御伽噺のような 3

2011/05/10up

 

 スナックショップの昼食を終えて、二人で町を歩いた。
 時間もあることだし、たまには映画でもとライルは思ったのだが、丁度時期が悪く、ソランの好みそうな映画は上映していなかった。
 ソランは属している組織に似合わず、アクション物は好まない。
 ホラーは実物で見慣れていると、あくびをする。
 当然戦争物は、名前を聞いただけで眉間に皺を寄せていた。
 残された選択肢は、恋愛物か、ヒューマンドラマ。
 そしてソランは案外人の穏やかな日常が描かれているヒューマンドラマに興味を寄せていた。
 探してみたが、それらしい映画は上映されておらず、結局普段と同じように、ショッピングになってしまった。
 しかも、見て回った店は子供の為の物。
 最近著しく成長している次女の為に、丈にゆとりのある物をと、二人で笑って買い物をした。
 長女の子供の頃の服は、全て慈善団体に寄付してしまっていたので、次女という立場なのに、彼女にはお下がりはないのだ。
 更には、おそらくすぐに宇宙に戻るのだろう、長女の為の物。
 実用的な普段着を数点購入して、更にキッチン用品の古くなった物を買い替えの為に揃えた。
 身に纏っている洋服以外は、いつもの生活と変わりがない。
 それでもソランは今までに無く楽しそうで、その様子にライルも楽しめた。


 買い物を終えて、車に一旦荷物を置きがてら、そのまま車で移動して店の前に車を止めれば、今度は自分で扉を開ける前に、店員が扉を開けて出迎えてくれた。
 仕上がっているというドレスを試着して、サイズに問題が無い事を確認し、そのままの格好でホテルに向かった。
 夕闇の中、ドレスを纏ったソランは、「母」という肩書きを脱ぎ捨てていた。
 初めて見た、ライル一人の為の女の表情で、ライルのエスコートに任せてホテルのドアを潜る。
 出迎えてくれた支配人に、恭しく挨拶をされ、柔らかく答えていた。
 その雰囲気は、ライルの母に似ていた。
 柔らかい物腰だが、意思が強いと分かる言葉と視線。
 何故兄と自分が彼女を求めたのか、この時漸く理解した。
 マザコンでは無いとは思うが、どうしても男というのは、自分の母親を基準にして女性を選ぶのだという、通説を思い出す。
 当てはまった事柄に、ライルは心の中で笑い、支配人はその心をソランに伝えた。
 亡くなられたお母様に、よく似ていらっしゃいます、と。
 事情を知らない支配人は、当然褒め言葉としてその言葉を口にしたのだが、一瞬だけ、ソランは笑顔を凍らせた。
 ライルはそれを、気が付かない振りをした。
 どんなに言葉を尽くしても、罪悪感というのは、本人が納得しなければ無くならないから。
 楽しい食事に話を移して、昔、指定席だった自分の家族のテーブルに、初めて彼女を座らせた。
 母が、座っていた場所に。
 そしてライル自身は、父が座っていた場所に腰を落ち着けた。
 だが、思いもよらない言葉がソランから流れた。
「ここには、二度目だ」
「……兄さんと、来てたのか?」
「ああ。エンゲージを交わしたのが、このホテルだった」
「なーんだ。案外近くに居たんだな。しかも思考が同じとか、双子って嫌だねぇ」
 嫌だと口にしながら、ライルは笑った。
 兄の死を告げた時、支配人は心底驚いた顔をしていた。
 その意味が、漸く分かる。
 彼は会っていたのだ。
 成長した兄に。
 だがどうも、ソランが兄が連れていたフィアンセだとは気が付いていない気配が伺える。
 写真や映像の中の、兄と関係があった頃のソランの容姿を思い出して、また笑ってしまった。
「……嫌な事を、言っただろうか」
 ライルの笑いの意味を勘違いして、ソランは心細げに視線を投げてくる。
 ソランは極力、ライルの兄、ニールの話はしない。
 それはライルに対しての愛情だった。
 世間一般の男なら、以前の男など、嫉妬の対象以外の何物でもないからだ。
 それでもそれはライルには当てはまらない。
 何度も妻には告げているのにと、兄を含めて愛を囁いているライルは笑ったのだが、それがソランには、どうやら苦笑に見えたらしい。
 そしてライルの愛を失う事を恐れている。
 こんな彼女は初めてで、ライルを付け上がらせるのには十分だった。
「嫌じゃないさ。兄さんは我慢し切れなくて子供みたいなお前とここに来たけど、俺は絶世の美女と来てるんだぜ? ちょっと優越感」
「……褒めすぎだ」
「こんなん、まだまだ。全然言い足りない。綺麗だよ、ソラン」
「……ばか」
 頬を染めて、窓際のテーブル席から、整えられた庭を眺める。
 その横顔も、文句のつけようのない美しさだ。
 二人きりの初めてのこんな時間に、ライルも酔っていた。
 少し会話を交わしているうちに、支配人とシェフが、二人揃ってテーブルにやってきた。
「再び当店をご利用くださって、有難うございます」
 シェフがする挨拶が、兄に対しての言葉なのか、ライルに対しての言葉なのか分からずに微笑めば、シェフはにっこりと笑ってくれた。
「ライル様、私があなた様の入学祝いのお料理を担当させていただいたのですよ?」
「ああ、そうだったな。……とはいっても、俺も子供の頃の話で、よく覚えていないんだけどさ。悪い」
「仕方ございません。お元気なお子様でいらっしゃいましたし」
 照れくさい子供の頃の話に、二人で笑ってしまう。
 シェフの背後から、支配人が二本のボトルを手に現れた。
 その手には、ひとつは見慣れた銘柄のワイン。
 父が好んで飲んでいたものだ。
 だがもうひとつは覚えがなかった。
 視線で問いかければ、支配人は笑う。
「お兄様のニール様が、最後に当店をご利用下さった時に、ご注文なさったものです。同じ方をお好きになられて、ご結婚までされたという事ですので、こちらも思い出の一品かと」
「……気が付いてた?」
 てっきり気が付いていないと思っていた事を言われて、目を見開いたライルに、支配人はにっこりと笑ってくれた。
「お二人とも、御目が高いと、感心させていただいております」
 ちらりとソランに視線を送り、支配人はウィンクをソランに投げた。
 気が付かれていた事にソランも驚いたらしく、パチパチと忙しなく瞬きを繰り返す。
「私はご幼少の頃よりお二人を存じ上げておりますが、お二人とも、素敵な男性にご成長なさっていて、とても嬉しく思っております。そしてまた貴女にお目にかかれた事が、とても嬉しいのです。デザートは、あの時のものをご用意させていただいておりますので」
 その時の遣り取りを思い出したのか、ソランは少しだけ悲しそうな笑顔を支配人に向けた。
「二夫に跨るのも不道徳かと思いましたが、これもお導きなのだと、そう思いました。この土地は、私に素敵な縁を二つも下さった、掛け替えのない場所です」
「先ほど、ドアを潜っていらっしゃった貴女様を見て、私もお導きを感じました。またこの場所でお会いできた事を、心から嬉しく思っております」
「ありがとう。ですが、デザートは出来れば変えていただきたい」
 ソランの要望に、支配人は少し考える素振りをした後、また笑った。
「配慮が足りず、申し訳ございません。それでは今夜は、ライル様との思い出になるようなデザートをご用意させていただきます」
 支配人の言葉に、ソランは微笑んだ。
 その遣り取りを見届けて、ライルはワインをチョイスする。
 選んだのは、今度は逆に、ニールが注文した銘柄だった。
 二人の心遣いの遣り取りに、支配人の笑顔は深くなる一方だった。
 静かにボトルを開けて、二人分のワイングラスに注ぐ。
 前回ソランのグラスには、オレンジジュースが注がれたが、今度は二人とも同じものを注がれた。
「それではお料理の到着まで、少々お待ちください」
 恭しく頭を下げて、支配人は席を辞していった。
 再び二人きりの席になった所で、ライルはワインをソランに傾ける。
「じゃあ、初めての俺たち二人だけの夕食と、ソランの成長に、乾杯」
 ここに訪れた時のニールとソランを想像して、ワインを共に飲める自分達を強調し、ライルは笑ってソランのグラスと合わせた。
「初めてではないが……いや、初めてだな」
 こんなにゆったりと愛し合えた時間は初めてであったと、状況を先に判断するソランも気が付いて笑う。

 ずっと側にいるのが当たり前である子供もいない。
 緊急の呼び出しも無い。
 ゆっくりと流れるライルとの時間が、ソランも酷く愛おしかった。

「ニーナに感謝だな。四句節なんて、大混雑だ。今度からウチもユニオンの母の日に乗るか」
 料理をゆっくりと食べ終えて、美しく飾られていたデザートもテーブルを去った後の紅茶を口にしながら、ライルは笑う。
 ソランはライルの心地いい声を耳にしながら、それでも酷く現実的な事を笑いながら告げた。
「いや、多分今年限りだろう。来年あたりからは、カミラが許してくれそうに無い」
 第三子である彼女は、同じ子供の上の二人を見ている所為か、非常に成長が早いのだ。
 言葉も早かったし、更に母の真似事を始めるのも早かった。
 おそらく今年のような時間を持ちたいと望んでも、「自分も」と言い出すのが目に浮かぶ。
 未来の想像に、お茶を楽しみながら二人で笑った。
「確かに。次は……そうだな……20年後くらいになるのか?」
「その時には多分、敬老の日にも祝ってもらえる」
 長女の年齢を考えてソランが伝えれば、ライルは笑った。
「ユニオンには、そんな日もあるのか?」
「日本ではあったな。一時期住んだ事がある」
「日本? そんな所に住んだ事があるのか?」
 初めて聞く事柄に、ライルは何気なく返す。
 そして妻の行動原理である日本女性に、酷く納得した。
「少しだけ、だがな。でも多分、お前も行けない」
「なんで」
「日本語が話せないと、あの国ではまともに観光すら出来ないんだ」
「あー、聞いたことあるな、それ。俺も片言だからなぁ」
 ライルの言葉に、今度はソランが目線を上げる。
 意外だと語る視線に、ライルは片目を瞑った。
「お前、俺の職業舐めるなよ。片言でいいなら、6ヶ国語は頭の中にある」
 通信での遣り取りの経験はあると告げれば、ソランはまた笑った。
「ならやはり、お前は兄より出来る男なんだな」
「兄さんか。あの人は話せなかっただろうなぁ。なんと言っても自分の興味のあること以外は、まったく眼中にも入れなかったから」
 物理学の天才と呼ばれていた、兄の子供の頃を思い出して、ライルは笑う。
 ライルとニールの出身であるAEUは、学業に関しては他の国の追随を許さないレベルの高さだった。
 それが逆に子供を縛り、才能を伸ばすという目的を持たれて、他の国よりも早く学年をスキップできる制度があったのだ。
 ニールはそれを利用して、11歳の時に大学生になった。
 その研究分野が物理学。
 だがその研究の論文の殆どは英語で書かれていて、更に古代物理学を学ぶにはドイツ語だった。
 日本語で展開されている論文は無く、また日本人が書いた論文も英語に翻訳されているものが殆どで、ニールは地元のAEUの言語以外は見向きもしなかったのだ。
 逆にライルは、学業はゆっくりと進めたが、その分他の興味も絶やさなかった。
 授業以外の言語や分野。それに付随する雑学を、楽しんで学んだ。
 故に、社会に出た後は、その知識が重宝された。
 天才ではないが、一般人よりも秀でた頭脳。
 社会には一番求められたものだった。
 ライルは自分が保持している豊富な分野を売り込み、普通に大手の会社に就職ができた。
 だがニールはそうはいかなかった。
 兄という責務も感じていたのだろうが、それだけでは無かった事情は、大人になって理解できた。
 そしてCBに入り、兄の大学卒業後の進路を知った。
 研究に勤しむ財産を持ち合わせていない彼に残されていたのは、銃の腕前だけだったのだ。
 ライルの生活と、自分の生活の為に、彼は成績だけを競う的ではなく、人に銃口を向けた。
 そして、愛する女との生活も満足に送る事もできずに、宇宙で散った。
 天才であったが故に、悲しい人生しか送れなかった彼を思うと、胸が痛む。
 それでも愛しい女の前で、彼女の前の男の悲しさを語る事は出来なかった。
「でも、会社の中では共通語なんだろ? 通信にでた受付の子は、最初に普通に共通英語話してたぜ?」
 話題を兄から変えるために、ライルは日本の事情を妻に問う。
 ソランもそれが分かっているという間で、ライルに答えた。
「……そう、だな。だが皆、会社を離れると忘れてしまうらしいんだ。だから専業主婦をしている人などは、大抵母国語のみだった」
「そういうものかね」
「そういうものだ。使っていなければ、言葉など忘れてしまう」
 ソランはそう言った後、少し悲しそうに笑った。
 その意味を悟り、ライルはおどけて片言で話しかけた。
『なら、時間で家の中の言語は変えるか』
「ッ!」
 ソランが驚いて顔を上げたのは、ライルの口からアラビア語が飛び出したからだった。
 妻の母国語位は当然と、ライルは口元を引き上げて目を細める。
 楽しんでいるライルに対して、ソランは日本語で返した。
『子供達が混乱するだろう。特にダニエルは今が言葉を覚える時期だ。先ず母国語からだろう?』
 ソランの言葉を受けて、暫く視線をめぐらせたライルは、今度はフランス語で返す。
『子供って、自然と言語を受け止めるらしいぜ? 今から教育するのも悪くない』
 フランス語を受け取って、ソランは中国語で返した。
『友達との交流に関わる。最初はしっかりと母国語を覚えた方がいい』
 ソランの言葉をまた暫く考える素振りをして、ライルはドイツ語を返す。
『平気じゃないのか? 外は外ってなるだろ?』
 ライルの言葉に、今度はソランが考える素振りをして、ギリシャ語で返した。
『マシューの件もある。怖がる要因は、あまり作りたくない』
 ソランの言語に、ライルは一頻り考える素振りをした後、殊更楽しそうに笑った。
「悪い。その言葉はわかんねぇ。お前に頭で勝とうとした俺が浅はかだった」
 両手を挙げて、降参の意思を示す夫に、ソランも笑った。
「ギリシャ語は俺も片言だ。これ以外は、ロシア語とイタリア語とヒンディー語だけだ」
 世界の主要国家の言葉を網羅している妻に、それでも自分の知識に自信がない素振りの言葉で話されて、ライルは肩をすくめて突っ込んだ。
「十分過ぎるだろ。お前、世間舐めてるな」
 ライルの言語能力は、以前勤めていた会社で高い評価を受けていた。
 またカタロンでの活動でも、各国の母国語しか話せない仲間の通訳もしていたのだ。
 それでも全てをフォロー出来ていたわけではない。
 昔、出合った頃に仕入れた彼女の頭脳の情報を、改めて突きつけられた。
 もしかしたら、兄など足元にも及ばない天才なのかもしれない、と。
 不幸な境遇の元に生まれて、子供の頃に学習できる環境を得られなかったソランは、世界平均から自分の能力を推測する事が出来ない。
 故に、いつでも自分の能力を卑下するのだ。
 世間の人間が聞いたら、驚きで絶句するような、そんな能力を保持していながら。

 二人で言葉遊びで笑っていれば、会話の切れ間をうかがい見てくれていた支配人が、二人のテーブルに歩み寄った。
「ディランディ様、お部屋の用意が出来ております」
 食事の前まで、ライルを名前で呼んでいた支配人は、改めて苗字で話しかけてきた。
 その意味を、ライルは悟る。
 彼の中で、ライルが家の主人になったのだと。
 実際、ライルはディランディ家の最後の一人で、現在、その血を伸ばしている家族の長だ。
 それでもどこと無くくすぐったい。
 過去の家族構成では次男であった所為か、自分がその名前で呼ばれる事を想定していなかった。
 小さく笑って、それでもホテルのレストランのテーブルを立つ。
「悪いな。二時間位しか使わないのに」
「とんでもございません。使って頂けて光栄です。またお付き合いが出来るだけで、私はこの仕事をしてきた幸せを感じられます」
「家は、地域抗争で移動した先なんだ。また使わせてもらうよ」
「お待ちしております」
 恭しくお辞儀をして、支配人は去っていった。
 そしてテーブルの上には、一枚のカードキーが置かれていた。
「もうちょっとだけ、ニーナに頑張ってもらおう」
 ライルは笑って、ソランの椅子を引いて、綺麗にネイルが施されている手を取った。





next


せっさんは、武力介入に派遣された国の言語は全部習得してます。なので種類が豊富なんです。
ライルも同じような理由で、仕事に関係する場所の言語を習得していたと。
兄さんはミッションの成功だけしか頭に無かったよ。人の目につかない様に渡り歩いてました。これも癖。暗殺だったからね。
で、ホテルですが、Willに出て来た場所です。まだあの時は兄さんは言えなかったけど、こういう理由でのホテルのチョイスでした。
記念日にはココって決まっていたわけですよ。
でも支配人さんに名前は伏せてもらってました。適当に理由言って、ちゃんと「ロックオン・ストラトス」で予約入れてましたよ。