will〜オーダーメイド 13

2010/10/19up

 

 穏やかでくだらない騒動を繰り返しているうちに、時間は流れた。
 目の前に刹那の誕生日が見えてきて、二人は最近頻繁に行われるようになった強襲用母艦の出撃訓練の後、クルーの前で朗らかに宣言する。
「俺たち、もう直ぐ結婚するから」
 主に朗らかだったのはロックオンで、刹那は普段の無表情に見えたが、それでも常よりも上気した頬に、彼女の喜びを感じる。
 夜のミーティングの終わりに出た発言に、クルーは二人をはやし立てて、刹那を実の子供のように可愛がっている整備士のイアンは、刹那に「まだ早い!」と親のような言葉を告げる。おそらく刹那の姿と、CBの託児施設に預けている自分の娘を重ねているのだろう。目には涙が見え隠れしていた。


 緊張感の無い行動訓練も、当然目的はある。
 仲間意識を持たせるクルー選抜と訓練が当たり前になった頃、基地全体のミーティングが行われた。


 内容は、活動開始を告げるものだった。


 スメラギが大勢の組員の前で、内容と作戦を説明する。
 大講堂に集まった面々は、研究に勤しむ物も実行部隊も、待ち望んだ瞬間に湧き上がった。
 そんな中、実行部隊のトップであるマイスターのうち二人は、気分の高揚も見せずに作戦指示画面を見入った。
 スメラギは二人の様子を視界に入れていたが、説明が終わった瞬間に二人から視線を逸らせた。


 行動開始の宣言を祝うように、その夜は意識高揚の為の宴会が催された。
 これからの自分たちの努力を誓い合う面々に、またこれから必要な研究を話し合う面々。
 宴会の趣旨は正しく組織の人々に伝わり、長年の水面下の活動を、必要な事だったのだと結論付けさせる事に成功していた。
 その宴の中でも、二人は一言も言葉を発しなかった。
 いや、その場にあわせて片方は口を開いていた。
 その片方というのは、普段の彼らからは考えられない、刹那の方で。
 言葉といっても「ああ」や「了解した」といった相槌だけだったが、それでも普段の彼女から考えれば上出来な会話だった。


 宴の中に出された刹那の料理に、慣れた基地の面々は次のリクエストをしたりと、気分の高揚を隠しもしない。
 それが我慢できないとばかりに、普段は陽気なロックオンは、黙って席を辞した。
 スメラギは視界の端でそれを捕らえていたが、止める事はしなかった。


 刹那が居なくなったロックオンに気がついて後を追ったのは、ロックオンが部屋に戻って10分後の事だった。



 いつものようにチャイムも押さずに、刹那はロックオンを追って部屋に入る。
 部屋の中は、ミーティングの前に整えたというのに、既に散らかっていた。
 ロックオンは時間が空けば、いつも筋トレと自前の研究をしていた。
 プリントアウトされた書類やら鉄アレイが転がっているのが当たり前の部屋で、ベッドに腰掛けて珍しく何もしていないロックオンに、刹那は近寄る。
 近寄った刹那を、ロックオンは無言で腕の中に閉じ込めた。
 刹那もロックオンの行動を予測していた為に、逆らう事もせずにすんなりと体を預ける。
 人が入室すれば自動的に点く部屋の明かりの下で、刹那を抱きしめて俯いているロックオンの顔は、人工的な陰影の濃さに、はっきりとは見えない。
 また顔を隠すように己を抱きしめるロックオンの顔を無理やり見ようとするような、配慮の出来ない人物ではない刹那は黙って己も床を見つめた。
 暫く沈黙が続き、静まり返った部屋の中に衣擦れの音が響いた後、ポツリと声が落ちる。
「お前の16歳の誕生日の2週間後から武力介入とか、なんか俺ってホントに運無いな」
 暗い声に、刹那は瞳を閉じる。
 やっと、幸せを掴めると思っていたのに。
 それでもいつか始まる事を解っていたから、何も言えない。
 そしてその為に二人は出会ったのだから、当然文句など言える筈も無かった。


 二人の間を、再び沈黙が過る。
 だがそれは長くは続かなかった。
「……俺達は、生き残る」
 意志の強い声に、ロックオンは僅かに顔を上げた。
「……刹那?」
「お前の子供を産む為に、俺は……俺達は、絶対に生き残る」
 床に視線を固定させたまま、刹那は決意の固さを拳に込めた。
 固く握られた手の平を、ロックオンはそっと撫でる。
「……そうだな。世界を変えたって、生き残らなきゃ意味ないもんな」
 望んだ世界で、幸せを謳歌する。
 二人で。
 家族で。
 これから生まれるであろう、自分達の血を継ぐ子供達と。
「俺も、生き残るぜ」
「……ロックオン」
 頭の上から降って来た優しい声に、刹那は視線を上げた。
 部屋に入った時の暗さは成りを潜めて、普段、外で見せている姿に近いロックオンの表情に、刹那は自然と入れてしまっていた肩の力を抜く。
 絡まった視線に引き寄せられる様に、軽く唇が重なる。
 口付けは深くなる事無く離れ、ロックオンは華奢な小さな体を腕の中に抱きしめ直した。
「事を始めなけりゃ変わらねぇ。こんな世界じゃ、俺達は幸せになれない。皆で幸せになる為に、やろう」
 組織に入った動機は違う物だった。
 それでも出会って、そして変わった。
 目的が変わってもやる事は変わらない。
 二人はお互いの体温を感じながら、心を決めた。


 


「……来週の一週間の休暇、地上に降りないか?」
 予想もしなかった提案に、刹那はロックオンの胸から顔を上げる。
「何の為だ」
 これからの長期のミッションの為の休息の時間だと言うのにと、刹那は視線で問いかける。
「んー、婚前旅行」
「……婚前?」
 意味が解らなくはないが、それでも二人で旅行をするのは初めてではない。
 それにミッションでも二人で泊まりがけで出かける事も何度もあった。故に、態々そんな言葉をロックオンが使うのが解らなかった。
「ちゃんとしよう、刹那。結婚の約束」
「……してたんじゃないのか?」
 刹那としては、初めて体を重ねたときからそのつもりでいた。
 またロックオンにもそのつもりで行為に及ぶのだと伝えられていた。
「や、してたんだけどさ。ちゃんと形にしたいなって思った」
「形……とは?」
「エンゲージ、選びに行こう」
 刹那は首を傾げる。
 『約束』など、沢山して来た。
 育って来た土地柄、刹那にはこれ以上何が必要なのかを知らなかった。
 しかも『選ぶ』とは……と、視線で問いかけていると、ロックオンはその視線に小さく笑う。
「お前の故郷では無かったか? 結婚の約束の品って」
「……無かったな」
 そもそも物資が不足していた刹那の故郷では、ロックオンが説明した様な結婚の儀式など、とうの昔に出来なくなっていた。刹那も幼い頃に、両親にそんな話をされた事も無かった。
 ネットで調べた『ヤマトナデシコ』の記事には、『貞操を守る』とは書かれていたが、約束の品の記述は見当たらなかった。
「俺の故郷ではあるんだよ。……ていうか、都市部だとどこでもやるんじゃないのかなぁ。この間ニューデリーでも見かけたぜ」
「そうなのか?」
「そうなの。だから俺達もお互いに持とうぜ」
 刹那の左手の細い指を、壊れ物の様にそっととり、ロックオンはその薬指に唇を落とす。
 その意味が刹那には解らなかったが、それがロックオンにとって何か意味がある事なのだと言う事だけは理解した。
「お前はどんなのがいい?」
 幸せそうなロックオンに、刹那は何か答えなければいけないと考えて、数瞬後に口を開いた。
「………りんご」
 素直に己の好物を口にしたのだが、それに対してロックオンは盛大に吹き出した。
「ばかっ、それは好物だろ! 腐るもの指定してどうするんだ! 愛が永遠じゃなくなるだろ!」
「……えいえん?」
 相変わらず解っていない刹那に、ロックオンは笑いを堪えて説明を試みる。
「だからエンゲージってのは、二人の愛が永遠だって確認する為の物なんだよ。ついでに『相手がいます』って世間に知らしめる為の物なの。だから腐ったらダメだろうが。あと、持ち歩けない物も言語道断な」
 おそらく食べ物の好物を却下すれば、刹那の事だ。『ガンダム』とでも言い出しかねないと、ロックオンは先回りで忠告する。
 刹那はロックオンの思った通りの考えだったらしく、『持ち歩けるもの』と言われて、ぐっと唇を噛み締めた。
 そんな様子にロックオンは小さく笑って、想像ができないらしい刹那に説明を加える。
「まあ、一般的には貴金属類だな。宝石なんかもオーソドックス。指輪とか、結構多いな」
「……そんな物、邪魔だ。ずっと身に付けてなんかいられるか」
「そうだなぁ、お互い手先の仕事だしな。じゃあ指輪は諦めるとしても、何ならお前は身につけていられる?」
 小さな刹那の体を背後から抱き込んで、殊更幸せそうにロックオンは話し続ける。
 まるでこれから先の暗い生活を見ない振りをする様に。
 この作戦で、どちらかがどうなるか、解らない。
 それは刹那も痛感していた。


 どの位の敵と戦わなければならないのか。
 またどの位の時間、戦い続ければ終わるのか。


 組織に入る時には待ちかねていた瞬間だと言うのに、変わってしまった内面が、それに恐怖を植え付ける。
 それでもやらなければならないのだ。
 手放したくない、今の幸せの時間。
 けれどそれは叶わない。
 望んでしまうものと、やらなければいけないことの狭間で、ロックオンは小さな体に縋った。
 そんなロックオンの気持ちも理解出来、刹那は体を好きにさせる。
「ピアスとかはどうだ?」
「ヘルメットを被る度に、血を見そうだ」
「そうかぁ……じゃあ、ブレスレッド」
「腕のナイフの邪魔になる」
「んな事言ったって、他に何が…………あ、」
 何か思いついたらしいロックオンを、刹那は仰ぎ見る。
「ネックレス。これ以上は譲れない」
 言われて考えてみれば、一番刹那としても邪魔にならない様な気がした。
 だが。
「ターバンはつけてていいか? 俺はコレが無いと落ち着かない」
 刹那の服装は、首元までぴっちり覆い隠した物が主流で、その上にいつも女のくせにターバンをスカーフ代わりにまいている。
 故にネックレスを贈られても、他者には視認出来そうになかった。
「んー、まあ、それはお前の生活習慣だからなぁ。仕方ないっちゃ仕方ないが……シャツの上に見える様につけてくれれば、それでいいか」
 ターバンの下の白いシャツに指を滑らせて、ロックオンは微笑んだ。
 普段陽気なロックオンの、人に見せない陰気な笑顔だった。
 刹那にとっては見慣れた種類の笑顔に、慰めにもならないだろうとは思っても、己の体を這う指を掬って頬に当てる。
 そしてなれない口を開いた。
「……計画がひと段落したら、お前の言う結婚式というのを教えてくれ」
 先があるのだと、根の暗い男に諭すように話す。
 死ぬためにココにいるのではない。
 真に生きようと、そう思いを込めて珍しく男に強請った。
「そうだな。お前、胸無いから似合うドレス探すのも大変そうだしな」
「……うるさい」
「一生懸命揉んでるのに、育ち悪いなぁ」
「時間が足りていないんだ。これからも努力しろ」
 これからの時間を必死に示唆する女に、ロックオンの笑顔の種類も変わった。
 心から笑える。
 人に見せる作った笑顔では無く、また自分の心を誤魔化すための笑顔でもない、本当の笑み。
 素直に動いたロックオンの表情筋に、刹那の視線も柔らかく緩んだ。


 


 そして活動開始の宣言が出された翌日、二人は再びスメラギに呼び出された。
「もう刹那の誕生日も目の前だし、仲間内に婚約も公表したから同室に戻って良いわよ」
 二人の希望は初めから解っていた事であったし、更には二人の……主にロックオンの精神安定に必要な事だと理解していたスメラギは、二人を夫婦として扱う事の了承を伝える。
 そして必要な書類をロックオンに手渡した。
「マイスターの個人情報は、夫婦といえども伝え合えないのはわかっているわよね」
 根本を抑えて渡した書類は、組織に対する志願書だった。

 お互いの出自や本名などが伝えられない組織の人間のための、婚姻届。

 当然組織本体のデータには記載されている個人情報は、本人たちの希望によって操作され、婚姻、または離婚が可能だった。
 その希望を訴える書類である。
 コードネームと組員番号を記入して、お互いサインをすれば、個人資産から戸籍に至るまで、普通の夫婦と同じ権利が得られる。
 全てが電子化している世の中だからこそ出来るシステムは、隠れて行動する彼らには都合がよかった。

「了解。書類、サンキューな、ミススメラギ」
 取り寄せるのに時間がかかると聞いていた書類が、直ぐに手渡された事に、彼女の気遣いを感じられて、ロックオンは片目を瞑って礼を言った。
 態とおどけた彼の行動に、スメラギは肩をすくめる。
 心の防壁が分厚い人物だと、改めて認識する。
 それに対して、嫁の刹那の堂々とした視線は、どちらが嫁で夫なのかが解らなくなるほどの安定感だ。
 ロックオンの手の中にある書類を横目で見て、部屋の移動はいつから開始して良いのかを問う。
「直ぐでも良いわよ。どうせ誕生日まであと三日だし、その日はあなた達、地上に降りるんでしょ? ならその前に済ませちゃえば良いじゃない」
「了解した」
 簡潔な返事に込められた感情は、決して簡潔ではなかったが、それでも刹那が喜んでいる事はわかる。
 彼女の女心に、この先彼が救われることを、スメラギは心から祈った。


 


 部屋の移動を終わらせて、荷物を半年前の場所に戻し、二人で基地を後にした。
 火星の向こうにあるアステロイドベルトから運ばれてきた資源用の小惑星の中に隠されている基地から小型艇を使い、軌道エレベーターまで移動する。
 その間、ロックオンの口が止まる事はなかった。

 泊まるホテル、奮発したんだ。
 降りたら先ず何を食べようか。
 海に行って、思いっきり日光浴しよう。

 そんなくだらない事を楽しそうに語る男に、刹那は相槌を打ち続けた。


 地上に足をつけて、最初に二人で向かったのは、アイルランドだった。
 白人種の多い地域に、刹那は視線で周りを伺う。
 そして周りの言葉を耳にして、ここがロックオンの故郷だと悟った。
 彼の癖と同じなまりのある言葉に、自然と心が安らぐ。
 刹那は自分の故郷は心は休まらない。
 ロックオンに関係するところが自分の場所なのだと、このとき強く感じた。


 更に連れて行かれたのは、先日話し合ったエンゲージを扱う貴金属店だった。
 ショーケースに並ぶ沢山の装飾品に、刹那は少し眉を寄せた。
 興味は無いわけではない。
 嫌いなわけではない。
 それでも華やかな雰囲気が、どうしても苦手なのだ。

 そして思い出してしまう自分の母親の事。

 金が希少価値であるのは刹那の育った地域でも変わらず、更に刹那の家は地域では中流に位置する経済状態だった。
 貧困が平均である国での中流であったので生活は苦しかったが、それでも親から受け継いだ物が家の中にあったのを覚えている。
 父親が自分の母親、つまりは刹那の祖母から受け継いだと言っていた金の装飾品を母親に渡していて、刹那の記憶にある母親はいつでもそれを身に着けていた。
 装飾品に母性を見てしまい、自分の犯した罪を自覚してしまう。
 更には、その装飾品の行方。
 洗脳されていた少女たちは、大体が刹那と同じような環境の持ち主だった。
 何かしらが受け継がれているであろう、中流の家。
 故に、家の中の金目のものを神の為に持ち出したのだ。
 親を殺した後に。
 誰もが誇らしげに神の教えを伝える男に渡した。
 金品も目当てになっていた誘拐が、何故上流の子供に及ばなかったのかといえば、上流の子供は上流の地域に住まい、警戒が厳しかったからだ。
 貧富の差の激しかった刹那の国では、上流の家は特別なルールで守られていて、誘拐や強姦などの被害は、それ以外の地域の子供に及んだ。
 貧困層のスラムの人々は、日頃の栄養不良で体力も無いが故に兵士としても欲しがられる事も無く、逆に安全であった事を、後に刹那は知る事になった。


 家や神に必要であったきらびやかな装飾品に、刹那の足は一歩下がる。

 女として、華やかな装飾品を身に纏う事は誇らしい事だと理解している。
 それでも記憶が邪魔をする。

 引き腰な刹那に、ロックオンは直ぐに気がついて眉を下げた。
 刹那がそう思う理由は当然わからなかったが、苦手なのだという事は理解できた。

 ケースに並んでいる高価な宝石の飾られた種類を避けて、刹那の手をとってシンプルな男女兼用のものが並ぶ場所に誘う。
 ロックオンの意識の中では、婚約の証に女に贈る物は、自分の経済状態を相手に伝える一つの手段だった。
 人の命と引き換えではあるが、それでもこの先刹那に金銭的な不自由はさせない経済を持ち合わせていると示すには、当然宝飾店と特別に遣り取りして購入するものを贈りたい。
 また特別な組織に属し、その組織からもらうサラリーは、自分たちの命の危険を表す金額だった。
 それらの合わせた財産の全てを投じても悔いは無い。
 だが、相手が喜ばなければ意味がないことを悟っているロックオンは、とにかく二人の絆を主に考える事にした。
 その考えをあわせて選んだのは、一見シンプルな金のチェーンのネックレスだった。
 男女兼用のデザインで、小さな金の鎖の部分に細かなデザインが施されている。
 デザインはケルトの伝統的な文様で、幸せを呼ぶと言われているものだった。
 愛した女がこれから先、幸せでいられるように。
 自分との愛が、彼女の負担にならないように。
 そんな考えで、店に足を踏み入れてから一言も言葉を発しない刹那の頭を撫でて、購入を決めた。


 ペアのデザインを購入する二人に、店員はあからさまに好奇の視線を送る。
 一見男同士にしか見えないことを理解していたロックオンは、その視線対して笑って「一番可愛く見える長さに調節してくれ」と、刹那が女である事をアピールした。
 刹那にも女心はあるのだと伝えたロックオンの言葉に、店員は慌てて笑顔を作る。
 その様が刹那には滑稽に見えた。
 つい浮かべてしまった笑顔にロックオンは満足して、長さの違う二本のネックレスを購入して、空港で借りた車とは違う車に刹那を導く。
 街中を上機嫌で歩く男を見上げて、店での出来事を思い出し、自分と同じように彼もまた、自分の喜びが喜びになっているのだと感じられて、刹那の頬も今までに無く緩んだ。
 幸せだと、思えた。
 そして乗せられた車は、その刹那の上がった気分を突き崩すような爆音と乗り心地で、素直に不満を表す。
 表された不満に、ロックオンは眉を下げて、「良い車なんだって」と、自前のその車の良さを必死にアピールしたが、カーマニアと興味の無い人間の間にある車に対する認識の溝は埋められず、結局ホテルに着くまで二人は不機嫌に車内で無言で過ごす破目になった。
 デリーにあるホテルに着いて、インペリアルスイートを予約していたロックオンは、ホテルの支配人に案内されて刹那をエスコートする。
 車の事で不機嫌な刹那は、無言で背中を抱くロックオンに従い、それでも部屋の素晴らしさの感想は口にしなかった。
 一番綺麗に見える筈の階に設置された部屋からの夜景も見ずに、さっさとシャワーに向かってしまう。
 そんな刹那に、ロックオンもまた素直に不機嫌を表して、折角の休暇の一日目は喧嘩で終わってしまうのだった。
 それでも二人の空気を和らげたのは、ロックオンが気合を入れて注文していたディナーだった。
 正装を必要とするレストランに、刹那に用意していたドレスを着せて、自分もスーツに袖を通す。
 どこにでもいる恋人同士の楽しみと、レストランのシェフの気遣いに、刹那の機嫌は上昇した。
 食事に文句を言わない刹那も、女の子の共通ともいえる好みのデザートに目を輝かせて、その美しさと味に、滅多に見せない満面の笑みをロックオンに向けた。
 レストランから回復した会話のキャッチボールを楽しみながらホテルの部屋に戻り、日付の変更を二人でじっと見つめる。
 動いた時計の針に、二人でキスを交わす。
 世界標準時間の場所にいる二人に時計が告げたのは、刹那の16歳の誕生日だった。
 待ち望んだ瞬間に、素直に二人で喜びを表した。
 やっと堂々と夫婦になれる。
 基地から持ち出した書類に、二人でサインを記入した。
 更には財産の所有に関する書類にもサインを入れて、準備を整える。
 気持ちと現実の処理を終わらせて、ロックオンは昼間に購入したエンゲージを取り出して、刹那の首にかけた。
 その動作の最中、一般的なエンゲージの意味を刹那に話す。
「普通は左手の薬指に指輪をはめるんだ」
 細い首に、黄色人種に映える金を飾りながら話す内容に、刹那は耳を傾けた。
「左手の薬指は心臓と繋がってるって昔は思われていたんだ。だから心臓、一番人間の大切な場所を捧げるって意味で、ソコに指輪をはめる事で相手に忠誠を表したんだよ」
 愛に殉じる事を誓う意味だといわれて、刹那は口を開く。
「……指輪が、よかったか?」
「……いや、いいよ。別に意味に拘りは無いから」
 風習を捨てきれない気持ちは、刹那にも理解できる。
 初めに言ったとおり、実生活に支障が出る場所だが、それでもロックオンが、夫がそれが良いと言うのなら、刹那は従おうと思った。
 また、従いたいとも思った。
 それでも現実を優先させて、ロックオンは首を横に振る。
「世間はそうでもさ、俺たちは俺たちでいいよ。指じゃなくて、お互いに首を捧げるって事でさ」
 お前の命、貰ったぜ、と、おどけてウィンクをするロックオンに、刹那は眉を寄せた。
 素直になれと言いたかった。
 そんな言葉を予測していたのだろうロックオンは、自分の分のネックレスを刹那に差し出す。
「ほら、お前も俺の首貰ってくれよ」
 物騒な事を耳元で囁いて、愛をねだる。
 刹那は言葉に従って、長さの違うチェーンの金具を外して、見た目よりも太い男の首に手を回す。
 覗きこむ様に首の後ろを視界に入れて金具を止めれば、そのまま体を抱きしめられた。
 窓の外には町の明かりがぽつぽつと点っていて、さながら星のようだった。
 それでもいつも見ている宇宙空間と違うと思えるのは、一つの方向にしか伸びない光のラインと、その光に生活を感じるからなのだろう。
 空はいつでも曇っている地方独特の曇天で、たまに流れる雲の薄い場所から、月がその向こうにあるのだと存在を示す淡い光を投げる。
 ムードライトのみの室内で、誰に気兼ねする事も無く二人で抱き合った。
 最後かもしれない、二人だけの旅行。
 仕事の無い状況に心を許して、刹那もロックオンに縋りついた。
「愛してる」
 囁かれる耳元の声は、慣れているけれども、何度聞いても気持ちの良いテノールで。
 愛の言葉を口にすることになれない刹那は、代わりに新たにロックオンの首に光る、自分とおそろいの装飾品に唇を寄せた。
 冷たいはずの金属は、直ぐに生きている人間の温度に感化されて、彼の体温を刹那の唇に伝える。
 何故かその事が、酷く愛おしかった。

 戦場が常の場所に産まれて、その危険の中に自分の意思を無視されて放り込まれて。
 その場所から掬ってくれたと思えた組織は、やはり刹那を戦場に促した。
 それでもこの場所で出会ったこの男に恋をした。
 優しさを教えてもらった。
 愛しさを教えてもらった。
 それだけで、刹那は組織に感謝を覚える。
 普通の女になど、二度と戻れないと思った事も一度や二度ではない。
 結婚など、それこそ縁の無い物になったのだと、幼い頃の夢が遠のいていく感覚に一人で涙を流した事もあった。
 そんな悲しみが、今、全て報われた気になった。
 将来を誓ってくれた男の腕の中にいられる幸せに、体の中心が暖かくなる。

 ロックオンは自分の首のエンゲージに戯れる刹那を抱き上げて、ベッドルームに足を向けた。
 それでも目的はいつもと違い、性を求めない触れあいの為だった。
 キングサイズのベッドに小さな体は余計に小さく見えて、その頼りなさを守りたい気持ちのままに抱きしめる。
 軽いキスを何度も交わして、お互いの愛情を確認しあった。
「あのさ」
 少しの間を空けて、ロックオンは刹那に話しかける。
 刹那はそのままいつものように体を求められると思っていたのか、ロックオンに瞬きを返した。
 それでも言葉の続きを待つ姿勢に、ロックオンは柔らかく笑って続きを口にする。
「帰ってから提出するの、財産の書類だけで良いか?」
 結婚に対する二の足にも取れる言葉に、刹那は眉を寄せた。
 たった今、将来を誓うものを交換したというのにどういうことかと首を傾げる。
「風習なんて、馬鹿なことだとも思うんだけどさ」
 少し照れながら言葉を続けるロックオンを眺めていれば、言い出した言葉の意味は簡単に刹那に伝わった。
「俺の家、ずっとカトリックでさ、だから万が一の時はちゃんと夫婦としてお前を守りたいけど、出来れば式をちゃんと挙げたいんだ。それでその時、お前には書類上だけでもなんでも、ちゃんと「ミス」としてバージンロードを歩いてもらいたいって思ってさ」
 だから婚姻の書類を後回しにしたいと、頬を染めながら言われれば、刹那も頬を緩める。
 普段から身の回りのことは甘えてもらえるが、肝心な場所は滅多に見せてくれない男の本音に、刹那の首は縦にしか振られない。
「お前がそう望むのなら」
 世界が落ち着いたらとの未来の約束に、ずっと最悪な事しか頭に描けなかった男の未来の希望に、刹那は笑顔を向ける。
 生き残った後の、幸せな計画。
 世界を変えて、自分たちの望む世界で謳歌するであろう幸せを、刹那はロックオンを抱きしめて思った。
「俺の地方の結婚式にはさ、嫁さんは旦那の家の古いものを一つ身に着ける風習があるんだ。それもちゃんと用意して、お前に俺の家族になってもらいたい」
 今は用意できないけれどと、刹那を抱きしめながら言うロックオンの声は、今までで一番甘いものだった。
 それまで待ってくれと囁かれて、刹那は改めて頷く。


 一頻り愛を囁き合えば、時間は直ぐに真夜中を過ぎてしまう。
 朝までの残り時間に、ロックオンは刹那を眠りに誘った。
「明日はリゾートだ。夫婦の営みは遊んだ後な?」
 セックスを求めるのは何もロックオンだけではない。
 刹那も初めての夜の後、その心地よさに毎晩のようにロックオンに求めた。
 普段の生活は今はナシだと笑って、二人でシーツに包まる。

 激情の無い体温は久しぶりで、二人でたった一年前の事を思い出して笑いあった。
 刹那を男だと思っていたロックオンの態度や、ロックオンを男だと認識せずに接していた頃。
 その頃はそれで幸せだったが、やはり今には敵わないと、男と女は笑うのだった。





next


暗い場所スタートですが、甘い…。
まあ、暗いといってもこの程度です。
所詮は幸せになってもらいたい布石の話なので、デッドエンドではありますが、最後まで甘暗い感じで。
そして書いている人間の限界的に、どうしてもギャグも混じります(^^;
統一感無くてすみません…orz