ベッド

2011/07/10up

 

 朝目が覚めた鏑木・T・虎徹は、いつものように盛大に欠伸をして、シーツの中で体の強張った筋肉を解すために、一頻り暴れた。
 その後、いつものように起き上がる。
 だが。
「……あ?」
 目の前には、思ってもいなかった光景が広がっていた。
 確かに壁や照明は、自宅の物である。
 それは間違えようもない。
 現に目が覚めたとき、天井に違和感を覚えなかった。
 まあこれが自宅でなくとも、既に入り浸っている仕事上の相方であり、更には一歩進んだ関係を築いたパーなビーの家でも違和感はないのだが。
 だが、確実に今は違和感を覚えている。
 虎徹の家は、ヒーロー業をするために、所謂「出稼ぎ」の為に市内に借りた、1LDKだ。
 部屋の広さこそ少々あるが、築年数はかなり古く、所謂世間一般で言う所の安アパートだ。
 それに加え、本人が几帳面とは言いがたい性格故に、その古い建築にピッタリなほど、部屋の中も荒れていた。
 部屋だけを綺麗にしたところで、壁や照明の古さはどうにもならない。
 そして結婚を経験したからか、自分でこまめに片付け、清掃をする習慣がない。
 寝室には、脱いだ服が散乱しているのが当たり前。
 リビングダイニングは、水回りこそ使用しているから雑菌対策くらいは取られているが、その程度だ。
 汚れた食器がたまっていたり、埃がたまっていたりというのは、とりあえずない。
 だがそれは、水回り限定だった。
 故に、床は賛嘆たる様相を呈しているのが当たり前で、それが彼の部屋の認識だ。
 なのに今、虎徹の寝室は、妻の生前のように、整然と整っている。
 夕べ脱いだ服はどこだと、思わず視線で探してしまった。
「……起きましたか、おじさん」
「……へ?」
 誰もいないはずの自宅に、第三者の声が響く。
 だが聞きなれた声だ。
 声の方向に視線を向ければ、声から想像したとおりに、ソコにはバーナビーが立っていた。
 だが普段とは、かなり様子が違う。
 イケメンヒーローが、エプロンと掃除機を抱えて立っている姿は、どう考えてもレアな映像だ。
 ここにヒーローTVのプロデューサーのアニエスがいたら、おそらく彼女は鼻息荒くカメラを指示しているだろう。
「夕べの医者の説明より、目が覚めるのが早かったみたいですね」
「ああ……炎症してるって言ってたか」
「あなたの場合、言っても聞かないから、麻酔と強力な睡眠薬が一番の特効薬だと言う事です。ただでさえ、しっかりとした休養なんて約束されない仕事なんですから、仕事以外ではしっかり寝ていてください。相棒の僕のポイントも下がるじゃないですか」
「はあ……すいませんね」
 言っている事は正論であるし、更には仕事の邪魔をされないのであれば、虎徹とて何事にも逆らうタイプでもない。
 年齢を重ねて、譲れない自分の人生観は持っているが、反抗すればいいと思う様な、青い年でもないのだ。
 そして夕べの医者の言葉は、うっすらと覚えている。
 いつでも突然仕事が舞い込んでくるが、夕べも突然仕事が舞い込んできた。
 ヒーローの体調を気にして動く犯罪者などいない。
 いや、ある意味気にするのかもしれないし、そしてそういう気の使い方だったのなら、夕べは絶好のチャンスだった。
 まだ虎徹は、生身で受け止めてしまったネクストが原因の怪我が治っていないのだ。
 そんな所に酒を飲み、更に仕事をすれば、いくら常人とは違う特殊能力を有しているネクストの虎徹とて、身体反応など想像に安い。
 体の構造は、普通の人間と同じなのだから。
 故に仕事が終わった後、虎徹は普通に倒れた。
 異常に疼く傷に、更に熱。
 相方のバーナビーが手配した救急車で、病院に搬送されたのだ。
 そこで受けた医者の説明が、前述の通りである。
 元々なるべく安静をと言われていた医者の言葉を無視した結果、痛みを取るために点滴で施された麻酔に、更に抗炎症剤と睡眠薬が入っていたという事で。
 言われて思い返せば、虎徹は自分の足で家に帰ってきた記憶もなかった。
「無理やり交換させられましたけど、役に立ちましたよ、おじさんの家の鍵」
「あー、そういやそんな事したっけ」
 その時は、快適なバーナビーの家に出入りする権利が欲しかっただけで、自宅の鍵を押し付けたのはついでだった。
 彼も虎徹の家には来たがらなかったし、今まですっかり合鍵の存在を忘れていた。
「これ、バニーがやってくれたのか?」
 部屋の中の様子を問えば、バーナビーは眉間に皺を寄せる。
「僕にあんな状況の部屋で、一分以上過ごせと言うんですか」
「いや、別に文句を言ってるわけじゃ……」
「ロイズさんから、出来る限り見張っていろとの指示です。だから僕がここを離れるわけにはいかない。でもあの部屋の状況では、ハンドレットパワーの発動まで限界5分でしたね」
「それは勘弁してくれ」
 仕事上の事なら、会社が賠償金を払ってくれるが、自宅で自分達のネクスト等使った日には、住む場所が無くなる。
「と言うことで、目が覚めたのならご飯を食べてきて下さい。ダイニングに並べてありますから。その隙に、僕はこの部屋の埃を駆除します」
 駆除、とまで言われてしまっては、もう虎徹も何も言い返せない。
 ベッドの脇に掃除機を置かれて、更に起き上がった虎徹のベッドのシーツと毛布を容赦なく剥ぎ取っているバーナビーを見て、虎徹は何とも言えない気分になる。
 早速掃除機をかけ始めたバーナビーに礼も言えず、虎徹は追い出されてダイニングに足を進めた。
 ソコにもまた、何とも言えない状況が広がっていた。
 転がっていた酒瓶やタオルが床から消え、この部屋がこんなに広かったのかと思ってしまう。
 そして湯気を立てている朝食。
 時計を見れば、既に昼を過ぎているので、ランチと言うのかもしれないが、それでも熱が下がったばかりの虎徹に合う様な食事が並べられていた。
 一人暮らしの期間が長い所為か、バーナビーも料理が出来る事は知っている。
 ただ自宅ではあまり作らないだけだと言う事も。
 ヒーロー業は、危険な職業だけに、それなりに収入はある。
 子供を養っている虎徹よりも、一人のバーナビーの方が、収入には余裕があるのだろうから、そういう生活でもいいのだろうと思っている。
 もし虎徹も同じ立場なら、同じ生活なのだろうとも想像できるから。
 旧友のアントニオも、バーナビーと同じ生活が長い。
 それでも並んでいる食事に、溜息が出る。
 思い出してしまうのだ。
 彼女が、生きていた頃を。
 整えられたダイニング兼リビングで、胃に優しいオートミールとサラダの食事を、家の中に響き渡る生活音の中で黙々と平らげた。





 普段は締め切られている窓も開け放たれ、バルコニーにはシーツがはためいている。
 天気がいいな、と、代えのシーツまで洗濯され、ベッドに横になることも出来ずに、虎徹はソファからその光景を眺める。
 今、バーナビーは買出しに出た。
 普段は彼の部屋を根城にし、虎徹がスーパーに寄ってその日の二人の食事を作る。
 人の家ではそんな振る舞いの虎徹は、自宅に買い置きの食材を置いていなかった。
 冷蔵庫を開けた時、呆れましたと、バーナビーにも溜息を吐かれてしまった。
 冷蔵庫にはビールとつまみ。冷凍庫には氷と少量の冷凍食品。
 バーナビーの家で繰り広げられている生活は、虎徹の家には無かった。
 現状をみて、虎徹は理解する。
 逃げていたのだと。
 自宅に生活感を持たせるのが、嫌だったのだ。
 今はもう、彼女の次の相手がいる。
 お互いに名乗りあうことは無いが、それでもこうやって、お互いにお互いを想っている。
 真につながっていると言うのは、こういうことだ。
 態々恥ずかしい言葉に、自分達の存在を当てはめなくてもいい。
 虎徹もそんな年ではないし、バーナビーは反抗する年齢だった。
 成人していても、彼はどこか幼い。
 虎徹にはそう見えていた。
 コンビを組まされた当初こそ、お互いの探りあいでぶつかったが、今ではそんな事も無くなった。
 きっかけは些細な事だった。
 在り来りで、自然な出来事。
 バーナビーの身の上を話合いながら傾けていた酒が、少々深くなった。
 そしてナーバスになったバーナビーを宥める手段として、虎徹は肉体関係を持った。
 それでもそれは、単なる同情でもなかった。
 彼の中に存在する弱さが、酷く愛しかったのだ。
 普段は生意気で、不遜で、キャラクター的にはブルーローズと被るタイプだと思っていた。
 それが彼の仮面だと理解して、そんな不器用な彼が張っている虚勢が愛しいのだ。
 そしてバーナビーも受け入れた。
 その後、その関係を続けている。
 顔の造作もスタイルも文句の無いバーナビーは、経験も豊富だった。
 当然、結婚生活を送った事のある虎徹も。
 どちらがどちらと決めるまでも無く、流れで虎徹はバーナビーに体温を分け与えた。
 男としての役割を果たし、バーナビーはそちらに慣れていたのか、当たり前のように虎徹の体を喜んで受け入れたのだ。
 付き合い自体も、お互いに同性の状況が初めてではないことは伝わってくる。
 故に、自然だ。
 だからこそ、虎徹は逃げていた。
 妻と、同じ立場に彼がならないように。
 バーナビーに不満があるわけではない。
 それでも忘れられない結婚生活。
 そして娘。
 共存させられない自分も、酷く不器用だと、一人の部屋で小さく笑ってしまった。
「……何がおかしいんですか。一人で気持ち悪い」
「おお、おかえりー」
「おかえりーじゃないですよ。大人しくしていましたか?」
「ガキじゃねぇ。必要以上になんか動くか」
「なら良いんですけどね」
 大荷物を抱えて入ってきて、そのまま購入したものを片付けているバーナビーの背中を見る。
 鍛え抜かれた、男の背中。
 死別した妻と被る所など、一つもない。
 それでも一頻り自宅で動く彼を見て、そして視線をそらせた。
 そんな虎徹に気がつかずに、バーナビーは片づけを終え、バルコニーにはためいている洗濯物に取り掛かった。
 几帳面な彼らしく、干している洗濯物にも皺など見えない。
 それでも取り込んだそれらに、アイロンをかけてくれていた。
 全てが終わり、虎徹の薬と包帯を代え、畳んだ洗濯物の行方を見ていて、ふと気がついた。
 洋服はクローゼットにしまうのはわかるが、何故代えのシーツも何もかもをしまうのか。
 思わず口を挟んでしまう。
「おい、シーツしまったら寝られないだろ」
 素直にかけた言葉に、思わぬ反応が返ってくる。
 途端にバーナビーの頬が染まったのだ。
「……買って来ました。僕、この肌触り好きじゃないんで」
 頬を染めながら、今まで虎徹が家に呼ばなかった事を責めているのだ。
 あまりにも可愛い反応に、噴出すのを腹筋に力を混めて堪えた。
「悪かったな、安物で」
 笑いをそんな嫌味に代えて告げれば、バーナビーも頬の赤みを治めて、自分で買ってきたシーツを虎徹のベッドに敷いた。
「子供の養育費って、そんなにかかるんですか? ならもっと目立つように努力して、ポイントを稼げば良いのに。査定変わるじゃないですか」
「良いんだよ、コレで。子供と俺が食っていける分があれば、仕事さえ続けられれば俺には文句は無い」
 寝室とリビングの扉を隔てて会話をしてれば、絶えず聞こえていた寝室からの衣擦れの音が止まる。
 何かと視線を向ければ、暫くしてバーナビーが顔を顰めて寝室から姿を現した。
 表情の理由がわからず、虎徹が声をかけようとすれば、バーナビーはそんな虎徹の行動を見越しているように、手早く再び車の鍵を握り締めた。
「すみません。もう一度買い物に行ってきます」
「あ? あ、ああ、じゃあ俺が夕飯作るか?」
 時計を見れば、もう夕方だ。
 こんな時間から何をとは思ったが、サイクルを口にすれば、バーナビーは首を横に振る。
「すぐに戻ります。寝ていてください」
 寝ると言ってもソファで、午後からずっと横になっている所為もあるのか、少々体が痛む虎徹は、ソファを立ち上がって伸びをして自分の意見を口にする。
「いや、流石にコレだけ寝ると体いてぇしさ。メシぐらいなら良いだろ?」
 どうせ手の込んだ料理など作れない。
 適当に食べていけるだけの技量はあるが、その程度だ。
 短時間の運動とも言えない動きを告げれば、それでもバーナビーは首を横に振った。
「本当に、すぐですから。ちゃんと寝ていて下さい」
 端的にソレだけを告げて、バーナビーは玄関を出て行った。
 玄関を出る時にも、バーナビーの顔は歪んでいた。
 何が彼を傷つけているのか解らず、虎徹は首をかしげて、何か問題があったらしい寝室を覗く。
 そして、その正体をおぼろげに理解した。
「……なるほど、な」
 虎徹のベッドは、ダブルだった。
 それは、結婚生活の名残。
 昔は妻と娘と、市内の別の場所に住んでいた。
 だが彼女が死亡した後、娘を自分の母親に任せ、娘の荷物は実家に送り、虎徹は一人で暮らすためのこの場所に引っ越したのだ。
 だが、家具は前のままだった。
 態々買い換える事など考えず、更に彼女の痕跡が無くなる事に哀愁を覚えたからだ。
 何事にも自由奔放な虎徹を、全て受け入れてくれた初めての人間だった。
 遊びの付き合いは、両手の数では足りないほど経験がある。
 いや、最初から遊びだと思って付き合った相手はいなかったが、結果、そうなってしまったと言うだけの事だ。
 理由は前述どおり、誰もが虎徹の奔放な性格に着いてこられなかったと言うだけの話で。
 ヒーロー業などやっていると、怪我は日常茶飯事で、その危険性に、交際を始めれば誰もが「やめてくれ」と虎徹に縋った。
 その言葉が出る度に、虎徹は恋を終わらせた。
 自分の信念がそこにあったから。
 だが彼女だけは違ったのだ。
 怪我をして帰れば、ヒーローTVでその様子を見つめていて、病院に必要な道具を持って駆けつけてくれる。
 入院騒ぎにならなければ、玄関で仁王立ちで待ち構えていてくれて、その場で状況を聞いてくれた。
 そして応援してくれたのだ。
「あなた、これが出来なくなったら死にそうだから」
 そう言って笑い、虎徹を包んでくれた。
 同棲を経て結婚し、彼女が妊娠し、出産という時にも仕事は舞い込んできて、陣痛に苦しむ彼女が、虎徹の腕に巻かれているコールバンドを鋭く見つけて、そして送り出してくれた。
 子供を産むのはあなたには出来ないけれど、人を助けるのはあなたにしか出来ないと、そう言ってウィンクをした。
 あなたが終わる頃には、私も仕事を終えるわ、と、そんな言葉も付けてくれて、虎徹は胸を掻き毟られるような思いを抱えながらも、ヒーローを続けたのだ。
 そんな、自分の根底を支えてくれた彼女が忘れられずに、今、彼に嫌な思いをさせてしまった。
 寝室の入り口で、一頻り頭を掻き毟って、バーナビーが敷こうとしていたセミダブルサイズの、ベッドを覆う事が出来なかったシーツを見る。
 基本的に体が資本のヒーローである自分たちは、男は全員体格がいい。
 一人例外はいるが、彼は持っているネクストの種類が違う。
 体力を基礎としないのだ。
 彼の部屋は見た事が無いが、誰もが寝具の話題になると、大抵どこでオーダーしたかと言う話になる。
 それでもサイズは大抵独り身であればセミダブルで、バーナビーがその感覚でこのサイズのシーツを買ってきたのだと解る。
 だからこそ、見せ付けてしまった過去に、現在の関係を築いている彼に罪悪感を持ち、それでも自分の過去をなかった事にはしたくない。
 横幅が足りなかったシーツからはみ出しているスプリングを、彼女との愛の名残がある指で辿り、苦く笑う。
 まだ彼とは、彼女と築いた程の関係は無い。
 だが、今回の怪我で、彼に彼女と同じような気配を感じる。
 虎徹がヒーローを続ける事を、当たり前に捉えてくれるその気持ちが、虎徹を彼につなげているのだと。
 妻は愛している。
 愛していた。
 そして今、彼を愛している。
 だからこそ、虎徹は辿ったベッドのスプリングから手を離して、左手をギュッと握り締めた。
 そして電話を手に取った。
 何度かコール音が鳴り響き、通信が繋がる。
「おう、バニー。買ってくるシーツのサイズ、キングサイズで頼むわ」
 今のベッドよりも更に大きいサイズを頼めば、案の定、電話の向こうから疑問が返る。
『自分のベッドのサイズ、知らないんですか』
「知ってるよ。でもすぐに買い替えっからさ。このサイズじゃ男二人はキツイだろ」
 電話の向こうが一瞬静まり、その後、いつもの怒号が返ってきて、虎徹は笑った。
『な、なに言ってるんですか! 馬鹿も休み休みにして下さい!』
 思ったとおり、一方的に怒鳴って通話は切られた。
 それでもおそらく、買ってくるのはキングサイズのシーツだろう。

 虎徹は一頻り笑って、そしてベッドサイドに飾っておいた妻の写真を伏せた。






バニーに色々言いつつ、結局自分も過去を振り切れていなかったおじさん。
そしてツンな振りをしているデレ兎です(´/// `)