「かずにぃ、これ、葉っぱが4つになってるよ?」
「これはね。四葉のクローバーだよ。これを持ってると幸せになれるんだ」
 そう言って、小さな紅葉の様な手にそっと乗せた。


クローバー

2006.6.15UP




 

啓太が俺の元を去ってから、10回目の誕生日が来た。
 10年前の俺の誕生日だったあの日。
 「愛してる」と書かれたカードと、青々とした四葉のクローバーを残して、啓太はその姿を消した。
 理由はわからない。
 高校を卒業して、一緒に住み始めてすぐの事。
 仕事から帰った俺を迎えてくれたものは、静寂に包まれた暗い部屋。
 啓太の部屋は、まるで最初から誰もいなかったかの様に綺麗に片付けられていて。
 そのがらんとした部屋の真ん中に立ち尽くして、『何故』と、幾度となく心の中で繰り返した。
 前の日も、愛を囁き合って体を重ねて。
 二人の生活の中、啓太が笑顔を崩す事はなく。
 これから先の幸せな二人の時間を、疑う様な行動も、言動も、何一つなくて。
 それなのに、そこには堪え難い現状が確かにあった。
 俺は必死になって啓太の行方を探した。
 啓太の通っていた大学。
 バイト先。
 実家。
 果ては啓太より前に卒業した、啓太に関係の少しでもある友人達にまで、一件ずつ聞いて回った。
 当然探偵も雇ったが、啓太の行方は依然として掴むことは出来なかった。
 その一年後。
 俺の誕生日に、啓太からカードが送られて来た。
 それには、啓太が出て行った時と同じ様に四葉のクローバーが添えられていて。
 名前の記入はあってもリターンアドレスの無いそれを、必死になって調べた。
 だが、依然として啓太の行方はわからない。
 その後も、誕生日の度に啓太からカードと四葉のクローバーが送られて来た。
 毎年毎年、必ず6月9日に俺たちの家に届く四葉のクローバー。
 カードには俺の幸せを祈る、癖のある文字。
 幸せを呼ぶ筈の四葉のクローバーに、俺は幸せの亡がらを見せつけられている気がした。
 そして、3年が過ぎた頃。
 俺は半ばヤケで、親の勧めるお見合いをした。
 俺と啓太の仲を知っていた両親は、俺が興味を引きそうな、啓太によく似た女性を連れて来た。
 親の気遣いは理解出来たが、所詮は啓太ではない。
 相手を目の前にした時、自分の愚かさを自覚した。
 仲人の居る席を離れ二人になった時、俺は啓太の事を彼女に告げ、自分の馬鹿な考えを謝罪した。
 そんな俺を、彼女は笑って全てを受け入れてくれて。
 その優しさで、俺を包んでくれた。
 彼女といれば、啓太の事も過去に出来る様な気がして、そのまま結婚した。
 すぐに子供も出来て、俺の頭から啓太が消える瞬間が出て来て、『普通の幸せ』な日々に慣れて来た頃。
 彼女はあっけなく交通事故で死んでしまった。
 啓太によく似た彼女は、啓太によく似た子供と俺を残して。
 「彼を諦めないで」と俺に言い残して。
 結婚してたったの2年。
 見つけられたかの様に見えた瞬間に、幸せは俺の手の届かない所に行ってしまう。
 子供を腕に抱きながら、俺は再び立ち尽した。
 相変わらず誕生日に届くカードは、俺の幸せを願う言葉で埋め尽くされていて、孤独感を助長させる。
 そして、四葉のクローバーも相変わらず俺に幸せだった日々を見せつけてくる。
 もう、気が狂いそうだった。
 『俺』という人間を作り上げた啓太も。
 悲しみの淵から救い上げてくれようとした彼女も。
 あっけない程簡単に、俺の側をすり抜けて去って行った。
 それでも何とか、子育てと仕事で日々を暮らして。
 子供は日々、すくすくと成長して、最近はよく母親の事を聞いてくる様になった。
 書斎に置いてあるアルバムを勝手に引っ張り出しては、写真の中の彼女に話しかけている。
 その様子が可哀相に思いながらも、俺は他の誰かと結婚する気には更々なれなかった。
 彼女との『普通の幸せな日々』を経験しても、啓太への想いが俺の中から消える事は無かったから。
 『良い思い出』にするのには、輝き過ぎた日々。
 長い年月をかけても、啓太が俺の中から消えてくれる事はなくて。
 変わらずに送られてくるカードと四葉のクローバ−に、啓太の俺への変わらない愛を見ようと必死になって。
 そして、10年が過ぎた。
 今年もまたいつもの様にカードが送られてくるのだろうと、近付いてくる日を眺める。
 だが、今年は違っていた。
 誕生日の二日前に啓太から届いたのは、いつものカードではなく手紙だった。
 そこには探し求めた啓太の行方が記されていて。
 更に、待ち合わせの時間と場所が書かれていた。
 俺は戸惑った。
 いや、正確には動揺した。
 あんなに追い求めていたのに、いざ啓太を目の前にする事が出来る現状が、なんだか空恐ろしいものに感じられて。
 また、普通の笑顔で去って行く啓太を見なければならないのか。
 それは、何ものよりも堪え難い。
 けれど、啓太に会えると言う誘惑に、勝てる筈も無く。
 そして、誕生日の今日。
 俺は、啓太の指定したホテルの一室のドアの前にいる。
 緊張で、なかなかドアをノック出来ない。
 会ったらまず、何を言おうか。
 あの日、突然消えた理由を問いただすのか。
 毎年送られてきたカードと四葉のクローバーの意味を聞くのか。
 それとも、心痛を与えられた事に対する憤りで、殴ってしまうのか。
 思考は止まる事無く、俺の中を駆け巡る。
 そんな俺の思いを他所に、目の前の扉が何の前触れも無く開いた。
「あ・・・・」
 中から出て来た人物は、俺が長年追い求めて来た人。
 立ち尽していた俺を驚いた様に見上げ、次の瞬間、記憶にある中でも一番の笑顔を見せて。
「久しぶり」
 10年もの月日が流れたとも思えない様な簡潔な言葉を、俺に投げかけた。
 その瞬間、思い描いていた再会の言葉は俺の中から消え、何も言えずに、長い年月焦がれ続けた体を抱きしめた。

 

 

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