「あのねー、その日はダメなんだぁ。ゴメンね、ライル」
「え……?」
初めての会話に、ライルは目を見張ってしまった。
ソランと付き合い始めて一ヶ月。
蜜月を過ごしているはずの二人の会話は、主に彼女の娘で成り立っていた。
今日は母親が残業で、託児所の閉門までに間に合わないという理由で、母親の恋人であるライルが、彼女の娘であるニーナを迎えに来た。
その帰り道、今週末の予定を話し合おうとして提案したライルの言葉を、ニーナは初めて断ったのだ。
普段なら、ライルの言葉を喜び、母親に許可を得る前に承諾してしまう彼女が、ライルの誘いを断った。
少々、ライルの心に傷がつく。
それでも子供であっても、ニーナにも予定があるのだろうと、母親の言いつけで、託児所から車ではなく歩いて帰る道すがら、ライルは問うた。
「なんだ? 誰かと遊ぶ約束でもしてるのか?」
託児所には、仲のいい女の子も居る。
彼女も片親で、更に彼女の母親とソランは同じ会社で、自然と交友も深かった。
だがニーナが即答で断った理由は別のものだった。
「あのね! 週末は、マムと射撃場に行くの!」
「……射撃場?」
大きな都市に住んではいるが、車で一時間もハイウェイを飛ばせば、緑化制作の為の場所がある。
その中には大型遊技場が沢山作られていて、その中の一つにそれがあるのだろう。
今まで大して興味も持ってこなかった場所ゆえに、ライルには情報がなかった。
更にニーナの言葉は続く。
「それにソコ、温泉もあるのよ! 今から楽しみ!」
母親との時間を満喫できる事に、心底嬉しそうな彼女の娘を見ていれば、ライルにも欲望が沸きあがってきた。
射撃場は、はっきり言ってどうでもいい。
幼い頃に見慣れているし、もう訓練をやめて十年以上だ。たいした成績が残せるとも思えない。
だが、問題はその後の温泉だ。
風呂上りのソラン。
更にもしかしたら、子供の為と考える彼女は、部屋に風呂がついているタイプの場所を確保しているかもしれない。
その中で、二人でゆったり。
ニーナが寝た後、常に無い場所で愛を深められるかもしれないのだ。
もうライルには、その予定に自分が入る事しか頭に無かった。
「俺も行きたい!」
最初にニーナを誘った、彼女の好きなアニメ映画など、もうスッパリ記憶に無かった。
ライルの計画では、映画の後、いつもならソランの部屋で三人で楽しむのだが、この週の予定はライルの部屋に招待しようと思っていたのだ。
そのために、子供用のベッドまで用意した。
だがそんなものは、いつでも使える。
温泉!
スパリゾートにありがちな、美容サロンを使った後の、艶かしいソランを妄想してしまい、鼻の下を伸ばしてしまう。
そんなライルに、夕焼けの道を歩きながら、ニーナは現実的な事を伝えるのだった。
「……こんな急に、人数って増やせるものなの?」
ニーナは、母親の血を継いでいるのか、非常に頭の成長が早い。
まあ父親に似ていても、彼は幼い頃は「神童」と呼ばれるほどの頭脳を持っていたが。
そんな血故に、まだ4歳になりたてだというのに、もう大人の事情を理解しているのだ。
そして社会構造も理解していて、その事をライルに突っ込む。
それでもライルは引かなかった。
「この時期なら、多分空いてるだろ。それに部屋をグレードアップさせれば、何とかなるだろ」
旅行の計画を立てたソラン本人に伺いも立てず、もうライルの中では週末の予定は決まっていた。
「いやっほー! 絶好のドライブ日和だな!」
兄の遺産でソランの家の前に乗り付けて、ライルはご機嫌だった。
ニーナを家に送り届けた後、ソランが帰ってくるのを二人で待ち、更に夕飯をご馳走になりながら、ライルは散々駄々をこねた。
自分も行きたい。
仲間はずれなんて酷い。
どこの子供だと言われそうな言葉を並べ立てて、そしてその場でソランに宿泊場所に一人追加の確認を入れさせた。
その返答は、すぐに出た。
了承だった。
特に大型連休でもないこの時期など、一人くらいの人数変更など出来て当たり前だと判っていたが、それでもその場でライルは両手を上げて喜んだ。
ニーナもライルの横で、同じポーズで喜んだ。
まるで親子のような二人に、ソランは久しぶりに頭痛を感じたのだった。
そして家の前に、朝早いと言うのに爆音がなる。
彼の兄の遺産の車は、とにかく音が五月蝿い。
レンタカーで行く予定だったのが、ライルが加わった事で、予定が変わってしまった。
車自体に思い出はあるが、ソランはその車が嫌だった。
五月蝿いものが嫌いなのだ。
そして車マニアな訳でもない。
彼の兄は車マニアで、その車は当然マニアの間では、涎が出るだろうと言われるほどの価値を持つ……らしい。
どうでもいい価値を調べるほど、ソランは暇ではなかった。
「いやー、良かった良かった! この車、市街地走るのには五月蝿いし、ホントにハイウェイでも走らない限り、全然有り難くないもんな! 出番おめでとう!」
上機嫌なライルは、兄の車の文句まで普通に語る。
彼の兄が聞いたら、おそらく泣き崩れている事だろう。
同じ事をソランも言ったからだ。
その結果、その車の相続権がライルに行ったのだ。
哀れな彼の兄で、元夫をソランは思いつつ、だが何故か娘が気に入っているのは血筋かと、スポーツカーに相応しくなく、後部座席に設置されているチャイルドシートに娘を座らせて、ソランはライルに問うた。
「運転は、任せていいのか?」
「うん? ソラン、運転したい?」
「いや、こだわりは無いが、道はわかっているのかと」
「当然でしょ。ちゃんとナビにインプットしてきた」
車のシステムを指して、ライルは胸をはる。
どうやら本気で楽しみらしいと、ソランは肩をすくめた。
何がそんなにライルの機嫌を上げているのか、理解していないのだ。
ライルの頭の中には、もう夜の温泉しかなかった。
別々に浴びるシャワーではなく、ライルの予測どおりの、部屋つきの露天風呂。
おそらくそうしているだろうと思っていた事が、予約確認の時に判明し、目を輝かせたのだ。
子供が暴れても、大丈夫なように。
母親である彼女が考えそうな事だ。
24世紀には、世界中に蔓延している日本文化に、ライルは心の底から感謝した。
日本万歳!
大型レジャー施設には、かなりの確立で存在するその文化に、ライルは心の底から感謝したのだった。
道の混雑も無く、上機嫌に車は高速道路を走る。
音はソランが思っていたよりも、彼の兄が語っていた通り、スピードに乗ってしまえばそう酷くなく、更に振動も普通の車よりも減っていた。
その車に出会って早5年。
ソランはやっとこの車の価値を見出せた。
ライルは分かっていたようで、高速に差し掛かったところで「加速いきまーす!」と宣言して、アクセルを踏んだ。
エンジンの高速回転の初めこそ五月蝿かったが、それ以降の静かさに、ソランは初めてこの車の有り難さを知ったのだった。
だが暫く経った所で、後部座席のニーナから文句が出る。
「ライル、遅い」
「へ?」
言葉の意味を考えて、それでもスピードメーターを見れば、法定速度よりも少し速いくらいだった。
ちらりとバックミラーで子供を見て、更にちらりと助手席を視界に入れれば、子供の言葉をきまり悪そうに聞き流している最愛の彼女。
「……お前、普段何キロ出してるんだよ」
子供は正直だ。
故に、彼女の普段の運転速度が、この域ではない事を語っていた。
「……別に、大したことは無い。ガンダムより遅い」
彼女の過去の経歴を思い浮かべて、ライルは引き攣った。
「大気圏離脱するんじゃねーよ」
「大気圏離脱能力は無かったな。それに捕まるような事もした事はない」
「それ、単に事前に情報捕まえて、その部分だけスピード落としてただろ」
彼女の能力は、凄まじい。
普通に設置されているサーバーなど、彼女の敵ではないのだ。
そして足を見せるような事もしない。
4年前までテレビで見ていたテロリストの能力を、ライルは溜息混じりにいつも見つめていた。
「……次のサービスエリアで、運転変わってやる。ニーナが暴れそうだしな」
「分かった」
子供の不機嫌ほど怖いものは無いとライルは提案したが、この提案を、この後ライルは心底後悔する羽目になった。
「ついたー!」
喜び勇んでいる子供と反対に、ライルは助手席のシートベルトを握り締めたまま、ピクリとも動けなかった。
そしてこの車の真の性能を見せ付けられた。
ソランは淡々と子供をチャイルドシートから下ろしながら、その感想を述べる。
「確かに、スピードに乗った時の安定感は凄いな」
「そ……そうデスね」
言われている車の性能は、おそらく彼女は兄から聞いたのだろう。
その答えを、必死にライルは紡いだ。
理由は当然、ソランの走行スピードが、ライルの体験した事のない領域だったからだ。
モビルスーツなる大量殺戮兵器を操っていた彼女は、通常のスピードを知らなかった。
そして通常の運転も。
サービスエリアを出た後、アクセル全開。
前にいる車を、見事なハンドル捌きで避け、ある場所に差し掛かると、バックミラーで後方を確認してブレーキ全開。
あまりの運転に、ライルは金縛りにあってしまった。
ちらりと視界に入れたスピードメーターは、その針を振り切っていた。
普通なら一時間は最低でもかかる場所に、三人は三十分後に足を下ろしていたのだ。
おそらく、途中のブレーキ全開が無ければ、更に時間は短かったのだろう。
更に恐ろしかったのは、ソランの車の止め方だ。
街中のショッピングで車を運転する時は、当然街中にあったスピードと、普通にバックで駐車していた。だが郊外施設のこの場所は、大型連休ではない今、がらがらに空いていて、車も殆ど止まっていなかった。
そんな場所ではソランは、殆どスピードも落とさず、足元のブレーキのみで車をスピンさせて、ドリフトをかけて駐車場の端に車を止めたのだ。
遠心力が半端ではなかった。
だがその運転に慣れている子供は、喜んでいた。
後ろから「マムかっこいー!」と叫んで、遠心力を楽しんでいたのだ。
彼女が遊園地に行くと、何故スピードを求めるのか、この時ライルは痛感したのだ。
母親の所為だ、と。
「……この先はッ! 何があってもッ! 俺が運転するから!」
半泣きになりながら叫んだライルを、母子は不思議そうに見ながらも、二人で頷いてくれた。
温泉旅行です。二人でしっぽりを夢見ている、結婚前のライルです。
そんで兄ちゃんの車は「すげぇな」とは思ってますが、自分には合わないと普通に思っていた。やっぱり兄貴残念ww
更に彼女の車の運転に涙です。推定時速250くらい? 高級車のエンジンがフルで活用されました。
でもドリフトかましたので、帰ったらタイヤは交換です。色々涙。この先も涙です。いやライルだけがww
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