さくらんぼが実る頃に

 

 

 カシュッ。
 カシュッ。
 何処からか、音が聞こえる。
 昼休みに次の授業の準備を、各担当授業の教諭に与えられている部屋でしていたロックオンことニール・ディランディは、その音に耳を傾けた。
 誘われるように音に向かって歩けば、その音は窓の外……校舎裏から聞こえていた。
 窓からニールが覗くと、学年でトップクラスの少女が、ひたすらリンゴを食べていた。
 だが今は昼食時間である。
 彼女の周りには、弁当箱もなく、一つだけの大きなリンゴを一心不乱に食べていたのだ。
「なにしてるんだ?」
「昼飯を食っている」
 一心不乱にリンゴを齧っている生徒に尋ねれば、端的な答えが返ってきた。
 それにしても、昼休みの風景としては異様である。
「……昼、もしかしてそれだけか?」
「ああ。今週はラッキーだった」
「ラッキー?」
 ラッキーと言いながらも微笑みもせず、ただただリンゴを食べ続ける。
「大玉リンゴ8つ入り一袋で198円だった」
 一階の現国の部屋の窓から身を乗り出して、草むらに直に座って昼食らしきものを食べてい る彼女を眺める。
「ダイエット中なのか?」
「ダイエットはした事が無い」
 端的な返答しか返ってこない会話に、ニールはフムと頷いて、女生徒に声をかける。
「コッチはいんない? 食後のお茶が出るぜ。刹那ちゃん?」
 にっこりと微笑んで、ニールの担当生徒を呼ぶ。
 そうなのだ。
 校舎の裏側でひっそりとリンゴを齧っていたのは、ニールが担任をしている2年A組の、刹那・F・セイエイという女生徒だった。
 容姿端麗、学力優秀、運動神経抜群の、クラスの人気者とも思えない一人っきりの昼食に、笑顔の下でニールは首をかしげている。
 そんなニールに構わず、刹那はニールに問う。
「お茶、もらえるのか?」
 今までに見たことも無い程、瞳をキラキラさせている刹那に、ニールは噴出してしまった。
「……何がおかしい。それともお茶は嘘なのか?」
 必死に笑いをかみ殺して、ニールは部屋の中から手を振って刹那を向かえる意思を伝えた。
「お茶だけじゃなくて、コーヒーも紅茶もあるぜ。早く来い」
 たかだかお茶に過剰反応を示す刹那に、走り出した彼女の小さい背中を見つめながら、ニールは小さなため息をついた。
 お茶一杯であんなに喜ぶ姿は、普通の高校生には見られない様子である。
 それでもニールは事情を知っていた。
 彼女……刹那・F・セイエイは、教職員の間でも有名な生い立ちだった。
 彼女は世間一般的な言葉を使えば、【孤児】である。
 孤児院の16歳までの養育義務を終えて、誕生日の早い刹那は入学式の日には既に一人住まいだったのだ。
 保証人は個人ではなく国で、更に住民税、所得税、国民健康保険の責務まで背負わされている。
 この学校……幼少中高大院一貫教育のお嬢様学校にニールが勤務し、そんな場所に刹那が学び舎を取得できたのは、彼女の努力の賜物だ。
 学費、試験費が全額免除される特待生の称号を得たのだ。
 噂によると、古いアパートの6畳一間に住み、バイトを3つ掛け持っているとのこと。
 それでも昼食はリンゴ一つ。
 孤児院からたたき出される際に、支度金が支給されることは知っている。
 それが孤児達が、初めて背負わされる借金である事も。
 故に刹那の状況も理解していて、それでも若さで乗り切ろうと足掻いているのも気が付いていた。
 刹那の体が校舎に消え、再びニールは小さなため息をつく。
 可哀想。
 辛いだろう。
 そういった言葉が似合う状況だが、だからこそ、ニールは言いたくなかった。
 苦労している女生徒に、教師であるニールが出来る事は少ない。
 何故そう考えるのか。
 それはニールも仄かな恋心を刹那に寄せているのだ。
 お茶一杯で喜んで走りこんでくるだろう刹那を思い、棚にあるものの中で、一番お勧めの紅茶の缶を手に取った。
 その直後、勢いをつけてドアが開く。
「お茶!」
 真剣な眼差しで飛び込んできた刹那に、ニールは思わず噴出してしまう。
「そんな急がなくても、お茶は逃げねって。ソコのソファに座ってな」
 茶葉を適度に入れたポットに電気ポットからお湯を入れて、ニールは時計を眺め始めた。
「……先生、何をしている?」
「ん? 折角だから刹那ちゃんに美味しいお茶を出そうと思ってね」
 ニールは時計を眺めつつ、ポットの中身を確認し、一人で頷いて、カップに注いだ。
 ニールがチラリと刹那を見れば、ソファの上でモジモジと座りが悪いように動いている。
「固いか? まあ学校の備品だから妥協しろ」
「違う。柔らかいんだ」
 お茶を目の前にされるまで、刹那は体を跳ねさせるように、体をゆすった。
「イエス。飲み頃」
 紅茶をカップに注いで、ソーサーを静かに刹那の前に置いた。
 お茶の色をみて、瞳をキラキラさせて見つめる刹那に、頑張らずともニールも頬が緩む。
「ほら、折角ベストな温度で淹れたんだから、早く飲め」
 自分の分を手に、対面式になっている、刹那が座っているソファと同じものに腰掛けて、ニールは刹那を促す。
 刹那はニールの促しを受け取って、日の光を浴びて光っているカップに口をつけた。
「……美味い」
「だろ? 俺、お茶汲みは自信があるんだ」
 ウィンクつきで答えれば、刹那は無言で首を縦にふる。
 その後、ハッと気が付いたように、窓の下に居た時には持っていなかった紙袋を漁って、一つの包みをテーブルに置いた。
「ナニこれ。お前さっきこんなの持ってたか?」
 可愛くラッピングされた焼き菓子を目の前に出されて、普通にニールは問う。
「大体毎日、下級生や上級生、同じ学年の子に貰う。集めて紙袋に入れてくれる人は決まっていないが、貰える食べ物は有り難い」
「お前……それって……」
 ニールが勤め、刹那が在籍しているCB学園は、統一して女子高である。
 節目に外部から何人か難関を突破して入学してくるが、それは当然女生徒だ。
 故に、学内に面白い輪が広がる。
 憧れる先輩を恋と間違える生徒もいる。
 中には本気で恋をしている生徒もいるのだが、その辺は教師は、よっぽどの事がない限りタッチしない。
 そして目の前の刹那は、憧れられる存在で有名だ。
「お前さぁ、生活に困ってるのに、何で菓子なんだよ。弁当とか貰わないのか?」
 広げられた可愛らしい包み紙から一つ摘んで、ニールは首をかしげる。
 仄かに甘い芳香を口の中に広げて、素晴らしい焼き方を堪能する。
 刹那の生い立ちは、略お嬢様がお通いになっている学園では珍しく、更に特待生という立場上、目立つのだ。
 陰ながらファンクラブも立ち上げられている。
 毎日のように差し入れを貰い、淑女同盟に守られている。
 そのようなものが出来た理由は、高校からの編入という珍しい境遇と、一年生の時はブルネットの美少女と有名になり、鋭い視線とはにかむような笑顔が、高等部に旋風を巻き起こした。
 その上、成長期が遅く来た刹那は、2年生に上がった頃には170cmという高身長になり、下級生からも憧れられる先輩となった。
 こうして着々と淑女の会は人数を増やしていき、噂によると、淑女の会……刹那を見守る会は、会員数が100人以上に膨れ上がっているとの事。
 毎日の差し入れも、会員の中で人数が限定されていて、決して刹那の重荷にならないように、順番が決まっているらしい。
 そして今日の昼食を見て、更に貰っている差し入れが菓子のみであることに、疑問を持たないわけにはいかなかった。
 刹那もニールを追う様にミニスコーンを一つ口に入れ、ニールの疑問に答えた。
「一年生の時、弁当を恵んでくれると言う優しい同級生がいた」
「なんだ、やっぱり弁当貰ってんじゃん」
 紅茶を口に含んで、ニールは肩をすくめた。
 そんなニールに、刹那は言葉を続ける。
「その日は彼女と二人で、俺は貰った弁当を美味しく頂いた。
だが……」
「だが?」
 話す間に段々刹那の表情は曇って行き、ため息を付いた。
「次の日、いきなり別のクラスの生徒や、上級生達が、前日の彼女と同じように、弁当を二つぶら下げて、20人程俺の周りを取り囲んだんだ」
「にじゅううぅう!?」
 たった一日で広まったのだろう話と、目の前の刹那の魅力を、ニールは痛感する。
 今まで生徒に感じたことのない感情を、ニールさえ覚えたのだ。
 お嬢様方が彼女に魅力を感じないわけがない。
「俺は大食いだから、三つは無事にいただけたんだが、流石にそれ以上はムリで、家に持ち帰らせてもらった」
「おお、そうだよ! 夕飯代も浮くじゃねぇか!」
 昼をリンゴ一個で済まそうとしていた辛い生活を思い、貰える食料をニールが頷けば、目の前の刹那は首を横に振った。
「俺も最初はありがたく持ち帰らせてもらった。だが夕飯といえども、弁当17個は食べきれなかった」
「あ……まあ、そうだな」
 17個もの弁当をたいらげるのは、スレンダーなスタイルの刹那にはムリだろうと悟る。
「……で、残りはどうしたんだ?」
「夕飯に4つ頂いて、朝ごはんに2つ頂いて、残りは冷凍して学校に持っていったら……」
 視線を伏せて、ゆっくりと紅茶のカップをソーサに置いて、刹那は額に指を当てた。
「いくら冷凍しても腐ってたんじゃ……」
 ニールが問えば、刹那は苦しそうに頷いた。
「それもある。だが何が一番の問題かと言えば、昼休みに入った途端、もの凄い量の足音が響いてきて、弁当を二つ持った優しい人達が、教室に入りきらないほどやってきたんだ」
 刹那の言葉に、ニールは大きなため息を付いた。
「あれか……ティエリアとアレルヤで暴動寸前の生徒達を収めた時か」
「多分、その時だ」
 普段は大人しく、従順なお嬢様達が、初めて教師の言うことを聞かなかったと言う、学園史上、初の事件だった。
 それだけ刹那が魅力的だと、そして人の心に響く何かを持っていると、痛感させられた事件だった。
「だがその後、先輩の一人が立ち上がって、先生と一緒にどこかに行ってしまったんだ。でもそれ以降、俺は弁当は貰わず、美味しいお菓子を沢山頂くようになった」
「なるほどねぇ」
 誰か一人でも弁当を渡せば、均衡が崩れる。
 故にお嬢様方は、弁当より軽いお菓子に気持ちをこめることにしたのだろう。
 そんな彼女達の気持ちをニールは口に放り込んで、自分で淹れた紅茶を飲む。
 その紅茶を飲みきる前に、ニールの目の前にずいっとカップとソーサーが差し出された。
「先生、おかわり」
 元来の無表情の所為か、不遜に見える刹那の表情に、ニールはため息を堪えられなかった。
「お前……もっと可愛くおねだり出来ねぇのか?」
「強請ったつもりだが」
 相変わらずの刹那の顔に、ニールは肩をすくめる。
「ハイハイ。おかわり……」
 刹那曰く『可愛く』おねだりされたニールは、ソファを立ち上がろうとした。
 その時、学校中に鐘が鳴り響く。
「おっと、予鈴だ。生徒は学問に励んで来い」
 ニールが教員らしく刹那を教室に送り出そうとすると、刹那はカップと時計を見つめ、更にソーサーをニールに突き出した。
「まだ予鈴だ。お茶の一杯の時間はある」
「ないない。そんなに飲みたければ、全部授業が終わったら来い。また淹れてやっから」
「本当か?」
「マジマジ。だから勉強して来い」
 ニールが退室を促すように手を振れば、瞳を輝かせた刹那は、数秒ニールを見つめ、荷物を纏めて現国の教諭室に背を向ける。
「絶対だぞ」
「はいはい。約束は守るから、行って来い」
 ニールがバイバイと手を振って、刹那はそれを見届けて、教諭室を出て行った。