貴女といられた幸福な日々2

2010/04/14up

 

 当然のようにニーナはラッセの隣りにぴったりと寄り添って座り、一人掛けのソファから、ライルはその様子を伺う。
 嬉しそうな娘に、まあこれ以上言うのは野暮と言う物だと、ため息は止まらなくとも言葉は出なかった。
 まだ幼い双子が母親を取り合っている声をBGMに、ソランの誕生日のお茶会はスタートした。
 毎年妻の誕生日には、コレでもかと用意するプレゼントは、この場で渡せる雰囲気ではなく、ライルは夜にこっそり渡そうと思う。
 それでも子供達は、競って母親に祝いの言葉と手作りのプレゼントを渡した。
 嬉しそうに微笑むソランに、ちらりと視線を送ればラッセは興味津々という風情で見つめている。
 だがその隣りから、ニーナがラッセの視線を阻むように腕を引っ張っているのが見て取れて、思わず「ああ、成長したんだな」と、普通に父親な気分を味わってしまうライルだった。
 まだ家族になる前に一緒に行った遊園地や、CBの託児施設に面会に行った時に走って飛びついて来てくれた時の事とかを、ぼーっと思い出す。
 可愛かった娘は大人になり、そして男の鳩尾に一発……。
 色々と、遣る瀬ない。
 ライルがセピアな世界に浸っているうちに、一通りの祝いの言葉は終ったらしく、ケーキの上のローソクが吹き消された後の、独特な香りが辺りを包む。
「マム、おめでとう!」
「「「「「おめでとう!」」」」」
 長女を筆頭として、拙い声も交じって、場の〆の言葉が出た。
 ライルとしては、今年はここからが本番だった。
 さて、と、身体を起こして、先ず何を言おうかと思い巡らせていると、その前にラッセがニーナを引き離して、居住まいを正す。
 そして気まずそうに、視線を揺らした。
「いや……まさかお前達にこんな事を言う日が来るとは思わなかったが……」
 続きそうな言葉に、取りあえず口を閉じつつ、頭の中で「俺もだ」と賛同してみる。
 そして、思った通りの言葉。
「お嬢さんと、結婚させて下さい」
 元々ラッセは結構礼儀正しい。
 野性味溢れる身体からは想像がつかないが、実はマイスターの中で、一番重鎮警護をまかされる人物だった。
 鳩尾に一発食らわされての結果としても、それでも受け入れて、こうして態々宇宙からアイルランドまで来るのだから、同じ男としてライルは拍手喝采である。
 年齢を除けば、別にいい。
 いいヤツなのも当然知っているし、共にくぐり抜けた戦場を考えれば、生きる意地も申し分ない。
 ただ、年齢を除けば。
 思わず、ライルはぽろりとこぼしてしまう。
「お前……よく勃ったな」
 娘でもおかしくない年頃の小娘に。
 呟いたライルの隣りで、ソランは不思議そうに首を傾げる。
「イアンの所だって似た様な年齢差だろう。問題ない」
 そんなソランの近くで、今更ニーナが頬を染めた。
「やだダディ! 露骨な言い方しないでよ!」
「あー……はは、すまん」
 自分で『種』とか言うくせに、とは、一応この場では伏せておいてあげた。
 そのネコ、離すなよと、心の中で諭してみる。
 顔を真っ赤にしているラッセに向かって、取りあえずライルも頭を下げる。
「いや、コッチこそ、ウチの娘が強引だったみたいで、悪かった。葛藤をくぐり抜けてくれて有り難う」
 なんにしても、もう後には引けない。
 新しい命がお腹に宿っているのだから。
「……で、式と籍はどうするんだ? 俺達みたいに住民票で普通にやるか? それともCBのヴェーダ認証のみにするのか?」
 ライルとソランは、元々普通に出会った為に、お互いの本名などはわかっていたので、普通に存在する住民票制度で婚姻をしている。
 だがラッセとニーナは、組織で出会っている為に、わからない。
 ニーナはもう、初代ロックオンと刹那の娘として有名だった為に今更だが、ラッセは明かされていなかった。
 その事についてライルが問えば、ラッセは極秘事項の一部を明かしてくれる。
「いや……実は、俺の住民票はもう無いんだ。再申請したとしても時間がかかるし、ヴェーダ認証が一番いいかと考えている。とにかく、万が一の時に守れるのが一番だからな。もう準備は整っている。お前達に了承が貰えれば、すぐにでも手続きをさせてもらう」
 組織内で婚姻届を出せば、組織が管理している個人の財産の相続権が、その相手にはキチンと発生する仕組みになっている。
 全てを組織に明かしているのならば、それで問題は無い。
 後は形式だ。
 出来れば普通に娘のウェディングドレスは見たいのだが、なんと言っても妊婦。
 安定期に入れば問題ないが、そうなるとお腹が目立ちそうな気がする。
 ライルとラッセが二人で同じ事を考えて唸っている横で、ソランとニーナは楽しそうにケーキを頬張っていた。
 その姿を見て、ライルはふと疑問を感じる。
 ニーナが帰って来てから、考えてみれば一週間経っているのだ。
 なのに何故、妊娠初期の症状に気が付かなかったのか。
 首を傾げながら、娘に問いかける。
「そういえば、お前、悪阻は? 食欲変わってないよな?」
 妻も軽かったが、それでもたまに戻していた。
 だがあまりにもニーナにはそのかけらも見当たらない。
 ライルの問いに、ニーナはけろりと返した。
「全く無いよ。ホントに全然無くて、機体テストの前の身体検査でわかった位だもん。だから式はすぐでも平気。ヒールさえ履かなきゃいいんでしょ?」
「あー、まあ、元々お前にはヒールは必要ないしな」
 妻のソランも身長が高く、ライルも高い。故にライルの一卵性の双子の兄のニールも高かった。その娘が、小さい訳が無い。
 ニーナの177センチという身長を思い出して、問題無しと片付けた。
 町中で振り返られるのはもう慣れたのだ。
「アタシ的には、出来れば早くしたいのよね。やっぱりお腹が出た後って、気になるじゃない。マムの体質がそのままアタシに来てるなら、まあ6ヶ月までは平気そうだけど、早く同じ部屋で住みたいし……」
 男親の葛藤を見ずに、ラブラブモードを繰り広げる娘に、哀愁のため息が堪えられない。
 げんなりとしたライルに、ラッセは心の底からすまなそうに「すまん」と謝った。
 そんな未来の夫の助け舟を、ニーナは木っ端みじんにした。
「でも、式なんていまさらじゃない? 出来てるんだし。別にしなくてもいいって思うんだけど」
 その言葉に、ライルは思わず立上がってしまう。
「何言ってんだ! こういうのはキチンとしなきゃダメだろう! 周りの人達や天国の兄さんに晴れ姿をだな……!」
「天国って、見えないでしょ。今日この場でダディとマムに頷いてもらえれば、アタシはそれでいいんだけど」
「よくない! 大体お前、普通は女の夢だろう! 真っ白なドレスでバージンロードを歩いて愛する男の元に……!」
「バージンじゃないもん。それにドレスなんて、別にいつでも着れるでしょ。白はアタシの肌の色にも合わないし」
「ソウイウ話じゃなくて……! だー! ソラン! お前も何とか言え!」
 混乱したライルは、思わずラッセの前で本名で呼んでしまった。
 ラッセは一瞬目を瞬かせたが、次の瞬間には面白そうにソランを見つめる。
 長い付き合いの仲間の本名に、感心した様な頷きを見せる。
 ケーキをもぐもぐと咀嚼して、ソランはふうっとため息をついた。
「……ラッセはどうなんだ? 式はした方がいいと思うのか?」
 落ち着いたソランの声に、ラッセは顎を抑えて考える素振りをする。
「そうだな……ロックオンの気持ちを考えれば、必要だとは思う。それに、確かにケジメは必要だしな」
「そうか。ニーナ、男の言う事には従う物だ。キチンと式をしろ」
「……はぁーい」
 でた、ヤマトナデシコ思想。
 そうは思ったが、取りあえず世間にお披露目出来ると言う事で、ライルは脱力してソファに崩れ落ちた。
 そんなライルの横で、ソランは相変わらず淡々と話を進める。
「それで、ロックオンは普通にバージンロードと決めつけていたが、式の宗派はどうする。それとも宗派は使わず、人前にするか?」
 ソランの言葉で、普通に自分がどの地域の人間かをカミングアウトしていた事にライルは気が付いて、頬を引き攣らせた。
 一応CBに入る前も組織活動をしていたと言うのに、何だこのソランとの差はと、偉大な妻にあやかりたくなり、双子の片方を膝に乗せてソランの隣に移動する。
 もう何がなんだかライルにはわからない。
 これ以上口を開くモノかと、半泣きになりながらソランに縋り付いた。
 ダメージを食らいまくっている夫の頭を何度か宥めるように叩いて、やはりソランは淡々と話を進めた。
「いや、俺は何でもいいんだが……」
 ラッセの言葉に続いて、ニーナも元気よく手を挙げる。
「はーい。アタシもこだわりありませーん。っていうか、そうなるとダディの気が済むのでいいんじゃないの?」
 結婚するのは娘達だと言うのに、何故か話の主流はライルになってしまう。
 ソランの肩口からちらりと目の前の娘達を見れば、じっとライルを見つめていた。
 妻の肩が軽く揺れて、返答を求めているのがわかる。
 どうしてこう、みんな男前なんだとげんなりしながら、もう今更だと項垂れつつ口を開く。
「……じゃあ、神前でお願いします」
 自分が結婚するのかと思ってしまう言わされた台詞に、じわりと涙が目に浮かぶ。
 頭の中では今朝からの一連のニーナの行動に、本気でCBになんか入らないで、手元でもっと女の子らしく育てる方法を考えるんだったと、後悔ばかりが渦巻いた。
 今日程CBに所属した事を後悔した事は無い。
 サラリーマンからパイロットになる時に課せられた体力増強の地獄の訓練など、あの時は早まったと思ったが、今の空しい心に比べれば何の問題にもならなかったと、本気で思った。
 ライルの涙を無視して、場は進む。
「なら、決まったな」
 穏やかなソランの声に、ニーナの笑い声が重なる。
 幸せそうな娘の笑い声に、ソランの肩口からのろのろと顔を上げる。
 幸せならいい。
 そうは思う。
 ライルとて、それが一番だとわかっている。
 それでもやはり、複雑だった。
 まだまだ娘だと思っていた。
 まだ親子としてしたい事だってある。
 なかなかライルとニーナは重ならないが、休みにはショッピングに行って、家族旅行だってしたい。
 それなのに、と、ため息がとまらない。
「ラッセと家族になれるなんて思わなかったが、俺も嬉しい。ニーナを頼む」
 立ち直れないライルの代わりに、ソランは晴れやかに娘婿と言葉を交わした。
 そのソランの言葉に反応して、他の子供達がわらわらと騒ぎだす。
「ラッセおじちゃん、ニー姉のパパになるの?」
「ダディが不満だったの? ニー姉?」
「おじちゃんが家族って、おじちゃんもウチに住むの?」
「おじちゃんなら大歓迎! いつでも遊んでもらえるし!」
「アタシもラッセおじちゃんの子供になる! アタシもいれてー!」
「あたしもー!」
「あたしもー!」
 次男の言葉を皮切りに、その他も騒ぎだして、その上何やらライルに対する不満まで飛び出している気がして、もう泣く以外にライルに何が出来るだろうか。
 そして、子供達は普段通りラッセを『おじちゃん』と呼んでいるが、その『おじちゃん』が息子になると思うと、本気で泣き崩れるしか無かった。
 ソランの膝に顔を埋めて、プルプルと背中を震わせるライルに、ラッセも大きな身体を小さくした。
 同じ男として、心境がとても理解出来てしまうのだ。
「何言ってんのアンタ達! ラッセは『おじちゃん』じゃないの! 今度から『お兄様』とお呼び! アタシのダーリンなんだから! それに養子縁組じゃなくて、結婚するの!」
 嗜めているのか惚気ているのか分らないニーナの言葉に、まだ幼い子供達は首を傾げる。
 その中で、長男のトーマスは流石にもうシニアサイクルに通っているだけあって、冷静に言葉を紡ぐ。
「ラッセおじさん……早まるな。ニー姉、怖いぞ。今からでも遅くないから、堕ろさせたほうがいいと思う」
 淡々と言葉を紡ぐ弟に、ニーナは顔を真っ赤にして反論した。
「何言ってんのアンタ!」
「俺は忘れない。託児所でのニー姉を……。いや、忘れられない」
 略修学するまで、トーマスはニーナと共にCBの託児施設に居た。
 その時の事を思い出しているのか、ふるふると頭を振る。
「よ、余計な事言わないでよ! そんな子供の頃の話……!」
「子供の頃限定か? 今回だって、鳩尾に一発食らわせての結果だろう。そんなのに責任を感じる事は無い。寧ろ強姦罪でニー姉を訴えるべきだ」
「感じたら強姦罪は適用されないの!」
「そんな主観的な刑事法なんて、何世紀前に廃止されていると思っている。脳みそまで筋肉か?」
「失礼ね! それにちゃんと愛し合ってんのよ! 付き合ってるの! その結果よ!」
「愛し合っている二人の間に、『鳩尾一発』という単語は発生しないと思うぞ、俺は」
 引っ込み思案だった長男は、スメラギの言う通りに成長に連れてキチンと自己表現が出来るようになり、的確に姉にツッコミを入れる。
 しかも表情筋が動かないのは母親似らしく、年に不相応な程落ち着いて見え、それが余計に迫力をかもし出す。
 そんな弟とぎゃーぎゃーと遣り取りをするニーナは、ライルから見ればやはり娘だった。
 本日何度目かなど数えられないため息をついて、ソランの膝から顔を上げれば、今度は次男のダニエルが不思議そうに首を傾げながら、ライルにとどめを刺す。
「ダディ、『ごうかん』ってなに?」
 息子の素直な疑問に、ライルは頬を引き攣らせた。
 ダニエルは好奇心旺盛で、何事もすぐに疑問を持つ。
 そして聞くのだ。
 だがそこは流して欲しかったと思っても、それは大人の事情で、答えを待っているキラキラとした目から視線を逸らせながら、ライルはアダルトな質問をはぐらかす、いつもの答えを口にした。
「……それは、大人になったら分る。分るけど、しちゃいけない事」
「ニーねえ、悪い事したの?」
「してない……と思うぞ。だってラッセはニーナと結婚するんだから」
「けっこんすれば、わるくないの?」
「いや……そうじゃないけど、人の心には行き違いがあって……まあ、ニーナは愛故だ。ラッセはそれを受け入れたから、マシューの主張が間違えになると思う……な」
「……わかんない」
「……時を待て」
 静かにダニエルの質問に答えている脇で、他の子供達は意味が解っているのか「けっこん! けっこん!」と喜んでいる。
 あまりの騒々しさに、思わず頭を抱えてしまった。
 だが、そんな光景を見ていたラッセが、ふっと表情を緩めてぽつりとこぼした。
「……ロックオンは、こんな感じを夢見てたんだろうな」
 視線が懐古に染まっていて、その名前が自分のモノではないとライルは悟り、ラッセを見る。
 ライルの視線に気が付き、ラッセはライルに「すまん」とまた謝った。
「いや、謝る事じゃねぇよ。何、兄さんそんな事言ってたのか?」
「はっきりとは聞いた事は無かったが、早く刹那が大人になれと、飲みながら祈っていた。その時に理由を聞いたら、家族が欲しいからと言っていたんでな」
 ライルから見た兄は、とにかく家族を愛していた。
 大人になってみて思い返せば、あれはおそらく、家族以外の繋がりに恐怖を抱いていたのだろうと、その繋がりに縋る臆病な男が脳裏に蘇る。
 強固なその繋がりを求めていたのだろうと、寂しかったであろうその当時のニールを思った。
 月に一度、必ずライルの口座にアクセスをしていた。
 それはライルの存在を、身近に感じたかったからなのだろう。
 他の愛情も勿論存在していたとは思うが、それでもライルは苦く笑ってしまう。
 馬鹿だ、あんた。
 そう心の中で呟いて、唯一その希望を叶えたニーナを見る。
 こんな可愛い子供を見る事無く、何を追って命を散らせたのかと。
 何よりも欲しかったのは復讐ではなくコレだろうと、未来を見失った兄に語りかけた。

 その夜、予約していたレストランに一人分の追加を願い、新しい顔ぶれの家族と共に、ソランの誕生日を祝った。
 毎年見慣れている装飾品は妻の首には光らずに、その代わりにライルは兄からの贈り物をポケットに入れてその場を楽しんだ。
 ソランと繋げてくれた、車の鍵。
 古いその車はもう無いが、鍵だけは思い出として残しておいた。
 家の鍵や今の車の鍵と一緒にぶら下げた意味の無い鍵は、ライルのポケットの中で嬉しそうに音を立てていた。





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この回で、自分が馬鹿だった事が判明です。(汗)
もう本の方に書いてしまっているので今更なんですが、アイルランドや欧州では、殆ど戸籍制度って無いらしいです。
でもだから、もう本に書いちゃったんですよね……(遠い目)。
少し不自然ですが、一応「住民票」という言葉に変えさせて頂きました。
パスポートとか、これで発行出来るんですって。(←未確認情報/汗)
便利だな……。本籍とか無い訳だ……。ちょっと羨ましい。