Begin The Night 13

2011/10/09up

 

 一方刹那は、すぐに沙慈を呼び出した。
「ルイスに、会った?」
「ああ。パーティ会場で偶然だが」
「……元気、だった?」
 当たり前のように問われて、刹那は一瞬考え込む。
 それでも現状は変えられず、誤魔化さずに沙慈に伝える事にした。
「……いや、何かに苦しんでいた」
「え……」
 刹那も理解できない、彼女の苦しみ。
 擬似GN粒子の影響だけでは片付けられない、あの発作はなんだろうかと。
 刹那は事細かに、沙慈に今日のルイスの様子を伝えた。
 その報告に、沙慈は眉を寄せる。
「再生は出来ないって聞いてたけど、あの時はそんな苦しみなんて無かった」
「お前が事件後、彼女と一緒に居たのは、どのくらいだ」
「一ヶ月くらいは……」
「なら、症状はとっくに出ていてもおかしくない、と言うことか」
 沙慈が見たルイスの怪我の期間を思えば、他の苦しみは初期にあってもおかしくないが、その後、苦しんでいなかったのなら、今の苦しみは確実におかしい。
 それに、ルイスは左手に義手をはめていた。
 その場所に痛みが走るのなら納得は行くが、頭がいたいと言うのはどうにも腑に落ちない。
 刹那は顎に指を当てて考え込んでしまう。
 そして思い出すのはニールの事だ。
 彼も擬似GN粒子で怪我をしたが、あんな苦しみは無かった。
 普通に怪我の苦しみだけだったのだ。
「ニールは神経を切断してしまえば、他の苦しみは無かったのに……年単位の後遺症と言う事か?」
 ポツリと呟いてしまった言葉に、沙慈が首を傾げる。
「……ニールって、誰?」
 言われて初めて、沙慈が彼の本名を知らなかった事を思い出してしまった。
 だがもう、死んだ人間だ。
 隠す必要も無いだろうと、そしてライルを別人として認識している沙慈にならいいだろうと、刹那は口を開いた。
「俺の前の夫の、本名だ」
「……あ、そうだよね。ロックオンはコードネームだったんだもんね」
 沙慈も言われて初めて思ったのか、組織の機構に眉を寄せる。
 誰にも明かせなかった、本名。
 近所には夫婦別姓だと伝えていた。
「ご主人も、怪我してたのかい?」
「ああ。戦死する直前に、擬似GN粒子のビームサーベルをコクピット右側に直撃させたんだ。右の眼球がつぶれた」
「うわぁ……」
 あまりの怪我の大きさに、沙慈はその痛みを自ら感じたように、自分の体を抱え込んでふるりと震える。
 そんな沙慈に構わず、刹那は言葉を続けた。
「怪我から二週間生きていたが、眼球の損傷による痛み以外は、特に感じていなかったようだが……」
 刹那の言葉に、沙慈は更に問う。
「他に怪我は無かったの?」
「右肩の脱臼と、全身打撲だ。それは再生ポットで治療が可能だった」
「ああ、ルイスの病院でも、直接粒子を浴びていない場所の治療は出来たって言ってた」
「ならやはり、頭が痛いと言うのはおかしいな」
「そうだよね……」
 二人でそろって、頭を悩ませてしまう。
 それでも刹那も沙慈も、医学にはそこまで詳しくない。
 どうにも出来ない時間が流れるだけだった。
「ルイスには、連絡は不可能なのか?」
 現在の彼女の苦しみを探ろうと刹那が沙慈に問えば、沙慈は首を横に振る。
「携帯には、あの事件から出てくれなくなった」
「実家の住所は?」
「今は管理人がいるだけみたい。行き先は教えてもらえなかった」
「そうか……」
 どうにも出来ない状況に、沙慈は唇を噛み締める。
 更に気になったのは、現在の自分を刹那がどう説明したかだった。
「刹那……、ルイスには僕の事……」
 今は内情を教えてもらえたお陰で、沙慈は事実を知る事が出来たが、ルイスはいまだにCBを憎んでいるだろう。
 世間では、あれはCBに寄る武力介入として捉えられていたのだから。
 沙慈も、いまだに格納庫のガンダムは、いい気分では見られない。
 別の部隊の行動だとわかっている。
 それでも象徴に、どうしても気持ちが追いつかないのだ。
 仲間だと思われたくない。
 瞬間的に、そう思ってしまった。
「コロニーで働いていると、伝えた。上手く実情を隠してお前を保護してもらおうと思ったんだが……すまない」
 ルイスの病状に頭を悩ませながらの、刹那の簡潔な説明と謝罪に、沙慈は自分の考えが自己的であると判断せざるを得なかった。
「……ううん、僕こそ、ゴメン」
 彼女は何も悪くない。
 いや、犯罪は起しているし、実際に彼女達が行動を起さなければ、沙慈の周りはいまだに穏やかだっただろう。
 ガールフレンドに家族。
 楽しい環境が、今も続いていたに違いない。
 それでも彼女にも思いがあり、子供を捨てるようなまねまでしてでも成し遂げたい事がある。
 それは理解しているのだ。
 そして友人として認識している、沙慈を心配する気持ちを露にしてもらえば、彼女が今までの友人と何の変わりがあるのか、沙慈にも解らなくなってきていた。
 沙慈の謝罪に、刹那は思考の海から浮上して、彼を視界に入れる。
「何故謝る」
 理解できない言葉に、素直に刹那が問えば、沙慈は俯いて胸元を握り締めた。
「僕、自分勝手だなって、思って」
「……何故」
「刹那は僕の事、強制収容所から救出してくれて、今もカタロンの人に顔向けできない事をした僕をかくまってくれている。なのに僕は、自分の事ばかりだ。今もルイスに僕がCBに保護されているって言われていたらどうしようって、普通に考えた」
 沙慈の告白に、刹那は首を傾げる。
「それが普通だろう。ここはテロ組織と変わらない。ルイスだって、別働だったとしても、CBのチームに人生を狂わされた。沙慈、お前もだ。同じ名前を持っているここで、お前はイアンの手伝いまでしてくれている。逆に俺はお前が凄いと思っているが」
 昔はわからないことだったかもしれない。
 だが刹那も、一般の生活を経験して、一般の人の考えというものを、身近に見て生活をした。
 故に沙慈の気持ちも理解できる。
 艦内の警報に馴れてしまった沙慈を、逆に哀れだと思っていたのに、沙慈が取っている行動は、CBには有り難い助けになっている。
 もっと取り乱してもおかしくないのに、そして憎まれても当然なのに、今も普通に刹那と話をしてくれる。
 あの頃の偽りの姿に憤る事もしない。
 本当に優しい人物だと、刹那は沙慈に感謝していた。
 故に謝罪される事など一つもない。
「凄くないよ。結局僕は、カタロンの人たちへの贖罪でやっているんだ。こんなに良くしてくれている君の為じゃない。自己満足だよ」
「だが結局、俺たちはお前の技術で助けられている。それには変わらない。それにココが、お前の人生を狂わせたCBの本拠地である事も変わらない。だから俺はお前に感謝している」
「……ありがとう。本当に刹那は優しいね」
 飾りの無い、昔ながらの彼女の言葉に、沙慈は沈んだ心を救われる。
 昔は無口で無愛想で、けれど身の回りにある様々な言語の文献に尊敬していた。
 そしてそんな刹那と共に居て、楽しかった。
 自分の知らない世界を知っている、同世代の人間だという理由もあった。
 だがそれだけでは決してなかった。
 姉が仕事で不在の時、弟を思う彼女が隣りの家の刹那の分まで夕食を用意し、一緒に食べるようにと、沙慈の寂しさが拭えるようにと交友を勧める中、最初は戸惑いがちだった刹那は、沙慈の家の事情を知ると、沙慈が夕食を持って刹那の家を訪れても、無表情でも受け入れてくれたのだ。
 そして一方的にしゃべる沙慈の言葉に、相槌を打ってくれていた。
 更に学校の勉強で解らない部分も、教科書を見せれば知っている限りの事は答えてくれた。
 ルイスがホームシックにかかった時も、飾りの無い言葉で、堪能とまで行かない日本語で、必死に慰めてくれていた。
 心底彼女は優しいのだ。
 彼女の夫も、言葉数の少ない妻に、「アイツは不器用だから」と笑っていたのを覚えている。
 一年に満たない付き合いだったが、それでも沙慈は刹那を忘れられなかった。
 それだけ刹那は、沙慈が心を許せる友人になっていたのだ。
 その気持ちを、また思い出す。
 何も知らなかった、再会した時、刹那に銃を向けた沙慈を、何事も無かったかのように今も扱ってくれる。
 刹那たちの行動には、いまだに同意できない。
 調整や修理などで触れる、母艦とガンダムの技術力は、沙慈が今まで見たことも無い最先端のものだ。
 この技術力を、戦争に使わず、何故平和に役立てられないのか。
 何度もそう思ってしまう。
 更に刹那の頭脳を、今のロックオンの対人技術を、他のクルーの技術も然り、世界の人々の生活の為に役立てる事だって当然可能だと思っている。
 それでも彼女達はこの道を選び、戦争を無くそうと、戦争をしている。
 理解に苦しむが、それでもこの艦の人たちに好意を抱いている自分は否定しない。
 みんな、優しいのだ。
 機密事項に触れている沙慈を、いつでも一般の生活に戻せるようにと、強制的に組織に入れることもしない。
 そして一般人の扱いをしてくれる。
 更にこの状況でも、刹那は沙慈のために、ルイスの事を共に考えてくれるのだ。
 もっと違う職業なら、もっと親しい友人になれたのにと思ってしまうが、それは今更だ。
 彼女には彼女の人生がある。
 だからせめて、感謝の気持ちだけは忘れないようにしたいと、沙慈はこの時思った。





 マイスター全員が制服に着替え終わった頃合で、ブリーフィングルームにスメラギが呼び出しをかけた。
 ライルがティエリアを追ってブリーフィングルームに到着すれば、何故かそこにはブリッジ要員以外の全ての人が集まっていた。
 スメラギが到着するまで、マイスターと、アレルヤの帰還を出迎えたマリーと、刹那と話をしていたらしい沙慈の6人で顔を合わせる。
 その段階で、ライルは刹那に問いかけた。
「あのガンダム型はなんだ? 擬似太陽炉だったが……」
 本隊ではない、それでも機体性能はどう見ても自分達が保有しているものと遜色ないように見える、兄の敵を問えば、刹那が淡々と答えてくれた。
「ガンダムスローネだ。元はトリニティという俺たちとは別働のCBのチームの機体だったが、5年前にアリー・アル・サーシェスに奪われている。その発展型だと俺たちは見ている」
「アリー・アル・サーシェス……。そいつが元KPSAの……」
「ああ、リーダーだ」
「ってことは、お前はヤツの特性を知っているな? それとマリーさん、戦闘事で申し訳ないけど、情報ないかな。どう見ても、アイツはアロウズの動きをしていた。同じ艦に乗り合わせたこととか……」
 ライルの問いに、マリーは目を伏せて首を横に振る。
「ガンダムスローネは、5年前、格納庫で実物は見ました。ですがパイロットとは接触していません」
「格納庫で見てるのに、か?」
「私は当時、別の部隊に所属していました。そしてスミルノフ大佐と言う方に保護されていて、あまり他の隊員との接触が無くて……。お力になれず、すみません」
「いや、戦闘に巻き込まないってのが約束なのに、コッチも聞いて悪かった。アレルヤ、悪かったな」
 ライルが軽く手を上げて謝れば、アレルヤはマリーを見つめて、その後、ライルに対して首を横に振った。
「気にしてもらえて、有難う。でも一応、コレっきりって事にしてもらえるかな」
 情報を流せば、即ちマリーはCBに利益をもたらす人物になってしまう。
 アレルヤの願いに、ライルは「了解」と答えて、改めて手を合わせて謝った。
 その上で、もう一度刹那と向き合う。
「でも、沙慈が見ていた情報では、そのトリニティチームってのは全滅してたよな?」
 独自で探っていた情報を持ち出せば、刹那は当然のように頷いたが、他の二人はライルの言動に目を見張る。
 その様子にライルは気がついたが、反応している時間も無かった。
 強引に話を進めて、情報を求める。
「ああ。パイロットは、一名を残して死亡している」
「一人、生き残ってるのか? ならあのスローネって機体も、もしかしたらソイツが操縦してた可能性もあるんじゃないのか?」
「いや、無い。何故なら生き残っている一名は、今は王留美の元にいる。所在は確保済みだ。そしてスローネがサーシェスに奪われたと確定報告してきたのも、その人物だ。目の前でヤツが奪った現場を見ている」
「目の前、で?」
 腑に落ちない情報の連続に、顎に手を当ててライルは思考を纏める。
 目の前で、MSを奪われる。
 そんな事があるのだろうか、と。
 今時、個人認証しない機体など、カタロンの旧型ですら無い。
 網膜パターンに声紋照合。最低でもこの二つが鍵だ。
 操縦者の変更は、並大抵の改造ではないのだ。
 考え込んだライルに、ティエリアが口を開く。
「……おそらく、ヴェーダを使って、情報を書き換えたのだろう」
「ヴェーダって、例の……か?」
「ああ。アクセス権を持っていれば、地球上、コロニーに関係なく、ネットワークを使用しているあらゆる電子機器に介入が自由だ。だからこそ、アクセス権はイオリア・シュヘンベルグがヴェーダにインプットした人物にしか、扱えなかったんだ」
「でも、それが何者かに奪われた、と」
「……ああ」
 ライルの問いに、一瞬間を置いて答えたティエリアに、違和感を覚える。
 それでもこの場で問い詰めるような事はしない。
 ティエリアの性格上、話せることなら直に話すだろうと判断して、ライルは再び刹那に向き直った。
「で、そのアリー・アル・サーシェスだが、経歴は? 戦闘技術は?」
 刹那はその問いに、一瞬眉を寄せて、それでも答えを与えてくれる。
 内容に、ライルは眉を顰める事になったが。
「戦場を渡り歩いている、傭兵だ。KPSAが何のために立ち上げられたかは解らないが、ヤツの仕事の一環だったのは間違えがない。部隊も持っていたが、今はわからない」
「おいおい、お前、所属していたんだろ。解らないってどういうことだよ」
「俺達少年兵は、やつの「神の聖戦」という言葉で洗脳されていて、前線の少年兵が壊滅する頃にはもう、ヤツは脱出した後だった。……ただ解るのは、戦闘技術は天下一品だ。ナイフに銃。俺はヤツから全てを教わった」
「子供で女の子に……ナイフと銃、か。良く親が黙っていたな」
 女の子がそんなモノを振り回しているのを黙認できる親など居ないだろうと、軽く問えば、それにはティエリアの怒号が浴びせられる。
「ロックオン! 情報は大切だが、刹那も大切だ! 聞く事に気をつけろ!」
「へ……?」
 怒鳴られる理由が解らずに首を傾げれば、刹那はティエリアに首を横に振る。
「いいんだ、ティエリア。情報は大切だ。……サーシェスだが、やつの少年兵の集め方は、誘拐の上、洗脳だった。洗脳された子供たちは、全員自分の親を殺害して、家の金品を持ち出した。神に捧げる聖戦のために」
「親を……殺害……」
 告白された内容に、当然それは目の前の彼女にも適用されると理解できる。
 だが理解したくなかった。
 娘を愛しんでいる彼女が、自分の親を殺している。
 普通の愛情を受けて育ったようには見えないが、それでもそこまで過酷な状況のあとも見えない。
 淡々と語り、情報の〆として、刹那は口を開いた。
「サーシェスは、戦闘のプロだ。俺たちも訓練を受けているが、年を重ねたヤツに敵うのは、かなり難しい。現に俺たちの中で一番実戦経験を積んでいた、前のロックオンも敵わなかった。その事をしっかりと覚えておいてくれ。これ以上の犠牲は、活動に障害が出る」
 夫の存在を使い、その場の緊張を高めれば、そのタイミングでスメラギがブリーフィングルームに到着した。
 引き締まったマイスター達の顔を見て、対峙した相手の報告を受けていたスメラギは、ため息をつく。
 みんなの視線が刹那に向いているのを悟り、彼女が昔とは変わり、みんなの中心になっているのだと痛感した。
「……さて、もういいかしら? これからの予定と戦術の説明をしたいのだけれど」
 切り出したスメラギに、やはり答えたのは刹那だった。
「ああ、頼む」
 刹那の促しに、一般人は退室して、スメラギはこれからの予定と戦術を、モニターを使ってマイスターに説明した。





 スメラギの戦術に従って、海中から一気に宇宙に上がった。
 目的は多々あったが、一番はダブルオーの支援機の受け取りだった。
 万全の体制を目指して、宇宙空間を航行する。
 大気圏脱出の際、当然のように戦闘があったマイスター達は、ハードである機体の整備で少々の休憩時間を得た。
 その時間に、久しぶりの暗い星の海を見ながら、ライルは第二展望室で煙草をふかした。
 頭を廻るのは、ソランの過去。
 親を殺害したと言う、過酷な状況。
 内乱の最前線で一人生き残ったと聞いているが、その後、この組織に拾われて、マイスターになっている。
 会社員として出会っていた彼女が、そこまで過酷な過去を背負っているとは、想像も出来なかった。
 それでも求めるものは同じなのだ。
 そしてライルの気持ちも変わらなかった。
 煙を吐き出すタイミングで大きくため息をつけば、第二展望室の扉が開く。
 入ってきたのは刹那だった。
「よ、珍しいな」
 普段刹那は、マイスターの中心的な役割で、いつでも何か仕事をしている。
 それが誰も寄り付かない第二展望室に来た事をそう告げれば、刹那は癖なのか、部屋の隅を四方眺めて、ソランの顔に戻る。
 そして無言で、ライルの隣りに腰を下ろした。
「……お前が、部屋にいなかったからだ」
 会いたかったのだと示してくれる最愛の女に、ライルは小さく笑って、頬にキスを贈った。
 不安が現れているのだ。
 おそらく原因は、ライルにサーシェスの情報を流した時の、自分の過去なのだろう。
 普通では考えられない経歴に、愛情が冷めたのではないかと心配している風情のソランを、ライルは肩を抱き寄せる事で愛情表現した。
「必要事項とはいえ、悪かったな。辛い事思い出させて」
「いや……問題ない」
 問題ないといいながらも、俯いた顔が僅かに青い。
 情報の受け渡しから、もう10時間近く経っているのに、思い出した事柄に囚われているソランが、ライルは素直に哀れだと思った。
 生まれた場所が悪かった。
 運が無かった。
 軽い慰めの言葉は、いくらでも用意できる。
 だがそんなモノを投げかけられるような、軽い愛情をライルはソランに持っていない。
 決して埋められないだろう、心の傷。
 消えない記憶。
 他人ではどうにも出来ない部分に、ライルは吸っていた煙草をもみ消して、ソランを抱きしめた。
「……煙草くさい」
「吸ってたんだから当たり前だ」
「誰か来るかもしれない」
「きたって構うもんか。この艦で俺たちの関係知らないヤツなんていないんだ」
 文句を言い続けるソランを、ライルは腕に力を込めて抱きしめる。
 そうしていれば、自然とソランもライルに抱きついてくるのだ。
 馴れた関係に、ソランが心を落ち着けて、ライルに身を任せられるようになった現われの、ライルの背中に回っている彼女の手を感じて、耳元で囁く。
「愛してるよ」
 何があっても。
 過去にどんな事があっても。
 また未来に何をしても。
 気持ちに変わりは無いと体温で伝えれば、ソランはそんなライルに縋りついた。
「……こんな俺が母親だなど、俺の両親は許さないかもしれないな」
 過去に殺害した両親をさして、ライルの腕の中でソランは眉を寄せる。
 確かに洗脳されていた。
 あの時は、両親を自らの手で神の御許に送り届ける事が、一番の両親の幸せだと信じていた。
 そんな洗脳も、KPSAが全滅する間際の激しい戦闘で、あっけなくソランの中から剥がれ落ちた。
 安っぽいものを信じていたものだと、今になれば思う。
 それでも、子供だったあの頃は、神を信じ、大人を信じていた。
 大人を信じられたのは、真にソランが両親に可愛がられていたからだ。
 孤児になった後に引き取られたCBの育児機関で、育児官にその時の心の動きを諭された。
 そして理解した。
 自分は真に、両親に愛されていたと。
 だからこそ、その愛に酬いたいと思った。
 自分も彼らのように親になり、彼らが自分にあの後もかけたかった愛情を、自分の子に返す事で、愛情に酬いようと思ったのだ。
 それでもどうしても、記憶から消えない。
 最後の両親の、恐怖に引き攣った顔。
 銃を向ける娘に、「何故、どうして」と繰り返していた声。
 一度思い出せば、どうしても囚われてしまう。
 そして普通の生活を送ってきたこの男が、こんな過去を持っているソランを、今まで通り愛してくれるのか、不安だった。
 ライルはニールとは違う。
 躊躇無く、一般の生活を求めて歩んできた男だ。
 こんな血生臭い女など、愛想を尽かしたかもしれないと思った。
 だがやはり、ライルはライルだった。
 ニールとはお互い様の部分が多かった。
 彼は元々犯罪者で、ソランは洗脳されていたと言っても、結局は殺人経験者だ。
 しかも、最初は自分の親。
 更にニールとライルには、ソランは特別な垣根を持っている。
 その垣根を、ニールは愛情で越えてくれた。
 だがライルは、「ソラン」という存在そのものを、そのまま受け入れてくれたのだ。
 ソランから見たニールと言う男は、情熱が先行するタイプに見えていた。
 実際に、彼を動かしていたのは、情熱や執念といった、感情的な部分だった。
 だがライルは、ニールの正反対にいる。
 自分の感情を客観的に認知して、更に状況分析。
 一般の社会人だった頃も、人の性格、身のこなしを冷静に分析して、その人物に合った話し方、勧め方をしていたのを見ている。
 それらを踏まえて、それでも愛を囁いてくれる男に、ソランは縋った。
 そんなソランに、ライルは更にきつくソランの身体を抱きしめながら、己の考えを伝えてくれた。
「俺はそうは思わない。寧ろそんな過酷な状況を経験して尚、人を愛して、子供を産んだお前を、誇らしく思っていると思う。辿った道がどうであれ、お前は立派な母親だ。離れている娘が、お前の愛情を疑っていない事が証拠だ。それに……」
 一旦言葉を切って、ソランの身体を少しだけ離して、顔を合わせる。
「俺は感謝してる。お前の親に。お前を産んで、育ててくれた人たちにな。お前は親の習慣を当たり前のように受け入れている。ソレがお前にかけられていた、親からの愛情だ。ニーナの事も、今頃守ってくれているだろうさ」
 死んだ人間がどうやってと、ソランは一瞬考えたが、以前ニールが言っていた「幽霊を信じている」という言葉を思い出す。
 更にそれが、地域的な習慣である事を思い出した。
 ライルも同じように、ゲール地方の習慣が身についていて、今の言葉を紡いだのだと理解出来、ソランはやっとうっすらと笑えた。
「悪いが、俺の両親は幽霊にはなっていない」
 ライルの胸に顔を埋めながら、ライルの言葉を否定する。
「なんで? 誰だってなるだろ?」
「俺の地方では、幽霊と言う概念はない。死ねば地獄か神の国に行くものだ。俺の両親は信心深く優しい、良い人間達だったから、今頃は神の国で、安らかな生活を送っている筈だ」
 言い伝えられている宗教的なことを伝えれば、ライルはソランを改めて抱きしめなおし、習慣の違いに笑った。
「そっか。そういえばイスラム教はそんな教えだったな」
「ああ。だが俺は、今はこの世に神はいないと理解してるがな」
 宗教の括りは無いと主張する刹那……いや、ソランに、ライルは小さくため息を零して、黒髪を撫でた。
「神様の問題じゃないだろ。こういうのは、地域の特性って言うんだ。俺だって洗礼受けてるけど、心底神様がこの世にいるなんて思ってないさ。幽霊も、地域的に当たり前のように会話に出てきたから、言っただけ。見たこと無いし、実際はわからないけど、人にはそういう心の救いってのが必要なんだよ」
 死んだ人間も、幽霊になってこの世を見守ってくれている。
 見えない彼らに恥じないように、生きている自分たちは精一杯努力するのだ。
 そういう地域の教えをソランに伝えれば、ソランはライルの胸元から顔を上げて、綺麗に笑ってくれる。
「それは素敵な考えだ。だがニールは幽霊を心底信じていたぞ。亡くなったお前達の両親が守ってくれていると、俺に言っていた」
「あの人は、そういう所は弱かったんだ。信じないとやっていられなかったんだろ」
 犯罪を重ねていたニールは、子供の頃は酷く臆病だったとライルが笑えば、ソランも笑えた。
 夜中に何度ライルがニールのトイレに付き合わされたか、殊更おどけて教えてやれば、更にソランは笑う。
 凪いだ雰囲気に、ライルはソランの頬を撫でた。
「お前の事は、生きてる俺が守る。だから近くで守れないニーナは、お前の両親と兄さんに任せようぜ」
 ソランの心の安定のために言葉にすれば、珍しくソランからキスを贈られる。
 喫煙後はどんなにソウイウ雰囲気になってもキスを嫌がっていたソランの行動に、ライルは胸を締め付けられながらも必死に笑う。
「……大丈夫だ。これから何があっても、二人でいれば乗り越えていける。サーシェスってヤツだって、どんなに戦場を潜り抜けてきていても、俺たちの愛には敵わないだろうさ」
 艶やかなソランの頬を撫でて、不安を取り除こうと努力していれば、そんなライルを理解しているソランは、ライルの手に甘えるように顔を擦り付けた。
「……そうだな。お前がいれば、俺は無敵になれる気がする」
「ソレは俺も同じ。戦闘経験の浅さを、愛で補って見せるさ」
 ライルの手を堪能しているソランの顔を上げさせて、今度は愛情の交換のキスを交わす。
 喫煙後で申し訳ないかなとは思ったが、何よりも手っ取り早い確認の行動だ。
 そしてソランも抗わなかった。
 それでも唇を離した後、「まずい」と一言呟いて、手元に持っていたミネラルウォーターを飲み干す。
 そのタイミングで、刹那の端末が着信を告げた。
 相手はミレイナだった。
『ダブルオーのメンテナンスが終わりましたぁ!』
 今回、ダブルオー以外の機体は、母艦の推進力に使用されていて、システムのチェックだけで済むのだが、実際に戦闘をこなしたダブルオーは、他の機体よりも念入りにメンテナンスを施されていた。
 ミレイナの報告に、ソランは刹那の顔に戻って、「了解」と答える。
 そしてライルの腕の中から立ち上がった。
「やっぱり、禁煙してくれ。その煙草の味だけは、どうしても好きなれない」
 キスに支障が出ると訴えるソランに、ライルはため息を付いて、愛飲の銘柄のケースを眺める。
「禁煙はなぁ……じゃあ、銘柄変えるから、それで妥協してくれ」
 ライルが吸っている煙草は、ニコチン、タール共にかなり強いもので、せめて軽いものに変えようと、彼女の精神安定のために提案するのだった。
 ライルの言葉にソランは肩をすくめて、ライルに背中を向けた。
「……やっぱりダメか」
 長年愛用している嗜好品を眺めて、とりあえず妥協点を見つけなければと、ライルはもう一本口に咥えて、馴れたその味を満喫した。
 煙草の匂いが部屋を満たした頃、扉の前に到着したソランは、ふと思い出したという風情で、ライルに振り返る。
「ああ、そうだ。俺も気をつけるが、機体越しの通信では本名は禁止だ。記録に残る」
「……本名? 俺、言ってた?」
「サーシェスとの戦闘の援護に来てくれた時、呼んだだろう。これからは癖が出ないように、二人の時もコードネームにしよう」
 言うだけ言って、ソランは刹那の顔に戻って、第二展望室を出て行った。
残されたライルは、交戦が始まっていた空域に到着した時の事を思い出す。
「……俺、何にも言わなかった気がするけど」
 熱源反応で交戦を確認して、遠距離射撃システムをすぐに起動させた。
 そして狙撃。
 その間、何も言葉は発していないはずだと、首を傾げる。
 口にした言葉は、ハロに対する指示だけだ。
 通信は傍受していたが、援護のフォーメーションのアレルヤの指示に「了解」と答えただけだと記憶している。
 ソランに対しては、何も言っていない。
「俺の事、恋しすぎて空耳とか……?」
 彼女の自分に対する愛情を見せ付けられたばかりのライルは、ありえなさそうな、それでも希望が篭った可能性を思った。
 人間と言う可能性の限りで考えれば、ソランの変化は、ライルには想像もつかないもので、その事を理解するのには、まだ暫くの時間が必要だった。





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沙慈とせっさんは仲良しさん。でも昔はちったいせっさん見て「おっさんくさい子だなぁ」と思っていたwwルイスが好きな沙慈の範疇には入らなかったww
ブリーフィングルームの場面は、この話では殆どライルは最初から知っていたので、こんな流れ。そして地道に情報収集していたライルに気がつかなかった面々は、心の中では「ライルの癖になんでだ!」との○太扱いですww
あくまでもニールの方が優れていると思い込んでいると表現してみましたww
で、ここにきて、せっさんはライルが側にいてくれる有り難さを実感しています。兄さんは愛していられれば良かったけど、愛される強さを実感しているのです。信じてもらえるのって救いだよね、と。せっさんが幸せな二期にしたいが為の話なので、ライルの愛情が必須なのです。
そしてイノベ覚醒寸前です。