消えないくちづけ Act,2

2009.06.19UP




 6月に入ってすぐに、毎日家に通ってくれていた啓太が、3日程来れないと言い出した。
「なんで?どこか行くのか?」
「まあそんなとこ」
 いつもの食後のコーヒータイムに出た話題に、啓太は曖昧な返事をする。
 返事の仕方は気になったが、それでも啓太にも予定はあるだろうからと流そうとした。だが何故か啓太の隣の太一がくすくすと笑い出した。その太一に啓太は肘で何かの合図をする。
 二人の奇妙な雰囲気に、この時期不安定になる俺の心が大きく揺れた。
「…なに?」
 不機嫌を隠す事無く問いかければ、啓太だけではなく太一までも「なんでもなーい」と言葉を濁す。
 自分だけ知らない疎外感は確かにあったが、それでも啓太の隣で子供は笑っている。
 という事は、すなわち自分達親子にとって悪い事ではないのだろう。
 問い質したい気持ちを押し込めて、最低限の確認をする。
「でも、俺の誕生日には一緒にいてくれるんだろ?」
 以前『準備がある』と啓太は言っていた。
 だから、その日の啓太の予定は俺で埋まっているのだと信じていた。
 故にあくまでも『確認』の為に問うたのだ。
 けれど、啓太の口から出た言葉は酷く曖昧だった。
「それは、和希によるかな」
「…なんだよ、それ」
 俺の気持ちなど解りきっている筈なのに、どういう意味だろうか。
 啓太の言葉を計りかねて、思わず唇を尖らせてしまう。
「あー、パパ、いじけた!」
 息子の楽しそうな声にも押されて、更に気分が降下する。
 俺はハッキリ言って、びっくりどっきりは好きではない。
 普段だっていくらでも驚くような事象はあって、それに右往左往しなければいけないのに、何故進んでそれを受けなければならないのか。
 それに啓太の用意するびっくりどっきりは、過去の事も相まってきっぱりとご遠慮願いたい。
 けれど、びっくりどっきりは用意する方はとてつもなく楽しい物だ。
 それを理解してしまっているから、楽しそうな啓太と息子に水を差す事も出来やしない。
 とにもかくにも、今の啓太の言葉で啓太が指定した『3日間』以外は今までと変わらないであろう事を想定して、話を流す事にした。


 誕生日当日。
 俺は啓太に指定された通り普通に仕事に出て、定時の5時を過ぎても、啓太に指示された通り1時間の残業をして帰途についた。
 本音は定時で飛んで帰りたかったが、珍しく朝から家に来てくれた啓太に念を押されて渋々言葉に従ったのだ。
 今日は朝から啓太が来てくれた事で上機嫌な息子を啓太に託して、逸る気持ちを抑えて仕事をした。
 別に自分が年を取る事が嬉しい訳ではないけれど、啓太が側に居る事を自覚出来るのは、やはりこの日が一番だからだ。
 去年までの苦しさはもうないと、確認したいだけ。
 そんな気持ちで家の玄関を開けた俺は、当然中には啓太と息子が居る物だと思い込んでいた。
 だが、中には誰もなかった。
 ドキリとした。
 けれど啓太の言っていた『準備』という言葉を思い出して、これもびっくりどっきりの一つかと思い、小さな声で「ただいま」と言ってみるけれど、やはり返事はなかった。
 とても嫌な気分だ。
 いつかの光景を思い出してしまう。
 そして電気のついていない暗いリビングに足を踏み入れて、思い出したいつかの光景をまざまざと見せつけられた。
 誰もいないリビングテーブルの上には一通の手紙が置いてあった。
「……うそだろ?」
 現実を受け入れたくなくて、俺は啓太用に誂えた部屋に駆け込む。
 そこは、いつかの様に家具が無くなっている事はなかったが、それでも整然と整えられている部屋の中に違和感がつきまとう。
 それに息子の姿もない。
 子供部屋を覗いてみても、どうやら一度幼稚園からは帰って来ていたようで、姿はなくともその証の様に制服がいつもの場所にかけられていた。
 家の中に一人きりなのを確認し尽くして、再びリビングに戻る。
 そして、テーブルの上に置いてあった、毎年送られて来ていた啓太からの手紙を恐る恐る手に取る。
 封を開ける時は、思わず手が震えてしまった。
 また内容が別れを告げる物だとしたら…。
 だが、拭いきれない恐怖を感じながら開いた便せんには、俺が思っていたような別れの言葉はなく、簡単な地図と、いつもの四葉のクローバーの代わりの様に一つの鍵が入っていた。
 そして補足の様に「よかったら来て」と見慣れた字で書かれている。
 その鍵を手の平に落として、はて、と考え込む。
 現在啓太は俺の家の近くのマンションに住んでいて、そこの鍵は既に貰っている。
 という事は、この鍵は別の場所の鍵だという事だろう。
 取りあえず、手紙の内容が別れの言葉ではなかった事に安堵して、啓太が指示した場所に向かう為に、スーツからラフな外出着へと着替えた。


 啓太の指定した場所は、俺に家から徒歩10分程の住宅街だった。
 そこは最近開発された区画整理が整った場所で、環境も立地も問題ない一般的な住宅が並んでいた。
 その中の一件の表札に、目を奪われた。
 そこには『伊藤』と書かれていた。
 啓太が俺の家に残していった手紙にある住所と照らし合わせれは、指定されていたのは紛れもなくその家だった。

 混乱する頭を何とか落ち着かせて、取りあえずチャイムを鳴らしてみた。
 だが、自宅と同じ様にそのチャイムに反応はなかった。
 知らない家に勝手に鍵を差し込むのは気が引けたが、それでもここは指定された場所だったので、そっと鍵穴に渡された鍵を差し込む。
 真新しい玄関の扉は、その鍵で簡単に開いた。
 玄関を開けると、その音に気が付いたのかバタバタと走る音が響いて来て、太一が顔を覗かせた。
「……お前、なんでこんな所に居るんだ?」
 表札から考えれば啓太の家なのだろうが、なんだか息子の行動を見ている限り、この家に来たのは初めてではなさそうな感じがする。
「だって、ここ僕の家だもん」
「はあ?」
 先程帰った家の中には、今まで通り太一の荷物は子供部屋にあったし、何よりこんな家の存在は俺は知らない。
 啓太の家は、普通の賃貸マンションだった筈だ。
 玄関先で悶々と考えていると、家の奥から啓太がいつものエプロン姿で現れた。
「ちゃんと時間通りだね。えらいえらい」
 まるで子供の様に頭を撫でられても、何がなんだか解らない。
 呆然と啓太の顔を見ていると、啓太は小さく笑って家の中に俺を招き入れた。
 そして、通されたリビングに俺は驚いた。
 そこには嘗て啓太と二人で使っていた家具が、配置は換わっていても揃えられていたのだ。
 今の自宅は、啓太と住み始めた場所と同じ家だったが、流石に結婚を機に内装は変えていた。
 久しぶりの感覚と驚きに声も出ない。
 リビングの入り口で再び固まってしまった俺を、啓太は笑いながら俺の誕生日用の食事が整えられたダイニングの席へと促した。

 

 

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