ティエリアの激情を身に受けても、刹那には現実感が沸き起こらなかった。
部屋に戻れば、地上に降りる前に予測した部屋の様子と何も変わらない。
散乱した彼の服。
読み散らかした書類と書籍。
シャワーの後に使ったのだろう放置された使用済みのタオル。
寝て起きたまま、簡単なメイクもされていないベッド。
今にもひょっこり、『メシ食った後、ちょっとしゃべっちまった』と笑って、彼がドアから顔を出す様な気がしてならない。
呆然と部屋の真ん中に立ち尽くして、夫の香りを吸い込む。
混じり合った空気は、尚更刹那に現実を見せてはくれなかった。
大気圏を離脱して、通信機越しにラッセと会話を交わした。
刹那の求める戦う意味を、共に考えてくれた。
ラッセが零した「存在する事に意味がある」という言葉に、刹那は共感した。
生きて、その先に見出す幸い。
進んだ科学を見せるのも、武力を行使するのも、存在を示すため。
そして、存在して掴む幸せ。
人間が誰もが同じように努力できる世界を掴むために、戦う。
そして、自分の家族を守るために。
意識を改めて、今はパイロットスーツの下に隠れいている装飾品を思う。
この状況で、考える時間を与えてくれた夫を思った。
彼との生活を守る。
そしてその先の未来を。
自分の戦う意味は、おそらく常人の考えるものと変わらないのだと、天使の名を持つ機体に包まれながら、刹那は思った。
そしてその事が、少し誇らしかった。
一人でそっと笑った瞬間に、通信が届く。
何事かと慌てて通信を開けば、攻撃を受けているとの報告文で、即座に内部通信を開いてラッセと検討した。
今航行している場所からは、とてもではないが間に合わない。
刹那を欠いているだけではなく、基本の戦力が保持できていないトレミーでは、新型が投入されている戦場は厳しすぎる。
「トランザムを使って宙域に急行する!」
ラッセの操るGNアームズから緊急でエクシアを切り離して、限界スピードで戦域へと向かった。
早く。
もっと早く。
開放された新システムは、今までの比ではないスピードで刹那を運んでくれたが、それでも刹那には遅く感じた。
今まさに、守ろうとしていたものが脅かされている。
少しの猶予も無いのだ。
急く心を持て余しながら飛び込んだ戦域には、残骸が広がっていた。
艦隊は既に撤収した後で、激しい戦闘の痕だけが残っている。
その中に、見慣れたカラーの破片を見つけたとき、刹那は体の芯が凍る感覚を覚えた。
深い緑のあれは――――。
「……ッロックオン!」
慌てて周辺を哨戒すれば、ありえない姿を視認してしまう。
何故、宇宙空間にパイロットスーツ姿で浮かんでいるのか。
怪我を押して出撃していた事実など吹き飛ぶほどの衝撃的なモニターの映像に、再び限界まで機体を加速させる。
生体反応を頼りに哨戒した宙域に、トランザムを使用した後の出力の落ちた機体を叱責しながら進める。
そして見えてきた全体像。
ロックオンの直側に、今にも誘爆しそうなあからさまに壊れたバズーカーが見える。
危ない。
時間がない。
それでも本人にぶつかる訳にもいかずに、ロックオンの救出を最優先に機体の速度を落とした。
ウィンドウで体を確認しながら、それでも場所の特定が難しい状況に叫ぶ。
「ロックオン! どこにいる!」
パイロットスーツには、万が一宙域に投げ出された時に発進する、救助要求システムがついている。
場所を示す発光信号と、友軍の機体を誘導するシステム。
それを起動させようとして、名前を叫んだ。
「ロックオンー!」
どんなに叫んでも、返答は無い。
それでもバズーカーを目印に進んでいけば、微かに通信システムが電波を受信した。
刹那は藁にも縋る思いで、タッチパネルを叩いて電波を拾い集める。
それでも拾えたものは音声電波だけだった。
『……い、……る…………れ…………』
雑音に紛れて、男の声がする。
生きている。
意識がある。
確認できた最重要事項に、刹那の顔には喜色が浮かぶ。
視覚と聴覚を研ぎ澄まして、電波の方向と生体反応で、やっと場所を確認できた。
助けられる。
そう思った。
だが次の瞬間に、モニターがバズーカーの異変をとらえる。
熱源反応の情報アラートに、体が強張る。
時が止まれと、心の底から叫ぶ。
この瞬間の時間が止まってくれるのならば、捨てた神ももう一度崇める。
男の代わりに死ねと言われても、喜んで命を差し出す。
だから――――。
「ロックオンーーーっ!!」
だが、神を捨てた刹那の祈りは、どこにも届かなかった。
内部の空気を燃やして、上がりきった温度に残った空気が膨張し、装甲が限界を迎えたバズーカーが煙を噴出す。
その直後。
閃光が、彼の姿を消した。
「……ろっく、お…………」
あまりの事に、呆然としてしまう。
見間違いではないのかと、恐る恐る生体反応を示していたウィンドウに視線を送っても、もうそこには何も映されていなかった。
残っていた緑の破片と、バズーカの青い破片が、刹那の機体であるエクシアの周りを慣性に任せて漂っていく。
「ろ…………」
視界がぶれる。
その後、振り切れた感情に流されて、恥も外聞も無く叫んだ。
「いやあぁああああぁああああ!!!!」
その叫びを傍受していたのは、後から追いかけてきていたラッセだけだった。
艦内に、放送が流れる。
『デュナメスの太陽炉を外します。マイスターは確認に来て下さい』
極力感情を出さない様に勤めているのが解るクリスティナの声に、刹那は導かれる様に格納庫へと足を向けた。
格納庫には、先に整備士のイアンがいた。
自分の子供の様に刹那を可愛がってくれていた彼に、視線を向ける。
イアンはうつろな視線の刹那を、指で呼び寄せた。
「最初に来たのがお前さんで良かった」
そう言って、刹那をデュナメスのコクピットに押し込む。
そこには刹那とお揃いの、金のチェーンのネックレスが光っていた。
「これは、アレだろう? お前らが、地上で買ったって……。お前以外が触れるのはどうかと思ってな」
ロックオンの生まれ育った場所では、当たり前の様に交わされると言っていた、エンゲージ。
本当は指輪だけど……と、照れた様に刹那の首にかけた物と同じ物。
『お互い、指じゃなくて首を捧げようぜ』
くだらない、と、本当はその時に思った。
心以外、何が必要なのかと。
それでも今、その刹那が『くだらない』と思った物が、確かに彼がいた証拠として目の前にある。
「……コクピットを、少しの間、閉めても構わないか」
静かに告げれば、イアンは何も言わずに外部からデュナメスのコクピットハッチを閉めてくれた。
「……こんな物を残して、俺に次の相手を見つけろと言うのか、ロックオン」
約束だった。
どちらかが先に死んだ場合は、必ず次の相手を見つける事。
言われた時に、刹那は納得出来なかったが、それでもロックオンの心を優先させて、承諾した。
それでも、辛い。
この先、ロックオンと築いた幸せな時間を、他の誰かと築けるとは到底思えなかった。
返されたエンゲージに、恐る恐る指を這わせる。
もう体温も残っていないそれは、酷く冷たく、関係の終わりを刹那に告げていた。
そっとシートに掛かったままのエンゲージに頬を寄せる。
温度は無かったが、それでも少し、彼の香りが残っていた。
シャワーの時も寝るときも、彼はコレを外さなかった。
春には少し早い時期に、刹那がロックオンが選んだホテルの一室で、請われて彼の首に留めたままだった。
コクピットに設置されているシートは、搭乗者の体格からオーダーされたもので、エンゲージがかけられている部分は、彼の首の位置と変わらなかった。
シートに抱きついて、ロックオンの姿を追い求める。
当然それは叶わなかった。
クッションが効いていても、人の体の柔らかさには敵わないシートは、もう彼は居ないのだと、刹那に余計に伝えただけだった。
目頭が急激に熱くなる。
それがどういう生理現象なのかは解っていたが、それ以上の感覚は、今の刹那には認識出来なかった。
そして閉ざされたコクピットは、遮音性に優れていて、刹那自身が気付かないうちに出した叫び声は、誰にも聞かれる事はなかった。
デュナメスのブラックボックスに収められていた情報に、誰もが絶句した。
怪我をした体で、スローネツヴァイと交戦した記録が残っていたのだ。
その情報を確認した刹那は、目を閉じた。
そして思う。
どうしてあの時、自分を殺して、因縁と決別してくれなかったのかと。
更にはツヴァイの情報を流した自分に、どうしようもないほどの後悔の念に襲われる。
「……刹那の所為じゃないよ」
そっと肩に手を置いて、アレルヤは刹那を慰めた。
アレルヤにもそれがただの慰めにしかならない事はわかっていた。
それでも言わずにはいられなかった。
刹那が心の空洞を感じて浸っている暇もなく、再び攻撃が始まる。
クルーも気を使いつつも、対応に追われた。
そして激しい戦闘が再開される。
前回に引き続いている『フォーリン・エンジェルス』と名づけられた、国連軍のCB掃討作戦は、実質的な最終戦闘になった。
現場の指揮官であるロックオンとデュナメスという戦力を欠いたクルーは、可能な限りの連携を繰り広げたが、それでも敵わなかったのだ。
再起できないほどに機体にダメージを与えられて、更にはトレミーも宇宙の藻屑となった。
他の仲間も確認出来ず、刹那もエクシアを再起動させる事も敵わなかった。
それでも、活動開始のときにロックオンと約束した通りに生きている自分に、刹那はぼんやりと、開いてしまっているコクピットハッチの穴から差し込んでくる太陽光を眺めた。
最終戦闘を終えて、刹那は地上に降りた。
ロックオンが愛した故郷を見る為に。
そこにロックオンの幻影を見たかった。
最後の戦闘の後、積んであった予備の機材で通信は回復させる事はできたが、CB本部へ生存報告をしなかった。
軌道エレベーター近くの、資源用にアステロイドベルトから運ばれて来た小惑星に半壊したエクシアを隠し、そのまま戦闘に巻き込まれた一般市民を装って、近くを通りかかった軍艦に保護してもらい、地上に降りる事に成功した。
春の時期、アイルランドは花が咲き乱れていて、とても美しかった。
そんな美しい情景の中、刹那は自分の体調の変化を悟る。
気が付けば、ロックオンが負傷した時に受け入れた生身のロックオンとの性交から、生理が来ていない。
倦怠感と嘔吐感に、知識だけで知っていた『まさか』に思い当たる。
もしそうなら……と病院にかかれば、思った通りの医者の返答が得られた。
「2ヶ月ですね。おめでとうございます」
微妙な笑顔の医師に、刹那の表情も自然と綻んだ。
年若い刹那に最初は怪訝な顔をしていた医師も、その笑顔につられる様に笑い、その後の注意事項や心得を教えてくれた。
首にかけている二つのエンゲージが、熱を持った様な気がした。
病院を出て、まだぺったんこの下腹部を撫でながら、刹那は空を仰ぎ見る。
「ロックオン……いや、ニール。愛している」
最後の彼の贈り物に、刹那は心の底から笑った。
そして、今は青い空に向かって、心の中で語りかける。
ずっと、共に生きよう。
命が果てるまで、お前への気持ちは忘れない。
お前が言った通り、次の相手が見つかったとしても、お前への気持ちは消える事はない。
消さなくていいと、お前はこの子を通して俺に伝えているのだろう?
俺はお前が夢見た生活を、この子に与えられる様に生きるから。
だから、ロックオン。
愛しているんだ。
end
最後までのお付き合い、ありがとうございました。
こんな経緯で出来た長女ちゃんです。
そしてこの後、刹那さんは必死に「普通の家庭」でネット検索をかけております。
なので、Sunny〜の最初の家庭があるわけです。
兄さんのご希望通りです。ヤマトナデシコは男のいう事に従順に従うんです。
そういうことで、タイトルはオーダーメイドでした。こんな女になったら勃つよと適当に言った兄さんですが、ほんとに惚れちゃいました、という落ちです。そしてそれでよかったという結果に。二期の刹那の痛々しさに、カッとなって練ったネタでした。
どう考えてもギャグにしかならないものが、デッドエンドの救いで欲しかったんです。
言葉だけじゃない兄さんの支えが刹那に欲しかったんです……。
そんな事をこのページ数かけて書きました。
つかこれ、最初はオフで出そうと思っていましたが、総文字数的に無理でした☆
一年半もかけてしまった……(大反省)
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