第一変奏曲 2

2011/05/22up

 

 宿泊予定のホテルは、日本情緒に溢れていて、所謂「旅館」と呼ばれる高級ホテルだった。
 着物の女性が部屋まで案内してくれて、更には荷物運びもチップもなしに当たり前のようにやってくれる。
 ライルも何度か利用した事はあったが、学生時代は金銭的余裕など無く、社会人になってからは時間的余裕が無く、今回で片手の指で数える程度の利用回数だった。
 廊下にも流れる水の音と、独特の香り。
 人生で二人目の彼女と、社会人になって初めての旅行で利用して、感動した事を思い出させる。
 だがソランとニーナの親子は、この「旅館」を定宿にしているらしく、「女将」と呼ばれる年配の女性と談話しながら部屋に向かっていた。
「今回は、少しお時間が空きましたね。お忙しかったんですか?」
「ええ、少し。それにご覧の通り、身辺状況も変わりまして」
 ソランの言葉に、女将はちらりとライルを見て、小さく会釈した。
 突然の行動だったが、ライルは反射的に、仕事の笑顔を返してしまう。
 それでも彼女は笑ってくれた。
 自分の職業に感謝しながら、ライルは長い廊下を歩く。
「ニーナちゃんも、少し見ない間にまた大きくなって。子供の成長は早いですねぇ」
「本当に。また騒がしさでご迷惑おかけします」
「いえいえ。お子さんはお元気なのが一番ですよ」
 長年使っているような遣り取りに、ライルは心底ソランの収入が気になった。
 彼女は普通なら節約するところを、その素振りを見せない。
 自分には殆ど金をかけている雰囲気は無いのだが、子供に対しての金銭の頓着の無さに、ライルは驚きっぱなしなのだ。
 この旅館も、おそらくニーナが元気であるのが原因の利用なのだろう。のびのびとさせられる環境を、整えているのだと分かる。
 まだお互いに、結婚などの話も出来ない状況ゆえに、月収などの突っ込んだ話はしていない。
 なんと言っても蜜月だ。そんな話は野暮である。
 ライルはそういった場面では、酷く見栄っ張りだった。
 それでも男の襟もちで、それとなくライルはソランに自分の収入は見せていた。
 今回も急な旅行だったが、旅費はライルが負担すると言い張った。
 ソランは「子供の分もある」といって、折半を主張したが、その辺は譲れなかったのだ。
 実際ライルは、その程度の出費では揺るがない程度の収入を得ていた。
 会社は世界基準で見ても大手で、他の大手企業としのぎを削る遣り取りをしている。
 その会社で、まだ二十代だというのに、役職手当を貰っている身だ。
 結婚して子供一人を養うなど造作も無いのだと、さり気なくソランにアピールしている。
 ……が、当然それにソランが気がついている素振りは無かった。
「それに良かったですわ。イブラヒム様、まだお若いんですから、ニーナちゃんと一緒に楽しんで下さる男性のお一人やお二人、ご一緒にいらっしゃればいいのにと、常々思っていましたのよ」
 女将の言葉を聞いて、ライルはソランの過去を知る。
 兄以外、本当に居なかったのだと、真面目な彼女を思った。
 だが女将の言葉に突っ込みを入れる。この場に自分以外の男の姿があったら、絶対に撃ち殺す、と。
 近くにあると言う射撃場で、それとなく射殺だと、物騒な事を考えてしまうのだった。

 やけに長い廊下を歩いて、更に外にまで案内されてしまい、ライルは首を傾げる。
 館内の部屋ではないのかと。
 そして更に驚かされた。
 なんと戸建ての建物に、案内されたからだ。
「いつもお使いになっていらっしゃる離れでよろしかったでしょうか? お一人様追加のお話の時には、こんな素敵な男性だとのお話も伺っていませんでしたので、いつものお部屋をご用意させていただいてしまいましたが……」
「ニーナもいつもの場所が落ち着くと思いますので、このままで」
「そうですか? もう一つの離れの方が、今の時期は庭が見頃なんですけれど」
 会話に更に驚かされる。
 子供のために、特別室を用意する母親。
 片親と言うことで気を使っているとは思っていたが、あまりの愛情にライルは心の中で手を叩いてしまう。
 良くぞ自分を入れてくれたと、感謝もしてしまった。
 更に、こういう旅館では、特別室は一回目の客は使えないという噂も聞いていたので、二人の利用回数も感動してしまう。
 少ない時間を縫って、子供を楽しませていたソランに、ライルは心底感動したのだ。
 もう自分も一緒だからと、更にニーナを楽しませる算段もソランに提供しようと心に決めた。
 そしてライルは決行する。
 女将に今まで閉じていた口を開いた。
「じゃあ、次回お願い出来ますか? この子に俺も日本情緒を見てもらいたいから」
 ライルの言葉に、女将は笑みを向けてくれた。
「まあまあ、是非お越しくださいませ。次回はそちらのお部屋にご案内させていただきますので」
 近いうちの約束に、女将は喜んでくれた。
 そしてニーナも。
 喜んでライルに飛びつく彼女を抱き上げて、案内された部屋に足を踏み入れれば、そこは思ったとおり畳で、靴を脱ぐ仕様になっていた。
 過去に数度の経験で、今までよりも数倍広い玄関で靴を脱ぎ、ニーナの靴も脱がせてやる。
 ソランは先に女将に案内されて、室内に進んでいた。
「障子はすぐに張り替えますので、いくらでも遊ばせて下さいな」
「有難うございます。もしよろしければ、そろそろ自分で障子の張替えをさせてやりたいのですが」
「ええ、ええ! 承知いたしました。破かれましたらお声をおかけください。担当の者がお教えに参りますので」
「よろしくお願いします」
 遣り取りを耳にして、ライルは障子の張替えが業者でなくとも出来るものだと知る。
 所詮西洋建築の中で育ったライルには、日本文化は分からない。
 よく知っているなと、ソランを尊敬してしまった。


 女将が部屋を去り、三人になった所で、ニーナは案の定、大暴れタイムに突入した。
 押入れを開けて布団に潜り込み、更に広い室内を走り回る。途中で何かに足を取られて転んでも、柔らかい畳の上で怪我も無く、ひたすら楽しんでいた。
 その様子を一通り確認して、危なくない事を悟ったライルは、離れの障子と窓を開けて、庭を堪能する。
「すげぇな。俺、こんな所初めて見た」
「最初は無理を言ったんだがな。子供が元気だからと頼んだら、渋々この部屋を貸してくれた。それ以降、ここにお世話になっている」
「まあ、子供にとってもこの部屋は天国だろ。暴れ放題だ」
 背後を見れば、まだ大暴れタイムのニーナは、母親とライルに目もくれずに、ひたすら部屋の中を走っている。
 元々元気な子供なのだ。興奮すればこうなるだろうと、ライルも予測していた。それに輪をかけて、ソランは母親だ。他の客への迷惑も考えて、子供の開放感を優先したのだと理解する。
 愛情の深い母親に、ライルは笑う。
 そして目の前の景色に望むものを探した。
 温泉だ。
 風呂場はどこだと、視線で探してしまう。
 ライルの予想では、もっと狭い部屋と庭で、窓を開ければすぐに見えると思っていた。
 だがこの部屋は、そんな安い造りではない。
 広い二間続きの戸建てで、更にトイレとバスが離れて設置されている。
 そして広い庭。
 景観を損なわないように、露天風呂も隠れているらしい。
 侮れない高級宿に、ライルは出された茶を啜りながら、部屋の造りが印刷された案内図と向き合った。
 邪な思いで部屋の造りを眺めていれば、更に興奮したニーナは、ライルに悪戯を仕掛けてきた。
「ライル! 座布団爆弾!」
 いきなり投げられた柔らかいものに、慌ててライルは茶の入った椀をかばった。
 ポスンと情けない音を立てて、ライルの後頭部に座布団が当たる。
「こら! ニーナ! 人様に向けて何をする!」
 ライルが危険を諭す前に、ソランが子供を躾する。
 それでも興奮したニーナは止まらず、ライルは邪な思いを一旦頭の隅に片付けて、自分達の子供の頃を思い返して、目の前の子供に向かった。
「こんにゃろー、先手打ちやがったな。なら俺は体格差で勝負だ!」
 すみに積まれている、ニーナが投げた予備の座布団を何枚か重ねて持ち上げて、走っているニーナを枚数で捕獲し、その場にねじ伏せた。
「きゃー!」
 襲ってきた布の塊に、それでも子供は喜んで、座布団の隙間から足を出してばたつかせた。
 喜んでいる彼女に、更にライルは子供の喜びを提供する。
「落ち着かない子には、くすぐり攻撃だぁ!」
 畳に転がっている子供に、ライルは捲りあがっているワンピースを更に巻くって、腹に指を這わせた。
 当然母親にするソレではない。
 細かい指の動きに、子供は更に興奮して笑い転げていた。
 何が楽しいのかは、大人には分からない。
 だが楽しかった事を、ライルは覚えていた。
 更に口を寄せて、腹に唇をつけて、思いっきり息を吐き出してやれば、柔らかい肌に波打つように音を立てながら触れる暖かい息に、ニーナは楽しそうに笑い転げた。
 だがソランから、注意を受けてしまう。
「……ライル、セクハラだ」
「あ?」
 ニーナの腹から顔を上げれば、不機嫌そうなソランと目が合う。
 そして言葉の意味を考えて、思わず噴出してしまった。
「ばか。お前にするのとは意味が違うんだよ。子供はこれがくすぐったくて面白いの」
「そうなのか?」
「お前、経験ないの?」
「ないな」
 即答して、ソランは頬を染めて視線を逸らせてしまった。
 そんな仕草に、ライルは笑う。
 自分の娘に嫉妬している、可愛い母親に。
「お前にも夜、してやるよ」
 ウィンクつきで素直に言葉にすれば、ソランは更に耳まで赤く染めてライルを睨んだ。
「……馬鹿ッ」
 子供前で何をという雰囲気のソランに、ライルは笑う。
 そしてライルの下から、ニーナが興奮のままに母親に突っ込みを入れた。
「馬鹿って言っちゃいけないんだー! 馬鹿って言ったら、言った方が馬鹿になっちゃうんだー!」
「……ああ、悪かった」
 子供には敵わない。
 ソランは顔の赤さを隠すように、女将が淹れてくれた茶の椀に顔を伏せた。





 ニーナの興奮が一段落したところで、本日の目的である射撃場に移動する事になった。
 ライルは実はすっかり忘れていて、落ち着いたら温泉と思っていたのだが、そうは問屋が卸さなかった。
 母子はコレを目的に来ていたのだ。
 ニーナは置いておいても、ソランの過去の経歴に、ライルは「腕が鈍らないようにしてるのか?」と想像する。
 それはもう、常人が及ばない技術があると思っていた。
 現にソランは、現在の仕事から仕事以外の事も、常人では考えられないような事を平気でやってのける。
 射撃もさぞ、と、思ったのだ。

 ニーナを「子供射撃教室」に置いて、二人で貸し出しのライフルを選択し、クレー射撃場に足を向けた。
 ライルは感を取り戻すために、最初はハンドガンから廻りたかったのだが、ソランに付き合うことにした。
 どうせどう足掻いたって、この手の事にソランに男の襟もちなど通用しないと諦めていたからだ。
 並んで別々にやる事もできたが、広さの関係上、6台並んでいるクレー射出機は、一台おきにしか使えない。
 ソランはいつものごとく、ライルに先を譲った。
 それが彼女の癖なのだ。
 仕事以外では、絶対に自分が先に出ることをしない。
 遠慮という事だけではない事は、半年以上付き合ってよくわかっていた。
 ライルはソランに甘えて、久しぶりの感覚を手にする。
 皿が射出される時の音。
 自然と弾道を追う体の筋。
 そして弾を発射する時の反動。
 小学生の時以来の感覚に、それでも成長の早かったライルは、大人になった今も何とか普通に楽しめた。
 それでも印刷されて出てきた数値を見て、「あちゃー」と頭をかく。
 的中率、69%。
 子供の頃、兄と競っていた頃には目にもしなかった数字に、やはり継続とは力なのだと、そう感想を得た。
 それでも今回のクールで、何とか今の自分の体の感覚は分かったので、次はもう少しまともになるかと、そう思った。
「お先に失礼」
 ソランに言い、印刷されて出てきた紙を振れば、彼女の視線がそこに留まるのを感じる。
 見せるのは少し戸惑うが、それでも一般人としてはまあまあだろうと、肩をすくめて差し出した。
 ソランは紙を受け取って、その数値を見て、目を見開いた。
 その仕草に、彼女が兄と自分を比べているのだと思い、何とも昔味わった気分を再現させられる。
 どうせ、何事も兄には敵わない。
 そう思ってしまい、オープンスペースの、火薬から隔離されたスペースで、置かれていた灰皿に甘えて煙草を取り出して口に咥えた。
 射撃をする人間には、喫煙者が多いのだ。
 いつもは長時間の運転の時には吸っていたが、今日は子供が一緒と言うことで、車の中で禁煙していた。
 更に、はしゃぐ子供に付き合っていて、この時間まで吸えなかったのだ。
 やさぐれた心と共に吸い込もうとした煙は、ソランの言葉に邪魔される。
「お前……子供の頃、辞めたと……」
「あ?」
 煙草は子供の頃には吸っていなかったと思ったが、彼女を見て、その言葉が射撃の事を指しているのだと知る。
「最近、来ていたのか?」
「どこに」
「ココだ」
 ありえない話に、ライルは笑ってしまう。
「ナイナイ。それに俺、そんな数値出したの、記憶のあるうちには初めてだ。俺だってやってた頃は、最低でも75%は出してたんだよ」
 兄は最低80%だった。
 それも、天候の関係とか、本人の体調不良以外は、90%を下回ったのを見た事が無い。
 ライルも最低が75%だったが、それもニールと同じ理由だった。
 平均すれば、略兄と同じだった。
 それでも条件が整わない場合の自分の数値に、拗ねたのだ。
 それで辞めた。
 今となっては馬鹿馬鹿しい理由だが、その当時は真剣に自分の限界を感じたのだ。
 どうせ兄よりも秀でる事はできない、と。
 比較されていると思っていたのだが、どうやらソランはライルの数値が常人より高かった事に驚いたらしい。
 射撃は両親の英才教育の一環だった。
 ライルの家にはライフルがあり、周りも猟銃する事がある程度当たり前の環境だった為に、近所で子供がそれを習うのも、特別な事ではなかった。
 ただ、他の子供よりも少し早かっただけだ。
 ある程度成長し、体が出来てから習うのが一般的だったが、ライルの家は早かったと言うだけの話で。
 懐かしくも恥ずかしい子供の頃の話に、ライルは肩をすくめて、ソランから紙を返してもらった。
 つい癖で拗ねてしまったが、考えてみれば出会ってからこの方、ソランがライルと兄を比べた事など無い。
 双子なのに、そして二人と恋愛関係を持ったのに、彼女にはそれはないのだ。
 だから付き合えた。
 愛せた。
 ライルは自分の馬鹿馬鹿しい癖を笑って、そしてソランに場を勧めた。

 煙草の煙を吸い込みながら、初めてライフルを構えるソランを見る。
 彼女は昔、世界と戦っていた。
 鍛えられた背中はいまだ健在で、ライフルもよく似合う。
 それが悲しいと、少し思ってしまった。





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きっと24世紀には世界中に蔓延している「旅館」。表記できっと「Ryokan」とかになってるといいよ!
子供は障子は興味津々で破きますが、ふすまは突き破らない。何故なら母親と父親譲りの反射神経で、身軽に交わすから。障害物も飛んで避けます4歳児。
ライルは子守のレベルがアップしました。出会って7ヶ月で多分Lv40くらい。パパ道まっしぐら。最近はちょっとは台所にも立てる様になりました。
そして射撃は懐かしい感じのこの頃です。でも常人以上。「なんなの、このライル・ディランディの基礎能力の高さは…」です。