消えないくちづけ Act1,

2009.06.09UP




「パパとママはどうして『べっきょ』してるの?」
 年も押し迫った週末の夜、食後のコーヒータイムに出た子供の言葉に、俺と啓太は盛大に噴出した。

 昔、啓太と俺の間にあったことを乗り越えて、今は二人、以前のように幸せに暮らしている。いや、以前よりも幸せなのかもしれない。相手がすぐそばにいる事の幸せを、以前よりも感じることが出来るようになったから。
 毎日顔をあわせて、日々の言葉を交わす。けれど、どうしても出来ないことがあった。
 それは、『同居』。
 以前のように啓太が突然消えるはずは無いとわかっていても、どうしてもあの時の片付いた部屋の様相が忘れられない。あの空虚感をもう一度味わうのではないかと、心のどこかで疑っているのだろう。
 死別した妻との間の子供は、今はもう幼稚園に通っていて、時間が不規則な俺の代わりに、啓太が日中の世話をしてくれるようになった。
 子供、「太一」は妻の面影を強く残した啓太を『ママ』と呼ぶ。最初のころは注意していた啓太だったが、最近は「それで少しでも寂しさが薄れるなら」といって、好きなように呼ばせるようになった。

「べ、別居なんて、ずいぶん難しい言葉を知ってるんだね、太一は」
 少し引きつりながら、啓太は必死に笑顔を作って太一に語りかける。
「今日ね、幼稚園で総一郎君が泣いててね。理由が『パパとママがベッキョすることになっちゃったから、パパになかなか会えなくなっちゃう』ってゆってたの」
 子供の話は時に中々へヴィーだと思う。思わず入園式で顔をあわせた総一郎君の両親の様子を思い出そうとしかけて、慌てて止めた。人様の家庭の事情なんか、別に知りたくない。
 必死に俺たちに話しかけていた太一の手に持たれていたスプーンから、啓太が太一に食後のデザート用に作った苺のゼリーの欠片がポロリと落ちる。それをすかさず手でキャッチした啓太は、ぱくりとそれを口に含んだ。こうやって見ていると、違和感無く親子に見える。母親似の太一は、啓太の子供のころによく似ているし、啓太は俺の子供だということもあるのか、掛け値無い愛情を注いでいる。
「太一、おしゃべりは食べた後にしなさい」
 ちょっと父親らしく注意すると、こちらは俺に似てしまったのか、しっかりとスプーンをテーブルにおいて、『食べる』事に集中するのではなく、『話』に集中したいのだと主張した。
「よそのおうちのパパとママは同じおうちに住んでるのに、どうしてうちのパパとママは別のおうちに住んでるのか、僕、知りたいんだよ」
 つたないしゃべり方でも、なぜか意思をはっきりと主張できるところがちょっと可愛げが無いと思ってしまうのは、自分もそう言われて来たからなのだろうか?
 太一の質問に啓太は小さくため息をついて、小さな子供に対峙するのではなく、一人の人間に対峙するように太一に話し始めた。
「ここは太一の仏壇にいるママとパパの家なんだよ。俺の家じゃないんだ。だから俺は『帰る』んだよ」
「でもパパとママはあいしあってるフウフでしょ?けんかもしないし、ぼくと総一郎君みたいに、いっぱいチュウだってしてるじゃないか。同じおうちに住んでないなんておかしいよ」
 真剣に話すつもりだった啓太も、当然俺も盛大に咳き込んだ。
 ちゃんと寝てるのを確認してからしてたつもりなのに、いつの間に見ていたんだ…。それよりも、何か聞き捨てなら無い事を聞いた気がするんだけれど、これはココで突っ込むべきなのだろうか?
 俺たちの言葉が続かないのを見て取った太一は、勢い込んで啓太に話す。
「ママは僕と一緒に居たくないの?それともやっぱり総一郎君のおうちみたいに、パパと一緒に居たくないの?」
 前々から啓太が帰る時には多少の駄々をこねていたが、今日のこれはいつものものとは違うことは俺たちにもわかった。太一は世間の夫婦のあり方を、家族のあり方を俺たちに求めている。俺自身も子供の頃には喉から手が出るほど欲したものだ。だからこそ、どんなに忙しくても自分の子供にそんな思いはさせまいと頑張っている。そして啓太もそれを理解してくれて、手伝ってくれている。けれど、極論の「同居」に関しては、どうしても俺から言い出すことは出来なかったから…。
 子供に対して少しの申し訳なささを感じたところで、太一は我慢の限界とばかりに叫んだ。
「ほかの子はいつもママと一緒にいれるのに、どうして僕は一緒にいられないの!?」
 真剣な太一の目に、啓太は再び小さくため息をついて、ちらりと俺を見た。
 一方、見られた俺といえば、きっと子供と同じ目をしていたと思う。
 啓太の言葉が聞きたい。
 啓太の考えを聞きたい。
 俺とこれから先の生活を共にしてくれるのか。
 それとも、俺たちの関係はこのまま「恋人」で終わるのか。
 全てを経験した俺たちの今後は、どういうものなのか。
「…和希は、また俺と住む気あるの?」
 以前の事を思い出させるように、啓太は俺を見つめる。
「…啓太次第だよ」
 臆病者の俺には、これが精一杯の言葉だった。昔は俺から言い出した同居だった。その結果、啓太を悩ませて、俺自身をも追い込む事になってしまった事で、啓太に関しては昔のように自信を持って行動できなくなってしまった。

 もしかしたら、また一人相撲なのかもしれない。
 全て説明したはずなのに、全て俺の気持ちを打ち明けたつもりなのに、伝わっていないのかもしれない。

 そんな想いがいつも心の中に渦巻いて、素直になれない。
 啓太が俺の様子をじっと伺っているのは分っていたけれど、俺は口を開かなかった。
 訪れた沈黙を破ったのは、啓太の小さな溜め息だった。
「…この話はもう少し待って」
 啓太はそう言うと、空になったカップをキッチンへ片付けた。


 そんな遣り取りがあってから半年。
 季節はすっかり梅雨になっていて、そろそろ俺の誕生日が近付いてこようと言う頃、啓太に誕生日の日の予定を聞かれた。
 今年は傍で祝ってくれる。それが何より嬉しくて、いっそその日は仕事を休んでしまおうと提案した俺の言葉は啓太に却下された。
「良い大人が、自分の誕生日で仕事休むなよ」
 …確かにその通りだ。けれど、啓太の何か考えている様な目が不安を煽る。
 傍にいてくれる嬉しさの反面、また離れられるのではないかという恐怖が、この日には特に強くなる。
 怯えた心を隠しつつ、啓太に当日のスケジュールを告げた。
「分った。でも、絶対6時までは帰ってくるなよ」
「6時?なんで?」
「色々準備があるからだよ。楽しみにしてて」
 悪戯っぽく笑った啓太の顔に、俺は笑みを返すしか無かった。

 

 

NEXT

 


TITL TOP