Begin The Night 16

2011/11/13up

 

 刹那とオペレーター、研究チームが実験と検証を重ねている間に、トレミーは補給と整備に全力を注いでいた。
 スメラギの戦術では、二時間後に攻撃がきてもおかしくないと言うことで、更に基地の面々も己の仕事に追われる。
 ミレイナとイアンが揃ってダブルオーにかかりっきりな状態で、格納庫では他の三機を沙慈が一人で整備していて、最新兵器に髪の毛を掻き毟っていた。
 ハードのメンテナンスの手伝いはライルには出来ないので、素直にソフトの強化を図りつつ、物資の仕分けを手伝っていた。
 個人の住居区画はロックがかかっているために、睡眠は基地内に用意されていたクルーの部屋を使う。
 常に戦闘を意識している母艦では、大した休息も取れないが、今は時間が無いという理由で、更にきついスケジュールを皆でこなしていた。
 そんな中、その日の肉体労働を終えて、ライルがシャワーを浴びようと、男性用のシャワーブースに足を踏み入れた時、事件は起こる。
 脱衣所には一組の制服が置かれていて、明るい赤系の色あわせに、男では珍しいと眺めてしまう。
 その制服を眺めながら自分も脱ぎ、タオルを手にブースに足を踏み入れた ところで、中に居た人物に声をかけられてしまった。
「……あら、ストラトスさん、お疲れ様です。どうなさったんですか?」
「…………」
 全裸の人物に、ライルは体の機能全てがフリーズした。
 艶やかな薄い紫のセミロングの髪の毛。
 白い肌。
 そして……形のいいバスト。
 そこを確認した時点で、ライルは声にならない悲鳴を上げてしまった。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
 慌ててタオルを腰に巻いて、自分が入る場所を間違えたのかと、シャワーブースを出た。
 タオル一丁の状態でも、女性用のシャワーブースに居るよりマシだ。
 これ以上の痴漢行為などない。
 更に不可抗力とはいえ、素晴らしい身体を見せていただいてしまった。
 何度も深呼吸を繰り返して、ドアに向かって謝罪しようと、ライルは振り返る。
「…………え?」
 そこに見たものは、扉に書かれている「For men」の文字。
 つまりライルは間違えていなかったのだ。
 なれない基地で、確認しないわけがないと、落ち着いた今は思える。
 男性用のシャワーブースに何故女性が、と、中で見てしまったアニュー・リターナ女史に首を傾げる。
 廊下でタオル一丁のライルは大変に目立っていて、更に女性が視線を逸らせて通り過ぎていたが、いくら男性用として指定されているシャワーブースでも、中に女性が居ると解っている状態では入れない。
 どうした物かと考え込んでいれば、暫くの時間で内側から扉が開いた。
「どうなさったんですか?」
 困っていたライルに、その状況を作り出した本人が問いかけてきて、ライルは恐る恐る、現状を訴える。
「あの……さ、ココ、男用なんだけど」
 当たり前の顔で、髪の毛を拭きながら出てきた彼女に告げれば、彼女はしばしライルを見つめて、振り返る。
「あ、やだ。私ったらまたやっちゃった。すみません。私が間違えました」
「間違え……あ、いや、俺はいいけど……コッチこそ不可抗力とはいえ、スミマセン」
 全裸を見てしまったことを詫びれば、アニューは笑って首を横に振った。
「いえ、別に。こちらが痴女状態だったんですから、こちらこそ済みませんでした」
 理解のあるナイスバディの持ち主に、ライルはとりあえず胸を撫で下ろす。
 通り一遍の会話を交わして、アニューはにこやかに去っていった。
 ライルは安心してシャワー室に戻り、それでも先程のアニューに首を傾げる。
「……度胸の問題、か?」
 普通、あの年頃の女性なら、悲鳴の一つでも上がって当然だろう。
 フェルトなど、髪の毛が濡れているだけで、その状態を男性に見られると悲鳴を上げると聞いている。
ミレイナも然り。
 身なりが整っていない事は、女性には酷く恥ずかしいものだと、ライルは認識していた。
 当然刹那は別格だが。
 なのに、あのアニューの表情。
 誰かに似ていると、なんとなく思った。
 それでも知り合いの女性の中では思い出せず、改めてシャワーを浴びようとライルが室内に視線を向ければ、またもや大問題が発生していた。
「……ありえねぇ」
 開いているロッカーの中に、明らかに女性物のショーツとブラジャー。
 今出てきた人物を考えれば、当然彼女のものだろう。
 後で届けると言うこともできるが、なんとなく嫌な予感がして、ライルは慌ててもとのパンツとズボンをはき、上はインナーを身につけてシャワーブースを飛び出した。
 ゆったりと歩いていたらしいアニューには、ものの20秒で追いついて、無言で彼女を引っ張ってシャワー室に戻る。
「ど、どうしたんですか?」
「どうしたんですか、じゃなくて、コレ!」
 目を丸くしているアニューに、指を指してブツを示せば、アニューはまたもや暫しその物体を見つめて、今度はにわかに慌てだした。
「いやだ! 私、下着つけるの忘れてる!」
「はいいぃい!?」
 何処のAVネタだと思うようなことに、更に素直にライルに告白した彼女に、今度は素直に叫んでしまう。
 更に慌てているらしいアニューは、今度はライルの目の前で、いきなり制服を脱ぎだしたのだ。
 その先は、先程の様子で想像がついてしまって、ライルは慌ててアニューの制服のファスナーを、彼女のくび元で抑えた。
「まてまてまて! ココで脱ぐな! 一応俺、男! 解ってる!? それにココ、男のブース! 俺以外の男も入ってくるの! オッケー!?」
「あ! いやだ! すみません!」
 言われて気がついたのがよくわかる反応に、ライルは頭を抱えた。
 ドジッ子にも程がある。
 見かけの素晴らしさと正反対の中身に、更に彼女の経歴との差に、天井を見上げてしまう。
 刹那と知り合ったとき、天は二物を与えるのだと思ったが、その後の彼女の行動に、やはり天は平等だと思ったものだ。
 今、目の前の彼女、アニューにも感じる。
 心の中で、久しぶりに十字架を切る。
 神よ、あなたはなんと平等な方ですか、と、信じてもいない存在に語りかけてしまうほど、CBの女性はどこか欠けているのだ。
 ライルが天井を見上げてため息を付いている前で、下着を握っておろおろしているアニューに、ライルは仕方なく言葉をかけた。
「とりあえず、隣りの女性用の場所で着てきたら?」
「ああ! その手がありましたね!」
「いや……その手しかないでしょう……」
 パンツとブラを手にしながら、ライルの言葉をナイスアイディアと褒め称え ているアニューに、本格的頭痛を覚える。
 あれこれGN粒子の問題じゃないよなと、一昨日医者に言われた事を思い出して、自問自答してしまう。
 そんなライルに、アニューはにこやかに礼を告げてくれる。
「ありがとうございます。もう本当に私、ボケで」
「うん……程ほどにね」
「はい。徹夜の時はまた気をつけます」
 アニューの言葉に、開発チームは徹夜なのだと知る。
 刹那とも会えていない。
 それでも、いくら寝不足でもありえないアニューの行動に、ライルは頬を引き攣らせながら手を振って、彼女を見送った。
 扉が閉まるのと同時に、どっと疲れが出てしまい、ライルは背中を丸めた。
「……戦闘よりも疲れた」
 生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされている時よりも、今のアニューの行動は破壊力があった。
 戦闘の時は、単に生き残る術を、スメラギの指示と合わせて頭の中で計算しているだけで済む。
 だが今は、人としての何かを試された気がする。
 ぐったりと疲れながら、ライルはやっとシャワーにありついた。


 その日を切欠に、ライルは異常にアニューを気にしてしまった。
 別に恋愛感情ではない。
 3日徹夜が続いていた開発チームは、やっと乗艦の準備に移れたために、行動が重なる事が多くなったからだ。
 目の前で華麗に繰り広げられる、アニューの失敗の数々に、眩暈を覚える。
 食事の時間も惜しんで研究をしている姿は、素直に尊敬できるが、端末に夢中になって、食事のトレーではなく飲み物のカップにフォークを突き刺し続けるのはどうかと思う。
 その食器を下げる際に、一緒に端末も片付け口のベルトコンベアーに流してしまうのも、ありえそうだがありえない。
 プトレマイオスを外からプログラム修復をしてくれるのは有り難いが、だが一斉に取る休憩時間に、キリがつかなかった彼女が「後で直に追いかけます」と言いつつ、その後4時間部屋に篭っていて、あまつさえトイレに行く事さえ忘れて、またもや駆け込んだのは男性用のトイレだった。
 中から響いた野太い悲鳴が、ライルの耳にこびり付いている。
 更にその日、再びシャワーブースでかち合ってしまったライルは、今度は女性用のブースから出てきたことには安心したが、ふとした拍子に視界に入ってしまったアニューの股間に吹きだしてしまった。
 スラックスタイプの制服の女性は、必ず下半身もアンダーをはいている。
 それは刹那で知っている。
 身体にフィットする素材だからこそ、女性のボディラインが必要以上に出てしまうのを防ぐためだ。
 それを確実に忘れているのがわかる、女性特有の割れ目に、自分が持っ ていたタオルを彼女の腰に巻いて、速やかに再び女性のブースの扉の前に戻した。
「あの……今度は女性用でしたが……」
「違う。あんた、アンダー忘れてる」
「え? 今日はパンツはいていますが」
「ち・が・う。ショーツの上のアンダー。制服が卑猥な事になってんぞ」
「……あ、忘れました」
「はい。早く行ってくる。っていうかリターナさん、制服スカートにしたら?」
 色々忘れる彼女に、イアンの奥さんのようなタイトスカートを勧めれば、アニューは可愛く舌を出した。
「最初はそうだったんですけど、私、よく転んでしまうので、スリット破っちゃうんです」
「……はい、解りました。じゃあアンダー忘れずに」
「有難うございます」
 アニューはまたもやにこやかに、シャワーブースに消えていった。
(スリット破くほどのこけ方って……どんだけ盛大……)
 精神的な疲れで、思わずシャワーブースの近くの壁に、頭をこすり付けてしまう。
 そんなライルの背後から、焦がれた声が響いた。
「なんだ、そんなところで。どうした」
「刹那ぁああぁあ!」
 男の自分には荷が重いが、この女神なら何とかしてくれる。
 瞬間的にライルはそう思った。
 アニューは見かけは絶世の美女だが、中身は幼児だ。
 その認識の下、母親たる彼女に助けを求めたのだ。
 詳しく事情を話し、更に刹那に抱きついて泣けば、刹那は暫く黙って聞いてくれて、更にライルの頼みを引き受けてくれた。
「要は、ニーナと同じ扱いでいいんだな?」
「いいです! 多分それが一番の解決法です! あの人絶対羞恥心成長してないから!」
 痴女な訳ではない。
 それは解っている。
 だからこそ、ライルの手に負えないのだ。
 更にライルは要望を追加する。
「ついでにニーナと同じように、護身術教えてやって! あのままじゃ絶対強姦されるから!」
 非常に防御の甘い彼女を訴えれば、刹那は少し目を見開いて、その後、おかしそうに笑った。
 何が彼女のつぼを突いたのか解らないライルは、とにかく自分の精神的負担を軽減する事しか考えられなかった。
 ニーナなら問題は無い。
 普通に子供として接すればいいのだから。
 だがパンツをはみ出させる年頃の女性は、どうしたらいいのか解らない。
 そんなライルに、刹那は追い討ちをかける。
「だが、肌を見てしまったのなら、お前もそろそろ身を固める事を考えなければならないな」
 刹那の言葉に、他意がないことはわかっている。
 彼女の習慣にそっているだけだ。
 それでも付き合っている彼女に言われて、ライルは絶叫する。
「無理! あの人と結婚できるなら、俺、今すぐニーナと結婚出来るから!」
「だが、初潮を過ぎた女の裸を見たのだろう。責任を……」
「そんなんで責任言うなら、お前となんてどれだけさせてもらえるんだよ! 余裕で100回くらい結婚させてもらうぞ!」
「じゃあ、俺は第二婦人か」
「お願いだからその発想やめてくれ! どうしてもって言うなら養女にする! それでどうだ! コレで俺も子持ちだ! お前と同条件!」
 思う存分、廊下でライルは泣き喚いた。
 そんなライルと刹那の背後から、穏やかな笑い声が響く。
「アニューはいつもああだから、気にしない事よ。あの子も悪気はないのよ」
 声をかけてきたのは、おそらくずっと一緒に研究開発しているのだろう、リンダだった。
 コッソリ聞いた年は、ライルとたったの3歳差で、既に年頃の娘を持っている彼女に、ライルは食いついた。
「リンダさん! どうしてちゃんと教育してあげないんですか! アレ危ないでしょう!」
「あらあら、本当にお父さんみたいね。アニューもよかったわ」
「良くない! 女同士で教育してあげるのが一番でしょう!」
「私には可愛いわ、アニューは。ミレイナはちょっとおませさんだから、ああ いうおっとりした娘も良いわって思ってたの」
「おっとりし過ぎでしょう! 危ないから!」
 取り乱しているライルに、リンダは更に穏やかに笑って、刹那の前でライルを誘ってしまう。
「本当に、良いお父さんになるわ、ロックオン。ああ、そうそう。私これから休憩に行きますけど、味、試してみます? スメラギさんに頼まれていた私の煙草」
「あ……」
 とりあえず種類を変えようとライルは思っていたが、刹那は根本的な禁煙を望んでいる。
 じっとりと背中に汗を流して、恐る恐る振り返れば、刹那はあからさまに不 機嫌に視線を逸らせている。
 彼女の前では禁忌である煙草の話に、それでも付き合いの浅いリンダが理解しているはずもなく、有り難い申し出をライルにくれる。
 親切心から出たと解る話に、それでも痛い視線を背中に受けて、ライルはリンダに背後の刹那の存在をアイコンタクトで送るが、こちらもおっとりしているリンダは気が付かない。
 だが次の話に、刹那も否応無しに巻き込まれた。
「私の銘柄、妊娠中に急に吸いたくなって始めた喫煙だから、軽いと思うけれど、味は悪くないと思うわよ」
「……妊娠中に?」
 初めて聞く話に、刹那はぱちりと瞬きをした。
「ええ、そういう悪阻もあるのよ。食べ物はまったく受け付けなかったんですけれど、それまで吸った事も無かった煙草が、無性に吸いたくなったの。医者からは「一日5本まで」って言われていたんだけど、悪阻だから吸っていないと気持ち悪くて、それで常習者よ」
 不思議そうな刹那に、同じ経産婦としてリンダが話をすれば、ちらりと視線が横にそれて、自分を思い返しているのがライルには解った。
 そういえば聞いた事が無かったと、じっとライルも刹那を見つめる。
「あら、刹那さん、無かったの?」
「ああ、俺は悪阻は殆ど無かった。ただ、体重が足りなかったから、医者に食べろと言われて、食べ過ぎて吐いたくらいだ」
「まあ、いいわねぇ。煙草悪阻にだけは、この先ならないことを祈ってるわ。予定があるでしょう?」
 ライルを見て、ゆったりと笑うリンダに、刹那はあからさまに視線を逸らせた。
 その様子を見て、ライルは肩をすくめて彼女の心情を理解する。
 まだ、決められないのだと。
 恋人としての立場は確保している。
 キスもすれば、セックスも当然する。
 子供も含めての付き合いも当たり前だ。
 それでも結婚と言う言葉には、刹那は過剰に反応するのだ。
 この動乱で、ライルがニールのように、戦死する可能性が、皆無ではない。
 それをライルも解っているから、刹那の現状を黙って見つめていた。
 確固たる形はライルも欲しいが、だからと言って彼女の心を無視してまで進めたくないのだ。
 心から安心して、自分の元に来てくれる事を、ライルは望んでいる。
 故に、リンダの煙草の話に、態と乗った。
「じゃあ、女性お勧めのソレ、一本下さい。俺のはコイツ、嫌がるから」
「……ああ、そうね。じゃあ刹那さん、少しロックオン借りるわね」
 いきなり沈んだ刹那に、リンダは軽く肩を撫でて、ライルを促して彼女を残して歩き出した。
 背後で俯いている刹那にライルも気が付いていたが、この話だけは、ライルにはどうにも出来ない。
 精々出来るのは、話を流す事だけだ。
「じゃあ、ちょっと上行って来るわ。なんかあったら、端末よろしく」
「……ああ」
 静かに答えた刹那に、ライルは背中を向けた。
 暫くリンダと二人で歩いて、エレベーターに乗り込んだ後、リンダが気遣わしげにライルを探る。
 その視線に、ライルは笑った。
 そして先日の彼女の言葉が、やはりライルをニールと区別していた事から来ていたのだと悟る。
「……リンダさんはデータの書き換え、してたんですね」
「ええ、勿論。私、古参ですもの。彼とも面識があったわ。だから意外だったのよね」
「でしょうね」
「それでも彼女は幸せそうに見えていたのだけれど……」
 ここ数日の刹那を思っているのだろう。
 自分の言葉に後悔しているリンダに、この女性も心底優しいのだと、ライルは笑った。
「同じ思いは、二度したくないんだと、俺はそう思ってます。ケルディムに乗っている限り、もしかしたらアイツが俺に対して、心底安心できる事は無いかもしれない」
 お互いの恋愛感情は、本物だと言い切れる。
 だからこそ、ライルと結婚という選択が出来ないのだと、リンダに伝えられた。
「そうかも……しれないわね。モレノさんが亡くなった時には、私も背筋が凍ったもの」
「モレノ?」
 知らない名前に問えば、リンダは変わらずに穏やかに答えてくれる。
「昔はプトレマイオスにも、常駐の医者がいたのよ。その人の事よ。あなたのお兄さんのカルテも、彼が書いていたの。だけど、お兄さんが亡くなった後、戦闘に耐えられなくて、プトレマイオスが被弾したの。その場所が丁度医務室だったのよ」
「……そうですか」
「格納庫だったら、主人だったわ」
「そう……ですね」
 前線は、いつでも誰でも可能性があると理解しているリンダに、彼女の葛藤もまたライルには見えた。
 夫も娘も、今は前線にいる。
 それでも彼女は前向きだった。
 「だから私は、どんなミサイルを受けても、粒子ビームを受けても、壊れない機体を作りたいの」
 研究の意思を訴えるリンダに、ライルはやはり彼女もCBの一員なのだと、刹那と重ねて思った。
「そりゃぁ頼もしい。お願いしますよ」
「ええ、デュナメスの二の舞は踏ませないわ」
 大破した前シリーズを口にする彼女に、ライルは笑う。
 お互いに守るべきものに、近い年齢の彼女と笑い合った。


 エレベーターを降りて、喫煙室に入り、言葉通りリンダの煙草を一本貰い火をつけたところで、リンダは同じように火をつけた後、思い出したようにライルに話しかけてきた。
「ああ、そういえば、アニューも禁煙派よ。ダブル攻撃、頑張ってね」
「うげッ、マジですか」
「アニューの場合は、医学も修めているから、血中濃度まで調べるって言い出すわよ。もしかしたら今頃、あなたたちの身体検査の結果を診て、考えているかもしれないわ」
 楽しそうに煙草を吸う彼女に、ライルは同じ喫煙者として首を傾げる。
「リンダさんは、どうやって攻撃避けてるんですか?」
 禁煙派が側にいるのに、楽しそうに吸い続ける彼女に問えば、リンダはあっけらかんと答えてくれる。
「そんなもの、彼女に会う2時間前から禁煙して、就寝時間に吸えばいいのよ。私は一日に、沢山吸っても二本くらいだもの」
「それは……リンダさん中毒じゃないですよ」
「中毒ではないわね。悪阻の続きで、味が欲しくなるだけですもの。イアンみたいにバカスカ吸わないわ」
「俺はイアンさんと同属なんですよ。コレでも前に比べれば本数減ったんですけどね」
 リンダの言ったとおり、ライルには物足りない煙草の味に、肩をすくめて自分の経歴と銘柄を見せた。
 ライルの持っていた箱に、リンダはまた笑う。
「ソレ、殆ど葉巻と変わらないじゃないの。主人の銘柄よりも強いわ」
「そうなんですよねぇ……。子供はまだ何か言う年じゃないんですけど、刹那がねぇ……」
 親切心で貰った煙草に文句は言えないが、やはり物足りない。
 元の自分の好きな銘柄の箱を眺めて、ため息をついてしまう。
 そんなライルに、リンダは笑った。
「あらあら、ごちそうさま。久しぶりに華やかな恋愛事情を聞かせてくれて、ありがとう」
 笑うリンダに、ライルは肩をすくめる。
「華やか、ですかねぇ。籍は入れてないけど、状況的にはあんまり結婚生活と変わらない気もするんですけど」
 同じ屋根の下に住み、彼女の子供を一緒にサポートしている。
 昔はニーナと二人で出かけても、誰にも違和感を与えなかった。
 いつでも「可愛いお嬢さんですね」と褒められていた。
 ソレが少し、ライルも嬉しかったのだ。
 今でも教育官に、普通にライルは親の立場として扱われている。
 現状を考えて会話を交わしてみれば、リンダはそんなライルを笑った。
「ソレは実際に、籍を入れてみればわかるわ。全然違うから」
「そんなもんですかね」
「そんなものよ。たった一枚の紙が、いかに重いか、繋がってみればわかるわ。頑張ってね」
 ライルに穏やかに微笑んで、中毒ではない彼女は、本当に煙草を半分まで吸ったところで灰皿にもみ消してしまった。
 半分からフィルター側は、味が変わるのだ。
 その様子に、ライルも倣って煙草を消す。
 ライルの行動に、リンダはまた笑った。
「やっぱり、ダメみたいね」
 軽い女性用の、匂いも煙も少ないと言われている煙草では、元のライルの銘柄と比べて、理解を得る。
「本当は、コレで慣れるのが一番だってわかってるんですけどねぇ……。コレばっかりはどうも……ね」
「主人も言っているわ。ミレイナは嫌がる年頃だから、いつでも文句を言っているの。でも私のは我慢出来るって」
「でしょうね。あー、俺もあと10年したら、あの子に言われるのか……」
 籍が整わなくとも、離れる予定等無い。
 ライルが結局自分の銘柄の煙草を咥えれば、リンダはまた楽しそうに笑った。
「殿方の共通の悩みね。でもこの基地では、女性の方が喫煙率高いのだけれど」
「へぇ、珍しい」
「研究機関の女なんて、みんなそんなものよ」
 物事を考えるときに、どうしても欲しくなると、リンダは笑う。
 そして喫煙室の端に設置されている、端末用の電源ソケットを指差した。
「一つだけなのは、多人数で考える事が無いからなの。でも一応みんな、気を使って時間をずらしているわ」
「流石……」
 他愛の無い話をしていれば、喫煙室の扉が開く。
「あら、リンダ先輩。休憩ですか? 仕事ですか?」
 入ってきたのは、話どおり女性だった。
 知らない顔に、ライルは会釈をして、残りの自分の煙草を吸う。
「休憩よ。彼が私の銘柄を試してみたいって言って」
「あらぁ? 浮気ですか? 今ご主人いるのに」
 からかい混じりの女性研究員の言葉に、ライルも笑う。
「そうねぇ、やっぱり年の近い男性はいいわねぇ。でも渋みが足りなくて、主人に馴れると物足りないわ」
「あー、ご馳走様です。もう、先輩いっつもそうなんだから」
「煙草と一緒よ。キツイものに馴れると、中毒になるの。あなたはそうならないように祈ってあげるわ」
「はーい。有難うございます。……で、こちらは?」
 彼女も煙草に火をつけながら、ライルを視線で伺う。
 若い会話に、懐かしい気分をライルも味わった。
 秘密結社でも、結局人間の根本は変わらないのだ。
 前の会社を思い出して、笑ってしまう。
「見かけない顔なら、答えは一つでしょう? 想像力が足りないわ。もっと勉強なさいな」
「……あ、そうか。プトレマイオスの方ですか。エリートだぁ! 私、どうですか? ちょっと連絡取り合ってみません?」
 軽い冗談に、ライルはまた笑う。
「俺から見れば、ココの人のほうがエリートですけどね。所詮前線要員なんて、研究出来ないわけだから」
「あー、やっぱり研究職の女はダメか。私もオタクですからねぇ」
「前線もオタクですよ。しかも、危ない方向にね」
「あはは! 確かに! 刹那・F・セイエイ女史、凄いですもんねぇ! 私が最初に携わったの、彼女のセブンソードなんですよ。身体データと操縦データみて、同じ人間だって思えなかった!」
「俺も同感です。アイツ、戦闘になると人変わるから」
 ライルの言葉に、女性の感なのか、研究員はニヤリと笑う。
「なぁる程。……と言うことは、ミスターも戦闘になると人変るんですか? それとも彼女の前?」
「その辺は、秘匿義務を遂行させていただきますよ」
 にっこり笑って流してやれば、その辺はやはり一流の人間だけあって、研究員の女性も煙を吐き出しながら軽く笑ってくれる。
 話が早いのは有り難いと、ライルは改めて笑顔を作った。
「じゃあ、私まだ作業の途中なんで、失礼しまーす」
今、この基地は破棄に向けて、全基地勤務員があらゆる作業に忙しい状態だった。
 彼女も色々とあるのだろうと、ライルは手を振って挨拶する。
「ご苦労様です。これからもよろしく」
「こちらこそ! また何処かで!」
 喫煙者同士の会話を交わして、彼女は去っていった。
 再び二人きりの空間になったのを見計らうように、リンダが笑う。
 何事かとライルが伺えば、彼女はイアンの妻らしく、気さくな雰囲気でライルに向かってくれた。
「ごめんなさい。あんまりにもお兄さんと雰囲気違うから、可笑しくて」
 リンダの言葉に、ライルはココに来て何度も言われている言葉に苦笑してしまう。
「デュナメスの開発の時の彼、面白かったわ。ロックオン・ストラトスも、自分の機体の制作に携わっていたのよ。お兄さんの記録、閲覧していないの?」
 名前を殊更強調したリンダに、ライルは苦笑する。
「出来ないですよ。自分のデータにアクセスしたら、おかしいでしょう」
 今、この場に居るはずの無い人間だとライルが自分を指せば、リンダは更に笑う。
「慎重なのね。悪いけどやっぱり笑ってしまうわ」
「まったく、同じ細胞を分けてるはずなのに、どうしてこうも中身が違ったのか、昔から不思議なんですよね」
「あら、双子の論文、見た事無いの? それが普通の双子なのよ」
「そうなんですか?」
 ライルの知らない知識に素直に問えば、リンダは喫煙所に設置されていた飲み物の自動販売機からミネラルウォーターを購入して、話に付き合ってくれる。
「ええ。基本的に人間は、自分と他者の違いを周りに知らせるために、周囲に居る人間と違う行動を自然と取るものなの。それが双子になると、顕著に現れるのよ。胎教も同じものを受けて、産まれてすぐは、泣くタイミングも一緒なの。まさに同じ細胞が分かれた状態ね。それを自己を知らしめるために、一番近い兄弟……つまりはお互いね。双子同士が反発して、まったく逆の人間性が出来上がるのよ。あの論文を見たときは感心したけれど、実際に見る事が出来て楽しいわ。有難う」
「成る程……。言われてみれば、納得しますね。人類学として、成立してる」
「社会を築く種族の宿命ね。でも……本当に顔がそっくりだから、先にお兄さんを見ている私には、可笑しくて」
 リンダの言葉に、アレルヤの言葉が重なる。
 ライルはもう一本煙草に火をつけながら、頭を掻いた。
「もう本当に、ご迷惑をおかけしまして」
 家族として謝罪してしまう。
 子供の頃は、何かとニールの方が秀でていた所為で、彼はよく家族以外からは「いいお兄ちゃん」と称されていた。
 ライルは子供の頃は引っ込み思案で、外ではいつでもニールの影に隠れたものだ。
 今説明された、人類学的な問題なのだろう。
 そしてニールが子供の頃に他者を怖がらなかったのは、確固たる自己を確立させるためだったのだろう。
 ニールをみて、ライルは自己を確立させたと考えれば、今までの行動も納得がいく。
 更にニールがそのままの感覚で育ったのなら、子供の頃の彼を思えば、どれだけ周囲に迷惑をかけていたか。
 刹那の話然り、アレルヤの話然り、そして今リンダに言われて、煙草の煙に紛れさせてため息が出てしまう。
 そんなライルに、リンダは慰めの言葉をくれた。
「お兄さんは天才だったわ。デュナメスの制作理論の時、マイスターだとも思えない知識で、私、負けたもの。だけれど、貴方は秀才ね。これだけの短期間で、この知識の習得は大変だったでしょう?」
 ライルの努力を見ているらしいリンダは、にこやかにライルを賞賛してくれる。
「まあ、ぶっちゃけ大変でしたよ。でもコレが条件なら、やらないっていう選択肢は無いでしょう。男のロマンを捕まえるためなら、努力するしかない」
 昔、同僚に言われた言葉を思い出して、ライルは刹那をそう表現した。
 兄嫁で、未亡人。
 その上、世間でも落とすのが難しいと言われる、才色兼備の女性だ。
 努力で何とかなるのであれば、いくらでもする。
 そう答えたライルに、リンダはにっこりと笑ってくれた。
「早く、この動乱を終わらせましょうね。そうすればきっと、刹那さんも心を決められるわ」
「そうだと良いんですけどね」
 ライルの求めるものを理解してくれる近い年齢の女性に、ライルは少し甘えて、ため息を天井に吐き出した。
「さて、そろそろ戻らないと……」
 リンダがその言葉を口にしたところで、ライルの端末が鳴る。
 何事かと確認すれば、緊急ミーティングの呼び出しだった。
 慌てて煙草を揉み消して、端末をポケットにしまう。
「さすが、リンダさん。読みがいいですね」
「ミーティングは予測出来ないわ。私の仕事に戻るのよ」
「そういうことにしておきますよ。じゃあ、また」
「ええ。……あ、後もう一つ」
 喫煙所の扉を開けたところで、不意に呼び止められて、ライルは振り返る。
「ケルディムのターゲットシステム、さっき少し修正しておいたわ。多分、新型にも対応できるようになっていると思うわ」
 思わぬ言葉に、更に実験が終わってからの短時間を思って、ライルは目を見開いてしまった。
 おっとりしている見かけにそぐわず、流石に長年CBで研究開発をしている女性だと、早業にライルは感謝を表して投げキッスをしてしまう。
「マジ愛してます。おやっさんの許可が下りたら、不倫しましょう」
「じゃあ、私も刹那さんに許可を取らないとね」
 低俗なギャグにも乗ってくれる才女に、ライルは改めて笑いかけて、足早に指定されたプトレマイオスブリッジに向かった。





next


やっとアニューさん本格登場です!
ライ刹♀だと、こんなアニューさんがいてもいいかな、と。
でも仕事は才女。ここだけは譲れません!
そんで悪阻は、本当にこういう人がいるらしいですよとの豆知識。