啓太が俺の元を去ってから、10回目の誕生日が来た。
10年前の俺の誕生日だったあの日。
「愛してる」と書かれたカードと、青々とした四葉のクローバーを残して、啓太はその姿を消した。
理由はわからない。
高校を卒業して、一緒に住み始めてすぐの事。
仕事から帰った俺を迎えてくれたものは、静寂に包まれた暗い部屋。
啓太の部屋は、まるで最初から誰もいなかったかの様に綺麗に片付けられていて。
そのがらんとした部屋の真ん中に立ち尽くして、『何故』と、幾度となく心の中で繰り返した。
前の日も、愛を囁き合って体を重ねて。
二人の生活の中、啓太が笑顔を崩す事はなく。
これから先の幸せな二人の時間を、疑う様な行動も、言動も、何一つなくて。
それなのに、そこには堪え難い現状が確かにあった。
俺は必死になって啓太の行方を探した。
啓太の通っていた大学。
バイト先。
実家。
果ては啓太より前に卒業した、啓太に関係の少しでもある友人達にまで、一件ずつ聞いて回った。
当然探偵も雇ったが、啓太の行方は依然として掴むことは出来なかった。
その一年後。
俺の誕生日に、啓太からカードが送られて来た。
それには、啓太が出て行った時と同じ様に四葉のクローバーが添えられていて。
名前の記入はあってもリターンアドレスの無いそれを、必死になって調べた。
だが、依然として啓太の行方はわからない。
その後も、誕生日の度に啓太からカードと四葉のクローバーが送られて来た。
毎年毎年、必ず6月9日に俺たちの家に届く四葉のクローバー。
カードには俺の幸せを祈る、癖のある文字。
幸せを呼ぶ筈の四葉のクローバーに、俺は幸せの亡がらを見せつけられている気がした。
そして、3年が過ぎた頃。
俺は半ばヤケで、親の勧めるお見合いをした。
俺と啓太の仲を知っていた両親は、俺が興味を引きそうな、啓太によく似た女性を連れて来た。
親の気遣いは理解出来たが、所詮は啓太ではない。
相手を目の前にした時、自分の愚かさを自覚した。
仲人の居る席を離れ二人になった時、俺は啓太の事を彼女に告げ、自分の馬鹿な考えを謝罪した。
そんな俺を、彼女は笑って全てを受け入れてくれて。
その優しさで、俺を包んでくれた。
彼女といれば、啓太の事も過去に出来る様な気がして、そのまま結婚した。
すぐに子供も出来て、俺の頭から啓太が消える瞬間が出て来て、『普通の幸せ』な日々に慣れて来た頃。
彼女はあっけなく交通事故で死んでしまった。
啓太によく似た彼女は、啓太によく似た子供と俺を残して。
「彼を諦めないで」と俺に言い残して。
結婚してたったの2年。
見つけられたかの様に見えた瞬間に、幸せは俺の手の届かない所に行ってしまう。
子供を腕に抱きながら、俺は再び立ち尽した。
相変わらず誕生日に届くカードは、俺の幸せを願う言葉で埋め尽くされていて、孤独感を助長させる。
そして、四葉のクローバーも相変わらず俺に幸せだった日々を見せつけてくる。
もう、気が狂いそうだった。
『俺』という人間を作り上げた啓太も。
悲しみの淵から救い上げてくれようとした彼女も。
あっけない程簡単に、俺の側をすり抜けて去って行った。
それでも何とか、子育てと仕事で日々を暮らして。
子供は日々、すくすくと成長して、最近はよく母親の事を聞いてくる様になった。
書斎に置いてあるアルバムを勝手に引っ張り出しては、写真の中の彼女に話しかけている。
その様子が可哀相に思いながらも、俺は他の誰かと結婚する気には更々なれなかった。
彼女との『普通の幸せな日々』を経験しても、啓太への想いが俺の中から消える事は無かったから。
『良い思い出』にするのには、輝き過ぎた日々。
長い年月をかけても、啓太が俺の中から消えてくれる事はなくて。
変わらずに送られてくるカードと四葉のクローバ−に、啓太の俺への変わらない愛を見ようと必死になって。
そして、10年が過ぎた。
今年もまたいつもの様にカードが送られてくるのだろうと、近付いてくる日を眺める。
だが、今年は違っていた。
誕生日の二日前に啓太から届いたのは、いつものカードではなく手紙だった。
そこには探し求めた啓太の行方が記されていて。
更に、待ち合わせの時間と場所が書かれていた。
俺は戸惑った。
いや、正確には動揺した。
あんなに追い求めていたのに、いざ啓太を目の前にする事が出来る現状が、なんだか空恐ろしいものに感じられて。
また、普通の笑顔で去って行く啓太を見なければならないのか。
それは、何ものよりも堪え難い。
けれど、啓太に会えると言う誘惑に、勝てる筈も無く。
そして、誕生日の今日。
俺は、啓太の指定したホテルの一室のドアの前にいる。
緊張で、なかなかドアをノック出来ない。
会ったらまず、何を言おうか。
あの日、突然消えた理由を問いただすのか。
毎年送られてきたカードと四葉のクローバーの意味を聞くのか。
それとも、心痛を与えられた事に対する憤りで、殴ってしまうのか。
思考は止まる事無く、俺の中を駆け巡る。
そんな俺の思いを他所に、目の前の扉が何の前触れも無く開いた。
「あ・・・・」
中から出て来た人物は、俺が長年追い求めて来た人。
立ち尽していた俺を驚いた様に見上げ、次の瞬間、記憶にある中でも一番の笑顔を見せて。
「久しぶり」
10年もの月日が流れたとも思えない様な簡潔な言葉を、俺に投げかけた。
その瞬間、思い描いていた再会の言葉は俺の中から消え、何も言えずに、長い年月焦がれ続けた体を抱きしめた。
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