アザディスタンの介入の後、ロックオンは考え続けていた。
当然表面的には何時もと変わらない様子を心がけて。
何故あそこまで的確に敵の居所を突き止められた。
一瞬過ぎった思考は、実は現実なのでは。
刹那を思う時、必ず過ぎる考え。
不穏な思考を悟られないように、刹那と顔を合わせれば直ぐに体を求めた。
それ以外の時間は、自然と単独行動を望むようになった。
大きな作戦前の、情報収集時間。
ほかの面々は王留美の別荘で休息の時間を過ごしていたが、ロックオンは一旦はそこに合流したが、直ぐにまた単独行動を願い出て、故郷へと向かった。
自分を見送る刹那の顔を、見ることは出来なかった。
見なくとも解る。
会話も交わさずに体だけ求めて、普段は人の輪の中に入る自分が一人で出かけたいと望んだのだ。
鈍感な人間でも、避けている事など解るだろう。
刹那は寧ろ人の心に敏感なのだ。
不安な顔をしている事は解っている。
本当なら笑いかけなければいけない。彼女とは将来を誓っていて、それでなくとも命を預けあう間柄だ。
それでも、どうしても今は顔を見る事が出来なかった。
故郷に辿り着いて、前回刹那と共に動かした愛車に乗る。
エンジンを回して走らせた先は、両親と妹が命を落とした場所だった。
大型ショッピングモールだったその場所は、今は追悼碑の建てられた広場になっていて、あの時の悲惨な状況を誰にも伝えていない。
耳をつんざく爆音。
上がる悲鳴。
逃げ惑う人々に驚き泣き叫ぶ子供。
振り返ったロックオンの目に飛び込んだのは、見たことも無い瓦礫の山だった。
人の流れに逆らって、両親と妹のいた場所に戻ろうとしたロックオンを、背後から弟が止める。
危ない。
まだ崩落しているんだ。
自分たちが二次災害を起こしてどうする。
常識的な言葉を吐く弟に、それでもと暴れて怪我を負わせた。
サイレンが鳴り響く中、何も出来ない自分に絶望した事を忘れられない。
爆音が鳴る直前に買ったはずの、弟と種類違いのクレープは、いつ手放したのか記憶に無かった。
自分の人生を決定的に変えた瞬間を思い出しながら、定時連絡を入れれば、背後のカーステレオのくだらない番組を拾ったマイクに、喜び勇んでリヒティが突っ込みをくれる。
なんすか、やっぱり誰かと一緒なんすか?
くだらない冷やかしに、今は答える元気もなく。
一言「馬鹿」と返して通信を切る。
再び慰霊碑を見つめて、考えた。
あんな酷い事が出来る人間じゃない、アイツは。
アザディスタンの内紛の様子に、精神的に追い詰められていたところも見ている。
淡々とミッションをこなしている様に見えても、自分が叩き切ったMSの中に人が乗っていることも理解していて、ミッションの後の食事はその時撃破した敵の数と比例して、味を不安定に変化させる。
内面がそこに表れている事を理解していた。
ロックオンと違い、自ら人を殺すことに慣れていない。
大儀に頼ることも出来ない子供だと、理解しているのだ。
何とか自分の中の疑惑を取り除こうと努力を重ねる。
もしかしたら、と思いつつも、手放せない愛情を感じて、自己の精神安定の為に「違う」と否定を続けた。
何年経っても消えない憎悪と、心に深く刻まれた愛。
そして自分が背負っている責任。
また彼女も背負っている責任。
自分たちの立場。
アザディスタンの作戦を終える間際から、もう数え切れないくらい頭の中で同じ問いと答えを繰り返した。
それでも結局、戻ると事は同じなのだ。
刹那への愛情は手放せない、と。
それでも疑惑は尽きる事無く、ロックオンを責め立てた。
ロックオンが単独行動をすると言って屋敷を出た後、刹那もロックオンのいないその場に身を置く事に魅力を感じず、潜伏地へと戻っていた。
日本の穏やかな空気に、殺伐としていた自分を意識する。
隠れ家として与えられた高級マンションを掃除して、誰もいない場所で料理をする気にもなれず、日の暮れた部屋の中でじっと窓の外を見つめた。
ロックオンとの間が変わってしまったと、解っている。
何がきっかけなのかは解らない。
それでも気がつけば、愛した男は刹那を見ずに、誤魔化すように快楽に溺れていた。
以前ならこんな休みが取れれば、必ずロックオンは刹那を誘って二人の時間を楽しんだ。
仲間に気を使い、盛り上げるだけ盛り上げて、ソコからコッソリ抜け出そうと誘うのだ。
態々そんな事をしなくても、皆は送り出してくれる。
そう刹那がロックオンに訴えれば、ロックオンは悪戯っぽく笑いながら、「抜け出すスリルも楽しいんだよ」とウィンクした。
刹那と二人だけのときに見せていた、道化ではない明るい笑顔は、もう久しく見ていない気がすると刹那は思う。
武力介入を始めて、当然のように二人の時間は減った。
エージェントの仕事以外は基地にいた武力介入前は、当たり前のように顔を合わせて、同じベッドで眠る。
結婚を前提として体の関係を持った後は、夜の時間に甘い空気を感じて、何もせずとも幸せだった。
ただ同じ部屋の空気を吸って、ロックオンは自分の端末に向かったり、読書をしていたり。
そんな彼が、たまに自分に向かって飲み物などを強請る瞬間が、何よりも充実していた。
基地や母艦では同室でも、行動範囲の違う刹那とロックオンは、当然のように別の隠れ家がある。
刹那がロックオンの身の回りを整える事も出来なくなった。
無造作に脱いだ服、要らなくなった書類が投げ捨てられる床、シャワーの後の使ったタオル。
どれにもロックオンの匂いが染み付いていて、ロックオンの後を片付けて歩く刹那に周りは「大変だね」と慰めてくれたが、別に苦ではなかったのだ。
愛する男に誰よりも近くにいて、誰にも向けない表情を見る事が出来る。
刹那以外の前で、ロックオンが怠惰な生活を見せることは無かった。
食堂や談話室では、普通に共同生活を送る。
その彼が、自分の前では飾らずに、ありのままの姿を見せてくれた。
それが幸せだった。
太陽が沈んだ空が紅色から濃紺に姿を変え、細い月が部屋の中を照らす。
それでも宇宙空間の基地よりも明るい部屋に、寂しさが募った。
会いたい。
笑顔が見たい。
そう願っても、今の状況で連絡を入れることも戸惑われる。
更に頭を過ぎるのは、一人の部屋で彼が満足に生活できているのかであった。
洗濯せずに、服が無くなっていないか。
食事が満足に得られていないのではないか。
埃がたまった部屋にいるのではないか。
考えてしまえば止まらなくなる。
端末を手にして、暫く悩んだ。
通信をしてみようか。
だが一人になりたいと出たのだから、邪魔ではないか。
ぐるぐると考えて、ため息をついて端末を床に置く。
刹那の顔を見て苦しむロックオンを、身近に見るのは刹那にも辛かった。
首にかけているエンゲージに触れれば、刹那の体温を吸って暖かい。
今、彼の首にコレと同じ物があるのだろうかと、ふと思った。
その瞬間、一つの言葉が浮かぶ。
別れ。
その言葉が、刹那の頭に過ぎる。
結婚を前提に、とロックオンは言ってくれていたが、世の中には別れる恋人同士など当たり前のようにいる。
書類を提出して結婚をしていても、離婚という手段もある。
笑わなくなったロックオンは、刹那に対して以前のような恋愛感情を持っていない気がした。
それでも別れを切り出さないのは、刹那の風習を考えてくれているからなのかもしれない。
たった数ヶ月前に笑顔で交わした装飾品を握り締めて、刹那は目を閉じる。
暫く暗い世界に閉じこもり、再びこの世を視界に納めた刹那は、荷物をまとめて部屋を出た。
個人の移動にはガンダムは使えない。
公共の交通機関で、アイルランドに向かった。
単独行動という言葉を残して刹那の前から消えたロックオンがそこに居るとは限らなかったが、刹那はソコだと思った。
結婚という人生の節目に選んだ土地。
そしてロックオンと同じ癖のある発音の人々が暮らす所。
故郷を大事にしている雰囲気を持っている彼なら、心が休まるのは多分この場所だろうと思ったのだ。
町を歩いて、ロックオンの隠れ家である、ダウンタウンに近い古びたアパートの一室のチャイムを押す。
初めて訪れるロックオンの部屋に、少し緊張した。
暫く反応がなく、留守なのかと刹那が足を返したところで、ドアがチェーンが揺れる金属音と共に開く。
「……刹那?」
慣れた声と呼びかけに、普段は軽くなる心が沈むのを感じた。
部屋に入れば、ソコは刹那の想像通り、足の踏み場も無い状態だった。
それでもロックオンは気にせず、刹那を通す。
何時もの彼に、刹那は黙って背中を追った。
「……で、どうしたんだよ、こんなところまで。皆となんかあったのか?」
刹那の単独行動は、ロックオンに知らされていなかったのだと刹那は知る。
メンバーは皆感が鋭い。
不自然な自分達に気がついているのだと、そう思った。
部屋の中で唯一何もせずに座れるベッドに促されて、大人しくその場所に腰をかけた。
だが、思った事を伝えたいと思った口が、思うように開かない。
いつでも言葉は苦手だが、愛情を手放す事がこんなに難しいことだとは、この場に直面するまで刹那は知らなかった。
もう、愛していないのだろう。
なら無理をして付き合うことは無い。
直ぐに組織に書類を提出しよう。
家族としての財産分与の書類だけだが、それでもそれはこの先ロックオンがきちんと愛情を育んだ相手と交わすものだ。
たったそれだけの用事が、どうしても口に出来ない。
視線を彷徨わせて、必死に口を動かそうと努力していた刹那の目に、ロックオンの首元が映った。
ソコには相変わらず、刹那と同じ金が光っていた。
てっきり外していると思っていたものに視線を吸い寄せられて、用事以外の言葉を零してしまう。
「……それ……何故だ?」
刹那の視線を追って、ロックオンは自分の胸元にかかるエンゲージを見る。
ありえないものを見るような刹那の視線に、素直に問いかけた。
「あ? 何故って……なんだ?」
「……もう、していないと思っていた」
「……あー、そういう事」
今までの態度をそうとられていたのだと思えば、刹那の驚きも理解できる。
だが根本が納得できない。
「あのなぁ、俺は別れも言わずにそんな事しねぇよ」
「……そうなのか?」
「ちょっと、俺ってどう見えてるわけ?」
意外そうな刹那の声色に、本気で周りに思われている自分像というものが気になってしまう。
「そんな不義理な男じゃないよ、俺は」
婚約までしているのだ。
いや、書類上では既に家族だ。
婚姻届を出していないだけで、実質は家族として扱ってもらっている。
宗教上の理由として並べたロックオンの申し立ては、組織に受理されていた。
「なんだ、確認しに来たのか?」
訪問の理由を問えば、刹那はまた俯いて首を横に降った。
思いつめた少女に、ロックオンは頭をかく。
もう誤魔化せないと、そう思った。
これ以上苦しませたくないと、ため息をつきながらも謝罪を口にした。
「悪かった。お前にそんな事思わせる態度とっちまって」
「……いや、きっと俺が悪いんだろう。お前に愛想をつかされても仕方がない」
唇をかみ締めて、内容を予測している刹那に、また溜息が毀れる。
「別に、そんなんじゃない。ただ……ちょっと気になる事があるだけだ」
ロックオンの口から流れ出た予想外の言葉に、刹那は視線を上げる。
久しぶりにきちんと絡み合った視線に、ロックオンも二人のときに見せる陰湿な笑みを顔に乗せる事が出来た。
「でもな、気にはなるけど、聞けないことなんだ」
「…………」
「俺が悩んでることも、お前の気になってることも、多分……いや、絶対に秘匿事項なんだ。夫婦だって、俺たちは何でも話せるわけじゃない。だけどコレだけは言っておく。お前に何があっても、俺はお前を嫌いになれない」
「……ロックオン」
好意を伝えながら、それでも苦しそうな顔に、刹那は胸が苦しくなる。
初めて組織に属している事を後悔してしまった。
普通の恋人同士なら、気になることを伝え合える。
それが決定的な別れに繋がることもあるのだろうが、それでも愛する男にこんな表情をさせることも無かっただろうと、そう思ってしまう。
再び俯いて、何をロックオンが自分に聞きたいかはわからなかったが、それでも答えられない自分が歯がゆく、刹那は膝の上で拳を握り締めた。
握られた手を見つめて、ロックオンは小さなその手を、普段どおりに皮手袋をつけたままの指先で撫でる。
「いいんだ、今は。でも悪い。多分暫くは笑えないし、聞いちゃいけない事口走りそうだから、まともに話すことも出来ない。でも……」
ロックオンも、頑張って言葉を選んで話しているのがわかり、刹那はじっと彼の口が動くさまを見続けた。
「俺はやっぱり、何を考えても、どう結論付けても、お前の事を愛してるんだ。だからセックスばっかり求めちまって悪かった」
発露がソコしかなかったと、懺悔の様に刹那の細い肩に頭を預ける。
それでも、失う事を覚悟した愛情がまだあったことに、刹那は体の力を抜いた。
愛されているその発露が快楽ならば、いくらでも受け入れる。
そうは思ったが、それでも気になった事を、漸く刹那は口に出来た。
「……まだ、結婚式を挙げてくれるのか?」
前回この町に来た時にした約束は、有効なのか。
聞くのに少し声が震えた。
「当然だ。っていうか、挙げてもらわないと困る事も出てくるしな」
「……そうなのか?」
「だって、子供が作れないだろ」
以前からの約束を覚えていたと示すロックオンに、刹那は久しぶりに笑うための表情筋を動かす。
浮かんだ刹那の笑みに、ロックオンもまた素直に笑う事が出来た。
「俺だって、ゴム無しで思いっきりお前の中に吐き出して、山ほど種付けしたいよ。それで刹那が子育てで俺に頼る姿が見たい」
「……犬も飼ってか?」
「そう! 俺コリー好きなんだよな。あのでかいモフモフを抱きしめてさ、そいつが嬉しそうに子供たちと庭を走り回るんだ。俺たちはそれを手をつないで見るの。毎日がコメディ映画になるぜ?」
楽しい未来予想図に思いを馳せたロックオンは、ロックオン自身が言った通り、刹那との愛情にあふれた未来を嬉しそうに語る。
肝心な部分は繋がっていると、刹那に伝えてくれた。
刹那は安堵に、珍しく背中を丸めた。
その姿は普段でさえ小さい彼女の体を、余計に頼りないものに見せた。
不安を抱えさせてしまったが、ロックオンもまた、思いつめて自分からロックオンを開放しようとしに来た刹那に、改めて愛情を感じる。
部屋に入った時に、悲しそうに視線を揺らせながら、普段から動きの悪い口を動かそうと努力していた刹那を思い返す。
彼女の中で結論付けられたロックオンの行動は、心が離れたという恋愛関係によくある問題だった。
それでもエンゲージを身に着けたままこの部屋に来たという事は、刹那はまだロックオンに執着があるということで。
自分の思いを殺してでも、ロックオンの心の安定を考えてくれた刹那に、更に愛情が深まるのを感じた。
深いお互いの思いに、頼りない体をロックオンは抱きしめる。
「愛してるから。それだけは信じててくれ」
「……ああ、解った」
腕の中で、部屋に来た時の強張った表情を緩めた刹那に、思いの丈を込めたキスを落とす。
刹那はキスを受けて、久しぶりにロックオンの体に縋った。
抱擁は、ロックオンからは謝罪の意味と、刹那からは離したくない愛情の現われで、二人は暫くお互いを抱きしめていた。
「……だけど、さ」
刹那の黒髪に頬を寄せながら、ポツリとロックオンは言う。
その声を刹那は、鍛え上げられた厚い胸板の内側から響く篭った音声で聞いた。
「全部、終わったら。俺たちが爺さんばあさんになったときでもいい。今悩んでる事、聞いてもらいたい」
刹那の過去の事。
そして自分の人生を狂わせた事件の事。
きっと話し合えた時には思い違いだったと笑えるのだろうと、そうロックオンは思った。
刹那の頷きを頬に触れる髪の動きで感じて、もう一度力を込めて抱きしめた。
一頻り愛情を確認しあった後、刹那はロックオンの体から離れて、ベッドを降りる。
「……どうした? もう帰るのか?」
ロックオンの問いかけに無言で返して、刹那は端末を手に取り、通信を開いた。
『……あら刹那、楽しんでる?』
端末から聞こえてくる声はスメラギで、ロックオンは何のためにココで刹那が通信を開いているのかを伺う。
だが、黙って見つめようとしたその行動は、許されないものに代わった。
「今、ロックオンの隠れ家に居る。俺はこの休みを利用して、この部屋を人の部屋に変えるから、暫くはこちらに居る事を了承してくれ」
「お……! おい刹那……!」
そんなことを報告しなくていいと慌てたロックオンに、刹那の端末から溜息が聞こえる。
『……やっぱりそうだったのね。悪いけど、もう直ぐソコも移動してもらおうと思っていたから、出来ればエージェントが死ななくて済む程度の埃の状態にしてやって頂戴』
「了解した」
死ぬ埃の量とはと、ロックオンは頬を引きつらせる。
「人は埃じゃ死なねぇよ!」
吼えるロックオンを無視して、通信を切った刹那は、凄惨たる部屋をキッと見据えて行動を開始したのだった。
見事に一日で変わった部屋の様子に、ロックオンは唖然としつつも、やっぱり刹那がいないとダメなのだと再確認してしまった。
思い巡らせていた事など、愛情を受けた日常の中で忘れるかもしれない。
そんな事を、久しぶりに口にした刹那の料理を堪能しながら思った。
だが、長い時を経なくとも、思いも寄らない場所から二人の関係は知らされることになった。
乙女兄さんと乙女せっさん(汗)
そしてやっぱり隠れ家も汚部屋です(笑)
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