小さな恋の歌

2012/04/28up

 

「僕ね、大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになる!」
「そっか。そりゃ楽しみだ」
 高校生の虎徹は、学校の近くに迷子でしゃがみこんでいた子供を助けた。
「約束だよ? 絶対だよ?」
「判ったよ。お前が大きくなるの、楽しみにしてる」
 おんぶで子供の言う家に送り届けるまで、子供は子供らしい言葉で感謝を虎徹に伝えた。
 虎徹はそう捉えていた。
 その後、毎日のように虎徹の家に遊びに来るようになった子供は、元気一杯で、いつでもズボン姿だった。
 故に虎徹は間違えていたのだ。
 一人称も男の子らしく「僕」と話していた。
 結婚を当たり前のように話すが、子供ゆえの言葉だと納得も出来る。
 故に、その子供が虎徹の地元から引越しをした後、学業と生活、仕事で、すっかりその子供の存在を忘れていた。
 よくある話である。





 ピンポーンと、軽やかに虎徹の家のチャイムが鳴った。
 ブロンズステージのアパートで、のんびりと休日を楽しんでいた虎徹は、その音に首をかしげながら玄関に向かう。
 ヒーローになり、田舎に娘を預けている身で、来客の知らせ等滅多にない。
 そんな虎徹を理解しているのかいないのか、もう一度チャイムが鳴り響く。
「はいはーい」
 音にせかされて、虎徹は玄関を開ける。
 癖で足元を見れば、先の細い華奢なハイヒールが光っていた。
 覚えのない来客に首をかしげて、更に上に視線を上げれば、そこにはハニーブロンドの巻き毛の美女が立っていた。
「お久しぶりです」
 にっこりと微笑まれても、虎徹には言葉と人物が結びつかない。
 故に、ストレートに問うた。
「あんた、どっかで会ったっけ?」
 虎徹の言葉に、それまでの美女の笑みが消える。
 少し視線を揺らして、三秒俯き、その後、勢いをつけて顔を上げた。
「僕はそんなに変わりましたか?」
 美女から出るには不自然な雑な言葉で、虎徹の記憶を欲する。
「18年前に、近所に住んでいたバーナビーです。よくお兄ちゃんには遊んでもらっていて、結婚の約束もしたバーナビーです。思い出せませんか?」
「結婚の約束ぅ!?」
 あまりの事に、虎徹は大声で復唱してしまう。
 それでも昔なじみらしい美女は、無言で虎徹の部屋に入りたいと意思表示する。
 初めはモジモジと足を刷り合わせ、その後、扉の向こうを見たがるような素振りをして、最後に虎徹に視線を向ける。
 その仕草を見て、虎徹はようやく思い出した。
「ああ! お前、俺が高校生だった時に引っ付いて廻ってたガキか!」
 虎徹の言葉に、美女の……バーナビーの顔がパッと明るくなる。
「俺、てっきりお前のこと男だと思ってたけど、すげぇ美人になっちまって! それにしてもよく覚えてたなぁ! 汚ねぇ部屋だけど、上がってくか?」
 虎徹の誘いに、バーナビーは心底嬉しそうな顔で頷いた。
 だがその笑顔も、玄関からリビングに入った途端、剥げ落ちる。
 転がる酒瓶。タオル。食べっぱなしの皿。など等、人を招き入れられる状態ではない。
「ソコのソファは昨日ほこり叩いたから綺麗だぜ。座っててくれ」
「お……かまい、なく」
 あまりの惨状に、言葉もおざなりになる。
 呆然とバーナビーが部屋の中を見回している時間で、虎徹は二つのマグカップをもってバーナビーのもとに歩み寄った。
「なんか珍しいものなんかあるか?」
 虎徹の言葉に我に帰ったバーナビーは、米神を押さえつつ、先程虎徹が勧めたソファに、これ以上埃をたてないようにそっと腰を下ろした。
「ある意味、全てが珍しいです」
 部屋全体の様子に、ため息をつきながら答えれば、虎徹はバーナビーの言葉の意図を読んで、から笑いする。
「ヤモメのオトコの部屋なんて、こんなもんだろ?」
「さあ。僕は他の男の方の部屋なんて訪れた事が無いので、比べようが無いです」
「はあ〜、随分育ちがいいんだな。そういえばお前の田舎の家、でっかかったもんな」
「研究所もかねていたので、あの大きさだったんです」
「研究所、ねぇ」
 田舎ではあまり聞かない名称に、コーヒーをすすりながら虎徹はバーナビーの言葉に答える。
「はい。ナノメタルの開発強度実験だったらしいです」
 バーナビーの言葉に、虎徹は思いっきりコーヒーを噴出した。
「ナノメタルだぁ!?」
 虎徹がテーブルに噴出したコーヒーを、バーナビーは手近にあったティッシュで拭い、水分を拭き取り終えると、すんなり綺麗に立ち上がった。
「キッチン、お借りします」
 台拭きをとりに行ったのが判る仕草に、虎徹はそのまま会話を続ける。
「んじゃなにか? 今のヒーロースーツの産みの親がお前の両親ってか?」
「そうなりますね」
 涼しい顔で答えて、綺麗にネイルを施された指先で、虎徹の家の真ん中にあるリビングテーブルを拭く。
 ついでとばかりに、卓上にも散乱していたビールの缶や焼酎のボトルを机の隅に整頓した。
たおやかなバーナビーの動作を見ながら、虎徹は次元の違う家を問う。
「じゃあお前んち、特許料でえらい豪邸たっただろ。アレ、特許を取得されてて特許料金が馬鹿にならないって聞いたぜ? どうせ今はゴールドステージのお屋敷街に住んでるんだろ?」
 田舎の豪邸を思いながら虎徹が問えば、バーナビーの動きがぴたりと止まる。
 何事かと虎徹が伺えば、それはあまりにも悲惨なバーナビーの過去だった。
「いえ……今は一人暮らしなので、マンションに住んでいます」
「一人暮らし? よくおじさんとおばさん許したなぁ。ま、一度くらい親元を離れて暮らすのも……」
「違います」
 虎徹の言葉に、バーナビーは割り込む。
 強い否定に何事かと虎徹がバーナビーの俯いている顔を覗き込めば、今にも泣き出しそうな苦渋に満ちた表情だった。
「市内に引っ越してきて直に、両親は事件に巻き込まれて射殺されました」
 ひゅっと、虎徹は息を呑む。
 おいそれと聞ける話ではない悲劇に、慰めの言葉をかけることも出来ずに、息を飲み込んだまま硬直する。
 虎徹の硬直を解いたのは、その後のバーナビーの言葉だった。
 机を丹念に拭き、再びソファに座ったバーナビーの顔は、先程の苦渋に満ちたものではなく、柔らかい笑みに変わっていた。
「ああ、やっぱり僕にはあなたしかいない」
「……あ?」
 繋がらないバーナビーの言葉に、虎徹は間抜けな表情で問う。
「大抵この話をすると、僕は悲劇のヒロインに祭り上げられて、覚えている範囲で慰めの言葉を僕に投げかける。かといって、何かをしてくれるわけじゃない。だから僕は、慰めの言葉が嫌いなんです」
 辛かったのだろう日々をそう語って、バーナビーは笑う。
 だがその後、虎徹が予想だにしなかった言葉がバーナビーから流れた。
「そんな話はおいて置いて、今日急にお邪魔させていただいたお話をしたいんですけど」
「あ? ああ、なんだ?」
「全ての学業を終わらせました。あの日の約束、よろしくお願いします」
 笑顔のまま虎徹に頭を下げるバーナビーに、虎徹は首を傾げる。
「……約束?」
 名前も顔も忘れていた相手から請われた事に、虎徹の首は傾げっぱなしで、斜めの世界でバーナビーを視界に納める。
 そんな虎徹の姿に、バーナビーの視線が段々鋭くなった。
「……覚えて、いないんですか?」
「あ、ああ」
 素直に告白した虎徹に、バーナビーは一度ため息をついて、18年前の約束を虎徹に伝えた。
「お兄ちゃんは、僕が大きくなったらお嫁さんにしてくれるって、約束してくれたんです」
「ぶはぁ!」
 二度目のコーヒーの噴水に、バーナビーはピクリと方眉を上げて、再び布巾を手に取った。
 ゲホゲホと咳き込みながら、子供の頃の話をしているのがやっと理解できて、虎徹は頭を掻く。
 バーナビーの視線には力が篭っていて、その言葉が真実であると虎徹に訴えていた。
 そんなバーナビーに嘘はつけない。
 一頻り頭を掻き毟った後、虎徹は自分の左手を見せた。
 約束の場所に収まっている銀の指輪を見せて、覚えていなかった約束を謝罪した。
「すまん。すっかり忘れて、俺、結婚しちまった。今は7歳になる娘もいる。お前との約束は果たせない」
 虎徹の言葉にバーナビーは呆然とその指輪を見つめて、虎徹の顔と視線を揺るがせた。
「そんな……両親が亡くなったあの日から、あなたとの結婚だけを夢見ていたのにッ!」
 表情が段々悲愴になり、バーナビーはソファから立ち上がる。
「大学も家政学部を選んで、料理も洗濯も全部学んできたのは、あなたとの結婚を目標にしていたからなのに、こんな……酷いです!」
 言うだけ言って、バーナビーは虎徹の家を飛び出して行ってしまった。
 玄関のドアが閉まり、ハイヒールの靴音が聞こえなくなった後、虎徹はため息を零す。
「酷いって言われても……なぁ」
 18年も前のことで、更に虎徹の記憶では、バーナビーは虎徹と出会ってあっという間に市内に引越しをしていた。
 しかも相手は子供で、更に男の子だと思っていたのだ。
 約束など、覚えているわけがない。
 そうは思うが、現実を見せた時のバーナビーの泣き出す寸前の顔を、一口も口をつけられる事無く置き去りにされたマグカップの中のコーヒーを見つめて思い返してしまい、虎徹は深くため息をつく。
 バーナビーの口調からすれば、両親を失った痛手を、虎徹に求めていたのだと理解できる。
 それでも最後に会ったのは、バーナビーは3歳で、虎徹は高校生だ。
 通っていた高校で、今は亡き人になってしまった妻の友恵を思い焦がれる毎日を送っていた。
 自分について廻る子供は可愛いと思えたが、3歳児になにを求めろと言うのか。
 年齢差と認識の違いに、虎徹は再び深いため息を零した。
「なぁ友恵。俺傷つけちまったのかなぁ」
 単に本気になれなかっただけだ。
 何度も繰り返すが、相手はまだ言葉もはっきりとしない子供だったのだ。
 写真に問いかけても答えなど出ないが、それでもあのバーナビーの泣く寸前の顔に、どうにも罪悪感が拭えない。
 娘と妻と三人で撮った笑顔の写真に指を這わせて、おのれの罪を思った。



後略





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幼馴染パラレルです。