ソランが長男を出産した後、暫く家族だけの生活が与えられた。
一時の事だとわかってはいても、長年望んでいた形を得られて、ライルは喜んだ。
組織は新たなMSの開発をしているし、やはり急な呼び出しもある。
それでも、少しでも家族の時間をニーナに与えてあげられる事が嬉しくて仕方なかったのだ。
ソランと知り合ってすぐにぽつりと零したニーナの言葉が、ライルは忘れられなかった。
父親と会いたいと、寝入りばなに、夢うつつの中で彼女はそう言った。
それが叶わない願いだとわかっている幼い彼女に、言いようの無い感情を覚えたのだ。
ライルは血の繋がりはあるとは言っても、彼女の父親ではない。
それでも、擬似的な物であってもその幸せを与えたいと思っていた。
仲のいい両親との生活。
そんな普通の感覚を教えて上げたかった。
それでもライルとソランが選んだ道は、ニーナにそれを与えてあげられる状況は作り出せず、家族になっても……いや、家族になったからこそ余計にライルに焦燥感を与えた。
いつになったら、ニーナを幸せにしてあげられるのか。
生涯を誓ったソランとは別に、ソランの娘だと言う事を抜きにしても、それだけライルはニーナを愛していた。
そしてやっと思い描いた形の生活が手に入り、臨月から3ヶ月経った今、今度は困惑に見舞われた。
目の前には追い求めたソランとの愛の結晶の息子が、ベビーベッドの中で気持ち良さそうに眠っている。
そのベッドを覗き込んで、ニーナも嬉しそうにしてくれている。
だが、その光景がライルに苦悩を与えていた。
よく聞く話を思ってしまうのだ。
ライルはニーナを愛しているが、それが彼女に伝わるのであろうかと。
目の前で自分の子供を抱き上げた光景をニーナが見た時に、彼女はライルに対して何を思うのであろうかと。
実の子供ではないと言う事実が、彼女を苦しめるのではないだろうかと。
そんな考えに支配されて、実の子供への接し方がわからなくなってしまったのだ。
ソファで送られて来た書類のチェックを中断して、ベビーベッドを覗き込むニーナを見ていると、ふとニーナがライルに視線を向ける。
その直後、ベッドの中から小さな泣き声が響いた。
「ダディ、マシューが起きた」
トーマスと名付けた子供は、ライルのそんな気持ちを見透かす様に、父親の愛情を求めてくる。
ソランが抱いていても、当たり前の様にライルにも手を伸ばす。
それに戸惑うライルにソランは苦笑しながらも、何事も無い様にあやしてくれた。
だが今、ソランは昼寝中だった。
夜泣きがあるトーマスを、夜は基本的にはライルが見ているのだが、夕べは疲れがたまっていたのかライルは気が付かなかったのだ。
だが母親であるソランはすぐに気が付いて面倒を見たのだが、夕べに限ってトーマスは眠る気配を見せなかったと、朝、明るい日差しの中でソランは目の下に隈を作っていた。
その様子を心配したニーナに促されて、珍しく昼寝をしているのだ。
ライルが夜泣きのあるトーマスの夜の面倒を買って出ているのは、実は人前で抱く事に躊躇を覚えているからで、人の目のない夜中に思う存分抱く為だった。
だが太陽の光が溢れている今、息子は愛情を求めている。
一番目の前で愛情を示したくない人物の前で。
どちらにも愛情があって、片方が悩む状態には置きたくないとは思っても、その解決策が見出せない。
泣き続ける息子に近付いて、ライルもニーナの後ろからベッドを覗き込む。
「おしめはさっき換えたばっかりだし、ミルクの時間でもないんだけどなぁ。なんだろうな?」
片手でニーナの頭を撫でながら、もう片方の手で息子を宥める様に撫でるが、それでもトーマスは泣き止まない。
これは確実に体温を求めているとライルにもわかった。
ソランの不在に不安を覚えているのか、それともライルの考えている事を見透かしているのか。
子供は人の感情に機敏だ。
特に親ともなれば、伝わってしまったのかもしれない。
ライルが抱き上げる事に躊躇していると、痺れを切らした様にニーナが代わりに赤子を抱き上げる。
細い腕に、産まれた時ですら3800グラムあった大きな子供は、更に成長していて重そうで、慌ててライルはニーナの方を支えた。
「もうっ! アタシを支えるなら、マシューを抱っこしてあげてよ!」
ライルの行動にニーナは不満を訴えて、ヨロヨロと赤ん坊をライルに向ける。
それでもどうしても、彼女の前で自分の子供は抱けなかった。
ライルが戸惑っていると、背後から声が響く。
「ああ、起きてしまったんだな。夜にあれだけ起きていながら、凄い体力だな」
小さく笑いながら、寝室で眠っていると思っていたソランが現れて、ニーナからトーマスを受け取る。
いつもの様に小さく揺らしながら、トン、トン、と軽く身体を叩き、もう一度眠りへと誘ってくれた。
誘導に素直に従って、トーマスは泣き止み微睡み始める。
ニーナは母親の腕の中の弟を興味深そうに覗いていたが、すっかり眠りに落ちたトーマスを確認してソランがベッドに戻すと、くるりとライルに振り返った。
「もう! なんでダディは抱っこ出来ないの? マムが起きちゃったじゃない!」
不満も露に頬を膨らませたニーナを、ライルは苦笑しつつ抱き上げる。
「んー、抱っこ出来ない訳じゃないけど、俺は出来ればニーナを抱っこしてたいから、マシューはマムに任せる事にしてるんだ」
「だってマムねぶそくだったのに! こういう時はおっとのダディがしっかりしなきゃダメでしょ!」
ライルの腕の中で怒りさめやらぬニーナがライルに零していると、その背後でソランが笑う気配がした。
視線を向ければ、ライルの考えなどお見通しとばかりに、その不器用さを声を殺して笑っている。
聡い妻に眉を下げて視線で謝って、腕の中のニーナに何度も繰り返している言葉を贈った。
「うん、ホントに俺、ソランとニーナが居ないとダメなんだ。子供一人面倒見れないダメなダディでゴメンな?」
そう言うライルに対して、ニーナは更に頬を膨らませる。
「今だってアタシを抱っこするなら、マシューを抱っこしてあげればいいのに」
「うん、そうかもな。でもマシューはあと10年くらいは抱っこさせてくれるだろうけど、ニーナはあと2年くらいしか抱っこさせてくれないだろ? そう考えると、どうしても俺はニーナの方を抱っこしたいって思っちゃうんだよな」
出会った頃よりも確実に大きくなり、重くなったニーナを腕に抱いて、愛情を伝える様に勤める。
そんなライルの心が届いたのか、ニーナの口からはもう文句は飛び出してこなかった。
だが、痛烈な一言がライルに向かう。
「えー、アタシ、もうそろそろ恥ずかしいんだけど」
「え、マジ? じゃあ尚更今のうちに抱っこさせてもらわないと!」
ただ抱き上げていたニーナを、脇の下に手を差し込み直して高々と抱え上げると、ニーナは先程言った言葉とは裏腹にきゃっきゃと喜んだ。
その笑顔にホッとしつつ、ニーナの嬉しそうな様子につられてライルが笑みをこぼす。
そんな二人の様子を、ライルの背後でソランは幸せをかみしめながら笑った。
「さあ、そろそろお茶にしよう。今日は夕べニーナが種を作ったクッキーを焼こうか」
ソランは起きたついでとばかりにキッチンに足を向けて、更にニーナを誘う。
先程息子に体温を分けてあげられなかったライルを助ける様に。
「うん! じゃあダディ、ちょっと待っててね!」
「おう、楽しみにしてるよ」
二人がキッチンにしっかりと立ったのを確認して、そろりとライルはベビーベッドに近付いた。
そして優しくキスを落とす。
「……さっきはゴメンな。愛してるよ」
眠っている筈の赤子は、それでも言葉を受け取ったかの様に、小さな口をモゴモゴと動かしてくれた。
愛くるしいその返答にライルは目を細めて、ニーナが戻って来る前に何事も無かったかの様にソファに座り、携帯端末を立ち上げて書類のチェックを再開した。
暫くするとキッチンからは懐かしい甘い香りが漂って来て、ライルが子供の頃に経験したお茶の時間が近付いている事を知らせる。
穏やかな昼下がり、殺伐とした仕事をしている事を忘れる様な、幸せな空間が確かにそこには存在していた。
「ダディ焼けたよ! アタシの初めてのクッキー!」
喜び勇んで籠に盛りつけた少し不格好なクッキーをライルに見せようと走ってくるニーナを見留め、兄からの何よりの贈り物に、ライルは感謝した。
大切にしたいと、心から思う。
「おお、上手に出来たじゃん。一つ食べてもいいか?」
「ダメだよっ! お茶と一緒に食べるんだから!」
「えー、いいじゃん、ケチ。折角のニーナの初クッキーなのに」
「ダディには綺麗に焼けたヤツを取り分けるから待ってて、なの!」
「全部綺麗だよ。平気平気」
「そんなお世辞にはのらないよ!」
見せに来た筈の籠を引っ込めて、再びキッチンに居るソランの元に向かうニーナを見送って、ライルは笑う。
きっと後2・3年も経てば、ニーナはライルの気持ちに気が付くのだろう。
けれどそれまでは、何事も無い様にライルは振る舞うのだ。
そしてその時まで、ライルの不器用な愛情にソランは笑い続けるのだ。
普通の大人から見れば、ライルの行動は行き過ぎな物だけれど、それでも、と、ライルは思う。
理解出来る様な年齢になって、ライルの行動を振り返って、ニーナが笑える様にと。
その時まで、せめて貴女だけの魔法使いでいさせて。
拍手お礼からの転載です。
自分の子供が産まれたら嬉しいけど、ライルは最初は戸惑うんじゃないかという、凄まじい妄想でした。
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