消えないくちづけ Act,3

2009.06.27UP




 誕生日を祝う食事を終えて、啓太が太一を風呂に入れ、家の中で太一用に宛てがわれた子供部屋に連れて行き寝かしつけるのを待って、二人きりのリビングで今回の事の顛末を問い質した。
「だって、半年前和希は、また俺と一緒に住むかどうかは俺次第だって言っただろ?」
 その言葉は確かに覚えている。
 だが、この家がある事の理由にはならない。
「だから、それは啓太があの家に戻って来てくれるかどうかって話だろ」
 元々は啓太と二人で住む為に見つけた家だ。
 俺たちの間には子供は望めないから、その内養子をとろうと考えて、少し広めの家にしていたと言う将来を見越しての物件だった。
 今、啓太があの家に戻って来ても何の問題もない。
 妻はきちんと啓太の部屋を空けていてくれていた。
 勿論主寝室だってある。
 態々啓太が家を建てる必要性は感じられない。
 だが、啓太の考えは違っていた。
「あそこはもう、俺には過去の家だから。それに、あの家には和希と奥さんの思い出があるだろ?だから、俺はあそこには住めない」
「そんな事……」
 彼女は啓太の事も含めてきちんと俺の事を受け入れてくれていた。
 故に、今啓太が帰って来ても何の不都合があるというのか。
「『そんな事』じゃないよ。俺には凄い大切な事。11年前、和希と離れる事を決めた時に、二度とあの家には戻らないって決めてた。それに、今は二人だけで考えて、二人だけの意向で生活出来る訳じゃないだろ?」
「そりゃ、確かに子供は居るけど…」
「子供だけじゃない」
 俺の言葉に、啓太は今までにない強い意志を込めた声で反論した。
「和希は俺の考え通り、俺と別れた後に結婚した。きちんと幸せな家庭を作った。あの部屋に住む事を許容した奥さんは凄い人だと思うけど、それだけ和希は愛されてたって事に違いないだろ」
 確かに彼女には助けられた。
 一時は啓太の事も忘れられそうな気がした程、あたたかな家庭の雰囲気を俺に与えてくれた。
 だが、その彼女はもう居ないのだ。
 そしてやはり俺の中に残ったのは啓太への思いだった。
 彼女への思いが今現在全く無いのかと問われれば、それは違うのだけれど。
「和希が奥さんの遺品を寝室に置いてるの、俺、知ってるよ」
 俺の心を読む様に、啓太は言葉を続ける。
「和希が未だに奥さんの事を思ってるのも知ってる」
「だから、それは啓太との想いとは違うって…」
「当然、それも解ってる。でも、俺は和希の奥さんが俺の事を大事にしてくれた様に、俺も彼女の事を大事にしたい」
 啓太は強く言い切ると、ソファから立ち上がってリビングの飾り棚の引き出しの一つを開けて、何かを取り出した。
 再び俺の前に座って、手にして来た物を俺に差し出す。
 それは、茶色のよくある形の大きな封筒だった。
「……これは?」
「中見れば解るよ」
 俺の疑問に啓太は簡潔に答えて、その先の行動を促す。
 それに従って、俺は封の開いている封筒の中にあった書類らしき物を取り出した。
 それは、俺が彼女と結婚してから年に一回更新している遺言書だった。
 懐かしい字で書かれていた内容は、俺に衝撃を与えた。
 そこには啓太が見つかった時の為の啓太宛の文章が記されていて、更に彼女のもっていた財産の一部を啓太に遺産として残すという文章が書かれていた。
「……まさか…」
 俺の啓太への執着を彼女は知っていた。
 だが家庭生活の中で彼女があからさまに啓太の話題を出す事は無かった。
 ただ、家の中に啓太の居場所を確保していてくれるだけ。
 その彼女がこんな事を考えていたなんて気が付かなかった。
「その文章、正規の遺言書には無かっただろ?」
 啓太の言葉に神妙に頷く。
 遺言書は当然の様に弁護士から渡されたが、その一文は本当に見た覚えが無かった。
 俺に渡された遺言書は、財産の3分の1は俺に、そして3分の1は息子に渡すという物だけだった。
 その文章を見て俺が思ったのは、残りの3分の1は誰か親族に行く物だと自然と納得した。
 彼女も元々資産家の娘だった上に、自分でもかなりの実績と経験を積み上げて財を築いていたので、そんな配分もあるのだろうと思っただけだ。
「一昨年、パスポートの更新の時に、9年ぶりに実家に連絡を取ったんだ。その時にこの遺言の存在を知って、その遺言書に添えられてた俺宛の手紙の中で、それを使って和希と子供を頼むって言われた。だから去年、和希に会いに来たんだ」
 去年、ただ10年という区切りで会いに来てくれたとばかり思っていた啓太の意外な行動に、啓太の顔を茶封筒を代わる代わる見つめる。
「本当は和希に会わないで、弁護士さんに直接断るつもりだったんだ。新しい家族を手に入れた和希には、もう俺は必要ないと思ってたから。その遺産も放棄して、また元の海外青年派遣団に戻るつもりだった。でも弁護士さんから和希の様子を聞いて、彼女が会った事も無い俺に遺産と言葉を託した意味がよく分かったから、戻って来たんだ」
 という事は、啓太の中では本当は俺は終わった人間なのだろうか。
 再会して沢山キスをして、セックスもして来たというのに。
「…じゃあ、啓太がこの家を建てたのは、俺から離れる為なのか?」
 あの家に戻るつもりが無いのではなく、根本的に俺に戻るつもりが無いという事なのか?
 今年一年、啓太から感じていた愛は、俺の思い違いだったのだろうか。
「離れるつもりなら、こんな所に家なんか建てないよ。それに太一も言ってただろ?『ここは僕の家だ』って」
 確かに玄関先でそんな事を言ってはいたが、俺には理解が出来ない。
「太一を、引き取るって言いたいのか?」
「そう言う事」
 啓太の息子への愛情は疑う余地はない。実の子供の様にかわいがってくれているのは解っていたが、何故そんな話になるというのだろうか。
 呆然とする俺に、啓太はにっこり笑って前言を撤回した。
「うそうそ。そんなことじゃないよ。そんなにあっさり信じるなよ」
 からからと俺の事を笑う啓太に、少しの憤りとそれ以上の安心を感じてがっくり力が抜けた。
「ただあの子に『ここに住んでもいいんだよ』って言ったら、即答で『住む!』って返って来たから、ちょっと和希もからかってみた」
「おまえなぁ…」
 息子の薄情さにもちょっと泣きそうだが、なにも今日この日に俺をからかわなくてもいいではないかと、俺の精神状態を一番知っている筈の啓太を恨めしげに見る。
「まあ家の事に関しての結論から言えば、和希と太一がここに越してくるならまた一緒に住もうよって事なんだけどさ」
 昔、二人で選んだリビングテーブルの上に置いてあった紅茶に手を伸ばして、啓太は一口口に含む。
 そして、俺が持っていた茶封筒の上に、更にもう一つ白い封筒を置いた。
「……これは?」
「開けてみて」
 何もかも言葉にしない啓太に違和感は感じたが、それでも言葉の通りにその封筒を開ける。
「……これって…」
 それは、遺産放棄の書類だった。
「啓太、なんで?」
 俺の事は置いておいても、太一の面倒を見て育ててくれている啓太には、きちんと受け取る理由がある筈だ。
 それに彼女が啓太に残した財産は、一般的に見れば結構額は大きい。
 今定職についていない啓太には必要な物だと思う。
 勿論、今現在啓太を縛っている俺だって、将来的に啓太が困らない様に考えてはいるけれど、さっき啓太は彼女の気持ちを大切にしたいと言ってくれたばかりだ。
 なのに、彼女の気持ちは受け取れないと俺に言う。
 その理由はいかにも啓太らしい物ではあるけれど。
「流石にそんな金額貰えないし、俺にだって男の沽券がある」
「でも、実際子供の事で啓太の事を縛ってるんだから、このくらい受け取ってもいいだろ?」
「和希の『このくらい』ってどの範囲だよ」
 俺の言葉にあからさまに啓太は眉を顰めた。
「でもそれじゃあ、この家はどうしたんだよ」
 今までの話の流れで、啓太は普通に相続をしてこの家を建てた物だと思っていた。
「俺が建てたに決まってるじゃん。伊達に何年も海外で稼いできてないよ。…あとは和希の頑張りの御陰かな?」
「俺?」
 話の内容があまりにも飛び過ぎていて、どうにもついていけない。
 元々突拍子も無い事をする上に、啓太は核心を遠回しに言う癖があった事を思い出した。
「今、和希は俺が何の収入も無いと思ってるだろ?」
「…まあ、そうだな」
 毎日俺の家に通ってくれていて、更に家の中の雑事、子供の世話に至るまで、普通の主婦と同じ動きをしている啓太が外で収入を得ていられているとは思えない。
「去年、和希の家の面倒を見ようと決めた時、貯めてた金である会社の株式を買ったんだ」
 その言葉で、流石にピンと来た。
 世界の動きも相まって去年は少し値下がりさせてしまっていたし、でも啓太が側に居てくれる様になって仕事に専念出来た御陰か、それは今回復傾向にある。
「その他にも何社か株式を購入して、一応その上がりで今は生活は出来てる。まあそれでも太一に手がかからなくなった頃にはまた外で働こうかとは思ってるけどさ。だからそれまでは、俺の生活は和希にかかってるから、よろしく」
 昔では考えられなかった啓太の打算的な笑顔に、呆気にとられてしまう。
 だがそれでも、彼女の遺産を受け取ってくれれば、俺たち親子との絆はより深まる気がして茶封筒を啓太に差し出した。
「やっぱりこれ、受け取ってくれ」
「ヤダ」
 笑顔の即答に、再びがっくりと力が抜ける。
「そんな即答しなくても…」
 言葉遊びのような緊張感の無い雰囲気に、力んでいた心が解れていく。
 けれど、そんな和やかな雰囲気はやはり上辺だけだった。
「だってそれ受け取っちゃったら、俺、名実共に2号さんになっちゃうじゃないか」
「2…号さん?」
 言葉の意味はわかるけれど、あまりにも不相応な言葉に呆気にとられてしまう。
 今も昔も俺が愛しているのは啓太で、当然それは彼女と優劣をつけられる物ではない。
 二人とも、別の気持ちで接していたのだから。
 そう考えた俺に啓太が告げた言葉は、いかに俺が他人に依存しながら甘い考えで生きて来たかを突きつける物だった。
「和希が俺との関係をどう思おうと、和希が家庭を作った時点で、俺は世間的に言う『2号さん』なんだよ?それは奥さんが承認してくれているからとか、今は居なくて和希が愛してるのが俺だけだとか関係なくて、俺はそう言う立場だって自覚してるし、そう思って和希の元に戻って来た。それでも、自惚れかもしれないけど太一には今は俺の存在は必要で、和希は俺の事を愛してくれてる。だからといって和希が『奥さん』と過ごしていたあそこに住もうと思える程俺は厚顔じゃない。だけど、和希の奥さんはきっと俺がそう言う気持ちになる事を見越して俺に財産を残してくれた。その遺言書は、和希の奥さんが俺を囲う為に用意した物だよ」
「囲うって、そんな…!」
「言葉は悪いかもしれないけど、金を渡して操を確保するのってそう言う事だろ」
 啓太の言葉は別に間違えではない。
 けれど。
「それは人によって受け取り方が違うだろ。現に啓太は今俺たちの家族になっていて…」
 三人で笑って暮らしていて。
 三人それぞれ、お互いの事を愛していて。
 それが『家族』と言わないでなんというのだろう。
「そう、『人によって受け取り方が違う』んだよ、和希」
 俺の言葉を繰り返して、啓太は笑顔を消した。
 その後の啓太の言葉は、この10年俺が啓太に『何故』と問いかけ続けた物の答えそのものだった。
「俺たちの中で何を思おうが、それは人には理解されない。俺だって和希の奥さんが悪意を持って俺に遺産を残したなんて思ってないし、心底和希の事を思って俺を望んでくれた事もわかってる。今彼女が生きていたらどうだったかなんてわからないし、その遺書はあくまでもあの時彼女が亡くなったから俺の所に届いた物だろ?だけど、その彼女の後釜を望んでいた人はきっと居る。今は鈴菱の社長になった和希の奥さんになりたい人なんて、いい人から悪い人まで山ほど居るだろ。和希自身の魅力もあるし、和希とは関係ない世間的な力のみを欲しがる人だっている。俺は、そういう悪意のある人から和希と太一を守りたいから、それは受け取らないんだ。そうする事が、俺は彼女の意思に沿う事だと思ってる」
「じゃあ、昔啓太が俺と別れたのって…」
 俺の知らない所で、啓太はそう言う目にあっていたという事に他ならない。
 それに気が付けなかった自分の愚かしさに呆然としてしまう。
「別に俺が言われたからじゃないよ。まあ、言われなくてもあからさまに態度で示してくれる人もいたけど。俺はあの時俺が和希の利権に縋ってると思われたのが嫌だった訳じゃなくて、『そういうヤツを側に置いている馬鹿な男』っていうレッテルを和希が張られるのが嫌だったんだ。で、それは今も当然同じで、その上太一が大きくなってどうして男の俺が和希と一緒に居るのかを考えた時に、少しでも正当化出来る要素を増やしたいだけなんだ」
 何をどうしようが、どうしてもつきまとってしまう問題。
 俺が子供の頃から鬱陶しくて仕方なかった事実。
 その全てを受け入れて、過去に別れを選択して、そして今側に居てくれる。
 どうしてこんなに愛してくれるのだろう…。
「…俺が女だったら、啓太にそんな思いさせずに済んだのにな」
「和希が、女?俺じゃなくて?」
 啓太の事を抱いている俺が言うのに違和感があったのか、啓太は目を見開いて続きを促してくる。
「だってそうだろ。俺が女だったら啓太と普通に結婚出来て、鈴菱の家からも離れられてさ。啓太の子供生んで、普通の家庭を二人で作れただろう?」
 俺の作った家庭は普通とはやっぱりちょっと違っていたのだろうけれど、それでも啓太が示してくれた普通の幸せを味わったからこそ、余計にそう思う。
 なんで俺は男で、啓太に『普通の幸せ』を与えてあげられないのだろうって。
 俺が離れられればいいのかもしれないけれど、やっぱりそんな事は出来なくて。
 俺は、啓太程強くない。
「やめてくれよ。和希が女なんて気持ち悪い」
 ぷっと吹き出して、思わず想像してしまったのか、啓太は嫌そうに手を振る。
「そうか?啓太が女だって考えるよりは、俺の方がいいお嫁さんになると思うけどなぁ。裁縫も編み物も得意だし、掃除も啓太より出来るし」
「うるさいな。埃じゃ人は死なないからいいんだよっ」
 昔から『掃除』の単語を出すと嫌がる啓太が変わらなくて面白い。
 一緒に住み始めた頃には出来なかった料理が出来る様になっていても、相変わらず掃除だけは苦手なようで、今でも週末の俺の時間は掃除に費やされている。
「あー、でも」
 俺の女想像から家庭想像に思考が移ったらしい啓太がぽろりと零した言葉は、思いもよらない物だった。
「和希が女だったら、今頃俺、童貞じゃないよな」
「……啓太、彼女作らなかったのか?」
「あっ!」
 慌てて口を塞いでも、もう聞いてしまった物は聞いてしまった。
 いくら俺から離れた理由が俺の為だったとしても、まさか貞操まで捧げてくれていたとは思わなかった。
「ふーん。人には結婚しろとか子供作れとか思ってた割りには、自分は全然だったんだ?」
「俺はいいんだよ!根っからのホモだから!」
「嘘付け。何回啓太の部屋でエロ本見つけたと思ってるんだよ」
 使用してたかしてないかなんて、同じ男だから何となく雰囲気でわかってしまう物だ。
 昔はそれに嫉妬してた事もあったけれど。
「啓太…」
 真っ赤な顔をしてそっぽを向いている啓太に、少しの冗談を含めて本音を言った。
 誕生日だから、許してくれるよな?
「俺、この家にお嫁に来ていい?」
 俺の言葉に啓太はきょとんとして、一瞬後にぶっと吹き出した。
「あー、お嫁ね。いいよ、貰ってあげる」
 年上なのに、昔から啓太にはとことん守られていて格好わるいったら無い。
 だけど、啓太と居ればきっとそんな自分も愛おしく感じられる。
 笑い続ける啓太の腰を抱き寄せて、唇を塞いだ。
 誓いのキスの様にそっと触れただけの唇は、今までのどんなキスよりも甘かった。
 それは、この先どんな事があっても忘れられない程の甘さだった。

 

 

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