貴女といられた幸福な日々6

2010/04/23up

 

 刹那の鋭い視線を浴びて、『それ』はあらましを説明してくれた。
「だけど勘違いすんなよ。『俺』は、ライルが望んだ時にしか、引き寄せられない。それ以外は何してんのかは、自分でもわかんねぇ。託児施設の記憶もあるけど、それは大抵『ライル』が望んだから俺はいた。子供の側に、俺の存在を望んだ。誕生日もそう。いつでも「いてくれたら喜ぶのに」って、ライルが考えたからだ。当然今日だってな。全部、ライルの執念の賜物だ」
 肩をすくめて、刹那が納得しない説明をする。
 それならば何故と、思ってしまっても仕方がない。
「……俺の為じゃないのか? 何故、もっと早くっ! 何か合図でもしてくれれば!」
「お前だって言っただろ。『精神科に相談しようと思った』って。それは、普通から見れば当たり前の反応だ。双子や兄弟でたまにある、『馮意』っていう精神医学的病気にしか見えない。死んだ双子の片割れ、または兄弟なんかの親しい人を自分の中に取り込みたいと強く願った時、表情も発声も変わっちまうヤツだな。俺があのままお前に伝えた所で、ライルが精神病患者にしか取られないのは、それをお前に教えた俺の方がわかってるんだよ。だから、じっと見させてもらった。でも一回聞いただろ? 「今、幸せか?」って。それに、合図はしてただろ。ミルクティ。だからお前だって気が付いたって言っただろ」
 一通り話して、出されて少し時間が経ったミルクティを口に含み、「ぬるい」と文句を零す。
 あまりにも自然な動きに、刹那以外はぴくりとも動けなかった。
 そんな二人に、『それ』は苦く笑う。
「まあ、驚くわな。21年前に死んだ男なんて、現実的じゃない。っていうか、最初は俺もびっくりしたし。宇宙空間漂ってたって思ったら、一瞬白くなって、次に気が付けば自分が浮いてたんだからな」
 やっぱり最後が宇宙だから、重力感じられないのか? などと、どうでもいい事の相槌を刹那に求める。
 楽しそうな男の姿に、その娘と旧知の仲間は呆然としてしまい、話に加わる事が出来なかった。
 一頻り懐かしい口調を耳にして、刹那はふうっと大きくため息をつく。
「……取りあえず、身体はライルに返してくれ。まだまだ話したい事はあるが、筆談でも何でも出来るだろう。今日だって話しかけただろう。ライルだってお前に会いたいだろうしな」
 落ち着いた刹那の声に、ライルの身体は笑う。
「出来ないんだな、それが」
「何故だ」
「だって、今の状況も俺の意思じゃねぇんだもん。いつだってライルの意思。今までだって話しかけてたけど、通じたのは今日が初めてだ。毎年同じ時間にこの身体に入るのも、殆ど強制。いつの間にか入ってて、俺は重力とか匂いとか、生きてる間にしか感じられない事を感じる。それでいつの間にか、出てるの」
 その言葉に、刹那はぴくりと眉を上げる。
「……やはり、精神科の領分か?」
「さあ。だけどはっきりわかってるのは、俺は自分の意志を持ってる。ライルが知らない事だって、多分知ってる。例えば……そうだな。ニーナが最初にCBの託児施設に預けられた時、夜中にこっそりホームシックで泣いてた事とか、二人でまだ世界回ってる最中に、刹那が偵察出た時に、誰も入れちゃダメって言われたのにアイスにつられて訪問販売の人家に上げちゃったとか、アロウズとの戦闘が始まった時に、保育官に「自分も行く、ナイフ使えるから」って駄々捏ねた事とか、後は……」
「ちょ、ちょっと待ってよ! なんでアタシの事ばっかりなのよ! マム、マムの事は!?」
 このままではあらぬ事までバラされそうだとニーナは焦り、慌ててストップを入れた。
 そんな娘の様子を無視して、温いと文句を言いつつもミルクティを口に含んだロックオンは、さらりとニーナの納得のいかない事を零した。
「だって、刹那の事は殆ど見えなかったんだよ。だから話せる事って言ったら、お前のことになるの」
 確かに、ニーナに取っては不名誉な事や気まずい事ばかりで、両親に話していない事ばかりだ。
 故に、真っ先に信じたのはニーナだった。
 そしてその反応に、他の大人二人も納得を見せる。
「……そうか。アイスにつられて、か。あの時の盗聴器は、そうやってつけられたのか……」
「戦闘に「自分も行く、ナイフ使える」って……あれ、何歳だ?」
 母親と夫が納得を見せているのを、慌ててニーナは訂正を入れようと口を動かすが、立上がって慌てた時点で、既にそれは肯定の意思を示している事を表していて、もうどうにもならない。
 子供の頃の恥ずかしい歴史を並べられて、ニーナは半泣きになる。
 それでも『父親』の口は止まらない。
「俺的には注意入れたかったけど、肉体ないしな。それにやっぱり最大の出来事と言えば、アレだな。ライルの一番上のマシューが、託児施設で虐めに合いそうになった時の年上の野郎への……」
 うんうんと頷く父親に、本気でニーナは泣いて縋った。
「わかったから! 信じるから! お願いだからそれ以上言わないでー!」
 式では涙の機会を逃したが、その分の涙が今流せると思った程慌てて、思いっきり父親に縋る。
 感動云々の前に、恥ずかしさで泣けると本気で思った。
 胸に取りすがられて、一瞬驚いた顔をした後、彼曰く『ロックオン』は、苦笑を漏らす。
「……んじゃまあ、ネタばらしはこのくらいにして、なんで刹那の事が見えなかったかって言うとな。やっぱりライルの意思なんだと思うんだな」
「ああ、そう言う事か」
 頷くラッセに、刹那は首を傾げる。
 眉を寄せた刹那に、ロックオンは素直に笑った。
 結局どれだけ背が伸び、身体が大きくなろうとも、本質は変わらない。
 度々見て来た姿だが、目の前の反応に、改めて思ったのだ。
 昔と変わらずに視線で問いかけられて、宥めるように頭を撫でる。
 その手の感触に、刹那も驚いた。
 わかっていたつもりだが、どこかでまだ疑っていた部分があり、その動作を夫の身体がする筈がないと思い込んでいたのだ。
 大人になってから出会ったライルには、当然そんな事はされない。
 大切にはされているが、子供扱いの様な仕草など、当然ソランにはしなかった。
 目を見張る刹那に、ロックオンはもう一度柔らかく笑う。
 そして昔と同じように、言い聞かせるように説明を施した。
「男の嫉妬だよ。ライルはお前に俺は近づけたくなかったの。その割には都合のいい所は呼ぶんだけどな。主に俺が呼ばれてたのは、やっぱり自分の娘についてだったって事。コイツ、本気で俺の事無責任だってののしってるからさ」
 自分の身体を指差して、他人事のように笑う。
 実際に話しているのは昔のロックオンなのだから、ある意味他人事なのだが、それでも違和感がある。
 初めて目にする光景に首を傾げつつも、話を続けた。
「でまあ、俺が出てこられるのはライルが呼ぶからなんで、自分の意思ではなんも出来ない。ちなみに今年は刹那の誕生日の夜には身体に入れなかった。でも朝からこの家にはいたんだぜ? 不思議だなぁって思ってたら、何故かそこからずっと帰れなくなった。しかも、なんでかいつもなら近寄れないのに、ライルが側に呼ぶんだよ。だからこの二ヶ月ばかりくっ付いて歩いてたんだけど、ライルはご都合主義だから、刹那といい感じになると、俺の事遠ざけるんだよ。そんでさっきラッセを呼んだのは、お前の我慢が切れそうだったから。流石に妊婦に手を出すのはダメだろ。なので、遠ざけられたからいい雰囲気になってるのはわかってたけど、俺は弟より娘が大事なんで、犠牲になってもらいました」
 全てを話し終えて、両手を広げて肩をすくめて、色々な事に対してお手上げと表現する。
 ロックオンの言葉に、ラッセと刹那は赤面してしまう。
 その横で、ニーナだけが幸せそうに頬に手を当てて喜んでいる。
 強引に押さなければそんな気など起こしてもらえないと思っていたのだ。
「だけどなぁ……なんで今俺、こんなに長くコイツの中に入ってるんだろう?」
「そう言えば……いつもの15分なんて単位じゃないな。しかもライルがいつも全力で祝ってくれている俺の誕生日でもないし、不思議だ」
 二人で顎に指を当てて考え込んでしまう。
 その雰囲気は、当然ライルとソランの時とは違う。
 時間の所為か、はたまた死に別れている事理解しているからか、普通ならありそうな「やっと会えた」との感動的な物ではない。
 それにニーナが首を傾げた。
「……あのさ、普通はそこでそんな事悩まないで、会話出来たり会えたりした事喜ばない? 一回死んじゃうと、恋愛感情もリセットされちゃう物なの?」
 娘の言葉に改めて現状を突きつけられて、ロックオンと刹那は視線を合わせる。
「……そう言えば、そうか」
「いやでも、俺達ずっとこんな感じだったからなぁ」
「うへぇ……マム、よく結婚する気になったね」
 あまりにも甘い空気とかけ離れた二人の様子に、ニーナはいつもの『奥さん大好き』なライルの様子を思い浮かべて、それが当たり前の夫婦だと思っていたので、改めてライルに育ててもらえて良かったと思った。
 もし生きていて普通にこの両親に育てられたら、絶対に今の感覚は身に付かなかっただろうと確信する。
 そして両親は、再び今の謎に思考を向けてしまったらしく、沈黙が続いた。
 誕生日から戻れないニール。
 今年の誕生日が特別だったのは、色々な意味で特別だった。
 結婚の報告があったり、刹那には予め知らされていたが、ライルが妊娠報告に動揺したり、ラッセが挨拶に来たり。
 その中に原因がと考えていると、ニーナが「あ」と、何かを思いついたように声を上げた。
「あれだ。ネックレス」
「……ああ、それで思い続けていたのか」
 母子の会話に、ラッセが首を傾げる。
「なんだ、ネックレスって」
「毎年の事だったんだけど、マムの誕生日は、マムはニールとのエンゲージのネックレスつけてたの。記念日だったんでしょ?」
 父親の身体の中に入っている実の父親に問えば、「まあな」と軽く返される。
「それを、アタシがもうヤメなよって言っちゃって、ダディが超怒った。人の気持ちをもっと考えろって。アタシに言っといて、自分の方がよっぽど考えちゃったんじゃないの? ダディ、なんだかんだ言って、マムが幸せなら何でも良い人だしね。あとはアタシかな? 父親と話させてやりたいとか、また余計な事思ったんじゃないの?」
「余計な事って……それはないだろう」
 娘の辛らつな言葉に、その夫たるラッセは眉を寄せて、その背後でライルよりも少し低い声の爆笑が起こる。
 同じ声質でも、人によってはこうなるのかと、改めて三人は思ってしまう。
「あー、すっげぇ腹筋いてぇ。お前、ほんと刹那の娘だよなぁ。むやみやたらにクール。その割には行動突拍子もないしな」
 また何かを言われそうな空気に、ニーナは認識した父親を睨む。
 その視線に、ロックオンはニヤリと笑って返す。
「生意気。いいぜ、いくらでもネタはある」
「プライバシーの侵害で、墓石に落書きしてやる」
 まるで、ずっと一緒に居た親子の様な会話に、ラッセこそ首を傾げた。
「なあ……お前こそ、刹那以上にロックオンと話したい事とかなかったのか?」
 初めてだろう父親との会話を考えて純粋に疑問に思い、新妻に問えば、その新妻はけろりと返す。
「ないよ。だってソウイウ役はライルだもん。ニールもダディだとは思ってるけど、やっぱり生活でのダディはライルだよ。仕込んどいてくれて有り難うとは思うけど、育ててくれたマムの苦労考えると、素直に言えない様な気もするしね」
 明け透けで、あからさまな言葉に、ラッセはひくりと頬を引き攣らせた。
 別に彼女に乙女を夢見ていた訳ではない。
 普段の訓練やシュミレーションなどを見ていれば、そんな夢は抱けない。
 流石刹那とロックオンの血を継いでいると言う感想は出るが、女としての感想など、それこそ抱けない。
 まだ口に出してはいけない台詞が飛び出しそうになり、ラッセは口を閉じた。
 ラッセの様子にロックオンは再び吹き出し、刹那は黙って紅茶を口に運ぶ。
「……で、話は戻るけど、ダディはどうしたいの? ライルの事を考えれば、そろそろちゃんと幽霊に戻った方がいいと思うけど」
「あー、そうなんだよなぁ。つか、いい加減幽霊もヤメたい。お前ら、ライルにいい聞かせろ。都合のいい時に呼び出さないで、キチンと地獄に送ってくれってさ」
「死後の世界の事情には、俺達は詳しくない。死んだ人間がいい聞かせろ」
 あっさりとし過ぎる親子と元夫婦(?)の会話に、ラッセは思わず遠くを見つめてしまう。
 それでいいのかロックオンと、口に出そうになるのをぐっと堪えた。
 だが、何かに気が付いたらしいロックオンがいきなり奇声を上げた。
 何事かと3人が視線を集めれば、ロックオンは自分の(ライルの)手を眺めている。
「そうだよ! 俺今肉体あるんじゃん! やってみたい事あるから、それから方法考えていいか!?」
 まさか未練があったとか、と、3人が真剣な視線をロックオンに送ると、その口から出て来たあまりにも馬鹿馬鹿しい言葉に、視線を送った事を後悔した。
「俺、刹那の乳揉みたい! こんなに立派になるなんて思ってなかった! その重量を感じてみたい!」
 くだらない要求に、思いっきり3人はソファに沈む。
 緊張を返してくれとラッセが思ったのと同時に、隣りの新妻から言葉が溢れる。
「……貧乳好きだったんじゃないの?」
 ニールの撮った母が子供の頃の写真や映像を見ていたニーナは、そんな感想を漏らす。
 それにロックオンは反論した。
「バカか! 俺は普通の男の嗜好だ! 一生懸命育ててたんだよ! ああ、それだけはホント心残りだったかも……!」
 頭を抱えて、本気で悔しそうな様子に、元同僚と元妻は、「心残りはそこかよ」と突っ込みたいのをぐっと堪える。
 確か自分達は『紛争の根絶』を共通の目的に掲げていた筈だった。
 現在の世界には当然戦争が無くなる事は無く、それでも抑止力的な水面下の行動を続けているが、その作戦に参加したいのではなく、亡き人の言った言葉にがっくりと項垂れてしまう。
 そんな中、娘だけは冷静にツッコミを入れる。
「普通とか……ならなんで16歳とかに手を出したかな……。自分の親ながら、ホント犯罪だから」
「はっはーん。悪いな。最初に手を出したのは16じゃない。15だ」
「何えばってんの。尚悪いじゃない。……まあ、揉みたいなら揉めば? アタシ以下、5人で吸いまくってるから垂れてるかもしれないけど」
「垂れる余分が素晴らしいだろ! マジで男の胸と変わらなかったんだぞ! 真剣に自分の性癖を悩んだ事もあるんだからな! だけど俺の目には狂いはなかった!」
 感嘆に打ち震えている実の父親に、ニーナは思いっきり冷たい視線を浴びせた。
 確かに夫が言った通り、多少は言いたこともあった。
 文句も当然ある。
 だが、この馬鹿馬鹿しい会話で、そんな気分も萎えてしまう。
「お前達……人の乳の行く末を勝手に決めるな」
 親子にツッコミを入れる刹那の言葉も、どこかおかしい。
 それでも同僚の胸事情に、異性のラッセが首を突っ込める筈もなく。
 武力介入前の、穏やかな馬鹿馬鹿しい日々を思い出して、苦笑しつつため息を零した。
 いつでもお騒がせだった二人を思い出す。
 その雰囲気のまま、ロックオンは初めてソファを立上がって、刹那の手を掴んだ。
「んじゃ、揉んでくる。それで昇天出来たらもう会う事もないだろうから言うけど、二人ともお目出度う。ラッセは俺の分まで長生きしてくれ。ニーナはお父さんの下の世話までするように。ライルに感謝忘れるなよ」
 すちゃっと手を挙げて爽やかに馬鹿な事を言う父親に、ニーナはため息を零す。
 本当に、周りの人達が言う通りに、優しい馬鹿な男だと思ったのだ。
 一度も自分を抱きしめなかったのが、その証拠だと思った。
 ライルなら、ニーナがそばに寄れば必ず抱き寄せる。
 いつまでも子供扱いが抜けないのだ。
 それをしないのは、おそらく自分に心が残らないように配慮しているのだろう。
 あとは、何度かライルが呟いていた事を思い出した。
 酷く臆病な男だったと。
 死んだ自分に心を残して、苦しむ自分達を見たくないとでも思っているのだろう。
 この先、今まで通りならば、もしこの父親が側に居ても、それを知る術は自分達には無い。
 非科学的な現象だが、それ故に、ニーナは父親の行動にストップを入れた。
「……いや、マムの乳揉むのはいいんだけど、その前に、意識と肉体があるなら、アタシの事一回位抱っこしてよ」
 娘の言葉に、ぎくりと言う擬音が聞こえそうな程、ロックオンは固まった。
 端から見ていて、これ程動揺した彼は見た事が無かった。
 また、ライルでは考えられない動作だ。
 長年ライルと付き合っている3人には、その違いがよく解る。
 甘え上手で軽い性格だが、ライルは滅多に人に動揺は見せない。
 いや、滅多にと言うか、ソランですら殆どお目にかかった事が無かった。
 何故かと言えば、それはやはり性格の問題で。
 見かけとは裏腹に、ライルは思った事は覆さず、また自分の欲求を隠す事もしないのだ。
 そんな彼が動揺する事態など、略無い。
 散々確認はしたが、やはり本物だと、3人は非科学的な現象に感謝してしまった。
 じっとりと父親を見るニーナに、ロックオンは音が立ちそうな程ぎこちない動きで振り返る。
「おま……抱っこって年じゃ、ないだろ。旦那に抱いてもらえ」
「それは意味が違う。抱っこは抱っこでしょ。折角幽霊になって、その上ダディが身体貸してくれてんのよ? マムの乳もチャンスだけど、アタシもチャンスに入らない?」
「はい……らない。ライルに悪い、し」
「はい、どもってるどもってる。それに、さっきの説明だと、ライルがニールを呼んでるんでしょ? ならアタシの事なんて、それこそライルが望んでる事でしょ。問題ない。あと、普通に考えれば、マムの乳揉むのよりも、アタシを抱っこする方がマシじゃないの?」
 自分の奥さんに手を出されるよりも、本当の自分の娘を抱きしめる方が自然にライルは受け入れる筈だと突っ込めば、俄にロックオンは俯いた。
 僅かな角度の変化に、緊張の具合が滲み出ていて、あまりの不器用さに娘も笑ってしまう。
 何故母がこの男に惹かれたのか、何となく理解してしまった。
 底抜けに優しくて、臆病で、それでも諦めきれずに自分の生きる意味を追って死んだ。
 馬鹿だとは思うが、憎めない。
 徹底的に母性本能をくすぐられると、笑いたくなった。
 相手を尊重し過ぎて、自分が出せない父親を見て、これから先、せめて安らかな時間が彼に訪れるようにと、その未練の一端を、自分も子供を宿して感じた感情と照らし合わせて削ぎ落とそうと、ニーナは父親に手を伸ばす。
 先程ニールは『ライルの執念の賜物』と自分の存在を語っていたが、聞く限りでは本人にも大なり小なりの心残りがあったのは、少ない会話でも読み取れた。
「ほら、自分の遺伝子だよ。ちゃんとニールは子供を残したんだよ。一回くらい抱きたいでしょ? アタシも触れ合っときたい。それでこの子が産まれたら、『お前のじいちゃんヘタレだった』って言ってやるの」
 まだ平らな下腹部を撫でて、笑う。
「だけど……俺の身体じゃないし、意味ないだろ」
「いやいや、中身は大切でしょ。ほら、考えてみてよ。もし今のマムの下着が、超スケスケの黒のレースとかで、あの子供からは想像つかない中身だったらどう? それを知ってても、服の上からだったら普通に見える?」
「……見え、な……い。お前、嫌な例えするな」
「そのくらい言わないと、素直になって貰えなさそうなので。……ほら、早く。いつ出されちゃうかわかんないんでしょ?」
 立上がって、視線を揺らしている父親の前で、両手を広げる。
 それでも戸惑っている様子に、笑いをかみ殺してニーナは抱きついた。
 身体はいつものライルと当然変わらない。
 だがやはり、自分の身体に回された腕の力は、全然違う物だった。
 壊れ物のように、それでも次第に力が篭り、躊躇いと思いの強さを伝えてくれた。
 小さく震えている身体を、娘は軽く叩く。
「……愛してる。見守ってくれてて有り難う。結婚式に出てくれた事も、本当に嬉しかったよ」
「俺は……謝って許される事じゃないけど……寂しい思いさせて、本当に悪かったって、思ってる。馬鹿な親父でゴメンな」
「ほらまた、肝心な事言ってない。アタシをちゃんと愛してくれてんの? 『ゴメン』なんて謝罪を聞きたい訳じゃないんだよ?」
 散々促されて、やっと溢れ出た声は、それでも震えていた。
「愛、してる。そんな事、俺が言う資格なんて無いってわかってるけど、お前の事も、刹那の事も、ずっと俺は……っ」
「うん、わかってる。アタシ達も、もし本当にこの先にダディが見えなくなっても、ずっと愛してるからね」
 最初は戸惑っていた腕は、いつの間にか縋り付くようにキツく抱きしめていた。
 離れがたいと語る腕に、ニーナは手をかける。
「アタシ、幸せ者だ。お父さんが二人も居て、マムにラッセ。弟や妹も沢山居て、ホントに幸せ。だからもう、アタシの事は気にしなくていいよ」
「……っ、おまえ……」
 今日は何度も見ている筈なのに、今の父とは違う今にも泣きそうな顔に笑って、唇と頬に親愛の情を贈る。
 触れた熱にびくりと身体を震わせる、見慣れない父の背中を押した。
「ほら、やりたい事あるんでしょ? でもあんまり羽目外さないでね。あくまでも今の『刹那』は、ライルの奥さんだよ」
 押された念に、ライルではあり得ないへたくそな笑顔で、『ニール』は笑った。
「……わかってるよ。お前も、妊娠中は自粛しろよ。ちゃんとマムの言う事聞いて……」
「はいはい。わかったから早く行った行った。追い出されても知らないよ」
 リビングの扉にニールを追いやって、おそらく自分で気が付かない涙を流している母親もついでに押した。
 今の現象は、ニールが言う事が本当なら、ライルがプレゼントしてくれた奇跡だ。
 その気持ちを無駄にしたくないと思い、両親に娘はウィンクを投げる。
「もしライルが今の事を覚えていなかったら、内緒にしてて上げるよ。マムもダディの未練を断ち切ってあげて」
 ゴーストバスターな気分で、母親に言い含めて、リビングから追い出して扉を閉めた。



 静かになった慣れた家が、ニーナには別物に感じる。
 教会から帰って来た時には感じなかった思いが、胸を占める。
 扉に手をついたまま、その感覚に酔っていると、夫が肩に手をかけてくれた。
 暖かさに導かれて、言葉が溢れる。
「……夢、かな」
 産まれた時には既に居なかった父親が、自分を祝福し、更には抱きしめてくれた。
 他の同年代の子供達の中でも、父親が居ないと言うのは別に珍しい事ではなかった。
 それでも、どこかに生きているのが当たり前で、離婚したという両親を持つ子供は面会日を楽しみにしていて、当たり前のように父親の事を口にする。
 そんな当たり前が、ニーナにはずっと眩しかった。
 母親の愛情が足りなかった訳ではない。
 十分に与えられた。
 寧ろ一人だと言う事で、気を使われていたのを幼い頃から感じていた。
 ライルもずっと、気にして育ててくれた。
 それでも実の父親の思い出が一切無い事が、寂しくないかと言われれば、それは否と答えるしかない。
 そんな寂しさが、一瞬にして満たされた。
 誰も知らなかった自分の事を知らされたからと言うだけではなく、見慣れている筈の父親の表情の違いに来たついた時、直ぐにわかった。
 控え室に姿を見た時も、『ライルに似通った人』では無く、ニールだと、実の父親だと、違いを目にした時に直ぐに気が付いた。
 双子だと伝えられていたし、写真で死ぬ前の若い父親は見ていたが、それでも最近は流石に40を越したライルには貫禄があったし、渡されていた写真との違いはわかる。
 だが、そんな事で判断していた訳ではない。
 心がすぐに反応したのだ。
 20年抱えていた物が霧散する感覚に、呆然とする。
 そんなニーナに、夫が優しく話してくれた。
「……驚いたが、あれは間違いなくロックオンだ。お前の、親父の方だ。ずっと一緒に居たから、俺にはわかる。あの馬鹿馬鹿しいまでの自己弁護の仕方は、アイツしか居ない」
 話し方は優しいが、辛らつな言葉に、思わず吹き出してしまう。
 確かに、と、同意してしまうのだ。
「ライルじゃあり得ないよね。先ず人の為に自分を誤摩化すとか、あり得ないし」
「そうだな。初対面の時はやはり似ていると思ったが、付き合っていくうちに、これ程正反対の兄弟も珍しいと思ったな。今もう一度痛感させられた」
 まったく同じ外見なのに、違う人間。
 双子だからこそ余計に感じるのかもしれないが、二人で感心してしまった。

 そして娘は、もう一度二人の父に心から感謝を贈る。
 ずっと見守ってくれていた実の父に。
 寂しい思いを汲み取ってくれていた育ててくれた父に。

 珍しいミルクの入った紅茶のカップに、彼を見る。
 小さく笑って、初めてそのカップを娘はキッチンに片付けた。
 もう今日は、あの二人がリビングに戻る事は無いだろうと辺りを整えて、夫に促されて自室に戻る。

 階段を上がる時に、少しだけ、両親の寝室に目を向けた。
 何の話をしているのかは想像がつかなかったが、それでも自然だった二人の様子を思い浮かべる。
 自分もいつか、夫とあんな雰囲気になれたらと、そんな事を考えながら、ライルが整えてくれた部屋に戻った。





next


説明とおちゃらけで誤摩化そうとして、兄さん失敗。
だから成仏出来なかったんですね。
ちなみにライルは呼びつけておいて、自分では全然感知出来ない人。
アホな兄弟だ……。
いや、ワタシの脳内がもうどうしようもない……(遠い目)。
ちなみに兄さんは、ライルのフリは出来ません。
疑似人格は出来ない不器用もの……の、ワタシの設定。