時計が12時を指す。
特にメロディの流れるタイプではない静かな時計は、単調な針の動く音だけで刹那にそれを知らせた。
「17歳になったんだ、ロックオン」
望んでいた結婚式をするはずだった今日。
戦術予報士の世界の動きの予測を聞き、その夜に彼は言ったのだ。
『丁度刹那の誕生日のあたりだな。上手く時間が合えば、その日に結婚式合わせるか』
夜の時間に、そう言って笑った。
刹那の知らない結婚式を、教えてくれる約束だったのだ。
子供が身の内にいることを知り、刹那は自分の本来の戸籍のある、ユニオン地区へと潜伏地を変えた。
軌道エレベータのある街は、眠ることを知らないようで、閑静な住宅街の中にあるマンションの一室にも、深夜にもかかわらず人の気配を運ぶ。
普段は五月蝿いと思うその気配も、この日ばかりはありがたかった。
世界の中で、自分は一人ではないと感じられるから。
華やかな約束で彩られていた、刹那の17歳の誕生日。
約束どおりなら、今頃はきっと、彼の腕の中で幸せな夢の中にいただろう。
そして友人になったクルーと一緒に、夜が明けるのを待っていたに違いない。
フェルトと。
スメラギと。
クリスと。
リヒティと。
ラッセと。
イアンと。
モレノと。
ティエリアと。
アレルヤと。
そして見たことの無い、ロックオンの弟と。
式には呼ぶと、ロックオンは刹那に伝えていた。
そして朝日を受けて、ロックオンの言っていたウェディングドレスを刹那は着るはずだった。
だが現実は、刹那はひっそりと一人きりで、17歳の誕生日を迎える破目になった。
覚悟はしていた。
あれだけの過酷な戦場で、あの時間まで生き残ってくれた事に、感謝しなければならない。
そして最後まで愛してくれた事に、感謝を。
頭ではわかっていても、寂しさが募る。
共に逝けなかった自分が辛い。
残された現実の辛さに、刹那は目を閉じた。
そっと胸元を握って、二人分のエンゲージの感触を手の平に乗せる。
いっその事、今からでも追いかけようか。
友人だった彼らの安否もわからない。
たった一人生き残るよりも、その方が……。
不穏な思考が過ぎり、馬鹿馬鹿しいその思考を追い払うように、刹那は頭を振った。
自分が彼を追うということは、おなかの中の子供まで巻き込んでしまう。
それだけは絶対に出来ない事だった。
胸に重い石が埋め込まれているような気分だった。
その石は刹那の涙をせき止めてしまっていて、ロックオンが死んだ日に、彼の匂いが残るコクピットで流したものが最後だった。
支給品の端末を立ち上げて、ロックオンからの最後のメッセージを表示させる。
それは彼の弟の主要銀行口座の口座番号だった。
怪我をした体で、代わりに手続きをと頼まれたときのものだ。
その時の遣り取りを思い出して、あの時のロックオンの拘りの原因が、今になってなんとなく解った。
きっと、予感があったのだろう。
人には時として、そういうものがある事を、何度も経験した生死の狭間で刹那は身に滲みていた。
遺産相続の書類について。
刹那の所有している口座には、あの時ロックオンが言った通りの金額が振り込まれていた。
殉職手当ても含めての、全財産の半額。
マイスターの現場の指揮官であったロックオンのサラリーは、刹那よりも少し多かった。
それでも弟に送金し続けていた彼の財産よりも、刹那の方が貯蓄が多かった。
合わさった巨額の財産に、パン一切れを食べる事に苦労していたクルジスの頃が嘘のように思える。
世の中には、こんな経済があったのだと。
戦う事以外には、組織に属しても興味を示さなかった刹那は、子供の為に確認した自分の財産を初めて見て、世の中の不公平を思う。
それでもふと、ロックオンが心配していた弟が気になった。
送金の途絶えた彼が、不自由していないか。
双子なのだから、普通に考えれば職を得ている年齢だ。
ロックオン……ニールは25歳の誕生日を迎える事無くこの世を去ったが、彼の弟、ライル・ディランディは、情報どおりなら生死を気にする状況ではない筈で、先月順当に誕生日を迎えているだろう。
刹那は端末に指を滑らせた。
ハッキングを繰り返して、金の流れを追う。
CBからの送金は、いくつもの銀行を経由して根本を隠す。
それでも元が解っている刹那には、簡単なことだった。
流れている数字を見て、更に最終的にその口座が使用された土地の名前を見て、目を見張った。
そこは、今刹那が居る場所と、リニアトレインで数駅しか離れていない場所だったのだ。
一卵性の双子だと言っていた。
ならば……。
刹那の胸に、久しぶりに希望という言葉が溢れる。
彼の姿が見られるかもしれないのだ。
更にキーボードを叩いて、『ライル・ディランディ』の現在地の情報を探れば、口座が使われた情報どおりに、刹那の家から2キロしか離れていなかった。
家と勤務先の住所を書き写して、端末を閉じる。
そして部屋の照明を落として、おなかの子供に「おやすみ」と挨拶をして、刹那はベッドの中で朝を待った。
最終戦闘から2ヶ月経った今では慣れてしまった、地上の朝日を頬に受けて、刹那は目を覚ます。
浅い眠りしか得られなくなってしまった為に、洗面所の鏡に映った顔は、少し白かった。
子供の為に体調を整えなければならないのにと、自らを戒めて、それでも出かける準備をした。
病院と食料の買出し以外の、初めての外出。
身に纏ったのは、いつもの民族服ではなく、最後にロックオンと選んだハイネックのサマーニットのアンサンブルと、ミドル丈のスカート。
彼が喜んだ服装を、躊躇無く選んだ。
ロングブーツに脚を入れて、玄関を開けた。
外は丁度通学出勤の時間で、人で溢れていた。
元来人混みが苦手な刹那は少し眉を寄せて、それでも希望の場所に向かう。
リニアトレインに乗り、10分で目的の場所に到着した。
夕べ書き取ったメモに目を落として、その住所に向かう。
駅からの道すがら、すれ違う人に注意しながら向かえば、一つのマンションのエントランスから、見慣れていた茶色の癖毛の男が現れた。
ドキリと、刹那の心臓が大きく波打つ。
情報どおり、ロックオンそのものだった。
毛先の跳ねた茶色の髪。
ブルーグリーンの瞳。
透ける様な純粋な白人種の肌。
背格好も見慣れたバランスで、それでも見たことの無いスーツ姿の容姿に違和感を覚えながらも、刹那の足は無意識に彼に向かった。
もう一度、囁いて欲しかった。
刹那と、解けそうな甘い声で。
そして抱きしめて欲しかった。
見た目よりも厚い胸板で、逞しい腕で。
エントランスから出て、ふと彼が自分を見下ろす。
そして胸元から携帯を取り出した。
彼は見慣れない端末を手にしていて、それが光を発している。
どこからか着信を得ているらしかった。
着信に首をかしげて、それでも通話を始める。
「おはようございます。何かありましたか?」
その声は、少しロックオンよりも高めだったが、それでも同じ声帯から出ていると解る、刹那が焦がれていた声。
歩調が速くなる。
刹那も自覚があったが、止められなかった。
目の前にいるのだ。
焦がれて、やっと愛し合えるようになり、そして子を設けた彼が。
5メートルまで距離が縮まり、刹那は足を止めた。
そして口を開きかけた。
今にも「ロックオン」と声をかけそうになったその時。
「ええ!? マジですか!? そんなむちゃくちゃなぁ! 俺、今日外回り3軒あるんですから無理です!」
刹那の真ん前で、彼は刹那を視界に入れず、時計に視線を落とした。
そして通話をしながら、刹那の横を何事もなかったかのように、足早に通り過ぎる。
彼が通り過ぎた後、すれ違った勢いで、ふわりと刹那のカーディガンが風に踊った。
可愛いと、褒めてくれたカーディガン。
スカート。
それらに何の反応も示さず、そして刹那が目の前にいるというのに、何の言葉もなかった。
背後の声が聞こえなくなるまで、呆然とその場で立ち尽くして、耳に残る声を頭の中で繰り返した。
そして気がつく。
「……馬鹿だ」
自分の愚かな行動に、刹那は人通りの無くなった道の真ん中で、一人で顔を歪ませた。
所詮は別人なのだ。
双子でも、彼は刹那が愛したロックオンではない。
ニールではないのだ。
彼は刹那の存在を知る前に、兄と死に別れたニールの弟だ。
同じ顔、同じ髪の毛、同じ声質、同じ背格好でも、ニールではない。
ライルという名前の彼の弟だと、わかっていたはずなのだ。
なのに、顔を見た瞬間にその意識が飛んでしまった。
暫くその場に立ち尽くして、意味の無い行動に終止符を打つために、手の中に大切に置いていたメモを握りつぶし、刹那は足を動かした。
のろのろと駅に向かい、自宅を目指す。
その道すがら、明るかった彼の声に、彼が兄の死を知らない事実を思った。
それでも平和な世界を謳歌している雰囲気だった彼に、態々知らせることは、逆に彼の生活を乱してしまうかもしれない。
遺産の話をしていた時の、ニールの言葉を思い出す。
『俺の弟、お前の弟にもなるんだから、大切にしてくれよ』
片目を眼帯で覆いながら、明るく強請った言葉に笑う。
「……ああ、ロックオン。お前の弟は幸せそうだ」
だから、もう二度と会わない。
刹那が関われば、彼は犯罪者と縁を持つことになってしまう。
ニールが逝ってしまった今、刹那に出来る事はそれだけだった。
そして更に、彼は兄が死んだ事実を知らずに生涯を終えられたほうが幸せかもしれないと、そう思った。
犯罪に手を染め始めた時、連絡手段は一切経ったと、ニールは言っていた。
だから彼が、兄がCBに入っていたことを知るはずも無い。
刹那が関わらなければ、彼の平穏は続くのだ。
兄はどこかで生きていて、自分とは違う人生を送っているのだと、そう思いながら。
自室に帰り着き、端末に保存していた一年近く前の写真を開く。
動かない先ほど見た顔の男は、刹那の愛したロックオンだ。
刹那を抱きしめて、必死にカメラに笑えと促していた声が、今でも鮮明に思い出せる。
今日聞いた声よりも、少し低い発声で。
カメラを構えてくれたアレルヤにも、「笑った方が可愛いよ」と、必死に宥められていた。
辛くとも、楽しかったあの頃。
愛した人がいなくなった今では、この思い出は辛すぎる。
消してしまおうと思った。
指を動かして、それでも躊躇する。
動かない男の姿が、なおさら刹那に現実を見せるのに、捨てられない。
表示させた画面に、ぽたりと何かが落ちた。
何かと瞬きをすれば、それはいくつも画面に落ちる。
「……泣いて、いるのか、俺は」
根源に指を当てれば、目頭から零れ落ちる水滴を確認できた。
それを確認すれば、後から後から留まる事を知らないように、涙は溢れ続けた。
端末を床において、刹那が流れる涙を止めようと、目を擦ろうとした瞬間。
腹の内側から、トンッと、小さな衝撃が走る。
「あ……」
早ければ、妊娠4ヶ月になれば始まるという『胎動』であると、すぐにわかった。
それにしても早いなと思っていれば、自然と涙は止まった。
その後も「トンッ、トンッ」と、存在を示すように、刹那の腹を蹴り続ける。
愛しいその衝撃に、刹那は下腹部を撫でて、言葉をかけた。
「ありがとう。俺は大丈夫だ。ダディの写真も残しておくから、早く出てきて見るといい」
お前の存在を心待ちにしていた癖に、腕にも抱かずに散っていった間抜けな男の顔を。
そう頭の中で付け加えて、下腹部を撫でれば、やっと刹那はうっすら笑えた。
子供から贈られた、刹那の17歳の、たった一つの誕生日プレゼント。
マム、一緒に居るからね。
そう伝えてもらえただけで、今までの人生の中のどんなプレゼントよりも、刹那は嬉しく感じられた。
引き取ったロックオンの遺品の中の一つを手に取り、首の後ろから一つだけ金具を外す。
彼の物は纏めておこうと、初めて前向きに考えられて、男物の長いネックレスを、彼も取っておいたケースの中にしまった。
まだ1年しか経っていないケースは、使用頻度もあるのだろうが新しいままだった。
綺麗に収めて、蓋を閉じる。
「これはこの子に渡す。お前の唯一の子供への贈り物だ」
箱の中に収められている、見慣れたファー付きのジャケットに笑いかけて、刹那は箱を閉めた。
「さて、そろそろ準備するものを調べなければ」
彼の望んだ家庭。
普通の家族。
それらに必要なものをネットで調べて、まだ殆ど家具の入っていない部屋を眺めた。
end
痛々しい誕生日ですみません(-言-
でも刹那さんはライルを見て、やっと兄さんの死を受け入れられたのです。
泣けなかったのが泣けるようになって、前を向きました。
そしてその後、更なる前進をライルにもらうんです。
ちなみにこの頃のライルはぼけっとしてるので、人の気配に気が付いてません(汗)。
とにもかくにもせっさんお誕生日おめでとうでした!
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