貴女といられた幸福な日々1

2010/04/08up

 

「マム、いい加減にしなよ」
 朝一番に、不機嫌なニーナの声が響いた。
 母親の誕生日の為に集まった兄妹6人と両親の揃った、明るい雰囲気の朝が、一転する。
「……何怒ってんだ、お前」
 ライルは成人した長女を諌めた。
「だって、今更それをマムが着ける理由が無いでしょ。ダディにも失礼だよ」
 ライルと結婚をした後、年に一度だけ、ソランはその装飾品を身につける。
 長女のニーナとお揃いのネックレス。
 それは彼の人の忘れ形見だった。
 ソランが世界標準の婚姻年齢に達した日、交わしたエンゲージ。
 その相手は、ライルではない。
 それでもどうしても、ソランは自分の誕生日だけは、彼に捧げたかった。
 唯一の我がまま。
 ライルとしては、別にもっと表現してくれていても構わなかったが、それでも年に一度の我がままとして、ソランはそれをする。
 気持ちが残っても仕方が無い状況で別れた二人で、その気持ちを乗り越えて、今ライルと一緒にいてくれるだけで、ライルとしては感謝している。
 家に写真は一枚も飾られていない。
 ライルは今の家に住み始めたとき、幼い頃の家族の写真としての理由をつけて、少しでもソランに側にいる感覚を与えてあげたかったが、彼女はそれを拒否した。
 ライルと同じ顔の、前の人。
 ニーナは自分の父親の性格を知らない。
 臆病で、独占欲が強く、人一倍思い込みの強い男だった。
 その話をライルがしようとすると、ニーナは子供の頃から拒否をした。
 産まれる前に亡くなった父親よりも、ずっと心を与えてくれていたライルを父だと思おうとする節が合るのだ。
 実際に、今のニーナの父親はライルだ。
 だが、だからこそ、ライルは初めてニーナに向かって手を挙げた。
 叩かれた頬に、ニーナは呆然としている。
 また、いつでも穏やかに躾をする両親であったので、ライルが手を挙げる所は、子供達は初めて目にしたのだ。
 やはり主にその場の躾として必要性にかられて手を挙げるのはソランで、あまりの事に子供達はぴくりとも反応出来ない。
「……マムに謝れ」
 低い声で諭すライルに、ニーナは目を見張る。
「どうして……? なんでダディは平気なの? 別の男なんだよ?」
「別の、じゃない。それがマムの通って来た道だ。お前はそれを否定するのかよ。俺と出会うまで、お前を一人で育てて、心のよりどころも無かったマムの唯一のすがれた物だ。そのささやかな気持ちを否定する様な、そんな女になったのか? そんな考えしか出来ないなら、今すぐCBをやめろ。お前みたいな考えのヤツとは、共同戦線は張れない」
 親としてだけではなく、組織の先輩として、ニーナの考えを否定する。
 ライルを思うが故の彼女の言葉だとは、当然ライルもわかっている。
 それが逆にいらない物だと、彼女に言いたかった。
 長い年月を共に過ごし、そして今はライルとソランは自然な夫婦になった。
 そして、そんな気遣いをする実子ではない唯一の娘に、お前も自分の娘だと、そう伝えたかった。
 全てをありのまま受け入れろと、教えたかった。

 見つめ合った二人の間に、ため息が溢れる。
「……いいんだ、ライル。ニーナの言う通りだ。俺が間違えている」
 ライルが視線をソランに送れば、その場で首の後ろに手を回して、ネックレスを外そうとしていた。
 ちゃりっと軽い音を立てて、テーブルにそれが置かれる。
 それにライルは顔をしかめた。
「間違えてない。お前は何も間違えてないよ。今日はお前と兄さんの記念日で、思い出してもいい日なんだ。俺はずっとそう言ってるだろ?」
 ライルの説得に、ソランは首を振る。
「もう、家族がいる。それに、もう直き家族もまた増える。コレは混乱を招くだけだ。ライルの気持ちは嬉しいが、俺は母親だ。見える形で表せる立場じゃない」
「…………は?」
 なにか、途中でライルの聞き及ばない事が有った気がすると聞き返せば、ソランはニーナに視線を送った。
 ソランの視線に添ってニーナに視線を向ければ、俯いている娘がいた。
 違和感のある空気に、ライルは首を傾げる。
 家族が増える、とは。
 まさか、また妊娠したとか? と、喜色と困惑が心を占める。
 計画的には目の前にいる女の子の双子で終わりの筈だったので、嬉しくも有り、申し訳なくもなる。
 だが、事態はそんな事ではなかった。
「……ニーナ、言いなさい。きちんと『お父さん』に」
 ソランが殊更強調して言えば、ニーナは顔を俯かせたまま、食卓についた。
 そして、口を開く。
 何事かとライルが身構えれば、身構えていてよかったと思える事が、ニーナから告げられた。
「……結婚、したい人がいるの」
「……はいぃ? だって、え、おまえ、まだ二十歳だろ……! 早いだろ! つか相手は!?」
 矢継ぎ早に質問するライルに、ソランは『落ち着け』とばかりに、熱い紅茶を差し出す。
 出された紅茶にも気が付けずに、ライルはニーナの顔を覗き込む。
 そんなライルに、ニーナは頬を染めながら、ぽつりと相手の名前を告げた。
 その相手に、ライルは目を剥く。
「……ラッセ・アイオンさん」
「ら、ラッセだぁあ!?」
 ずっと独身でいたのは知っている。
 だが彼は、ライルよりも年上なのだ。
 年の差は27歳。
 今年で47歳の、立派なおっさんだ。
 あまりの事に、卒倒しそうになるのを必至に堪える。
「え……いや、まて。落ち着け」
 ライルがニーナにそう諭すと、目の前からソランに「お前が落ち着け」と逆にいなされてしまう。
 カタカタとソーサーを鳴らしながら、ソランが入れてくれた紅茶を口に含む。
 そして、大きく深呼吸した。
「……あのな、いくらなんてもラッセは無いだろ。俺よりも年上だぞ? 俺の父親としての愛情が足りないのか? それでラッセなのか? 甘え足りないならもっと俺に言えよ! お前は何年俺の娘をしているんだよ!」
「違うよ! ダディじゃないよ! それ位はアタシだってわかってるよ! そうじゃなくて……ホントに好きなの」
「す、す……すすすすっ」
「ライル、落ち着け」
 再びソランから注意が入り、ライルは取りあえず口を閉じて、再び紅茶に口をつける。
 それでも手が震えて、カップの中で赤い液体が揺れる。
 あまりの事に脳の許容量は完全にオーバーで、こんな事はニーナと初めて会ったとき以来だと、現実逃避的な思考まで回りだす。
 これ以上口の開けない娘の代わりに、ソランはライルに事の次第を伝えた。
「CBに入ってすぐから、ラッセに言われていた。ニーナに追いかけられていると」
「……え、追いかけたのか、お前」
 ライルの問いかけに、ニーナはこくりと頷く。
 その顔は、まさに乙女の物で、ライルの頭痛は酷くなる。
 何もあんなおっさんでなくとも、他にもいくらでもいい男はいるだろうにと、ライルが口を開きかけた所で、再びソランが説明を施した。
「本当に俺の娘だと、ラッセは笑っていた。だが、ここ一年位で様子が変わったんだ。……まあ、その後の詳しい事は、子供の前では言えないがな」
 当たり前のように紅茶を飲む妻を、呆然と見つめてしまう。
 それに、追いかけるのがソランの娘として認識されると言う事は……。
「……え、なに? 兄さんとって、ソランが追いかけたの?」
 あまり詳しく聞いてこなかった事柄に、思わずライルは触れてしまう。
 あからさまに動揺して出した問だとわかる事柄に、ソランは淡々と「ああ」とだけ返す。
 こくりと一口紅茶を含んで、ソランは再び口を開く。
「……後は、自分で言え。もう一回位殴られるのは覚悟しているだろう? ニーナ」
 ソランの言葉に、ニーナは不安げに母親を見つめる。
 二人の視線の意味が、何となくわかってしまうが、わかるが故に聞きたくないとライルは思う。
 じっとりと嫌な汗が体中から吹き出す。
 それでも無情に、精一杯愛情を掛けて来た娘はライルに告げた。
「……二ヶ月、です」
「……………………あ、うん、そう、まだ二ヶ月……うん、そう……」
 主語が無い期間に、ライルは縋りたくなった。
 せめて『付き合い始めて』と言う言葉位は欲しいと思った。
 だが当然、そんな願いは叶わない。
「……なので、ケルディムR4は一時降りました」
「………………………あ、そ、そうか…………」
 現在、哨戒用の機体として残っている、昔ライルが乗っていた機体に、ニーナは乗っていた。
 それを降りるとなれば、もう希望は残っていない。
 ライルは引き攣りつつ椅子を立上がって、子供の手の届かない、鍵のついたライフルケースに歩み寄り、おもむろにその鍵を開ける。
 不気味に笑いながら弾を装填し、ニーナに向かって一言。
「………………今すぐ、ラッセ呼んでこい」
 がしゃんと安全装置の外れる音がして、最後通告を言い渡した。
 そんなライルに向かって、ソランは何事も無いかのように無表情で、手元にあった果物ナイフをライフルに投げつけた。
 丁度、安全装置の場所に刺さったナイフは、外された装置の代わりを果たす。
 そしてまた無表情に、ライルに決定的なダメージを与える。
「妊婦の前で、そんな物を振り回すとは、感心しないな」
 淡々とした口調のソランに、ライルは食って掛かった。
「なんでお前そんなに落ち着いてるんだよ! おま、妊娠て、手をつないだだけじゃ出来ないんだぞ! えろ親父マジぶっ殺す!」
「コレだけ生産しておきながら、お前の口からそんな言葉が出るとは思わなかったな」
 目の前に並んだ子供達の顔を見て、ソランは変わらずに淡々と話す。
「それに、ラッセにはこちらが謝る立場になると思うぞ」
「………あ?」
 まさかラッセが妊娠したとか? と馬鹿な事を考えたライルは、その後、がっくりとその場に膝をつくことになる。
 ソランが視線でニーナを促せば、ニーナは小首をかしげて可愛らしいポーズをとり、可愛くない言葉を吐いた。
「襲っちゃいました」
「…………………え」
 てへっと舌を出して、とてつもなく恐ろしい事を吐く。
「だって、年の差だとかロックオンの娘だとか刹那の娘だとかうだうだ言い続けるんだもん。そりゃあ、種見てるから少しは躊躇するのも仕方ないと思ってたんだけど、二年も清い交際なんてあり得ないでしょ? だから、一発鳩尾にかまして……」
「いい! それ以上何も言うなーっ!」
 種とか、もの凄く娘の口からは聞きたくない言葉が出て来て、半泣きになりながらライルは叫ぶ。
 しかも、あの大男のラッセを一発で沈めるとか、もう何の冗談だと、乙女としてそれはいいのかと、果物ナイフの刺さったままのライフルに縋りながら、床にがっくりと項垂れてしまう。
 精魂尽き果てている様な夫に、ソランは更に追い討ちをかけた。
「……と言う事で、今日はラッセが来る。お前も一緒に全力で謝ってくれ」
「……そうだな。鳩尾一発はな……謝んなきゃいけないのは俺らかもな……」
 さぞかし男のプライドが傷つけられたであろう同僚に、それでも娘を奪う男に、どうしたらいいのかライルはわからなかった。
 そんなライルを前に、ソランは何故か嬉しそうである。
「今年は豪華な誕生日になるな」
 毎年家族で祝っているのに、それだけじゃ足りないのかと、うろんな瞳でライルはソランを見る。
 足りないなら、まだ作るかと、思わず言いたくもなった。
 その上、なにかもの凄く自分が年を取った気がする。
「この年でじいさんとか……何の冗談だよ……」
 しかも年上の息子。
 色々と遣る瀬なく、暫くライルは虚ろな世界から戻れなかった。




 その日の午後、ディランディ家のチャイムは鳴らされる。
 その音に、ライルはびくっと身体を震わせた。
 ちなみに別に、この日になったチャイムは一回ではない。
 郵便やら近所の人やらで、何度も鳴っているのだが、その度にライルは身体を震わせていたのだ。
 だが、来るべき時は来た。
 玄関でソランと男の声が聞こえる。
 とてつもなく聞き覚えの有る声に、思わずライルはリビングのソファのクッションに埋もれたい衝動に駆られた。
 そして、玄関と繋がっているリビングを振り返って、ソランはライルを呼ぶ。
「ロックオン、ラッセが来た」
 一応、仲間の前ではコードネーム呼びなのだが、そのコードネームが今程忌まわしいと思った事は無い。
 ニーナの父親と、同じ名前。
 その名前になった経緯はソランから聞いているが、今この場から全力で変えて下さいと頼みたくなった。
 ……もう20年近く使っているのに。
 ぎこちなくソファから立上がって、玄関に向く。
 視線は上げられない。
 しかも、朧げに見える視界の端で、大男がライルと同じように項垂れているのが映った。
 そんな二人にも構わずに、ソランは嬉しそうに花を持っていた。
「ラッセから、誕生日プレゼントをもらった。今日はおめでたい事ばかりで、いい日だな」
 ウキウキと二階に続く扉を開けて、ニーナを呼ぶ。
 更に他の子供達も呼んで、二階からは大量の足音が響いて来た。
 その音を聞きながらも、佇んでしまっていたリビングで、取りあえずライルはラッセをソファに促す。
 二人の視線は、やはり絡まなかった。
 見た事も無かったラッセの自前のスーツ姿が、この場の緊張を更に高める。
 ライルが遠くを見つめる以外、何が出来ると言うのか。
 8人が猶に座れるリビングセットで、固まったラッセと項垂れたライルは、子供達の到着を待つのだった。





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短文が書けない悪い癖です……(遠い目)。
刹那の誕生日なのに、主役は刹那じゃないのも罠です。
単なるネタでスミマセン……(汗)。