結婚式当日も、見事な快晴だった。
『どうでもいい』と言っていた割には真剣に選んだドレスを、控え室で着付けてもらい、化粧も済んで、母親のソランは父親のライルを呼びに部屋を出た。
他の兄弟達は、まとめて長男のトーマスが見てくれていて、騒々しくない状況で仕度が出来、ニーナはふうっと安堵のため息をつく。
ふと気が付けば、目の前の鏡に黒い正装で、黒いネクタイをした父親らしき影が映っていた。
「あれ? マムは?」
呼びに行った筈なのにと首を傾げれば、茶色い髪の毛を少し揺らして、笑っているように見える。
いつものライルとの違いに再びニーナが首を傾げようとした所で、言葉が紡がれた。
「……お前、産まれて良かったか?」
「え? 何言ってんの? 当たり前でしょ?」
そう答えて、背後にいる筈の父親を振り返れば、誰もいなかった。
慌てて周りを見回して、更に映っていた鏡を見ても、もう鏡はニーナ以外は映していなかった。
「…………え?」
あまりの事に、もう一度振り返って確かめても、誰もいない。
呆然としていると、扉の外が賑やかになり、騒々しくドアが開いたと思ったら、弟や妹が駆け込んで来た。
「うわー! ニー姉きれい! 別人みたい!」
「すごーい!」
「こら、別人みたいはないだろ。お前のお姉さんはいつも綺麗だろ」
苦笑しながら入ってくるライルに、ニーナは目を見開く。
ネクタイの色が、違うのだ。
今日はおめでたい席と言う事で、光沢のあるグレーのネクタイが、父親の首には下がっていた。
呆然とライルを見つめるニーナに、ライルは首を傾げて近寄る。
「……なんだ? 俺、なんか変? どこか恥ずかしいか?」
身の回りをパタパタと叩きながら確認するライルの袖口を、ニーナは掴む。
真剣な顔に、ライルは再び首を傾げた。
「どうした?」
「…………来た」
「だれが?」
「……ダディ」
「はい。来ましたよ。つか朝から一緒だろ。何を今更……」
「違う! 多分、ニールの方!」
「はあ?」
動揺しているのか、瞳が揺れているニーナを覗き込んで、その色を確認する。
そこには嘘偽りは見当たらず、眉をしかめる。
ライルの背後から、ソランがつかつかと珍しいヒール音を鳴らしてニーナに歩み寄る。
「……熱は無いか?」
額に手を当てると、それをニーナは振り払った。
「ほんとだよ! いきなり背後に立ってて、ダディと同じ背格好と髪の毛で黒いネクタイ締めてて、アタシに『産まれて良かったか?』って聞いて来た!」
しんっと静まり返って、状況に嘘が無い事を誰もが納得した瞬間、ソランは走り出した。
慌てて部屋を出る母親を、ニーナは手を伸ばして止めようとしたが、それをライルが止めた。
「……気が済むまで、探させてやれ」
飛び出した扉は開けっ放しで、どれだけソランが慌てていたかを示していた。
小さく笑ったライルに、ニーナは肩を竦める。
「ダディ、ちょっといい男過ぎない?」
「そうか? そんな事無いと思うけど。普通に奥さん愛してて、更に兄貴も愛してるだけだから」
軽く肩をすくめたライルに、ニーナは笑った。
「……アタシ、ほんとにダディの娘になれてよかった。今までありがとう」
「あー、そう言う感動的な言葉は無しにしてくれ。俺泣いちゃうから」
「泣いちゃえ。マシュー、ダディの涙はしっかりゲットしておいてよね」
「了解。姉さんこそ、一粒位は涙流してくれ。いつもの強気は今日一日くらいは隠し通せよ」
相変わらず憎まれ口を叩きながら、それでも下の兄弟達を巧く面倒をみている弟に、感謝する。
楽しい家族に、改めて感謝した。
そして心の中で、先程の影に笑いかける。
ありがとう、愛してくれて。
ありがとう、姿を見せてくれて。
おそらく初めて対面したであろう父親は、周りの人達が言うように、とても優しい話し方だった。
「……にしても、ほんとに化けて出てくるとは思わなかったなぁ。うん、流石執念の男」
感慨深く呟いて、部屋の中をきょろりと見舞わすと、ニーナの足下に光る物を見つける。
拾い上げてみれば、それはニールとソランの婚約の証だった。
「あれ、なんで落ちてるんだ? お前、今日これつけるって言ってたのに」
「……あれ? だってまだ、ケースの中に……」
二人でビロードのケースを覗き込めば、そこにあった筈の物は無かった。
視線を合わせて、小さく笑う。
「……するなって、事かな」
「かもね。じゃあ、父親の怨念に答えて、ダディが後のパーティ用に用意してくれたパールにするよ」
「そうしてくれ」
新しい箱からネックレスを出して、娘の首に止めてやる。
「……うん。似合ってる」
「そりゃ、ダディの執念の賜物な逸品だからね。アタシの肌と合わせて、どれだけ宝石屋さん悩ませたのよ」
「ばーか。門出だぞ。真剣にもなるって」
「だから、そんなダディの娘で良かったって言ってるの。大好きだよ」
「お、また来たか、涙腺攻撃」
「今日は手は抜かないよ」
二人で笑い合っていれば、時間になったらしく、教会のスタッフが呼びに来た。
その後、項垂れたソランが部屋に姿を見せる。
全員揃った所で、ライルは声をかけた。
「それじゃあ、行くぞ。最後にお姉ちゃんに万歳三唱だ」
「「「「「はーい!」」」」」
「それでは、ニーナの門出を祝して。ニーナ・ディランディ、万歳!」
「「「「「ばんざーい!」」」」」
父親の合図と共に、ノリのいい弟や妹達が、両手を上げてニーナを祝福する。
その様子に、心の底からニーナは笑った。
その中で、一人項垂れている母親に、話しかける。
「マム、有難う」
「……俺は、何もしていない」
「違うよ。ニールの子供のアタシを産んでくれて、有り難うって言ってるの」
「……そん、な、感謝される事じゃない。寧ろお前には寂しい思いをさせて、悪かったといつでも思っている」
視線を揺らせる珍しい母親の姿に、ニーナは笑う。
不器用で、真っすぐで、成人した娘を持っているのに、まだ少女の面影を残す母。
CBに入ってパイロット候補になった時、母親の戦績や体術を映像でみて、子供の頃の自分の母親が、どれだけ優れていたか、そしてその優れた物を身につける為に、どれだけ努力していたかを見た。
その映像の中に映っていた、実の父親との組み手。
組んでいる最中は、二人とも本気で殺気をみなぎらせていたと言うのに、終った瞬間に見つめ合った瞳に、確かに愛を感じた。
それは、ライルに向ける物とは少し違っていた。
初めはそれを見るのが嫌だったが、それでも何度も見るうちに、何故自分が産まれたのかを悟った。
お互いを尊重しながら、それでも愛し合って。
まだ16歳と言う若さの母と関係を結んだのは、おそらくそう言う事なのだろうと。
そして母は、それを受け入れ、またその人の子供を産む事にも躊躇は無かったのだ。
最近は慣れてしまった、宇宙空間に出る前に必ず書かされる遺書は、最初はとても怖かった。
これで死ぬのかもしれないと。
活動が活発だった母や父の世代には、それがもっと顕著な物だったのだろうと、想像した。
そうして自分は誕生して、父は死んだ。
それでも今、こうして幸せを感じられるのは、母が様々な葛藤をくぐり抜けてくれた御陰だと、ヒールを履いて自分より身長の高くなった母親に、久しぶりに縋り付いた。
「……本当に、感謝してる。ニールの子供として産まれて、ライルに育ててもらえた事。全部、マムが与えてくれた物だよ。アタシ、本当にニールとソランの子供で良かったって、今思ってる」
初めて娘から紡がれる言葉に、ソランは目を見開いた。
産んでからずっと、心のどこかで引っかかっていた。
病院で同じ時期に産まれた子供達は、みんな父親がいて、腕に抱かれて幸せそうだった。
一人で産んで、そして一人分の腕の暖かさしか与えられず、産むまでは何も躊躇は無かったが、実際に腕に抱いた時に思ったのだ。
これは、自己満足だと。
子供にとって、本当に幸せな道だったのかと。
ニールと二人で夢見た理想の為に産んだ。
それが彼の人へのせめてもの志だと。
だが、それでソランは幸せだったが、産まれた子供はどうか。
父親を知らず、その暖かさに触れる事も出来ない。
思い出がある自分とは違い、まったく関係のないこの子供は、どう思うのかと。
ライルと出会ってから、ニーナから父親の事をまったく聞かれなくなったのも、合わせて不安を駆り立てられた。
そしてライルに傾倒していくニーナに、寂しさが募った。
こうして忘れられていくのかと。
ずっとライルとの結婚に対して二の足を踏んだのは、そんな複雑な思いもあった。
それでもソランもライルを愛して、ニールの言葉通りに次の相手として見て、そしてニーナは父親を手に入れた。
幸せな生活の中、それでもニーナが極力実の父親のニールを避けていた事が見て取れて、産んだ時に思った自己満足と言う言葉に捕われた。
付き合わせて悪かったと、何度も心の中で謝った。
それが今、感謝されている。
過去の自分達の思い、理想が、間違いではなかったと、そう言葉にされて、見開いた瞳から涙が溢れ出る。
頬を伝う涙を気にする事も出来ずに、必死になって口を動かした。
「にー、な。お礼はこちらが、言う事だ。ニールを受け入れてくれて、そして彼と俺の子供として、産まれてくれて、ありがとう。おれは、ほんとうに、お前に支えられて、生きて来れた。ライルに出会うまで、ずっとお前だけが……」
「はーい。そろそろいかないと、ラッセに捨てられるぞ。それにソラン、そんなに泣いたら化粧落ちる。只でさえ慣れてないんだから、涙腺引き締めろ」
今にも泣き崩れそうな妻を支えて、変わらずに艶やかな頬を伝う涙をハンカチで拭って、ライルはニーナにウィンクを投げた。
そんなライルの瞳にも、涙の影が見えていて、ニーナは笑う。
本当に、有難うと。
今まで以上に、両親に感謝した。
ゆっくりと、パイプオルガンの音に合わせて、赤い絨毯の上を歩く。
独特な足運びは、母の時に見た。
そして式の前にも、司祭に教えてもらった。
父親にエスコートされながら、その先に愛した男を見て笑う。
ヴェールの向こうの彼は、いつもよりも精悍に見えた。
そんな感動を一番前の親の席から、ソランは眺めた。
となりに立つ自分の夫を、少し心配しながら。
絶対泣いちゃうと、夕べベッドの中でソランに縋って悶えていたのだ。
そんな幸せな瞬間に、やはり思い浮かべるのは彼の人だ。
きっとこれが、彼が夢見ていた物なのだと、そう考えた時。
態と一つ席を空けた、ソランの左側から、声が聞こえる。
「……刹那、有難う」
ふと視線を下に向ければ、黒い革靴が光っていた。
夫の物と似ているが、違うと分る。
きっと視線を上に上げれば居なくなってしまうと思えて、その足を見ながらソランは答えた。
「礼など、馬鹿だ。当たり前の事だ」
懐かしい優しい声に、ふっと笑って再び娘を見れば、幸せと緊張が合わさった強ばった笑顔で、それでも自分の夫となる人をじっと見つめている。
その隣りで、あからさまに涙を堪えている今の自分の夫。
望んでいた普通の幸せ。
彼が幼い自分に示した、家族の形。
その言葉がぴったりと当てはまるこの日に、彼は見届けに来てくれた。
それだけでいい。
笑って、もう一度視線を下に向ければ、やはりそこは只の大理石の床だった。
それでも、彼が立っていた場所に向かってソランは呟いた。
「それに、まだまだだ。まだミッションの第一段階をクリアしただけだ。これから沢山の想定不可能なミッションが待ち構えているのだから、礼に出てくるなど早い」
これから娘は子供を産み、また家族が広がる。
自分がそうだったように、娘もまた女として、妻として、そして母として悩むのだろう。
それでも彼女の父親が示した幸せを、ソランはその度に諭そうと思う。
何も間違えていなかった、幸せの道を。
呟いている母親に、長男が不振な瞳を向ける。
その視線を受け取って、ソランはトーマスに淡く笑った。
夫が娘を娘婿に引き渡して、式は進む。
その間、ソランは娘と夫を交互に見ながら、幸せをかみしめた。
そして控え室とは逆に、我慢が限界に来た夫がぼろぼろと泣くのを、ハンカチで手早く拭き取りながら、笑いをかみ殺した。
だがソランのそんな努力は、誓いのキスで木っ端みじんになった。
感極まった新婦の父が号泣したのは、おそらくこの先の伝説になるのだろう。
司祭が咳払いをし、参列してくれた組織の仲間やライルの所属している会社の人達が、くすくすと笑う。
御陰で新婦は感動の涙の機会を逃して、晴れやかな笑顔でライスシャワーを浴びたのだ。
その後のパーティでもライルは泣きっぱなしで、面白がった子供達に沢山写真や動画を取られ、「お前らやめなさい!」と、鼻を真っ赤にしながら手を振る。
そんな様子を、彼の人の娘と彼の人を知る娘の相手と、ソランは笑って見つめた。
タキシードのラッセが、ニーナが友人と話す為に少し離れた隙に、ソランにぽつりと零す。
「ロックオンも、見たかっただろうな。自分の娘の笑う顔を」
友人に囃し立てられて、楽しそうに笑っているニーナを眺めて、苦く笑う。
そんなラッセに、ソランは晴れやかな笑顔で告げた。
「お前が同じ道を辿らなければ、それでいいと思う。どうか、寿命以外では一人にさせないようにしてやってくれ。残された女は、やはり辛い」
滅多に聞けない刹那のまともな言葉に、ラッセは笑った。
「それは大丈夫だ。俺はお前以外とは、死のうと思わない。当然一人でなんて冗談じゃないからな」
思いもしなかった言葉に、ソランはラッセを見上げる。
「昔、ロックオンが死ぬ前に、地上に二人で降りただろう。その時に、そう思った。お前となら運命を共にしてもいいと思ったから、あの作戦に志願した。死ぬつもりなんて毛頭なかったが、それでもそうなっても後悔しないってな。だけど、お前の娘とはそうは思わなかった。でもそれが、本当の愛なんだと、今なら何となく分る。一緒に生きたいと思った。まあこれも、今のロックオンから学んだ事……だな。お前は男の趣味がいい」
友人と話していたニーナが、再びライルをからかって、感謝のキスを頬に送る。
それで再び涙腺が崩壊したライルを囲んで、みんなが笑っていた。
しんみりと二人で話していると、随分前に身体を再構築したティエリアが、肩を怒らせてソランに歩み寄る。
「ロックオンは情けなさ過ぎる! 娘の旅立ちに、あんなに涙を流すなど、万死に値する! 不吉だ!」
ソランが初めて彼と出会った頃と何も変わらないティエリアの白い美貌にと台詞に、しんみりした空気は霧散して、ラッセとソランは笑う。
その後ろから、アレルヤと、今はもうアレルヤと夫婦になったマリーが現れて、ティエリアを宥めにかかった。
「ティエリア、今日と言う日に怒るのも、僕は何かと思うよ。ロックオンは苦労したんだよ。それが実ったんだから、少しは多めに見てあげようよ」
「相手がこのおっさんでもか!」
「いや、そんな事言ったら僕ら全員おっさんだから。諸刃の剣発言は控えてね」
「大体刹那! 何故お前は結婚を許した! 僕がどれだけ気を使って、彼女の周りにいい男を固めたと思っている! それが何故同世代に……!」
何やら色々と怒りが噴出しているティエリアに、また周りは笑う。
ソランは刹那として、ティエリアに口を開いた。
本名ではない、それでも大切な、想像もつかなかった幸せをもたらしてくれた、その切っ掛けをくれた愛しい名前。
「お前には感謝している。俺がこんな生活を送れるのも、復帰してくれたティエリアの御陰だ。その上、俺とロックオンの娘にまで気を使ってくれて、どう礼をしたらいいのか分らない」
昔とは違う穏やかな刹那の声に、ティエリアは肩から力を抜く。
出会った頃は只の貧相な子供だったのに、その子供が成長して、更にその娘が嫁に行く。
人の流れを見て、ティエリアは遠くを見つめた。
「……あれは、父親に似たんだな。相手を選ぶ趣味が悪過ぎる」
子供だった刹那と関係を結んだ当時のロックオンを思い出して、呟いた。
どこから見ても、男にしか見えなかった刹那。
そんな毒舌を吐くティエリアに、刹那は笑う。
「そうだな。父親は少年愛嗜好家の傾向があったが、娘は極端なおっさん趣味で、どうしようもない」
新郎の前で言いたい放題の二人に、アレルヤが慌てて二人の口を抑えたのは言うまでもない。
いつまで経っても役回りは変わらず、アレルヤだけが、自分を置いて逝ったロックオンを、少しばかり恨んだ。
二人で分かち合っていた役回りを、押し付けていった彼の人を。
喜びに包まれた空気の中、ライルが用意した、現れている筈の兄の分のワイングラスが、人々の笑いに誘われるように軽く揺れた。
はい、幽霊さん登場です。
ホラーです。
そして一応みんな登場。文章量の関係で、マイスターのみですが。
映画で普通にティエリアが出てくるらしいので、ティエリアも電子の妖精じゃないです。
居ないと話が困るんでしょうが、ワタシとしては電子の妖精でいいんですけど……まあ、映画が楽しみです。
にしても、このシリーズ書くと毎回思うんですけど、ワタシ、絶対にニールとライルのキャラの捉え方がおかしいと思います(汗)。
わかってるんですけど、ワタシ的には「実はこんなじゃないの?」な内面を妄想してますので、呆れずにお付き合い下さると嬉しいです……。
無理か……(遠い目)。
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