「お、刹那。お前ちょっと肉ついてきたか?」
刹那の部屋着のタンクトップの襟ぐりから覗く胸元を見て、同室になって半年目でロックオンは言った。
4機のガンダムのマイスター、ラスト一人として引き合わされた人物に、残り3人のマイスター達の初印象の感想は一致していた。
『子供』
それ以外、何もなかった。
故にマイスターの中で最年長者であるロックオンが、戦術予報士に新入りとの同室を告げられた時は、当のロックオンも他のマイスターも当然の事として受け取った。
子供には大人の保護が必要だ。
マイスターの中で唯一成人年齢を超しているロックオンが面倒を見る事に、誰も異議を唱えなかった。
と言うよりも、他の二人は他人の面倒を見る気など更々なかったのだが。
ロックオン自身も目を配るだけのつもりで、そんなに干渉するつもりは無かったのだが、子供…刹那・F・セイエイが部屋に入り、首元まで覆っていた上着を脱いだ所でその考えは変わった。
薄いタンクトップ一枚になったその姿は、まさに骨と皮と表現するのが正しい程、余分どころか必要な肉さえ見当たらなかったのだ。
肋の浮き出た胸元に眉を顰めて、思わず生活に付いて口を挟んでしまった。
「お前さん、そんな体でよくモビルスーツなんて扱えるな。ちゃんともっと筋肉と脂肪を増やせ。そんなんじゃ、実戦には耐えられないぜ?」
「……食事とトレーニングは欠かしていない。問題ない」
「あのなぁ、シュミレーションだけなら問題ないかもしれないが、実戦には問題あるだろ。体重が10キロ減っても生きていられる様にしとけ。俺たちはどんな状況に放り込まれるかわかんねぇんだからさ。どんな場合でも機密を守れる様にする為には、先ず体の管理からだろ」
「………問題ない。筋力数値は規定をクリアしている」
「だからぁ、万全の状態で計った数値なんて、当てになんねぇんだよ。……ほら、何だよこの肩。骨が出て……」
何気なく触ったロックオンだったが、その肩があまりにも華奢で言葉が途中で止まってしまった。
いくら子供とはいえ、ロックオンの想像を超えて骨格が細すぎたのだ。
ロックオンが手袋越しに感じる感触に驚いていると、刹那はその手をたたき落とした。
前触れなしの凶行も合わせて、ロックオンは目を見開いて呆然としてしまう。
「俺に触れるな!」
まるで悲鳴の様な声で一喝されて、ロックオンは我を取り戻した。
「……お前、接触嫌悪症か?」
威嚇する様にロックオンを睨む刹那に、恐る恐る声を掛ける。
「……だから、個室じゃないのかと聞いた」
刹那の返答を聞いて、ロックオンは額を抑えて天を仰いだ。
閉塞感の強いMSのコクピットに常にいるパイロットにとっては、刹那の病気は珍しくはない。
寧ろ、一人が我慢出来ない人間はパイロットにはなれないのだ。
それでもCBのガンダムマイスターの活動は、MSの操縦だけではない。
通常の軍とは違う構造故に、マイスターの活動はコクピットの中だけではないのだ。
マイスターとして選出された割には頼りない体な上に、精神的問題も抱えているとなれば、成人しているとは言えロックオンに扱える人間ではない。
専門的に体作りに詳しい人物且つ、メンタルケアの出来る人間でなければ、同じ空間での生活は厳しい。
そんな人材が基地にいるのかは解らなかったが、とにもかくにも相部屋を指示した戦術予報士にロックオンは相談をしにいく事にした。
「いるわけないじゃない、そんな人材」
問題を提示したロックオンに返された戦術予報士の言葉は、あまりにも素っ気なかった。
それでもこのままロックオンに責任が負えるかと言えば、そうではなく。
「困った顔しても無理よ。大体普通に考えてよ。秘著義務率の高いマイスターが、他の役職の人と同じ部屋になれる訳ないでしょ。…ほら、冷静に考えてみて? 貴方以外、誰が同じ部屋になれる?」
「………意外性でティエリアとか?」
「問題児集めてどうするつもりよ。そんな事言うなら二人部屋から三人部屋に変更するわよ」
挨拶すら知らない人物を更に相部屋にされては、これはもうマイスターではなく気分は保父さんだ。
「ああ、それならいっそ全員同じ部屋にするのもいいかもしれないわね」
「ごめんなさい! 失言でした! 俺、刹那を可愛がります!」
これ以上増やされてはたまらない。
思春期をまとめて面倒見るなど、何の試練なのか。
ロックオンは慌てて回れ右をした。
その背後から、のんきな声が響く。
「必要以上には可愛がらなくていいからねー。これ以上、罪状は増やさない様にねー」
ちゃぷちゃぷとデスクの上に置かれていた缶を振っている様子を背後に感じながら、ロックオンは彼女の言葉に背を向けたまま返答する。
「俺はショタコンじゃありません! 人をケダモノ扱いすんな!」
捨て台詞を吐いて、これ以上この部屋には用はないとドアに手をかける瞬間に彼女を振り返ると、何がおかしいのか机に突っ伏して笑っていた。
「ショタコン……まあ、貴方がそう思っているなら……いいけど……」
ひくひくと声を振るわせて言われた言葉に見当がつかず、ロックオンは肩をすくめて部屋を出た。
そして廊下を歩きながら、これからの刹那についての算段をする。
先ずは栄養士との相談。
基本的に体を使うマイスター達の食事は特別なメニューだったが、刹那の体の状態を考えると、同じという訳にもいかないだろうと連絡をした。
それに伴って医療チームから刹那の身体状況のデータを要請。
それらを手配している最中に部屋に辿り着き、その後は部屋についている端末を立ち上げて、児童心理と精神医学の文面と顔を突き合わせた。
同じマイスターの他の二人に付いては、思春期特有の心の動きは読めたが、刹那の年齢となればそれだけとはいかない。
自分のトレーニングに合わせて行わなければならなくなったこれからの生活に、CBに加入する時に伝えられた活動と大きく違うと頭を抱えた。
それでもロックオンが刹那に対峙しようと思ったのは、この先の自分たちの活動を考えての事だった。
シュミレーターの数値や体術のレポートを見る限り、たった14歳とは思えない程の実力が刹那にはあった。
故に、体や精神に問題を抱えていても、刹那がマイスターに選ばれた理由は納得出来たのだ。
刹那よりも劣っている体や精神に問題がない人物を提言するよりも、仲間内でその問題を解決する方が手っ取り早いとも瞬時に理解した。
裏の世界で実戦を重ねて来たロックオンならではの感だったのかもしれない。
共に戦う相手には絶対不可欠な要素を、刹那は持っている様に見えたのだ。
そしておそらく…いや、ロックオンがスカウトされた時点で思ったCBの『実行』の時が近いのだという事を実感し、ロックオンは自分に課せられた『刹那育成』というミッションの遂行を心に決めたのだった。
その成果は、周りが驚く程の早さで実っていった。
そして冒頭のロックオンの台詞である。
刹那の胸元から肋の筋が消え、胸筋とは言いがたいが、子供特有の柔らかい肉がついて来ているのを見て、口元を綻ばせた。
「体の線は相変わらず細っせぇけど、体重も順調に増えてるしな。あと問題は射撃か」
「……あんたはいいトレーナーだ」
「お前の経験値が少なすぎるだけだ。普通に考えれば克服しなきゃいけない部分は自分で見つけるもんだろ、こういう世界は。……まあそれでも、半年で共通語からジュニア・ハイまでの教育段階をクリア出来たのと、体が出来て来たのは、お前さんの努力と実力だ。俺の御陰じゃない。自信持っとけ」
3日前にロックオン自身が切りそろえたばかりの黒髪に手を差し込んで、ぐりぐりと撫で回した。
初日に判明した刹那の接触嫌悪症は、ロックオンが施した行動認知療法で軽減されつつある。
何日か刹那の行動を観察した後、一般的に接触嫌悪症と言われている強迫神経症の一種とは刹那が違う事を見出して、医療チームとの連携の元、生活の中でカウンセリングを施したのだ。
初期の症状の酷い頃は医療チームからは薬物投与も提案されたが、薬物は自己の判断そのものを鈍らせる事での療法であり、それはミッションをこなす事を前提とした療法には向かないと、ロックオンは廃案にしたのである。
ロックオンの見解では、刹那は過去のトラウマによって人との接触を恐れていて、その結果の接触嫌悪と判断したのだ。
秘著義務の強いマイスターである刹那の過去を調べる事は出来なかったが、それでも何とかミッションに差し障りが出ない所まで軽減させようと、カンガルーケアという類いの物の真似までした。
日々の接触の前に両手の平を態々刹那に見せて行動の確認をさせたり、眠る時には一つのベッドで人の体温に慣れさせる努力もした。
ロックオン自身も流石に同性と裸で触れ合うのは気持ちが悪かったので、カンガルーケアとは言っても服を着たままだったので真似事にとどまってしまったのだが、それでも布団の中で触れる刹那の体の感触が日々柔らかくなっていく事に満足を覚えた。
だが、出来れば体の柔らかい子供のうちに、刹那の精神障害が治ってくれる事を祈ってしまう。
固い体の男と同じベッドで眠るのは、ソウイウ趣味のないロックオンにも辛い事で。
今日も今日とて二人で寝仕度を整えて、刹那用に誂えられたベッドに横になった。
ロックオンは使われなくなった自分のベッドを眺めつつ、刹那の柔らかい体をそっと抱きしめて目を閉じようとした。
「……いつか、借りは返す」
寝しなに言われた刹那の言葉に、ロックオンは曖昧に返事をする。
「あー、そうだな。じゃあいつか、俺の言う事でも聞いてもらうかな」
「…お前の言葉には沿っているつもりだが?」
「そうじゃなくて、個人的な希望みたいな物」
「……了解した」
最近、体に肉がついて来た所為か、体温が高くなって来た刹那の体は、ロックオンにも安らかな眠りを与える物になっていた。
そうして一年を過ごしていると、刹那の体はロックオンと出会った当初とは違う物に変わっていた。
腕や足にはしっかりと筋肉が付き、子供っぽさは否めないが、それでも一目で実戦に耐えられると判断出来る体に成長した。
だが、ロックオンが予想していた肉付きとは多少違った。
いくら腹筋を鍛えさせても腰は太くならず、ウェストは折れそうな程で。
胸筋も付いて来てはいるが、トレーニングメニューからは考えられない様な、贅肉を含んだものに見えるのだ。
それでも合流した時よりも刹那は持久力も付き、一応、共同戦線を張る予定の人物としては及第点になった。
射撃と話術には多少の不安は覚えるが、一般教養も刹那の持ち前の頭脳なのか、一年で初等教育から高等教育まで全てをマスターしたのだ。
思っていたよりも柔らかく付いてしまった筋肉に首を傾げはするが、未だに夜は布団を共にしているので、ロックオン的には問題がなかった。
というより、柔らかく筋肉の付くタイプの体で良かったと胸を撫で下ろしていたりもする。
だが基地内の人間とも普通に接触出来る様になった刹那を見て、そろそろ夜も一人で寝かせても大丈夫かとの算段も始めた。
そして、ロックオンがCBに参加してから初めて課せられたミッションもそろそろ終わりに近付いているとロックオンが感じ始めた時、変化は起こった。
いつもと同じ様に訓練後に部屋に帰ると、その日は別の訓練メニューだった刹那が先に部屋に帰っていた。
別にそう言った状況は珍しくはないのだが、問題は刹那の行動にあった。
いつもならば、部屋に帰ってもベッドの縁を利用して筋トレをしているのだが、その日は毛布にくるまってベッドの上に座り込んでいたのだ。
しかも、その顔色はお世辞にもいいとは言えない。
部屋に入って来たロックオンに一度だけ視線を向けた後、刹那は膝に顔を埋めて踞った。
「……体調不良か?」
考えてみれば、朝から刹那の動きは鈍かった。
己の失策にロックオンが刹那に近付き謝罪しようとした所で、どこかでかいだ事のある鉄臭い匂いが鼻を突いた。
ロックオンは嗅覚にも優れていた。
「お前、どこか怪我でもしたのか?」
その質問に、やっと刹那は重い口を開く。
「いや、怪我はしていない。自然現象だから放っておいてくれ」
答えとしてはかなり説明不足な刹那の言葉に首を傾げるが、刹那自身が医務室に行く必要性を感じていないのであれば、取りあえずは大丈夫なのだろうと、部屋に付いている簡易ユニットバスに、訓練の汗を流す為にロックオンは足を踏み入れた。
今日の訓練はシュミレーターではなくクレーン射撃だったため、体に硝煙の匂いが強く付いてしまっていたので、この後の刹那との同衾を考えて、洗い流しておきたかった。
刹那は硝煙の匂いを嗅ぐと精神が不安定になる傾向が見られていたので、染み付いた物は仕方がないにしても、それなりに軽減させておいた方が、ロックオンのミッションも早く終わりを迎えられるのだ。
着替えとタオルを抱えてコーナーに入り、便座の脇に置いておいた籠に着替えを置く。
その段階で、トイレの脇に小さな箱が新たに置かれている事に気が付いた。
ロックオンが置いた覚えは当然無いし、今まで見た覚えのないスチール製のフタ付きバケツの様なそれに、更に首を傾げる。
トイレットペーパー用のゴミ箱は、相変わらずキチンと別に置かれていた。
疑問は感じたが、それでも刹那とロックオンの個室に、何か危険物が仕掛けられているとも思えない。
二人の部屋にはハロもいる事だし、何か爆発物の様な物が部屋の中にあれば、ハロが騒ぎ出す筈なのだ。
そっと置かれている小さな缶が気にはなるが、取りあえずシャワーを浴びる事を先決として、ロックオンは強化プラスチックの衝立てで仕切られたシャワーブースへと足を進めた。
だが、お湯を出して室内に湿気が充満すると、再び刹那から漂って来た物と似ている鉄臭い匂いが鼻につく。
匂いの発生源がどこにあるのかはわからなかったが、それを打ち消す様に体を清めた。
そしてその作業が終わった後、やはり気になる匂いの発生源を求めるべく、ユニットバスの中に視線を巡らす。
一通り体を拭って髪の毛を拭いている最中に、今朝までは無かったコーナーに置かれた小さな缶に視線を合わせて、何気なく蓋を開けてみた。
そこには、トイレットペーパーにくるまれた、明らかに『ゴミ』とわかる物体が二つ。
だが、匂いの発生源は特定出来た。
明らかにそこから異臭が漂って来ていたのだ。
危険物には見えないが、やはり何かを確認しなければ気が済まずに、そっとそれを開いてみる。
「…………? なんでこんな物がこの部屋にあるんだ?」
そこには、どう見ても女性の生理用のナプキンなる物が、使用済みの状態で捨てられていた。
基地内には当然女性もいる。
刹那と同室になる前は、遊びと割り切っている研究機関の女性を部屋に連れ込んだ事はある。
という事は、そろそろ二次成長も中盤を迎えているであろう刹那も、同じ事をしたのかと思った。
それでも男部屋に態々こんな物を設置して使用する人がいるのであろうかと、ロックオンは首を傾げる。
それに、女性は生理期間はあまりセックスをしたがらない物だと言う事も知っている。
首を傾げつつ汚物を元に戻した所で、はたとロックオンは気が付いた。
同じ匂いが先程刹那から漂っていた事に。
「…………………………」
時間にして数分、ロックオンはスチール缶の蓋のつまみを摘んだまま固まった。
あり得ない事が頭の中を過った所為だ。
数分後、呪縛から解き放たれたロックオンは、頭をよぎった『あり得ない事』を確認する為に、スライド式のドアを力一杯押し開けて、腰にタオルを巻いた状態のままで刹那に駆け寄った。
「………髪の毛は拭かないといけないんじゃなかったのか?」
ぽたぽたと毛先から雫の垂れているロックオンを、相変わらず刹那は怠そうに見上げる。
刹那からは、やはり鉄臭い匂いが微かに漂って来ていた。
その匂いをロックオンは嫌という程嗅いで来た。
それは、血。
何故直ぐに気が付かなかったのかとか、何故刹那の肉の付き方で気が付かなかったのかとか、ロックオンは色々と考えたが、取りあえず出た言葉は。
「……初潮か?」
心は動揺しているにもかかわらず、何とも冷静な表現に、刹那は短く「ああ」と答えた。
序章的に、せっつんが女とロクにいに認識されるまで。最初は栄養失調でつるペタだったんだよ!
ちなみにこの時点でせっつんを女だとわかっているのは、スメラギさんと医療チームと栄養士とロクにいだけ。他は男だと思っています。まだつるペタです。
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