ、彼は慇懃に「かしこまりました」と答え、路肩に車を止める。
 膝の上から色々な荷物を下ろして、仕事に就いてから記憶にない、寄り道をした。
 車を降りて、その風景を目に入れる。
 綺麗だと、素直に思えた。
 何故急にそんな事を思ったのか、和希にも解らない。
 それでもその光景が、酷く和希を惹き付けた事には違いがなかった。
 暫く眺めていれば、車から秘書が和希を追いかけるように降りてくる。
 次の仕事か、と、彼の行動に、魅せられた景色を諦めようとした瞬間、彼の口から思いも寄らない言葉が流れた。
「この少し先に、老舗の旅館がございます。和希様はこの先一週間ほどは、緊急以外のお仕事はございませんので、もしお気に召したのでしたら、少しごゆっくりされてはいかがですか?」
 聞いた事のない自分のスケジュールに、和希は目を見張った。
 この先など、和希は問うた事はない。
 何故なら毎日が仕事で埋め尽くされているのが当然だったからだ。
 毎日就業時に翌日の朝の予定を聞き、迎えに来た秘書にその日の予定を確認する。
 それが和希の日常だった。
 隙間を縫って個人の予定をこなし、更に人付き合い。
 プライベートなど、望んでも仕方がない事だと諦めていた。
「……大丈夫なのか?」
 和希の家の企業は、世界展開している大手の企業で、所謂『ゼネコン』と呼ばれる企業形態だ。
 故に和希が預かっている製薬部門だけでも、研究所や生産工場など、星の数ほどある。
 更に和希は他の任もあった。
 プライベートに割く時間など、考えた事もなかったのだ。
 子供の頃から覚悟していて、大人になって「やっぱり」と思っただけだった。
 そんな和希に与えられた、休暇。
 どう過ごして良いのか解らない。
 それでも秘書が勧めてくれたのならと、その旅館に逗留する事に決めた。

 

 

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