Begin The Night 15

2011/10/23up

 

 三時間後、トレミーへの物資の搬入準備が整ったと、フェルトに連絡が入る。
「じゃあ、悪いけどブリッジお願いね。実験が終わったら、ミレイナにも代わってもらうから」
「解りました。じゃあ搬入行って来ます」
 艦内の整備にフェルトが行き、その時間でマイスターは身体検査を施される旨が伝えられた。
 トレミーでも定期検査は行われているが、当然この場所の医務室の設備は比べ物にならない。
 細かな血液検査まであると聞いて、ライルはこの組織の大きさを再び思い、肩をすくめてしまう。
 どこの企業だ、と。
 労働基準法は適用されていないが、それでもあまりにも整えられている環境に、素直に感動してしまうのだ。
 実験に参加している刹那以外を先に済ませると言う進行にも納得して、ライルは医務室に向かった。
 そして医務室に入れば、普段は機械のみの検診が、部屋の中には医者が控えていて、問診まで受ける。
 去年の会社で受けた身体検診を思い出して、ライルは笑うのを必死に堪えた。
 だが次の言葉に、普通に衝撃を覚える。
「では、ストラトスさんは今年30歳なので、3時間コースのドッグに入ってもらいます」
 年齢に、あっという間に過ぎていた時間に、ライルは顔を引き攣らせた。
 とうとう大台に乗ってしまったと。
 去年、会社の身体検査で「来年は」という言葉を貰っていたが、まさかこんな秘密結社で同じ言葉を受けるとは思わなかったと、視線が遠くを泳いでしまう。
 そして医者の言葉は更に続く。
「今年からは、血液検査を半年おきにしていただきます。それとGN粒子の干渉を強く受けるマイスターですので、精巣の働きもチェックさせていただきますので、精子の検査も入ります。別室にて先に精子の採取をお願いします」
「……ハイ」
「奥様は今実験中との事ですが、お一人で問題ありませんか?」
「……ありません」
 一瞬「奥様」という言葉に違和感を覚えたが、口に出す前に気が付いた。
 この場に「ライル・ディランディ」はいないのだ。
 直接DNAを扱う機関には、「ニール・ディランディ」の死亡は伝えられていて、更に「ロックオン・ストラトス」の名前は兄のものだ。
 故に今、この場に居るライルは、ニールという事になっているのだと、改めて突きつけられた。
 細かい身体データは、5年のブランクという事で誤魔化せるのだろうと、制服を脱ぎながら、永遠の二十代の兄に、少しだけ胸がすいた。
 データ上では、お前も三十路だと。
 動乱が終わったら、おそらくニールはキチンと戦死の登録をされるだろう。
 その時彼は、三十路である。
 色々なものを残していった彼に、ライルは精子を採取する別室にて、虚しく一人で処理をしながら、心の中で「ざまぁみろ」と鼻を鳴らした。
 そんなニールに対する嫌がらせを思いながらも、検査は進む。
 半日に及ぶ身体検査は、全てクリアされた。
 だが最後の医者の言葉に首を傾げる。
「数年期間が開いている所為かもしれませんが、脳量子波の強さに若干変動が見られます。軽くでも、頭痛や痙攣等を感じたら、直にご連絡ください」
「……は、い」
 初めて投げかけられた言葉に、瞬きを抑えることに必死になった。
 普通に生まれてきた自分に対して、脳量子波とはなんだ、と。
 それでも人物の概要しか知らない、機密を知らされていない医者に聞くこともできず、ライルは医務室を出た。
 廊下を歩きながら、医者の言葉を反芻させる。
 アレルヤの過去を知ったときに、その存在を知った。
 一昔前のファンタジー小説の中の出来事のような、そんな存在が本当にある事に、衝撃を受けたのだ。
 それでもアレルヤがそれを得たのは、人体改造の結果だ。
 マリーにもあると聞いたが、結局彼女も同じルートである。
 自然に生まれた自分には、関係の無い世界だと思っていたものを告げられて、傾げた首が元に戻らない。
 その時、丁度他の検査が終わったティエリアと出会い、ライルは素直にその事を問うた。
「なんだ、知らなかったのか?」
「知るわけ無いだろ。何度も言うけど、俺、つい最近までは世間すら疎かったんだから」
 普通の会社員には無縁の世界を強調すれば、ティエリアは少しだけ思案顔をし、それでもライルに説明を施してくれた。
「そうだな……一般的ではないからな。脳量子波は、普通の人間も持っているものなんだ。そしてGN粒子の本来の使用用途は、実は脳量子波の増強なんだ」
「はい? え、だって、あれって太陽炉から……」
「そうだ。太陽炉自体が、GN粒子の製造機であって、今現在、我々が使用している方法は、あくまでもGN粒子の別の使用方法を活用したものだ」
 元来は兵器ではないという説明に、ライルは更に衝撃を受ける。
 アレだけの性能が、他の研究から成り立っているとはと、現在の社会に普及されている科学とCBの科学のレベルの違いを見せ付けられた。
 唖然とするライルに、ティエリアは涼しい顔で説明を続ける。
「CBの創設者、イオリア・シュヘンベルグが提唱し、発見して、更に予見した科学に沿って、ココのシステムは作られている。ヴェーダもその一つだ。そしてGN粒子は、その特性ゆえに、人体に影響をもたらす。我々が使用している太陽炉は、基本的には臓器、細胞の塩基配列には害は無い。害は無いが、特性が特性なだけに、脳量子波には干渉する。つまりは脳だ。だから我々の身体検査は、脳検査が主な項目という事だ」
「成る程……」
 言われて、トレミーでも頭の先からつま先までをトレースされていた理由を悟る。
 そして更に、今、精液の検査をされた事も。
 脳下垂体を調べたのかと、一般人よりも多い雑学で、ライルは理解した。
 ホルモンをつかさどる、脳の一部。
 そこに影響がないか調べたのだ、と。
 納得したライルに、ティエリアは首を傾げる。
「……経済学は、脳科学も研究するものなのか?」
 基本的に、医学部に分類される知識だとのティエリアの認識に、ライルは笑って手を振って、一般の学業を答えた。
「するわけ無いだろ。単なる雑学。……ああ、まあ強いて言えば、入社して2年目は、医療機器の提携部門に居たけどな。脳波で動かす義手とか義足とか、まあそんな感じの製造提携だったから、脳外関係は一応目は通したけど」
 それでもその時は、普通に「脳波」について調べただけだ。
 脳量子波などという特殊なものは、当然知らなかった。
 ティエリアの説明に従って思考を進めれば、当然のようにその結論に至る。
「でもそれじゃあ、俺たちも超兵みたいになるって事か?」
 ティエリアの説明に、ライルがアレルヤの施された施術を問えば、ティエリアは首を横に振る。
「そこまでは、まだ解明されていない。可能性としてはあるが、あくまでもそれは個人の持っている脳量子波の強さに寄る。ただ、人為的に作る事は可能だという事は伝えておこう」
「二重人格にならなくても、って事か」
「そういう事だ」
 元来持っている能力を引き出すだけなら、人道的には問題がないのだろう。
 そしてCBは、超人機関以上の技術を持っていても、今の所人間には手を出していないのだと、この時ライルは思った。
 まさか、その科学の結晶が、目の前に居るとも気が付かずに。
 思わず考え込んだライルは、いつもの癖で口元に指を当ててしまう。
 大抵ものを考える時は、煙草を咥えるからだ。
 その仕草に気が付いて、ティエリアはライルの手を口元から引き剥がす。
 突然手を掴まれたライルは驚いて、自分の手を掴んでいるティエリアを見れば、ティエリアはジェスチャーで、ライルが取った喫煙の姿勢を示した。
「喫煙所は上の階だ。実験ももう直終わるらしいから、早く行って来い」
 刹那との攻防を知っているティエリアに促されて、ライルは肩をすくめて内ポケットから煙草を取り出した。
「あーあ。アイツ以外はみんな理解してくれるのに、どうして肝心なヤツが理解してくれないのかねぇ」
「そんな事は本人に聞け」
「いや聞いたけどさ。キスの味くらいでガタガタ言うなっての。この味が俺って思ってくれたらいいのにってな」
 パッケージを振って示せば、ティエリアは揺れる箱を目で追いながら、ライルを手を振って追い立てる。
「僕は個人の嗜好には興味がない。君こそ、刹那を愛しているのなら、合わせてやってもいいと思うぞ」
「コレだけは譲れません」
「君ならそう言うと思ったから、僕は喫煙所の場所を教えた。無駄話をしていると、刹那がその箱を取り上げに来るぞ」
 暗に「早く行け」と言うティエリアに、ライルは笑って礼を告げて背を向けた。





 もうすぐこの味ともお別れかと、ライルがため息混じりに火をつけたところで、何故かふと、ニーナの事が頭を過ぎった。
 いつでも心配している子供の事だが、何故か彼女が泣いているイメージが頭を過ぎる。
 寂しさを耐えているのは理解している。
 通信のたびに、今度はいつコロニーに入港するのかと聞かれてもいる。
 なのに、何故かライルには別の理由があるような気がした。
 不安に駆られて、尻のポケットから端末を取り出し、煙草を咥えたまま育児機関に特定ラインを繋ぐ。
 果たしてその通信は直に繋がった。
 だが、画面に出たのは本人ではない。
「あの……」
 個人ラインは本人に直接繋がるはずなのにと、ライルが見覚えのある育児官の女性に問いかければ、なんともタイミングのいい連絡だったらしく、彼女はあからさまにホッと表情を緩めた。
『丁度こちらから、お母様に連絡しようと思っていたところだったんです』
「ああ、今アイツ、繋がらないですよ。どうしたんですか?」
『それが……精神的にショックを受けてしまったらしくて、部屋から……ベッドから出ないんです』
「……ベッドから?」
『ええ。いつもは起床時間にはキチンと起きて、食事の時間も違えない彼女が心配になって、今朝様子を見に行ったら、ベッドの中で泣いていて……』
 今までに無い様子に、ライルの眉間にも皺が寄る。
 前回通信を繋いだ時には、そんな素振りはなかった。
 たった一週間前の事である。
 落ち込む要因どころか、その時ニーナは楽しそうだったのだ。
 今している勉強が楽しいと、実際にライルに意気込んで話していた。
 その内容たるや、6歳児とも思えないもので、ライル自身が必死になって過去の記憶を手繰り寄せた程である。
 そんな彼女が、ベッドで泣いている。
 人にも会わない。
 確かに尋常ではない状態である。
 だが、現在空域に軍が展開している事を考えれば、基地から単独で出るのは危険すぎる。
 その上、飛び出してしまえば、何かの拍子にこの基地の場所がばれてしまうかもしれないのだ。
 どうした物かと、育児官の彼女と思案顔で向き合ってしまう。
 それでも二人で悩んでいても仕方がないので、ライルは煙草をもみ消して、育児官に頼んだ。
「ライン、ニーナの端末に繋いでもらえますか?」
 基本的に、外部との接触はワンクッションあるのだ。
 特定回線を持っている親、親族も例外ではない。
 その上ライルは、親ではない。
 単なる親族なのだ。
 故に、個室の外にある通信室に、ライルのコールは届くのだ。
 それでも、当然子供達が持っている端末に、着信の知らせが届く。
 その知らせが届けば、子供たちは走って通信室に駆け込むのだと、刹那から聞いていた。
 教育官はその着信を監視しているだけで、特定回線の通信には普段は関わらない。
 だから今回、彼女が通信に出たことは、異常な事なのだ。
 応答しないニーナに、最終手段をこうじる。
 ライルの提案に、育児官は少し考えてから了承してくれた。
 転送表示が画面に表れて、暫くライルは画面を見つめながら待つ。
 普段なら飛び出してくる子供は、育児官の言うとおりに、5分コールを無視し続けた。
 辛抱強く待っていれば、ボイスオンリーで通信がつながる。
『……いま、話したくないの』
 開口一番、そんな事を言うニーナに、ライルは心底、側にいけないこの状況を後悔したが、それがライルとソラン……刹那の選んだ道だ。
 ぐっと堪えて、顔の見えない画面を見つめる。
「どうしてだ? 何があったんだ?」
『…………』
 ライルの問いに、無言で返す子供に、ライルは心がけて何気ない会話を振った。
「今、補給で時間があるから、お前の顔を見ておきたいと思ってコールしたんだけど、具合でも悪いのか?」
『…………』
 再び無言が返って来て、ライルは髪の毛を掻き毟った。
 側に行きたい。
 切実にそう思う。
 ライルの気持ちが繋がったのか、通信機越しに泣き声が聞こえ始める。
 嗚咽を漏らしながら、初めてニーナはライルに請うた。
『……マムとライルに会いたい。直に来て』
 叶えられない願いだとわかっている雰囲気のニーナに、ライルは現在地を知らせた。
「今、ラグランジュ3に居る。そこまで行くには、小型艇だと8時間だけど、それでもいいか?」
『マムも、来られる?』
「マムは難しいな。今、新型の実験をしてるんだ。この後、データの検証もしなきゃいけない。だから俺だけだけど、お前がどうしても俺たちの体温が必要なら、今から実験室に行って掛け合って来るけど……口頭で言えないことか?」
 現状と内容を告げれば、通信機の向こうは静まり返った。
 出来ない事だと、当然理解しているだろう。
 その思いで問えば、ライルの考えはやはり間違えていなかった。
 ずずっと鼻がすすられる音が響いて、シーツの衣擦れの音も響く。
 体勢を変えたのがわかった。
 その後、ぽつりぽつりと言葉が零れ始める。
『……落ちたの』
「……どこから?」
 ニーナの言葉に、普通に物理的な事を思って、それでも怪我の報告をされていない現状では、命に危険性は無いだろうと問えば、その答えはあまりにも予想外だった。
『オックスフォード』
「……はい?」
 大学の名前が飛び出て、懐かしい名前に首を傾げてしまう。
 6歳児には関係のない言葉だと思ったからだ。
 故に、大学に見学にいって、そして何処かの階段から落ちたのかと、一瞬そう思った。
 だが当然そんな話ではない。
 続いた子供の言葉に、ライルは喫煙所で絶叫してしまった。
『スキップの試験、ハイスクールまでしか行けなかったの。アタシ、絶対にライルが卒業してて、マムを社会に出してくれた大学に通いたかったのにッ……うわぁあん!』
 告白が終わると同時に、本当に悲しいのだろう、ニーナは号泣し始めた。
 それでもライルはその報告に、目玉が飛び出るかと思うほど、今までに無く目を見開いてしまう。
「6歳でハイスクールだとぉお!?」
 ライルには、ニーナが何が悲しいのか解らない。
 彼女が元AEUの学習スタイルを選ぶと、今年から始まる学生生活の話はされていた。
 そして初等教育が、彼女に何年通用するのか、自分が通ってきた道を思って笑っていた。
 だがニーナの頭脳は、ライルの想像以上だった。
 初等教育、中等教育が必要ないと、判断されたのだ。
 地域柄、学業は酷く厳しいのだ。
 他の国でスキップ制度を利用するのとは、その難易度は歴然の差がある。
 ライルはスキップ制度に興味がなく、時間が空けば他の勉強をしたいと思い、普通に初等教育から順当に学年を積んだ。
 ニーナの父、ニールはその逆の考えで、自分の研究分野以外は余分な勉強として、学年を飛ばす目的で、初等教育から毎年スキップの試験を受け続け、9歳でハイスクールに入学し、11歳でニューメディアテクノロジーカレッジに入学を許可された。
 ライルが何故地元のアイルランドの大学に通わず、海を渡ったイギリスの大学に通ったのかは、単に奨学金の制度の問題である。
 AEUランキングではトップである大学だが、実は実際に入学する厳しさは、ニールの大学の方が厳しかった。
 ニールはそこに数学を目的に入学し、更に親が面倒を見てくれる自宅から通学というスタイルを変えたくなかったのだ。
 だがライルは実家から通っても得は無い。
 その頃には、両親も妹も他界し、更に唯一の家族であるニールも姿を消していた。
 得になる事など、精々家賃がかからないという程度である。
 更に地元の大学は、奨学金を受けると、どんなに優秀な成績で卒業しても、返済義務が発生したのだ。
 4年の生活費を計算して、ライルはイギリスに進学を決めたのだ。
 そんな事情だったが、それでもAEUラインキングトップの大学だ。
 AEUは子供の才能を伸ばす目的で、専門教科さえ優秀なら、他に多少成績のばらつきがあっても、スキップ制度を利用しやすい。
 それでも単位さえ取れればいい、ユニオンの学習スタイルよりも、当然難易度の高い試験だ。
 一つ一つの単位のジャッジが厳しいのだ。
 あまりの事に、絶叫と共に手に握っていた煙草の箱を握りつぶしてしまった。
 更に喫煙所の外の廊下の人が、中のライルに振り返り、更に更に、その喫煙所を利用しようとしていた人は、扉の前で固まった。
 それでも本気で悲しいニーナは、端末の向こうで泣き続けている。
 悲しんでいる子供を理解しても、ライルにはどう慰めていいのか解らない。
 これが普通に、「欲しいおもちゃを買ってくれない」や、それこそニーナが最初に零した寂しさで「会いに来てくれないなんて」と叫ばれれば、対処の仕様もある。
 だが6歳で大学に入れなかった嘆きを、どう慰めればいいのか。
 きっちり5分、ニーナは泣き続けて、ライルは固まり続けた。
 何度も深呼吸をして、更にあらゆるケースを頭の中にめぐらせて、ライルは端末に向かった。
「……あの、な? 何でそんなに早く、大学行きたいんだ? 大学には、運動会も、遠足も、サマーキャンプもないぞ? 最低二回くらい、参加してもいいだろう? その方が、絶対勉強楽しいのに」
 自分が辿ってきた道を諭す方向をとれば、それでもニーナは泣き続けながら、悔しさを訴える。
『運動はマムが教えてくれるもん! 同じ年の子がアタシと一緒に動けるはずないじゃん! それにキャンプはライルに連れて行ってもらうものだもん! マムとライルが居ないキャンプなんて、行きたくないもん!』
 一通り言葉を聞いて、ライルは頭を抱えた。
 結局ニーナは、寂しいのだ。
 早く大学に行きたいのは、早くライルと母親である刹那のいる、この場所に来たいからだと、理解してしまった。
 故に、導く必要性を感じる。
 確かに勉強はできる。
 更に感情も、手段を講じる回転も持っている。
 だが、決定的に持っていなければならない、人としての成長が、やはり無い。
 スキップに失敗した理由を、悟ったのだ。
 一頻り、端末の向こうの泣き声が止まるのを待って、ライルは静かに語りかけた。
「あのな、「Still water runs deep」っていうだろ。自分の能力に周りを合わせるんじゃなくて、先ず周りに自分を合わせることを勉強しよう。その勉強をしなきゃ、お前は大人になれないよ」
 脳ある鷹は爪を隠すということわざと共に諭せば、端末の向こうの泣き声は止まった。
 それはもう、ぴたりと。
 素直に受け入れる姿勢は素晴らしいと思い、更にニーナの子供らしさにライルはおそらく見えているだろう画面に向かって笑った。
 ライルにはボイスオンリーの画面だが、ライルは通信を解放している。
 彼女が顔を見ていないわけが無い。
 泣き声もなく、かといって言葉もない端末に、ライルは話し続ける。
「教育委員会も、そう判断したんだろう。お前は少しでも、同年代の人間を知るべきだってな。……まあハイスクールだから、同年代ってのはないけどさ。世間ってのを勉強して、それで自分の優秀さを自覚しろ。その上で、また試験を受ければ、多分通る」
 決して能力のせいではない。
 そう諭せば、再び端末からは、鼻をすする音が響く。
『……ゆうしゅう?』
 言葉自体は理解しているだろうが、言い方の子供らしさに、ライルは微笑んでしまう。
 可愛いと、年相応の愛らしさに笑ってしまった。
「そうだよ。その年でハイスクールに入れるってのは、凄い事だぞ。先ずそれを経験しなきゃ、研究しても意味が無い。研究は何のためにするものだ? 社会に役立てる為だろう? その社会を知らないで、何を研究出きるんだよ。だから、自分がどれだけ優秀か実感して、その上で、その頭を世間のために、自分のために、どう使えるか考えるんだ。ハイスクールの三年間は、その準備期間」
 ゆっくりと諭せば、またゴソゴソと衣擦れの音がして、ライルの端末の画面が明るくなった。
 そして現れた、泣きはらした顔のいとし子。
 髪の毛もぼさぼさで、瞼も腫れ上がって、それでも縋るような視線でライルを見つめている。
 やっと顔を見せてくれた事に安心して、更にライルは目を細めた。
「お、可愛い子が見えた」
 視界がオープンになった事を笑って告げれば、端末の向こうでニーナは目を擦る。
「こらこら、あんまり擦っちゃだめだ。余計真っ赤になるぞ。美人が台無しになっちまう」
 いつか母親を超える美女になるのだと言っていた数ヶ月前の言葉を告げれば、慌ててニーナは手を引っ込める。
 その仕草も、やはりキチンと子供だ。
 ライルと同じ色の瞳を涙で滲ませて、それでもライルの言うとおりに、手を顔に当てない。
 泣く事を我慢するために噛み締められた唇に、眉がよる。
 こんな事を考えさせて、悲しませたのは、結局側にいてやる選択肢を、ライルが選ばなかったからだ。
 ライル一人では意味が無いかもしれない。
 それでも今よりは、寂しさは少なかっただろう。
 まだ他人の中で生活するには早い年齢に、謝罪が口から飛び出しそうになるのを、必死に堪えた。
 今のまま側にいっても、どうにもならない。
 過去の過ちを繰り返すだけだ。
 今ライルがすべき事は、世界の治安を取り戻す事。
 愛する存在と、普通に誰もが暮らせる世の中を作る事。
 顔は無理やり笑顔を作って、画面に笑いかけた。
「次に会えたら、就学祝しような」
『……次って、いつ?』
「それは俺は決められない。……たぶん、マムも。でも絶対に、お前が大学に入るまでに、就学祝を三人でしよう。な?」
 何も思わずにニーナの側に行ける条件はただ一つ。この動乱を終わらせる事だ。
 だからライルは3年の間にと伝える。
 誤魔化す事は、かえってニーナの為にならないと、本当のことを言えば、ニーナはやはり俯いた。
 それでも何も言わない子供に、世界の厳しさを見る。
『……うん。楽しみに、してる』
 一呼吸あいたが、それでもニーナも頑張っているとわかる笑顔で、ライルに答えてくれた。
 ホッと胸を撫で下ろして、改めて「おめでとう」と告げれば、ニーナも素直に笑ってくれた。
『……だけど、こんな時間に何の用事だったの?』
 今子供たちは、就寝の時間なのだ。
 それでも落ち着かない心で通信を繋いでしまった。
 切欠を問われて、はたとライルは思い出す。
 急に脳裏に過ぎった、泣いているニーナの姿を。
 果たしてそれは、事実だった。
 予感めいたものは、今までに何度も感じたことはあるが、こんなにハッキリとした映像が脳裏に過ぎった事は無い。
 首をかしげながらも、今回の事を告げた。
「んー、なんかニーナが泣いている気がしてさ。今は通信時間じゃないのは解ってたんだけど、気になって」
『凄い! ライルはエスパーだ!』
「そうそう。お前とマム限定でな」
 数ヶ月前に、彼女の母親から貰った言葉と同じ言葉を娘にも言われて、笑ってライルも同じ言葉を返す。
「じゃあ、とにかく先生にもう心配かけるなよ。ちゃんとハイスクール行きますって、言って来い」
『うん。ごめんなさい』
「別に謝る事じゃないだろ。お前はお前で、真剣に辛かったんだから。俺の方こそ、そばで直に祝ってやれなくてごめんな」
『ううん。有難う、ライル』
「いえいえ。じゃあ俺はまた仕事に戻るよ」
 一頻りの問題を解決させて、通信をきった。
 その後、再び首を傾げる。
「いつもの予感とはちょっと違った気がするけど……なんだ?」
 ライルが首を傾げた頃、基地内であらゆる人が首を傾げた事実を、この時のライルが知る由もなかった。
 身体検査を終えてシャワーを浴びていたティエリアも、ガン・アーチャーが気になってアリオスの様子を見に行ったアレルヤが、一瞬意識を飛ばした事も、マリーが普段よりも強く脳量子波を感じたことも、話し合われることはなかった。





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ライルの脳量子波の設定は、やっぱり「なんなの、このライル・ディランディの基礎能力の高さは…」からです。(しつこすぎる)
元々第六感的なものは持っていて、実はソレは兄さんよりも脳量子波が強かったと言うものにしました。特別な「予感」は、このシリーズの共通のテーマなので、ココで基本設定オープンです。
双子なので、実は同じ基礎能力は持っていたんですが、兄さんは実は視野の狭い人で、知識以外に向かなかったのです。ライルは全てを客観的に見るので、気が付いたと。
で、根本的に常人として設定されているライルに何故脳量子波があるのではないかと思ったのは、映画でです。ELSに追いかけられないでしょう、なければ。でもこのシリーズでは映画は絡みません。