Begin The Night 12

2011/10/01up

 

 アレルヤを部屋から見送って、刹那はすぐにソランの顔に戻る。
 その上で、ライルに問うた。
「……お前の服は、彼女には大きいんじゃないのか? 俺の私服の方が……」
「お前の私服は民族色が濃すぎるんだよ。会社員の時のスーツが残ってるのなら話は別だけどな」
 ライルと出会った当初のスレンダーなパンツスーツを指して、それでも手を貸して、抱き上げた時のマリーの華奢な体を思えば、ソランの服も彼女には大きいだろう。
 ソランは女性にしては背も高く、更に胸と経産婦の骨盤は、どう考えても彼女の体型には合わない。
 融通の利く男物の方がマシだと、簡潔にソランに説明すれば、またソランは少しだけ表情を変えた。
 伺い見れば、やはり怒っている。
 いや、怒っているというか、嫉妬をしているのだ。
「……なに、俺の服、他の女が着るの、気に食わないのか?」
「いや、そうではない。ただ随分と検分しているものだと思っただけだ」
 顔を覗きこんで煽れば、素直に言葉が零れる。
 膨らんだ頬に、ライルは思わず噴出してしまった。
「……何がおかしい」
「おかしいだろッ。ぷッ、ククク」
 笑い続けるライルに、ソランは鋭くにらみ付けた。
「……今日は帰る」
「まあ、まてまて」
 心底機嫌を損なわれては困る。
 今日はアレルヤとの約束どおり、セックスはしないにしても、愛は深めたい。
 冷蔵庫からソラン用のミネラルウォーターを出して、自分にはもう一本ビールを開けた。
「別に浮気なんて考えてないって。ただアレルヤの相手だぜ? っていうか、俺、この艦で自分たち以外の恋愛関係なんて初めて見るし、興味持つだろ」
「……俺は持たない」
「はいはい。俺は野次馬です。こんなんだから、スパイなんてやってられるんだよ」
 アルコールを手にしながら、今の時間で手に入れた情報に笑ってやれば、ソランはぱちりと一回大きく瞬きをして、その後、溜息をついた。
「……カタロンに流すなよ」
 念のために釘を刺せば、ライルは再び笑う。
「ばっかじゃねぇの。流すわけ無いだろ。……ただ、アロウズの超兵の戦死は報告する。戦力がそがれたわけだからな」
 MS部隊を今回の戦闘で2つ壊滅させた情報は流すと、それだけだと、ライルは予め打って置いた報告書をソランに見せた。
 内容を確認して、ソランは視線をそらせる。
 それは了承の合図だった。
 公にスパイ活動を認めるわけにはいかない、真のCBのマイスターに、ライルは端末をしまう素振りで話を打ち切ろうとした。
 だがその瞬間に、ライルの配給ではない個人の端末に着信が入る。
 何事かと開けば、相手は基地の移送をさせていたクラウスからで、無事に第二支部に到着したとの知らせだった。
「生き残り組みは無事か」
 ライルの端末を見る視線に、ソランは問う。
 その答えを、ライルは笑う事で示した。
 だがその3時間後にライルに入った連絡で、緊急ミーティングが開かれる事になる。





『連邦は今後、中東の再編が重要課題になります。国境線の確保、民俗対立の仲裁のために、抗争民俗の片方をコロニーに移住させ……』
 ブリーフィングルームの画面で、連邦の政策を語る広報官の笑顔に、ライルは眉を寄せた。
「おいおい、この女、良くこんな内容を笑顔で話せるな」
 何を前提に置いても、結局は武力制圧であることは明白なのに、それを当たり前のように笑顔で語る。
 そして公表の中に、切欠はアザディスタン王国のテロ行為の悪化であるとの情報があり、それが偽りであると、この場に居るメンバーはみんな知っている。
 現場を刹那とマリナ・イスマイールが見ているからだ。
 明らかにMSに寄る殲滅が行われていたと、第三支部の移送の準備の合間に帰ってきた二人から、報告を受けている。
 更に刹那は、その報告の際、眉を寄せていた。
 二人になった後、ライルはソランに問うたのだが、確定情報ではないと言う理由で、沈黙してしまった。
 それでも只事ではない事はわかる。
 今後、その情報が確定できる際に、何が判明するのか、ライルは少々不安を抱えていた。
 それは自分の身の安全ではなく、ソランの事だ。
 彼女が戦闘や状況説明に、口を濁した事は無い。
 だが今回は口を濁した。
 故に、それが重大な何かに関わるのだと、当然のように理解したのだ。

 ライルが受け取ったカタロンからの緊急連絡は、中東に本格的に連邦が介入してきているという情報だった。
 既に暫定政権が立ち上がっていて、平定と言う名の弾圧を始めていると言うことだった。
 ブリーフィングルームで、連邦の政策を討議している最中に、今度はCBに暗号通信が送られてくる。
 内容は、アロウズの幹部が政財界のパーティに姿を現すというもので、内偵のチャンスであるとの報告だった。
 だが、ライルは内容も気になったが、メンバーが口にしたエージェントの名前に首を傾げる。
 同姓同名なのか。
 まさか世界の経済の一端を担っている人物と同一人物だとは、思えなかった。
 だが何度も「王留美」と繰り返されれば、確認せずにはいられない。
 隣に立つ刹那を、肘で小突いた。
 そして小声で問う。
「……なぁ、王留美って、同姓同名だよな?」
「何のことだ」
「いやだって、王留美って言われて真っ先に思いつくのは、王財閥の総帥だろ」
 社会の一線で働いてきたライルには、当然名前の情報くらいはあった。
 更に取引企業には、その財閥の傘下企業も山ほどあり、ワールドワイドに展開する会社では、当然の知識だ。
 まだ成人して間もないと言われる彼女が、まさかこんな秘密結社にまで手を出しているとは思えずに問えば、ソランは刹那の顔で、じっとライルを見つめた。
「……本物だ」
「本物って……本人って……事か?」
「彼女がCEOになって直に、王財閥はCBの協力者になっている。彼女は正式に登録されているエージェントだ」
「ぶぇえ!」
 あまりの驚きに、変な叫び声をあげてしまう。
 ライルの叫び声に、部屋の中の全員が、ライルに視線を向けた。
「ロックオン、どうしたの」
 スメラギが首をかしげて問うてくるが、ライルは今まで自分が普通に生きてきた社会の根底を覆された気分を味わっている最中で、まともに言葉が紡げなかった。
「いやだって! 王留美とか! しかもあの声本人なのか!? マジ若い!」
 一般人の驚きを精一杯表現すれば、部屋の中は笑いに包まれる。
「そうねぇ。確かに今までのあなたを考えれば驚く内容だったわね。でも別に、CBに協力してるのは、王財閥だけじゃないのよ。まあ、この辺りの詳しい情報は、そのうち教えるから、今は偵察ミッションに集中しましょう」
 スメラギの一声で、部屋の中の笑いは収まる。
 そして名乗り出たティエリアと刹那に、任が下される。
「こちらの情報がどの程度警備に使われるか解らないから、ティエリアは女装して内部偵察。刹那は男装で外部の警備状況を偵察してきて頂戴」
スメラギの指示に、ライルは首を傾げる。
「え……女装に男装? え? だってソレ、普通に刹那が内部で外部がティエリアでよくねぇ?」
 何故男が態々女装をして、更に女が男装をするのか。
 ドレスなら女に着せればいい。
 普通の考えで問えば、スメラギを中心に、古参メンバーは微妙な笑い方を一斉にした。
 その様に、ライルが首を傾げれば、スメラギは一つ溜息をついて、一枚の写真をスクリーンに投影する。
 青いパイロットスーツを着た、子供の頃のソランだった。
「あなた、コレ見て直に女だって認識できる?」
「あー……いや、まあ、それは、な? ……いやいや、だからこそ適任だろ。素性がばれてないんだから」
「違うのよ。ばれてるの。しかも情報では「男」になってるのよ。肌の色も独特だし、更に女の格好で人前に姿なんて見せて御覧なさい。もっと詳しく調べられちゃうわ」
「……あ、そうか」
 刹那・F・セイエイの名前と、更に人物の特徴が世間に出回っていることを、ココに来てライルは思い出した。
 再会した時に送られてきたメールの差出人に、自分が何を思ったのかを。
「それに、ティエリアが内部の方が、都合がいいのよ。だからこの配役で行きます。いいわね?」
 潜入組み二人と、更にアレルヤとライルの配置を地図上に表示させて、見つかった時の追撃を避ける戦術まで組まれていて、口笛を吹きそうになる。
 それでも周りが当たり前のように「了解」と答える中、ライルも倣わない訳にはいかなかった。


 艦内で変装を整えた二人を見て、ライルは思わず口笛を吹く。
「すっげぇ! マジでティエリアが美女になってる!」
 どう体を作っているのか、くびれたウェストにロングの髪の毛。普段の眼鏡が無いのもまた、印象をがらりと変えていた。
「ちょ、この胸どうなってんの? すっごい自然だけど自前じゃねぇよな?」
「君は馬鹿か。何度ロッカールームで一緒に着替えをしている」
「だからそれが嘘みたいに見えるって言ってるんだよ! すげぇ! 服についてるのか? それとも肌につけて……」
 ティエリアのありえない張り出した胸にばかり興味を持つライルに、刹那は眉を寄せて、ロングドレスのティエリアの手を取る。
「馬鹿は放って置いて行こう。時間が無い」
 彼が胸フェチなのは、当然知っている。
 以前の一般人の付き合いの中でも、すれ違う女性の胸を、何気なくいつでもチェックしていたのをソランは気がついていた。
 更にセックスの時の、胸に対する執着。
 元々美男子のティエリアは、ソランから見ても完璧な美女だ。
 そして胸のサイズは、スメラギと共にセットしたソランにはわかっている。
 丁度ライルの好みジャストサイズなのだ。
 男のウェストを細く見せるために、Fサイズを使用している。
 ウェストはコルセットで絞めても限界があり、更に腰にも胸と同素材の体型補正を施して、腰の太さを誤魔化した。
 この体系は、まさにライルの好みドンピシャだった。
 ソランは溜息をついて、それでも任務は放棄しない。
 ティエリアを連れて艦を出ようとすれば、ソランにもライルから声がかかる。
「それに引き換え、お前、胸潰すとマジで男だな。経産婦なのに尻ちっせぇとは思ってたけど、ココまでとは」
 複雑そうに笑う彼に、ソランは思わず睨んでしまう。
「ウェスト、こんなにあったっけ? 服の所為か?」
「ボディラインは隠している。シリコン製の絞めないコルセットを使用しているんだ」
「うへぇ……。早く戻ってくれよ。錯覚しそうになるじゃん」
 男装のソランに眉を寄せるライルに、ソランは怒鳴りそうになるのをぐっと耐えた。
 体型だけで愛を囁かれた気がしてくる。
 お前ではなく、寧ろこっちがお前の愛を錯覚しそうだと、叫びたいのを堪えた。
 ヤマトナデシコは、男に反抗してはいけないのだ。
 数拍おいて呼吸を整え、簡潔に返答する。
「なら、早く終わるように、お前も手伝え」
 元の体型を求めるなら、それが最短の道だと示せば、ライルは上機嫌に「了解」と答えた。
 その機嫌のよさも、またソランには不満だ。
 更に見送る際、恋人のソランにではなく、ティエリアに手を振ったのも。
 ティエリアと二人で、各々の自機に乗り込み、先行してトレミーを出た後、ティエリアから内部通信が送られてきた。
『彼は、ああいうところは本当に双子だな』
 本人が聞けば嫌がる事柄を、ライルに知られないように笑って話すティエリアに、刹那は溜息をつく。
「……いや、兄の方がマシだ。ニールならこの体型でも文句は言わなかっただろう」
 昔、ミッションで男子校に潜入した際、男子の制服姿でも変わらず愛を囁いてくれた夫を思い出す。
 似合うと爆笑はされたが、ライルのようにあからさまに嫌がることもしなかった。
 根本の絶対条件があの頃とは違うのだが、刹那には理解できていない。
 自分は自分だと、そう思っているからだ。
 そんな刹那に、ティエリアは昔では考えられない救いの手を差し伸べる。
『お前は彼と美女として会っているんだ。前のロックオンとは条件が違う。そして僕から見れば、彼の方が常識人だ』
 どこから見ても少年にしか見えず、更に婚姻可能年齢になる前に刹那に手を出したニールを指せば、刹那も黙るしかない。
 刹那から誘った事だが、落ちたのは彼だ。
 更に思い出すのは、ニールの面影を追い求めて、彼に会いに行ったときの事。
 体型が子供だったソランには、彼は目もくれなかった。
 忙しそうにしていたが、それでも視線が合わない事に、彼の条件を悟る。
 刹那が諦めの溜息をついたところで、目的地に近づいた。
『刹那、そろそろ雑談は終わりだ』
 ティエリアの言葉に、体型を変えたままパイロットスーツを身に纏っていた刹那は、「ああ」と返答して意識を切り替えた。





 刹那が運転手として外周の偵察をしていれば、パーティの時間も半ばで、思いもかけずに声をかけられる。
「……あの」
 振り返れば、ソコには懐かしい面影の女性がいた。
 髪は短くなっているが、声と顔は見間違え様が無い。
「ルイス……?」
「やっぱり。久しぶり、刹那」
 以前のような明るさは無いが、それでも変わらずに笑いかけられて、あの頃を思い出してしまった。
 それでも不自然さが拭えない。
 何故彼女が、軍関係者のいるパーティに来ているのか。
 刹那は素直に問うた。
「何故、ルイスがここに?」
「……うん、ちょっと、知り合いに呼ばれて」
 苦く笑って誤魔化そうとしている、昔では考えられない彼女に、刹那も黙るしかなかった。
 車寄せで立ち話も何だと、二人で車寄せの中央にある噴水に腰掛けて、刹那は車に置いておいた飲み物を彼女に渡し、つかの間の寛ぎの時間を持つ。
「刹那はどうしてココに?」
 問いかけられて、それには準備しておいた答えを返す。
「仕事だ」
「どんな仕事?」
「軌道エレベーター関係の仕事に就いている」
「語学、堪能だもんね」
「堪能とまで行くかは、自分ではわからないが」
「でも何で中に入らないの?」
「俺は下っ端だ。今日は上司の運転手として来ている」
「へぇ、なんか意外。もっと研究部門の最先端で仕事しているかと思ってた」
「俺程度の知識では、そうもいかない」
 学生だった彼女についていた嘘を、彼女は信じている。
 日本にいた理由を。
 留学生だと、偽っていた身の上。
 それに相応しい年齢だった頃。
 ルイスには常に隣りに沙慈がいて、そして……。
「ご主人、元気?」
 思い浮かべていた事を言葉にされて、刹那は俯いた。
 今は彼の言葉通り、次の相手がいる。
 それでも忘れられない。
 少しだけ開いてしまった間を、ルイスが伺い見る。
「……5年前に、死んだ」
「え……」
 目の前で爆風に飛ばされた身体を思い出す。
 最後の、雑音だらけの彼の声。
 なんと言っていたのか、結局どんなに解析しても解らなかった。
「ゴメン、私……」
 辛い記憶に引き摺られていた刹那を、ルイスの沈んだ声が現実に戻してくれる。
 誰もが予想しないだろう、彼の生前の、偽りの姿を知る人の反応に、刹那は笑った。
「いや、いいんだ。元気者だったからな。想像できないだろう」
「うん。あんなに運動神経も良くて、優しかったのに。……事故?」
「……ああ」
 真実を曲げて伝えれば、彼女はすんなりと信じてくれる。
 コレも偏に、ニールの生前の行動のお陰だ。
 そして近所付き合いを黙認してくれていた、当時のクルー達のお陰。
 あの頃の辛くとも温かい環境に、改めて感謝を覚える。
「……私もね、刹那が会った私のママ、死んだんだ」
「……そうか」
「ママだけじゃなくて、パパも、親戚も、全員。ちょっとした事件に巻き込まれてね。今一人なの」
 身の上を「一人」と言い切ったルイスに、それでも彼女には沙慈が生きていると、沙慈の言葉を思い返して勧めた。
「沙慈・クロスロードと共に歩めばいい。お前は一人じゃない」
 ルイスが資産家の娘だった事は知っている。
 一般の金銭感覚が無いと、当時沙慈にはよく泣き付かれていたからだ。
 彼女の身の上を考えれば、知り合いに誘われたのなら、この場に居る事は納得出来る。
 そして更に、今プトレマイオスにいる沙慈を思った。
 彼女が保護してくれるのなら、直に沙慈は艦から降ろそうと、頭の中で算段する。
 親族が皆いないのなら、彼女は莫大な資産を受け継いでいるはずで、沙慈一人をかくまうくらいは指先一つでどうにでもなるだろうと思ったのだ。
 現に日本に居たルイスには、極秘に何人ものSPがついていたのを、刹那は気が付いていた。
 そのルートを使えば、どうにでもなる。
 だがルイスは首を横に振った。
「もう、連絡取ってないの。私にも、やりたい事があるから。……刹那は? 彼に会った?」
 刹那の口からすんなり名前が出たことで思ったのだろう。ルイスは当たり前のように問いかけてきた。
 それでなくとも、昔は隣りの家に住んでいたのだ。
 一番刹那を気にかけてくれた、気のいい少年。
 二人は恋人同士で、なんだかんだとお互いの不満をお互いが無口な刹那にぶつけていたが、それでも微笑ましいくらいに仲がよかった。
 沙慈を強制収容所から救助した時の、彼の慟哭を思い出す。
 ガンダムの無差別攻撃に合って、連絡を絶ったと。
 無くしたと沙慈が言っていたルイスの左手には、義手の証拠であるラインが走っている。
 何故スローネチームがルイスの家を狙ったのかは解らない。
 それとなく調べていた刹那には、彼女の家が軍事に関わっている証拠は見つけられなかった。
 故に今、沙慈の保護者としてコレほど相応しい人物はいない。
 彼女の心を解すために、少しの嘘を交えて彼を語ることにした。
「……少し前に、出張先のコロニーで会った」
「コロニー?」
「ああ。宇宙工技師の免許を取得して、コロニーの仕事をしているらしい」
「そっか。夢、叶えたんだね」
 未来を夢見ていた学生の頃に、彼が常に意識していた将来像のままの、偽りの現状に、ルイスは笑みを浮かべる。
 その笑みに、ルイスがいまだに沙慈を思っている事が伺えた。
 そんな彼女に、刹那は更に話を勧める。
「きっと今なら、沙慈はお前の欲しがっていた指輪も買ってくれる。会えたのは偶然だったが、お前を気にしていた」
「……なんか、刹那じゃないみたい。あの頃はあんなに無口だったのに」
 必死に沙慈と共に歩む道を勧める刹那に、ルイスは笑う。
「有難う。……でも、出来ないけど」
「何故」
「歩く道が、違っちゃったの。だからもう、会わない」
「なら、その左手の指輪は、沙慈とは別の人物か?」
 作り物の手にはめられている金のリングに、刹那が視線を送れば、ルイスは慌てて隠した。
「……ううん、沙慈だよ。あの時の指輪なの。事件に巻き込まれて怪我して、落ち込んでた時に、彼、買ってくれたんだ」
 隠した右手で、愛おしそうに撫でる仕草は、まだルイスが沙慈を思っている証だ。
 刹那は卑怯だとは思ったが、それでも手段を講じた。
 幸せだった頃の知り合いが、不幸な状況に甘んじているのを見過ごせない。
 ニールの影響だと、あの底抜けにお人よしだった夫を思った。
「相手が生きているんだ。道などどうにでもなる」
「……そうだね。刹那に比べれば、私、贅沢……」
 ルイスが苦笑して顔を上げた瞬間、違和感が訪れる。
 不自然に言葉を途切れさせた後、いきなりルイスは頭に手を当てた。
「……ルイス?」
「あ……ッ、あああぁあッ」
「ルイス!」
 髪の毛を掻き毟る勢いで、いきなり苦しみだした旧友を、慌てて刹那は支えた。
 それでも彼女の苦しみが救えるわけは無い。
 どうしたら良いのかと考えた瞬間、何故か刹那はルイス叫び声の中に「薬」という言葉が混じっているような気がして、慌てて周りを見回して、ルイスが放り投げてしまったバッグを手に取った。
「薬はこの中か?」
「う……ッ、うううぅッ」
 苦しみながらも何とか頷いてくれたルイスに、刹那は慌ててバッグを漁り、ピルケースを取り出す。
 飲み物と共に手渡せば、まるで飢えていたかのようにルイスは薬を口に頬張った。
「規定の量は……」
 薬は何も、大量に飲めば楽になるものでもない。
 しかもバッグの中に薬を常駐させていた事を考えれば、この症状はつい最近の事ではないのだろう。
 何があったのかと、ルイスの左手の、義手である証拠のラインを眺めてしまう。
 擬似GN粒子が細胞障害を起す事は知っている。
 だがこんな苦痛を味わっている人は知らない。
 ニールは判明する前に死亡してしまったが、その後、トリニティチームによって攻撃を受け、怪我をして、細胞障害を起している人の文献を読んだのだ。
 だが、その文献には、普通なら蘇生細胞はどこのパーツでも培養が可能であるのに、その蘇生細胞の塩基配列を狂わせるのだと書いてあったのだ。
 故に、欠損した四肢を取り戻せない。
 それだけだと、現在主力MSに使用しているエネルギーを、安全であると主張していた。
 その影では、当然他の障害も出ている人間も居るのだろうが、今、目の前のルイスのように、発作的に何かが起こるという話は聞いた事が無い。
 苦しんでいるルイスの背中を撫でていれば、異変に気がついたらしい人がやってくる。
「おい! 大丈夫かい!?」
 視界の端に移ったのは、タキシードだった。
「わからない。急に苦しみだして」
 この会場の警備員ではないと思い、更に調べたずさんな警備に、本当に目的がこの場で達成できるのか、刹那は不安になる。
 だがそんな不安も、タキシードの男の声に、かき消された。
「君は……ソレスタルビーイングの……!」
 言い当てられた事柄に、何物かと顔を上げれば、そこにはスメラギが同棲していた男性がいた。
 スメラギの逃げる場所を奪うために、彼の前で正体を告げている。
 歪んだ男の顔に、刹那は舌打ちして走り出した。
「警備員! ソレスタルビーイングのメンバーが……!」
 遠くで叫んでいる声に、耳にかけていたインカムでティエリアに連絡を取ろうとすれば、刹那が繋ぐ前に背後の建物から派手な音が鳴り響く。
 走りながら振り向けば、ティエリアが窓を突き破って脱出している所だった。
「刹那! 車だ!」
「了解!」
 ここに来た時の車は、周りの車に阻まれて出す事は出来ない。
 だがそんな事は想定内だった。
 周りの森の中に隠しておいたバイクに跨り、エンジンを吹かしてティエリアの前に滑り込ませれば、彼はなれないヒールを履いているとも思えない身のこなしで飛び乗る。
 そのまま二人で、逃走を図った。


 いくつもの道路を経由して行方をくらませて、ガンダムの下に到達すれば、そのままバイクを捨て置いて、走って自機に乗り込む。
 それでも追手の懸念は晴れず、スタンバイ状態にさせていた二機で緊急発進をさせた。
 変装を脱ぎ、パイロットスーツに機体の中で着替えて、改めて通信を開く。
「すまない。俺のミスだ」
 スメラギの相手の素性を、あの時に確かめなかった。
 政府関係者の下にスメラギがいるとは思っていなかったとティエリアに謝れば、ティエリアはそんな刹那の謝罪を軽く流す。
「いや、僕も失敗した。だが見つけたんだ。世界のゆがみを……!」
 会話を続けようとしているところに、アラームが鳴り響く。
 スメラギが懸念した、追っ手だった。
 だがその追っ手の機体に、刹那は目を見張る。
 アザディスタンを攻撃した機体と同じだったからだ。
 そしてその機体は……。
「スローネの発展型だと? ……まさか!」
 刹那と同時に確認したティエリアが、事の次第を理解する。
 アザディスタンの攻撃に、ガンダムがいたとは刹那は告げていた。
 だがその詳細を伝えなかった。
 その理由が、ティエリアにも解ったのだ。

 生きている等、思いたくなかった。
 彼はせめて、敵を打って逝ったのだと、そう思いたかったのだ。

 突きつけられた現実に、刹那は眉を寄せて、それでも追っ手の撃破に行動を移す。
 生きていた。
 自分の人生を狂わせ続けている、男が。
 夫の命を奪った、張本人が。
 それでも復習と言う言葉に囚われたのは、ニールと一番関係の深かった刹那ではなく、ティエリアだった。
「貴様ぁあ!」
 刹那はその雄たけびを、ダブルオーの中で聞いて、我に返る。
 戦闘は、冷静さを失ったその時、敗北が決まるのだ。
 通信でティエリアに呼びかける。
「ティエリア! 落ち着け!」
「落ち着けるか! 絶対に撃墜する! 刹那! プランB38だ!」
 その昔、訓練した連携を諭されて、怒りの中でもティエリアが戦術を算段している事を悟り、刹那は操縦桿を握った。
「了解!」
 ティエリアの砲撃を中心とするフォーメーションに、万全ではないダブルオーが計算に含まれていて、素直にそれに従う。
 それでも戦いなれている男には、敵わなかった。
 通信機越しに刹那に伝えられる夫の最後の戦闘に、舌打ちが耐えられない。

 視界が確保出来ていない癖に、出てきた馬鹿が。
 身体の半分が吹っ飛んだ。
 再生治療のつけ。

 そんな言葉を投げかけられて、それでも生きている諸悪の根源に、心底この世に神はいないと思ってしまう。
 どうしてこの男が生きていて、ニールが死んでいる。
 自分の娘も抱く事が出来ずに散った夫が、目の前の生きている敵に煽られて、尚の事哀れに思えた。
 ティエリアの覚悟を受け取って、刹那もこの男の排除の重要性を感じた。
 自分のような子供は、二度と作り出してはいけない。
 また、ニールとの娘を危険に晒すわけにもいかない。
 未来のために必要な戦いだと、歯を食いしばった。
 それでも長年戦場を駆け抜けてきた男の戦術には、ガンダムマイスターが二人がかりでも敵わなかった。
 全てのシステムを、効率よく戦闘に使用する。
 ティエリアと刹那の二人の行動を同時に封じて、更なる攻撃の手段の気配を感じた。
 体術を上回る兵器に、スローネが元々持っていたファングという遠隔操作武器に狙いを定められ、己の運命を悟ってしまう。
 刹那は思わず叫んでしまった。
「ライル……!」
 絶体絶命の状態の中で、叫んだ刹那に答えるように、声が響く。
「ソラン!」
 聞こえた声に、刹那はソランに戻り、自分を助けてくれる男をモニターで探した。
 だがその影は見えない。
 代わりに、横を通り過ぎる、ビームライフルの軌跡が、彼が来てくれたのだとソランに伝えた。
 モニターがビームライフルの発生源を捕らえて、ウィンドウに勝手に自軍であるケルディムとアリオスの姿を映す。
 新たに現れた二機に、スローネは慌てて撤退していった。
 4機は相手に出来ないのだろうと、離れていく赤いスローネを刹那はにらみつける。
 追いかけようとした瞬間、撤退命令が送信されてきた。
 奥歯を噛み締めて、刹那は悔しさを耐える。
 それでも一機で追いかけたところで、返り討ちにあうのが関の山だ。
 娘を置いて逝く訳にはいかない。
 安全策を講じる母親に対して、その絆を持たないティエリアは、単独でも追いかける素振りを見せる。
 その行動は、アレルヤに止められた。
『何故止める! アイツはロックオンの……!』
『スメラギさんの指示だ。ティエリア、従って』
『だが……ッ』
『ティエリア。気持ちは僕も同じだけど、同じ轍は踏んだらいけないんだよ』
 ライルは自機の中で会話を聞き、兄の最後が自分の想像通りだった事を悟る。
 赤いMSが去った方向に、視線を止めた。





 トレミーに帰り着き、4機のMSの太陽炉を本艦と接続させれば、暫くは休息の時間だった。
 最後に着艦したライルは、先に降りているはずのソランを探す。
 他のマイスターが知っている敵の情報が欲しかったのだ。
 敵討ちなど、ばかげている。
 そんな事をしても、ニールは戻ってこない。
 それでも機会があれば、それは逃したくない。
 今は口実が手の中にあるのだから。


 パイロットスーツを脱ぐ為に、ロッカールームに足を踏み入れれば、そこにはうな垂れているティエリアがいた。
 初めて見る彼のそんな様子に、ライルは黙って前を通り過ぎる。
 そして自分のロッカーを開けた。
「……君は、聞かないのか」
 ライルの存在をわかっていると問うティエリアに、ライルはハーネスを外しながら、淡々と答えた。
「聞きたいさ。アイツの戦闘能力とか、あのMSの性能とかな。あんたら、知ってるんだろ?」
「そう言う事ではない。ロックオンの……ニールの事だ」
「兄さん……ね」
 言葉を途切れさせて、一気にファスナーを下ろし、締め付ける機構のスーツを脱いだ。
 代わりに制服を身に纏う。
 ズボンをはき、ブラウスを着て、ブーツに足を入れた。
「随分、あっさりしているんだな」
 ライルの通常の行動に、ティエリアは視線だけでライルを睨む。
「不満か?」
「いや……人それぞれだ」
「そういう事だ。一応ニールの最後は刹那から聞いている。今日のあいつがKPSAのリーダーだったって事だろ。でも生きてるなんて、残念だ」
 最後にボレロに袖を通しながら感想を告げれば、ティエリアは立ち上がった。
「残念で、済むのかッ」
 不満を露にしたティエリアに、ライルはロッカーに背を預けて対面する。
「済むね。それ以外、どう思えって? ニールの最後の気持ちを考えるか? だがそれでどうなる? これからの何が変わるんだ? 俺たちがこれからしなきゃいけないことは、ニールの敵討ちじゃない。ニールの望んだ世界を作り上げる事だろう。……いや、正確には『ニールの望んだ世界』じゃない。『俺たち』が望んだ世界だ。その世界を作る段階で、あの手のやからは障害になる。排除対象ってわけさ。そのための情報が欲しい」
 ソランとニーナと、笑って、大手を振って歩ける世界のために。
 その意思でティエリアに向かえば、ティエリアは怒りの表情を納めて、俯いた。
「君って人は……」
 一歩間違えれば蔑まれているようにも聞こえるその言葉に、ライルが待ち構えれば、ティエリアは言葉を切った後、思いがけずライルに笑いかけた。
「……刹那が君に惚れた理由が、解った」
 思わぬ言葉に、ライルは大きく瞬きをしてしまう。
 その仕草に、更にティエリアは笑った。
「安心しろ。僕はゲイじゃない」
「……いや、そんな心配してねぇし」
「そうか。なら良かった」
 綺麗な笑みで、ティエリアはライルを置いて、ロッカールームを出て行ってしまった。
 残されたライルは、首を傾げる。
「……刹那が惚れた理由……ってなんだ?」
 敵戦力も気になるが、傍目から見た自分たちも気になってしまったライルだった。





next


手当たり次第の人に優しくするライルには、せっさん嫉妬しますw
第4婦人までは仕方がないけど、ちゃんと平等に愛してくれないとダメな風習ですお!
自分には手を貸してくれたことなんてないと、むくれていますw
そして更に一般人ご披露。いや普通企業名が出てきたら、びびるとおもうんですけど……。社長さんより偉い人ですよ。サラリーマンにはビックリですw
潜入シーンは悩んだんですが、ティエリアの女装に対してのライルの反応が書きたいがために書きました。あのおっぱいは必須です。プラス、本編設定の布石。
サーシェスのシーンも、このあとの布石です。せっさんの経歴うんぬんは、もう本で書いてあるので、こんな流れになりました。