消えないくちづけ Act,4

2009.07.05UP





 ちゅっと音を立てて離すと、啓太が愛おしげに俺の頬を撫でてくれる。
「…かずき」
 甘く名前を読んでくれた啓太を、雰囲気のままそっとソファに押し倒して再び唇を塞いだ。
「んっ…」
 啓太の舌を吸い上げたり逆に俺の舌を差し入れたりしながら絡ませて、お互いの肉を確認し合う。
 啓太の腕が俺の背中に回ったのを合図に、啓太のTシャツの下に手を差し入れる。
 それに呼応する様に、啓太も俺のシャツの下に手を伸ばしてきた。
 その時。

「こんな所でねんねは駄目なんでしょ?」

 不意にこの場所には響いてはいけない声が頭上から響いてきて、驚いて思わずお互いの歯をぶつけてしまった。
 あまりの痛みに二人で口を抑えて悶えながら、この場をどう沈めていいのかフル回転で思い倦ねる。
 男同士じゃなくても、まだ濡れ場を見せるには早すぎる。
 啓太の上で固まった俺を、啓太は力一杯押しのけて、取りあえずと言った感じできちんとソファに座り直した。
「ね、寝てないよ?ちょっと二人でふざけてただけだからっ」
「くすぐりっこ!? 僕もやる!」
 喜び勇んで啓太を押し倒し、しっかりと啓太の服の下に手を差し込んでくすぐる様を見て、どこから見られていたのか察してしまって頭を抱えた。
 そして、このやる気をどこに持っていっていいのか…。
 子供とじゃれ合っている啓太のシャツが捲り上がって見えてしまう肌にも、先程の雰囲気も合わせて気持ちが成長してしまう。
 その上、我が子と言えど啓太を押し倒すのは許せない。
 狭量だと笑われる事は重々承知だ。
 啓太の上から太一を強制退去させるべく、自分の膝に抱き上げた。
「…もう寝る時間は過ぎてるだろ?早く布団に戻りなさい」
 色々な都合上、大人の時間を確保するべく、子供の生活サイクルを口にする。
 だがやはり、邪な心が入っていては説得力に欠けたらしい。
「だって、目が覚めちゃったんだもん。パパとママの寝室に行っても居ないから降りてきたんだよ」
 その言葉に、俺は驚いて啓太を見た。
「俺たちの、寝室?」
 これまで啓太とは主寝室で寝た事は無かった。
 というか、啓太が俺の家に泊まる事が殆ど無かったのだけれど、それでも事に及ぶのは大抵啓太の部屋で。
 勿論啓太の心情も理解しているつもりだったから、俺の寝室で事に及ぶ事は無かった。
 それがこの家には俺たちの寝室があると聞いて、心が躍らずに居られる筈が無い。
「…お嫁にくるんだろ?当たり前だろ」
「啓太…」
 頬を染めて視線を逸らす啓太が愛おしくて、今すぐさっきの続きがしたくなる。
 子供の手前、そんな事は出来ないと理解しているけれど。
 …だが、俺の体は心より素直だった。
「…パパ、ポッケの中にアメ入れてるの?僕には夜は甘いものは駄目だって言ってるのにずるい」
 俺の下半身の固い物を勘違いしてジーンズのポケットに小さい手を突っ込もうとする太一を慌てて止めたが、それが何を意味するかなんて、当然啓太には伝わってしまって。
 だって仕方ないじゃないか!
 さっきまでそんな雰囲気だったんだから!
 俺だってまだ若いんだ!
「パパは今日お誕生日だから特別なの。眠れないならホットミルクでも飲む?それとももう一回絵本読もうか?」
 白い視線を俺によこしながら、啓太は不自然にならない様に太一を俺の膝から下ろして眠りを促す。
 そんな啓太の行動を太一も不審に思う事無く、無邪気に「両方!」と叫んで啓太に手を引かれてダイニングへと向かった。
 取りあえず、二人でソファにもつれていた事を言及されなくてホッとしたが、腕の中から啓太が居なくなった事の寂しさが募る。
 手持ち無沙汰で俺も啓太の後に続いてダイニングに赴き、高揚する気分を隠す事無くアルコールを求めた。
「啓太、ビールある?」
 冷蔵庫の中から牛乳を取り出している啓太に普段通りに聞く。
「俺の好きな銘柄しか無いけど、それでいい?」
「うん。それでいい」
 この後の事を考えて本格的に飲むつもりは無いから、取りあえずアルコールさえ入っていれば何でもよかった。
 一時間気が逸らせればいい。
「おつまみ作る?」
 冷えたビールの缶を渡してくれるのと一緒に言ってくれた啓太の言葉に、俺よりも息子の目が輝く。
 これはヤバい。
 一時間ではすまなくなる。
「……いや、いい…」
 おつまみも魅力的だが、やはり寝室の存在の方が魅力的だ。
 そう思って断ろうとした矢先、やはり邪な心は邪魔される運命にある事を悟ってしまった。
「アボガドのわさび醤油がいいと思うな!」
 俺の言葉を遮って息子から出た言葉に、啓太は苦笑しながらも再びキッチンへ向かってしまった。
 寝室が遠ざかっていく…。
 ちょっと涙が出そうな気がしたが、そんな気分を振り払う様に、これからの予定を啓太に聞く事にした。
「で、啓太。俺たち何時引っ越してくればいい?あと元の家、どうしようか」
 プルトップを押し上げると小気味いい音が懐かしいダイニングテーブルの上に響いて、さっきの話を現実の物として俺に伝えてくれる。
 また啓太と生活出来る。
 これ以上に嬉しい事は無い。
「引っ越しはいつでもいいよ。和希の書斎以外は荷詰めはしてあげるし、この家の部屋は空けてあるよ。もとの家に関しては、元々和希の持ち物だし好きにすればいい」
 キッチンに向かったまま、啓太は何事も無い様に普通に話す。
 それでも少しだけ緊張しているのはわかった。
 これでもう、逃げられないから。
 この家を建てた時に俺から逃げる選択肢は無くしたのかもしれないけれど。
 電子レンジが終了の音楽を奏でて、息子の前にホットミルクが、俺の前にはおつまみが置かれて、テーブルについた啓太も俺に習う様にビールの缶を開けた。
 この家具の前で酒を飲む啓太に多少の違和感を感じて、じっと見つめてしまう。
 そこではたと不思議な事に気が付いた。
「そういえばこの家具、どうしたんだ?俺は捨てたと思ってたのに」
 結婚を機に家の中の家具は…というより、啓太の面影の残っている物は極力捨てたと思っていたのだ。
 俺の気持ちをわかっているにしてもやはり彼女に悪いと思ったし、あの当時は啓太を忘れる努力もしていたのだから。
「和希が捨てていたなら、答えは一つだろ。奥さんがとっておいたんだよ。遺書と一緒にこれの倉庫の鍵も貰ったんだ」
 なんだか、彼女は自分の命が短いのをわかっていたような行動だと思った。
 そして、自分が居なくなった後に俺がどうなるのかもわかっていたのだと思う。
 でも、これだけは俺の気持ちとは少し違った。
「なあ啓太…家具、揃え直さない?」
「なんで?まだ使えるのに」
 それに二人で選んだ物なのに、と、きっと啓太は続けようとしているだろう事を察して、素直に自分の気持ちを言った。
「俺にはあんまり良い思い出の家具じゃないからさ。なんか、この中に居るとまた啓太がどこかに行っちゃう気がするから何となく嫌だ」
 啓太の居なくなった日の光景は、俺の中に染み付いて離れない。
 その日の事が鮮明に思い出されるような物に囲まれているのが嫌だった。
 俺の言葉に啓太は一瞬目を見開いて、その後ふっと小さく笑った。
「…ホントに和希って、ロマンチストだよな」
「そうか?普通だと思うけど」
「しかも女々しい」
「酷いなぁ」
 誰だって嫌な思い出は引き摺りたくないと思う。
 それに、もう俺は誰かを失う事には耐えられないから。
「でも、和希が嫌だって言うなら変えるよ。和希の家の家具、入れようか?」
 今までと同じ雰囲気で暮らしていく事は嬉しいと思った。
 だけど、あの家具は…。
 言葉を選んでいると、啓太はあっけらかんと言い放った。
「俺は気にしないよ。あれだって和希の経歴だもん。それも俺が望んでた物だから、別にあれでもいい。この家具にしたのも、別に深い意味があってした訳じゃないしな」
 啓太の言葉に、少し落ち込んでしまった。
 啓太もあの頃を大切にしてくれていて、この家具を引き取ったと思ったのに。
「…啓太はやっぱり俺の夫かな?」
「そうかもね。どう考えても和希の方が女々しいし」
 啓太はけたけたと笑いながら缶に口を付けた。
 そこで、暫く大人しく俺のおつまみを横からかっさらっていた息子が、今更な質問をしてきた。
「…なんてパパは、ママの事『啓太』って呼ぶの?」
 この同居を望んだ息子が、心底不思議そうに訪ねる。
 まあ、話の流れから息子から見れば普通の夫婦に見えていたのだろうからわからなくもないけれど。
 それでもそこを不思議に思ったのなら、きちんと答える時期に来たのかもしれない。
「啓太はお前の『ママ』じゃないし、啓太は俺にとって『啓太』以外の何者でもないからだよ」
「…僕のママじゃないの?」
「どう考えても違うだろ?啓太は男で、男は子供は産めない。でも、お前の『ママ』とは違うけど、パパの大切な家族なんだ」
 何物にも代えられない人。
 そう伝えると、息子は酷く複雑そうな顔をした。
「それじゃあパパは、僕のママの事は大切じゃないの?家族じゃないの?」
 まさか幼稚園児からそんな質問が出てくるとは思ってなかったので、軽く目を見開いてしまった。
 どうもこの子は、中身は俺と似ている気がする。
 自分もこの頃に親について悩んだなと思い返してしまった。
 本当は啓太の前では言い辛いのだけれど、それでもごまかす事は出来ないと思う。
 自分と同じ道は歩ませたくないから。
「…大事だよ。家族だと思ってるし、今でも愛してる。それは変わらないよ。でも、人って一人じゃ生きられないんだ。お前が啓太の事『ママ』って呼んで心の支えにしたみたいに、パパも啓太が心の支えなんだ。お前のママの事も愛していたけど、啓太の事も愛してるんだよ」
 俺の言葉に息子は難しそうに眉を寄せて黙り込んだ。
 まだ難しかったかなと他の言葉を探していたら、眉間に皺を寄せたまま、今度は啓太に質問が飛んだ。
「マ……」
 いつもの様に『ママ』と呼ぶ物だと思っていたら、途中で言葉が途切れて視線をさまよわせ始める。
 さっきの俺の説明に、きっと迷っているのだろう。
 あうあうと小さな口を開け閉めしている息子に、啓太は小さく吹き出した。
「別に良いんだよ、今まで通り『ママ』って呼んでも。あくまでも俺は太一のママの『代わり』でしかないけど、太一がそう呼んでいたい間はそれで良いんだ」
 困惑している子供の頭を撫でながら、心を解す様に啓太は『今まで通り』を促す。
 それに対して息子は更に難しそうな顔をして、啓太を上目遣いで見上げた。
「…ママはそれでいいの?だれかの代わりでいいの?それに、パパはママだけを愛してるんじゃないって…いいの?」
「いいんだよ。ちゃんと俺にそう言ってくれる太一の事もパパの事も俺は愛してるから。そう言ってくれるって事は、俺に隠し事をしないで、きちんと大切にしてくれているってことだろ?だから、俺は嬉しいよ」
 心底幸せそうに啓太は笑って、再び缶に口を付けた。
 それでもまだ息子は納得していないようだけれど。
「…僕だったら、嫌だな。総一郎君が他の子の事愛してるなんて言ったら」
「それは人によって違うんだよ。いいじゃん、太一は太一の愛を見つければ」
「……うん」
 ホットミルクを見つめながら真剣に啓太と『愛』について話しているが…。
 大切な話なのも解っているけど…。
「………あの、その…太一と総一郎君って…聞いてもいい所?」
 何か以前も言っていた気がする気になる関係だ。
 子供のおふざけと聞き流していいのか…。
 でも、俺と出会った当初の啓太の年齢を考えると、もう息子にも注意しなければいけないような…。
 冷や汗だくだくで質問した俺に、息子と啓太は一緒ににっこりと笑って。

「「愛って大切だよね」」

「た、大切だけど!それとこれとは話が違うだろ!どう考えてもまだ早いだろ!太一はまだ5歳だぞ!?」
「えー、早いかなぁ? 俺だって和にいが初恋だし」
「ママ、『和にい』って誰?」
「ん?知りたい?」
「まだ言っちゃ駄目ー!早いから!絶対早いから!」
 もし息子が俺と啓太の経歴を知って、『初恋は貫くもの』とでも思ったらどうするんだ!
 啓太を愛している俺が言うのもなんだけど、総一郎君は男の子なんだ!
 ヤバいだろ!
 思いっきり慌てふためいて啓太の口を抑えようと立ち上がった俺を啓太はするりと躱して、ホットミルクを飲み終わった息子の椅子を引いた。
「ほら、もう一度歯磨くよ。もう寝ないと明日幼稚園辛いよ」
「ねえねえ、だから『和にい』って誰?」
「さて、誰かな〜?」
「だから言っちゃ駄目だから!啓太!」
 俺の困惑を笑い飛ばして、啓太は息子を抱きかかえて洗面所に消えてしまった。
 そして洗面所からは未だに『はるにいってはれ?』と、あからさまに歯を磨かれながら息子は食い下がっている様子が聞こえる。
 俺は今幸せだけど、それでも息子に同じ道の苦労は味あわせたくない訳で。
「啓太様!お願いですから言わないで!」
 ダイニングでで一人吠えるのだった…。





 俺の誕生日と一番近い吉日を選んで、俺と息子は啓太の家に引っ越した。
 とは言っても、引っ越し準備の殆どは啓太がしてくれたので、俺たちは殆ど身一つでこの家に来たような物だ。
 前の家よりも多少手狭だけれど、これはこれで居心地が良い物だと思う。
 何よりも毎日啓太が共に生活をしてくれて、別れの時間を気にする事もない。
 そう、別れは無いんだ。
 この一年…いや、昔から恐れていた物はもう無い。
 このままここで啓太と一緒にゆるゆると年をとって、息子を送り出すのだろうと思うと、幸せで仕方が無い。
 啓太と彼女が共に作り上げてくれた俺の幸せは、今、揺るぎない物として手元にある。
「啓太」
 庭で遊んでいる息子の目を盗む様に唇にキスを仕掛けると、啓太は真っ赤になって俺の顔を押し戻した。
「昼間っからなに考えてるんだよっ」
「いいじゃん、いつでも。今啓太とキスしたいと思ったんだから」
 幸せによっていると、啓太はちょっと眉を寄せた。
「一緒に暮らし始めても、今までと変わらないのがいい。…もう一緒に居るのは特別でもなんでもないんだから」
 啓太の一言は、余計に俺をつけあがらせる物以外の何ものでもなくて。
「一緒に住んでるんだから、キスくらい日常だろ?別にいいだろ」
「だからって、子供の目もあるのに…」
 リビングで小声で言い合っていると、庭の一角に啓太が作った砂場に居る息子からリビングとは反対方向に声が発せられた。
「僕、なんにも見てなーい」
 啓太と二人で驚いて黙々と砂で何かを作っている様子の小さな背中を見て、再び視線を合わせたら、自然と笑いがこみ上げた。
 一頻り笑った後、緩んだ俺の頬に啓太は小さくキスをしてくれた。
「『日常』でするのはコッチ」
 頬を染めながら、啓太は小さい頃に俺が啓太に贈っていたキスを示す。
「…そうだな」
 啓太に習って俺も啓太の頬に昔と同じキスをしたら、啓太の頬は大人になったからか昔と少し感触が違った。
 けれど、それが逆にとても愛しく感じる。
 贈り合うキスの感触は変わっても、それでも変わらない、消えない物を俺は手に入れた。

 

 

END

 


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