ピアニィ・ピンク

2012/03/14up

 

「おはようございます。遅くなってしまってすみません」
「おう、おはよ……ぎゃー!?」
 いつもの始業前の事務所の挨拶は悲鳴に変わった。
 事務員のおばちゃんは、悲鳴に顔を顰め、その後挨拶を交わそうとバーナビーを視界に入れて、キーボードを打つ手がとまってしまう。
 二人の反応は、客観的に見れば理にかなっている。
 なんせ、普段はクールビューティなハンサムマンに、たわわな胸がついていたのだ。
「おッ! お前! それ何の冗談!?」
「僕も冗談だと思いたいですよ」
 朝、熱狂的なバーナビーのファンだという少年に、社屋に入る前に出会い、いつもの愛想を全開にして、求められた握手をしたら、びりっと静電気でも起こったような刺激を感じた後、胸にありえない重量を感じた。
 何事かと自分の体を見回せば、完全に女性になっていたのだ。
 二人に胸の説明をして、憎らしくなるほどの綺麗な金髪をかき上げながら、胸の所為なのだろう、普段よりもファスナーを下ろしたライダージャケットを脱ぎ捨てる。
 そのジャケットが椅子の背にかけられる前に、再び事務所に悲鳴が轟いた。
 悲鳴を上げたのは、また虎徹だった。
「なんなんですか! 人の不幸を種に笑ってるんですか!」
「ちげー! とにかく早く上着ろ!」
「イヤですよ。なんだか熱くて汗をかいてしまったんですから」
 眉を顰めて拒否するバーナビーに、虎徹は自分のベストを脱いで、無理やりバーナビーに着せた。
「だから!」
 揺るがない意見に、虎徹は仕方なく、バーナビーの耳元で囁いた。
「乳首、ういてるんだよッ」
 普段から、ライダージャケットの下は、伸縮性の高いピッタリとボディにフィットするTシャツのバーナビーは、虎徹に指摘されてようやく気がついたらしく、慌てて胸を腕で隠した。
 そんなバーナビーに、虎徹はため息をつきながら提言した。
「おら、買い物行くぞ」
 虎徹の言葉がわからず、バーナビーは首を傾げる。
 女性になった所為か、その仕草が虎徹には酷く可愛く見えた。
 見惚れたと思った瞬間、自分で惚れた弱みじゃないからなと、誰に対する事もなく言い訳をした。
 とはいっても、見惚れている場合でもない。
 いつ何時、緊急コールがあるかわからないのだ。
「下着、必要だろう?」
「下着って、もしかして女性用の……」
「当たり前だ。そんな立派なもの見せ付けて、ノーブラとかありえねぇし」
「イヤです!」
「嫌も何も、必要なんだから仕方がないだろう。ブラ無しで走るってすっげー痛いらしいぞ。巨乳になればなるほどらしいから、これからロイズさんの所に行って、事情を話して、斉藤さん所でスーツ弄ってもらわないと」
 珍しく段取りよく決める虎徹に、バーナビーは隠している感情の所為で、胸が痛くなる。
(女性だったら、こんな風にいつでも優しくしてもらえるのかな)
「ほら、行くぞ」
「は、はい!」
 虎徹の促しに、バーナビーは慌てて席を立った。





 ロイズの部屋に入ると、ロイズはいつもの席で爪を切りながら、チラリとバーナビーに視線を送ってきた。
「聞いたよ、バーナビー君。君も相当不運だねぇ」
 幼い頃より犯罪者のマーベリックに目をつけられ、両親を殺害されて、更に今は虎徹に合わせるように、初めに入った華やかな一部リーグではなく、目立たない二部リーグに所属している。
 その上の今回の事件に、ロイズは頬を引き攣らせた。
 額を押さえたロイズに、バーナビーは問う。
「あの、朝のあの少年はどうなりましたか?」
「今研究所で、色々検査とか実験が始まったみたいだよ。性別の変更は、雄にしか見られないってラットで実験結果は出てるみたいだねぇ」
「そうですか……」
 少年は、憧れのバーナビーに会えて興奮していた。その反動で、NEXTに目覚めてしまったのだろう。
 バーナビーの変化に、少年自身が酷く驚いていた。
 放置も出来ないと、バーナビーは社の女性警備員に少年を預け、事務所に入ったのだ。
少年には可哀想だが、NEXT抑制の手錠をしてもらい、護送車で研究所に向かってもらっていた。
 人に作用してしまったNEXTに廻りも慎重にならざるを得ない。
 被害は今の所バーナビーだけで、最小の人数で済んだ事を、有り難く思わなければならないだろう。
 それでも唯一の被害者、バーナビーはため息をつく。
 その横で、虎徹は話を進めた。
「時間限定とか、そういう類の研究結果は、当然今はわかりませんよね?」
「それは時間がかかるだろうね。とりあえず、今現在は、4時間は元に戻らないって事しかわからないね」
 バーナビーが性別変更をしてから経っている時間を示して、ロイズは肩をすくめる。
「斉藤くんにも話してあるから、この後行って頂戴。後は買い物に出てもいいから」
 虎徹と同じ既婚者のロイズの言葉に、バーナビーは首まで赤く染めた。
 その反応に、虎徹はコッソリ心の中で、童貞の動きを楽しんでしまった。
 恋愛関係になって早3年。
 初心な仕草の可愛さは、女性になって数百倍にもなっていると虎徹は感じてしまう。
 男のバーナビーと恋愛関係に落ちたのだから、虎徹に性別の垣根は無いが、女性になった 所為か、少し身長も縮んでいて、虎徹が普通に立っていてもつむじが見える。
 それでも女性にしては高身長だ。
 だがソコが可愛い。
 虎徹の横を必死に今までの歩調に合わせるように、ヒョコヒョコと歩く姿に、胸がキュンとする。
 頑張っているバーナビーを助けようと、虎徹はバーナビーの腰に手を回した。
「なんですか」
「別に? ただバランス取り辛そうだったから、予防策」
 男と女では、重心の取り方が違う。
 女性は胸が発達するにつれて、バランスをとるために重心を後ろに置くのだ。
 普通は徐々に、自分でも気がつかないうちになっているそのバランスが、いきなりやってきたバーナビーが今まで転ばなかったのは、体力勝負のヒーロー業のお陰かと、日頃真面目に トレーニングに勤しんでいる彼(今は彼女だが)に、心の中で拍手を送る。
 そして、今までの関係では無かった歩調の違いに、虎徹は苦笑してしまう。
 更に思い出してしまうのが、死別した妻の友恵の事だった。
 彼女は平均的な女性の身長で、高身長に入る虎徹とは、歩調が違うのが当たり前で、付き 合い始めた頃に怒られたのだ。
 一緒に歩くたびに、ランニングさせるつもりかと。
 懐かしい彼女の声が頭の中を駆け抜けて、バーナビーに視線を移せば、今までに無くバーナビーは不機嫌そうな表情で、腰にまわしていた虎徹の手を叩き落とした。
「僕はあなたの奥さんじゃありません」
頬を膨らませて、虎徹の考え等お見通しとばかりに、虎徹を睨みあげる。
「いやいや、重ねてたんじゃねぇよ。ただ、あの時はおかしかったなぁって」
「あの時?」
「俺とお前は歩調一緒だっただろ。それがアイツは俺との身長差が20センチあったから、一緒に俺のペースで歩くと、ランニングさせる気かって怒られてさ」
 種を明かせば、バーナビーはぷっと吹き出した。
「確かに。でも普通、怒られる前に気がつくと思うんですけど」
「俺も若かったんだよ」
 初めての恋愛関係だった亡くなった妻の話題で笑って、二人でメカニックルームに入った。
「ちーっす。斉藤さん、話通ってるんだよな?」
 声の小ささではぴか一のメカニック担当者に声をかければ、いつもの席で、斉藤が二人に振り返った。
『ああ、聞いているよ。バーナビー君、隣の部屋で採寸してきてくれないかな。スタッフが控えているから』
 虎徹とバーナビーは、二人して斉藤の口元に耳を寄せ、何とか聞き取れた単語でバーナビーはメカニックルームの別室へと足を向けた。
 その間虎徹は、自分のスーツと並べられているバーナビーのスーツを眺める。
 つい4時間前までは男だったのだから当たり前だが、とてもではないが、女性は入らない。
絶対的に胸が邪魔になるだろう。
「なあ、斉藤さん。このスーツで伸縮するのって首周りだけだよな? すぐにどうにかなるものなのか?」
 素直に質問をぶつければ、斉藤はコーヒーを片手にキーボードを操作し始めた。
『私の作ったスーツは、いつ何時何があっても大丈夫なように設計しているんだよ。サイズが上がってきたら、そのデータを元に、即金型を作るから大丈夫だ。3時間で仕上げてみせる』
 心強い言葉に、虎徹は口笛を吹いた。
「すげぇな。流石斉藤さんだ。でも出番が無い事を、俺は祈るぜ」
 ヒーロースーツを身にまとうという事は、事件が発生するという事だ。
 平和な街になればいいと、そう願って笑っていれば、採寸が終わったバーナビーが別室から出てきた。
 遠目で見て、虎徹は首を傾げる。
「……あれ、バニー、縮んでないか?」
 違和感は、元のヒーロースーツと並んだ時に、はっきりと虎徹の中に刻み込まれた。
「ご明察です。身長を測っている間も縮み続けていて、でも身長以外は固定みたいですよ」
 大きくため息をついて、バーナビーは斉藤の下にやってきた。
「結果、届いてますか?」
『ああ、届いているよ。問題は脚部だね』
「そうです。もうどうしたら良いのか……」
『そのあたりは任せてもらうよ。君は考えなくてもいいからね』
「有難うございます」
 仕事上必要な遣り取りを終えれば、後はサイズをプリントアウトした紙を手に、行くところは一つになった。
 プリンターから吐き出された紙片を虎徹は手にして、スリーサイズを見て絶叫した。
「なんっじゃこりゃー!」
 記されているサイズは、バスト99センチ、ウェスト55センチ、ヒップ88という、どこぞのアニメキャラと同じ数値だったのだ。
 まさにダイナマイトボディ。
 男であった頃は、握手をすると失神してしまう人がいるほどの、女性から見た男の理想像だったが、女性になったら今度は男の理想を実現させる。
「お……まえ、何処の出身だよ」
「はい? ここ、シュテルンビルトですけど」
「……ぜってぇ違う」
 何処かの研究所で作られた人造人間としか思えないと、虎徹はバーナビーを見つめてしまう。
 沈黙した二人に、斉藤が相変わらずの小声で、二人を追い立てる。
『スーツの改造はしておくから、君たちは買い物に行った方がいいんじゃないのかい?』
「あ、そうだった」
 必要な行動を思い出させてもらい、紙片を片手にバーナビーを誘う。
「じゃ、行くか」
 虎徹は指でバーナビーを呼び寄せれば、この段階に来て、バーナビーはまだ渋っていた。
「……どうしても行かなきゃいけませんか?」
 時間も無いのに渋るバーナビーに、虎徹は頬を引き攣らせた。
「あーそう。行きたくないと。いいぜ、行かなくても。代わりに俺が買ってきてやるよ。超セクシーランジェリーでいいんだよな? パンツは紐でも文句無いな? ならお使いしてきてやるよ」
「すみませんでした! 付き合ってください!」
「最初から素直にそういえばいいんだよ」
 やけくそになったバーナビーの返答に、答えを導いた虎徹は、感慨深く頷く。
 自分の思うとおりにいかなかったバーナビーは、歩き出した虎徹の後を追いながら、小さく舌打ちをした。


後略





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後天性もたのしいです^^