貴女といられた幸福な日々5

2010/04/22up

 

 新婦が妊婦と言う事もあって、午前中に始められた式は午後には終わり、パーティも夕方前にお開きになった。
 家に帰り着くと直ぐ、まだこの先も実家に暮らすニーナと、ニーナの部屋を改装して夫婦用に設えた部屋にラッセが籠り、子供達もはしゃぎつかれて眠ってしまった。
 全ての片付けが終ったのはもう夜の時間で、窓の外の穏やかな闇に視線を向けて、ライルはソランに尋ねる。
「結局、兄さんには会えたのか?」
 どうやら根性で姿を現したらしい兄は、結局ライルの前には現れなかった。
 娘に会いに来て、馬鹿馬鹿しい質問をして。
 お前は何がしたかったんだと、ライルは笑った。
 『産まれて来て良かったか』など聞かずに、どうして『おめでとう』と言ってやれなかったのかと、相変わらずの臆病さ加減に、同じ細胞を分けた双子として、何とも情けない。
 そしてその後、慌てて探しに出たソランがどうなったのか、この時間まで聞けなかった。
「……ああ、会えた」
 ライルのスーツの手入れをしながら、ふっと笑ってソランは答える。
 自分には見せないタイプの笑顔に、少し嫉妬を覚える。
 完全に頼り切った、子供の様な笑顔。
 仕方が無いと思いつつも、それでも何となく主張したくて、背後から細い身体を抱きしめた。
「……で、話せたのか?」
 今は自分の物になったと主張しながらも、気になって問えば、さらりとソランは答えてくれた。
「話……なのか分らないが、式の最中に、お前が空けてくれたニールの席に立っていて、俺にお礼を言って去った。まあ、もしその場で話が出来ていたとしても、俺は追い返したがな」
 あっさりとした妻の言葉に、ライルは首を傾げる。
 やっと会えたと言うのに、どういう事かと。
 抱きしめる腕に力を込めて続きを促せば、またソランは笑った。
「お礼など、まだ早いと言う事だ。ちゃんと皆が幸せになって、それで俺の天寿が来た時に、お前と一緒に迎えに来てくれれば、俺はそれで良かった。その時に言われたのなら素直に受け取れるが、今はまだ無理だ。いつでもアイツはタイミングが悪い」
「その上、肝心な事も言えないしな。どうしようもない兄で悪いな」
 言いたい放題に二人で言って、笑い合う。
 今は自然な会話になったニールの話に、二人で楽しむ。
 そんな空気が、たまらなく愛おしい。
 シャワーの後のボディソープの香りを嗅ぎながら、ライルはその幸せに酔った。
「でもさ、必死に探しに出ただろ。あの時は、追い返す為じゃなかったんだろ? 何言いたかったんだ?」
「きちんと約束を守っていると、報告したかっただけだ」
「約束?」
 聞いた事の無かった話に、ライルは抱きしめていた腕を緩めて、妻の顔を覗き込む。
 そこにはやはり、幸せそうな表情が浮かんでいた。
「『どちらかが先に死んだ場合、必ず次の相手を見つける事。幸せを追い求める事』。そんな約束をさせられたんだ」
 嬉しそうなソランに、ライルも笑みが沸く。
「で、奥さん。今は幸せなんですかね?」
「当然だ。しかもアイツよりもいい男を捕まえてやった。ザマアミロだ」
 悪戯が成功した子供の様な口調と表情に、ライルは笑いながらもため息をつく。
 それは嫌なため息ではなく、いつまでもニールに相対するときは子供に戻ってしまうんだなと、そんな可愛い妻に対しての呆れのため息だった。
「俺、兄さんよりいい男?」
 純粋な興味で聞けば、赤面物の賞賛が待っていた。
「比べるまでもない。お前は俺の為に生きる事に専念してくれて、きちんと幸せな家庭をくれて、更にはセックスも巧い。顔だって、双子と言う割にはやはり違う。お前の方がカッコいいぞ」
「そこまで言われると照れちゃうなぁ。じいさんになっても言ってくれる?」
「もう直きなるだろ。そして俺もばあさんだ。それでもまだお前は俺を愛せるのか?」
「当然です。いつまでもソランは魅力的。多分死ぬまで勃つね。だから死因は腹上死の予定」
 馬鹿馬鹿しい程の愛を囁き合って、そのあまりの馬鹿さ加減に、二人で吹き出す。
 そして今頃、新婚初夜だと言うのに、まだ安定期に入っていない新婚夫婦は、おそらく手をつなぐだけで何も出来ないのだろうと言い合い、更に笑った。
「順序変えると、結構きついよなぁ。明日はラッセが好みそうな朝食作ってやってくれ」
 男としての気遣いを見せるライルに、ソランも笑顔で答える。
「なんだ。文句を言っていた割には、ちゃんとラッセの父親になっているんだな」
「父親っていうか、同じ男としての悲哀を感じてるだけだな。俺もお前の妊娠中は、かなりキツかったし。その上アイツ、新婚だろ? もう多分悶絶してるぜ」
 楽しそうに、今にも『ザマアミロ』とでも言いそうなライルに、結局まだ拘りが抜けていないのかとソランは肩をすくめて、お茶を入れにキッチンに向かおうとした。
 だがそれを、ライルが止める。
 腕を掴まれて、何事かとソランがライルを伺えば、ライルは艶やかに笑っていた。
「珍しくこんなに早く子供達が寝てくれてるんだぜ? 俺、今日はマジで頑張っちゃうから」
 何人も子供を産んでいるとも思えない、引き締まった身体のラインを辿って撫で上げれば、ソランもいつものようにライルの首に腕を回す。
 夜の時間の始まりに、夫婦で笑った。
「今悶絶している可哀想なラッセの代わりに、俺が楽しんでやる」
「それは、代わりなのか? 嫌がらせだろう?」
「そうとも言う。なんと言っても可愛い娘を奪った憎いヤツだからな。俺の嫁さん候補だったのに」
 子供の頃の事をさせば、その時の事を思い出したのか、ソランも笑う。
 そしてその時のニーナの代わりに、ソランはライルに軽く口付けた。
「後妻など貰う暇もない程、しっかり下の世話までしてやるから、譲ってやれ」
「んー、頼もしいお言葉。なら今日は上に乗ってくれるの、期待しちゃおうかな」
 身体を擦り付けて、形のいいヒップをゆったりと撫で回して、キッチンの入り口の扉にソランを押し付けて唇を会わせる。
 だが、舌を絡めて二人の時間の開始を確認し合おうとした所で、いきなりリビングと二階を隔てている扉が開く音がした。
 驚いて体を離せば、そこには目を見開いたラッセの姿。
「あ……悪いっ」
「……いんや、別にいいよ。もう家族だし」
 軽くライルが返しても、普通ならその場で動くであろうラッセは動かなかった。
 不思議に思って伺えば、ラッセは視線を揺らしながら口を開く。
「い、いや……用はなんだったんだ?」
「……は?」
 意味不明な事を言うラッセに問い返せば、問い返された事に更に不思議そうにラッセは眉を寄せる。
 暫し見つめ合い、それでも当然言葉を交わさなければ理解は敵わず、ラッセは不思議そうにライルに問いかけた。
「お前、さっきドアをノックして、俺に『用があるから降りてこい』って言っただろう。だから降りて来たんだが……」
 言葉を重ねられても、ライルには理解出来なかった。
「え……俺、そんな事してねぇよ?」
 いくらソウイウ事が出来なくとも、新婚さんの部屋をノックする様な度胸は無い。
 ライルが首を傾げれば、ラッセも首を傾げる。
「いや……お前の声だったぞ。それにドアの隙間から見えたのも、お前だったんだが……」
「隙間?」
「足だ。下の開いている部分から見えた足が、大人の物だったから、何も疑問に思わずに降りて来たんだが」
 ここ何時間か、ライルは二階に上がっていない。
 言われた事に思い当たらず、悩みそうになった瞬間、たった一つの可能性に行き当たる。
 ソランと二人で視線を絡めて、思い当たる事を確認する。
「俺、邪魔されてる?」
「いや、ラッセに用があったのかもしれない」
「……なんだ?」
 慣れた顔ぶれでも慣れない雰囲気で、ラッセは首を傾げる。
 そしてラッセが現れてから、何か部屋の空気が少し温度を下げた様な、そんな不思議な感覚に、ソランは思いっきり吹き出した。
 爆笑するソランと言う珍しい現象に、ラッセは更に驚いて目を見開く。
 そんなソランを置いて、ライルは視線を空に止めて、ぼんやりと呟いた。
「あー……そう言う事するなら、マジでゴーストバスター呼ぶから」
「ゴースト……?」
 非科学的な事を呟かれて、ラッセは更に首を傾げる。
 ライルは何となく昔から信じていた。
 自分も変な予知的な物を感じたりする事もあった為に、別にそれが居たとしても、不思議には思わなかったのだ。
 特にライルの育った、今住んでいる地域では、当たり前のように会話にも出てくる。
 だから昼間の現象にも、誰も驚かなかった。
 ライルは引き攣りながらラッセをソファに促して、ソランは笑いながらキッチンに向かい、食器の音を立てる。
 お茶の用意をしてくれている様子を伺いながら、ライルは事のあらましをラッセに説明した。
「今日、ニールが化けて出てる」
「……ニール?」
 言い慣れた名前を口にしたが、ラッセが分らないと眉をしかめるのを見て、ああ、と、思い当たる。
「兄さんの事。本名、そう言う名前だったんだ」
「ああ、そうか。ロックオンの事か」
 ソランが知っていたので当たり前のように言ってしまったが、考えてみればライルも本名をラッセに言った事は無かった。
 組織として動いているので、ある意味当たり前なのだが、それでも家族になったと言う事で、ライルは口を開く。
「そう。ニール・ディランディ。ちなみに俺はライルね」
「お……! 何言ってるんだ! そんな重要な事を……!」
 ラッセが慌てるのを、まあまあとライルは宥める。
「どうせ、お互い葬式の時にはバレるんだから、いいだろう。それにニーナの本当の性は分ってるんだろ? 今更だ」
 二人で話していると想定して話を進めれば、やはりニーナはライルが思った通り、自分の本名を告げていたようで、ラッセは気まずそうに視線を逸らせた。
 組織では、家族と言う事で、総じて皆『ストラトス』という名前で通っている。
 ソランもライルとの結婚を公にしてから、元の『刹那・F・セイエイ』から、『刹那・F・ストラトス』に変わっている。
 最初刹那は全力で拒否したのだが、一緒に楽しい名前になってとライルに(泣いて)縋られて、うっかり頷いてしまった為に、イアンの家族と同じ道を歩む嵌めになってしまったのだ。
 御陰で組織に入りたいと言い出した本人のニーナにも、その事だけは大変に文句を言われた。
 そんな経緯で笑いながらライルは話すが、内容が内容で、ラッセは表情を引き締める。
「……で、ロックオンが幽霊だって? そんな事が本当に……」
 持ち直して話を戻せば、笑えない事をライルは笑いながら話した。
「そう。何でも昼間、娘に会いに来たんだと。くっだらない事呟いて消えたとよ。あと式の間もあの場にいたらしい。ソ……刹那が見てる」
 一瞬言葉が途切れたライルだったが、言いかけた言葉にラッセは思い当たる節があったので、何も無かったかのように流そうとした。
 だが、キッチンからの物音が一瞬途絶える。
 二人が作った時間の隙間は、端から見れば本当に僅かな物で、普通に流してしまえる範囲だった。
 だがそれでも、ラッセもマイスターの一人だ。
 些細な変化も当然見逃さない。
 刹那が動きを止める事など考えられなかったし、またロックオン……ライルも、余程の事がなければ名前を間違えたりはしない。
 言いかけたと言う事は、おそらくそのまま言うつもりだったのだろうと推察出来る。
 だが、実際には名前を言い換えた。
 なにか、違和感がつきまとう。
 そうは思うが、目の前には、それ以外に何も変わった事は起こらなかった。
 音の途絶えたキッチンが気になって、ラッセは一瞬だけキッチンの方向に視線を向け、またライルに戻す。
 そこにはラッセを楽しそうに見つめている見慣れた瞳があるだけだった。
 違和感の正体を突き止める事も出来ずに、ラッセは問いを重ねる。
「……くだらない事って、何を言ったんだ?」
 ラッセの問いに、目の前のライルは小さく笑って、口を開いた。
「……下らない、は、無いだろ。そりゃ、気になるだろうさ」
 自分で言った言葉を否定して笑うライルに、ラッセは首を傾げるしか無い。
 訝しげな瞳にライルは更に笑って、質問に答えてくれた。
「産まれて来た事を良かったと思えているかって、聞いた」
 一頻り笑って、細めた目を戻したライルの視線が、やけに鋭く感じる。
 そうは思うが、それ以上の事など想像出来る筈も無い。
 だが、ラッセの違和感は、ソランがキッチンからお茶を入れて戻って来た時、ハッキリと現実の物になる。
 何故か、怒ったの様に思いっきりソランは音を立ててライルの前にカップを置いた。
 がしゃんと派手な音を立てて、少し中身がソーサーに溢れる。
 無鉄砲な事はするが、行動が雑な事は今までに無かった彼女に、ラッセは驚いた。
 それでもその説明は刹那からはされなかった。
 ラッセの前には普通に紅茶を置いて、自分の分を自分の前に置いて、ソファに座り、まだ湯気の立てているカップを傾ける。
 ふと視線を溢れたカップに向ければ、ライルは一人だけミルクティだった。
 それを見て、ラッセは思い出す。
 死ぬ直前のロックオンは、何にでも飲み物にミルクを入れていた事を。
 切っ掛けは、刹那が暴走して牛乳をがぶ飲みしていた頃の事だった。
 ロックオンが目を離すと、刹那はいつでも大量にミルクを飲んでしまう。
 目的は、胸板にしか見えなかった胸を、女性の形に近付ける事だった。
 それでも乳製品に弱かった刹那は、その事で度々トイレに籠る羽目になっていたのだ。
 それを止める為に、取り上げて飲み続けていたロックオンは、いつの間にかミルクが無いと物足りなくなったらしい。
 いつの間にか、コーヒーにも紅茶にもミルクを入れて飲んでいたのを、出されたミルクティに見る。
 あまり注意して見ていた事は無かったが、ライルは何でもストレートで飲む事を好んでいた気がする。
 それでもその極論に到達するには、ラッセは常識人過ぎた。

 今日現れたニールの幽霊。
 目つきがいきなり変わったライル。
 出されたミルクティ。
 穿った見方をしてしまえば、いつもよりも刹那の夫に寄り添う距離が遠い気がする。

 だが、やはり普通は『まさか』で終ってしまう範囲だ。
 凍り付いた様な空気の中、時計の音が響く。
 その位、リビングは静けさを保っていた。
 そこにふと、再びリビングの扉が開く音が響く。
 現れたのは、目を擦りながらのニーナだった。
「ああ、起きたのか」
 ラッセが身体を気遣って声を掛ければ、両親には目もくれずに、未だ幼い仕草を残しながら、ニーナはラッセの隣りに座った。
「ん、なんか目が覚めた。ちょっと吐き気っぽいかなって思ったんだけど、気のせいだったみたい」
 疲れたらしいニーナは、部屋に籠ってすぐに眠ってしまっていた。
 扉を叩かれても起きなかった彼女なのにと、ラッセはそれでも身体を気遣ってクッションを集める。
 それに埋もれながら、ふとニーナの視線がライルのカップに注がれた。
「あれ……マムの誕生日でもないのに、ミルクティなんて珍しいね」
 ニーナの言葉に、ライルは笑って答える。
「まあ、な。それよりお前、身体平気なのか?」
「んー、多分。今日はちょっと疲れたから、吐くのを覚悟してたんだけど、やっぱり無い」
 普通に会話を交わす親子に、ラッセはやはり自分の気のせいだと片付けようとした。
 そんな、非現実的な事が起こってたまるかとも思う。
 それでもイライラとした様子の刹那が気になり視線を送れば、自分のカップから一口紅茶を飲んだ刹那は、ため息をついて口を開く。
「結婚してからの毎年4月7日の、午後7時35分。そこから15分は、やはりお前か」
 意味不明の刹那の言葉に、ライル以外は首を傾げる。
 そして言葉をかけられたであろうライルに目を向ければ、いつもとは違う笑みで刹那を見つめている。
 違和感のある、少し影のある笑みの父親に、やっとニーナは気が付いた。
「……ダディ?」
 見た目はまったく変わらない。
 それでも、表情は誤摩化せないのだ。
 人間は大抵、思考から感情を作り出し、そこから筋肉の動かし方を自然と整える。
 双子と言えども同じ様に捉えられないのは、その所為だ。
 いくら作りが同じでも、考える事は個々に違う。
 また、双子と言うのは自分達の違いを他者に伝える為に、他の普通の兄妹よりも、その思考形態が顕著に出る。
 その結果、略同じ塩基配列のDNAを持っていても、きちんと別人になるのだ。
 見慣れている筈の父親を呆然と眺め、その意味を母親に問う為に、ニーナは視線をソランへと映す。
 視線に促されて、米神を抑えながらも、ソランは口を開いた。
「気が付いたのは、この家に住み始めてからだ。初めは、精神科に相談しようと思っていた。俺との結婚で、もしかしたら『そうなりたい』と、ライルが望んでしまったのかもしれないと。ニーナを愛してくれているのも当然理解していたし、それが行き過ぎた結果としても捉えられる。だが、それにしては不自然な事が多い。必ず年に一度。それ以外の日は決してない。そしていつもならしないのに、その時間に飲むミルクティは、必ず自分でキッチンに片付ける。まるで、痕跡を消すように。しかもその時間は、どの時期も大抵忙しかった。この家に住んでからは、その時間は必ず子供達がテレビに夢中になる時間で、父親と話をする事は殆ど無い。何事もなく興味のないテレビが流れていて、日頃の子供の様子にも変わりはない。あれではライルは気が付かないだろうな」
 滔々と語られる内容に、ラッセは目を見開き、ニーナは更に首を傾げる。
 だが、言葉が続くに従って、ライルは堪えきれないと言うように小さく肩を震わせて笑い始めた。
 不思議な熟練夫婦の遣り取りに、新米夫婦は忙しなく視線を彷徨わせる。
 暫く緊張した空気が流れて、その空気がライルの爆笑で途切れた。
 音量にびくっとした新米夫婦は、その意味を母親に探るように、僅かに座る場所を変えた。
「さーすが。俺達愛されてんな」

 その言葉が、全てを現実に変えた。





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幽霊さん捕縛の回。
『乗っ取り』では無く、『捕縛』です。
このシリーズのライルは、本気でSなんです……。
次回で全貌的な何かは見えると思います。(何かって……)