彼の部屋と彼の部屋

※本編オフ本1の直後のお話です

2011/07/13up

 

 ソランの入院騒動も終わり、ライルとソランは本格的に恋人として付き合い始めた。
 ピルの副作用の肺閉栓症も、退院後、数回通院して「問題なし」と完治を言い渡され、ライルはホッと胸を撫で下ろした。
 ソランに何かあっては、まだ関係を確立させたばかりの自分たちでは、彼女の娘でライルの姪であるニーナを守りきれない。 幼い彼女も思い、当然、今まででは考えられ無い程どっぷりと愛しぬいているソランが無事である事を喜んだ。

 完治祝い……と言うことではないが、週末にライルは今まで招いた事のない自宅に、ソラン親子を誘ったのだ。
 これから更に、関係を深めたいと、自分のテリトリーも見て欲しいと思ったのだ。
 子供がいる関係上、どうしても子供のテリトリーでの行動が主になってしまう。
 故に、彼女達は今まで一度もライルの家を訪ねた事が無い。
 それとなく誘った事はあったのだが、タイミングが悪かったのか、彼女達は来なかったのだ。




 そして待ち焦がれた日曜日。
 運悪く、土曜日にライルに仕事が入ってしまったので、結局一日だけの楽しみになってしまったが、それでもライルは朝からソワソワと自宅で待っていた。
 夕べのうちに準備した冷蔵庫の中身も問題ない。
 ニーナが好きな果汁100%リンゴジュースも、必要以上に用意した。
 更にソランが好きなココアも、有名店に閉店間際に駆け込んで買い込んで来た。
 食事は日頃が外食で、台所は得意ではない故にケータリングを頼んであるが、それでも彼女達が好みそうな物を手配してある。
 難を言えば、今週は有給を使ってしまった所為で仕事が忙しく、満足に掃除が出来なかった事くらいだ。
 それでも日頃からソコまで散らかすタイプでもないライルには、問題がない程度である。
 日頃、人の目がない事を良い事に、ばかすか吸っている煙草の匂いを消すために、朝早く起きて窓を開けた位だ。
 当然消臭剤は、夕べから部屋の真ん中にスタンバイさせてあった。
 それでも日頃、ソランの家でも吸わせて貰っているので、彼女達は気にしないだろう。
 そんな思考をぐるぐると頭の中で呟きながら、約束の10時を待っていた。


 果たしてその時間ピッタリに、ライルの家のチャイムは軽やかな音を立てた。
「はいはーい」
 浮かれた心そのままに返事をして、飛びついてくる子供を想定しつつ玄関を開けた。
 だが。
「……あれ?」
「なんだ」
 目の前には、愛しの彼女一人しかいなかった。
 しかも、格好が凄い。
 普段の会社のスーツだとは当然思っていなかったが、そして家の中のラフな格好とも違うとは解っていたが、ソランの服装は、どこの山奥に行くのだというような、汚れても大丈夫だとあからさまに現している作業着だったのだ。
 どうも、彼氏の家に遊びに来る様子ではない。
 しかも、普段はいる子供がいないのに、荷物の大きさが半端ではない。
 何が入っているのかと、首を傾げてしまう。
 とりあえず一つずつ謎を解明しようと、口を開いた。
「ニーナは?」
「託児所に預けてきた」
「……休日もやってるのか、あそこ」
「いや、休日専門の所だ」
「はぁ」
 何故、と、首を傾げてしまう。
 まさかソランが「二人きりになりたかったの」などと言うわけもなく、理由がわからない。
 それでもとにかく、玄関先で問答も無いと思い、彼女の荷物を受け取って家の中に誘った。


 ライルの部屋は、家族の遺品などがある所為で、独り暮らしには広い3LDKだ。
 一部屋が荷物部屋。
 一部屋が仕事部屋。
 当然残りは寝室だ。
 二十代の営業職で何故仕事部屋が必要かといえば、ライルはソランとの繋がりでも現しているように、基本的に技術系の会社提携の営業が主だった。
 故に、その技術を理解しなければならない。
 研究職ほどではないが、その技術を理解して売り込むのがライルの仕事だ。
 だから仕事部屋は、いつでも資料で満載だった。
 それでもデータの整理や書類整理は元来得意で、更に秘匿事項を含む書類がある状態で、まさか人目に触れるような、散らかすような真似はしない。
 それでも男の一人暮らしで、満足な装飾などなく、味気ない部屋に、彼女達がどう思うのかが気になっていた。
 リビングにはソファと小さなリビングテーブルとオーディオセット。
 キッチンの近くに、あからさまに適当に置かれたダイニングテーブル。
 ダイニングテーブルは、実は社会人になってから購入した。
 会社の同僚同士で少人数で集まる時に、便利だったからだ。
 それ以前は、夕食も小さなリビングテーブルで済ませていた。
 それ以外には、家族の思い出を飾っておくボードがあるだけで、ソランの家のように、寛げる雰囲気ではない。
 満足してもらえるのかとドキドキしながらソランを通せば、何故かリビングの入り口でソランは立ち止まった。
 何か問題が……と冷や汗を垂らせば、驚いているのがありありと解る、ソランの大きく見開かれた瞳。
「……掃除、したのか?」
「はい? あ、まあ普通にだけど」
 あからさまに意外だと語る声色に、彼女の顔を伺い見れば、ありえないものでも見るような、そんな視線だ。
 理由がわからず、それでも立たせているのも落ち着かないので、ソファを勧めた。
 ソランも素直に応じてくれたので、ホッと胸を撫で下ろし、キッチンに立つ。
 リンゴジュースは出番が無くなってしまったようだが、何もあせる必要は無い。
 帰りに彼女を送りがてら、ソランの家に持って行けばいいのだ。
 予め沸かしておいたお湯でココアを作り、自分用に紅茶をお盆に乗せてソランの元に戻れば、相変わらずソランはライルの部屋の中を見つめている。
 そして相変わらず、首をかしげている。
 何がそんなに不思議なのか、飲み物をサーブしながらライルは問うた。
「なに、俺の部屋、変?」
 味も素っ気もない事は自覚しているが、そんなに呆れられるほどの物でもないだろうと問えば、ソランは首を横に振った。
「いや……綺麗だなと、そう思って」
「綺麗? 何が」
 部屋の中のどこを見回しても、賞賛されるようなものは無い。
 ライルの母が集めていたミニチュアガラス製品は、子供心に綺麗だと思っていたが、それは今、遺品の中に埋もれていて、目に付くところには無い。
 二人がけのソファしかない部屋で、遠慮無しにソランの隣りに腰を下ろし、淹れたての紅茶を口に含んだ瞬間、ソランから凄まじい言葉が飛び出した。
「お前、着替えはキチンとしているのか?」
「んぁあ?」
 どういうことかと、一口飲み込んで変な声で問えば、紅茶を飲み込んでおいて良かったと思える言葉が続いた。
「だって、使用済みのパンツもタオルも床に落ちていない」
「ぶッ!」
 そんな物を晒す人間がどこにいる。
 そう続けようとして、はたとライルは気がついた。
 彼女の経歴を。
「……もしかして、その格好って、掃除の、為」
「当然だ」
「……いや、双子でもそこは絶対に一緒にしないでくれ。いや寧ろ、顔は混同されても仕方ないけど、そこだけは絶対に混同しないでくれ!」
 子供の頃を思い返し、彼女の行動の理由がわかった。
 ソランはライルとニールを別の人間としてキチンと扱ってくれる。
 同じ顔なのに、重ねられる事が無い。
 ライルはソコが楽だったのだが、肝心の場所を混同されていた事に、頭を抱えた。


 ニールは、子供の頃から片づけが苦手だった。
 そしてこのソランの行動を見れば、大人になっても変わらなかったのだろう。
 ずっと子供部屋は戦争だった。
 喧嘩の主な理由はそれだったのだ。
 遊んだおもちゃは出しっぱなし。
 読んだ絵本も出しっぱなし。
 二人で使っていた子供部屋で、いつでも纏めて怒られていた。
 そのうち自我がはっきりと出始めて、ライルはニールに宣言した。

 ココからこっちは俺の場所!

 カラーテープで線を引き、この場所には物を散らかすなと、親の説教から逃れる手段を講じたのだ。
 それでも我が道を歩む兄は、ライルの言葉も何のそので、領域侵犯を平気で犯す。
 だがそこは領域を宣言した事によって、侵された場所を守るべく、ライルはニールの場所にその荷物を投げ続けた。
 そのうち就学の年齢になり、ライルは伝統のある寄宿学校に入学を許可され、ニールは地元の学校に進路を決めた。
 その頃からもうニールは「神童」と呼ばれていて、平均的に学力が高く、紳士の身のこなしを学習する寄宿学校よりも、自由に才能を伸ばす事のできる環境を選んだのだ。
 寄宿学校は、ライルには天国だった。
 食事に多少の不満はあったが、それでも自宅の子供部屋のような戦争はない。
 同室のクラスメイトとも打ち解けられて、快適な生活を送っていた。
 だが、だからこそ、最初の長期休暇で帰宅したライルは、頭の中のどこかの血管が切れる音を確かに聞いた。
 自分が居なくなった後の二人の子供部屋は、それはもう惨憺たる様相だったのだ。
 領域のテープはそのままだったが、なんとニールはライルのベッドまでも荒らしていたのだ。
 学校まで父親が迎えに来てくれて、和やかに家路に付いたと言うのに、自室に入った途端、ライルは叫んだ。

 ニール出て来い!

 あまりの大音響に、両親が慌てて子供部屋に駆け込めば、ソコにはもう両親も諦めた光景が広がっていて、更に家に居る筈の長男の姿は無かった。
 それでもその声に、ニールは何事も無かったかのように、家の図書室からのんびりと姿を現したのだ。
 ソコから先はもう、取っ組み合いの喧嘩だった。
 人生初の、兄弟の殴り合いの喧嘩だったのだ。
 ライルの領域には、ニールが散らかした本やデータスティックが転がり、普段使う事のないライルのベッドの上には、洗濯に出す予定だろう、山とつまれた脱ぎ捨てた服。
 その中にはパンツや靴下まであって、更にそんな状態では満足に掃除も出来ず、ライルが自宅にいた頃に保っていた清潔は、跡形も無かった。
 その事件をきっかけに、両親はライルとニールの部屋を別けたのだ。
 元々部屋数に困るような小さな家でもなく、単に二人を同じ部屋にしていたのは、寝かしつける為の手を省くためだった。
 そんな行動も必要がなくなった就学した子供たちを、別の部屋にすることは何も問題はない。
 故に両親は、その作戦に逃げたのだ。
 誰もニールの悪癖を直す事が出来なかったという、ディランディ家の苦い記憶である。
 テロ事件よりも、よっぽど苦い記憶であった。
 今は恋人だが、義姉のこの行動に、ライルは思わず滔々と昔話をしてしまった。
 ライルの説明に、ソランはポカンと口を開けて聞き入る。
「……すまない。男性は皆ああだと思っていた」
「お前……自分の父親もそうだったのかよ」
「いや、うちには物が無かったから、出来なかったのだと、そう思っていた」
「CBの男たちは、全員汚部屋だったか?」
「……いや、皆研究分野が違っていて、他のクルーは部屋で研究は出来なかったから……」
 段々小さくなる声に、彼女が普通の男を忘れていたのだと理解する。
 まあ、強烈だっただろう。
 子供の頃から変わっていなかったのなら、彼の部屋など容易に想像がつく。
 更に埃の状況も。
 双子と言うことだけではなく、血筋として見られてしまえば、ライルに不名誉な疑惑がかかっても仕方がない。
 そして彼の部屋が再現されていると思っていれば、当然子供など連れてこられない。
 変なものを吸い込んで病気になりそうだ。
 母親を安心させるべく、ライルはソランをソファから立たせた。
「家の中、全部案内する」
 説明で理解はしてもらえただろうが、家族全員があんなだったと思われたくない。
 故に遺品に至るまで全部見てもらおうと、ライルは先ず荷物部屋のドアを開けた。
「こっちがお袋の遺品で、こっちが親父の遺品。ちなみにこれが妹の遺品。そのほかの先祖代々の遺品は、全部故郷の自宅に置きっぱなしだけど、月に一度は管理入れて、ハウスクリーニングもして貰ってる」
 部屋の中に設置した棚に置いた箱を一つずつ指差して説明を施した。
「洋服は全部慈善団体に寄付したから無い。妹のオモチャもな。残ってる布地のものといえば、お袋のベールと手袋だけだ。遺品の整理のとき、ニールと相談して、お互いの結婚式の時のためにそれだけは取ってある」
「……ああ、わかった」
「この部屋は基本的に使わないから、多少埃はたまってるけど、子供が吸い込んで害になるほどじゃない筈だ」
「……すまない」
 ライルの説明に、ソランは体を小さくして謝罪する。
 それでもライルの気は治まらなかった。
 ソランに対する怒りではない。
 久しぶりに感じたニールに対する怒りだ。
 それを受け止めろと言うのはソランに悪い気がするが、ココまで準備万端で来訪されれば、説明しなければ気がすまない。
「ちなみにコッチは仕事部屋。壁面収納にしてあるから、ニーナが暴れても大丈夫だ。パソコンにも、重要事項にはパスワードがかかってるから、ニーナが遊んでも平気。ちなみにこの部屋は、毎日家を出るときにはドアを開けてあるから、掃除機が勝手に動いてくれている。だから埃は問題ない筈だ」
「あ、ああ。綺麗だと、思う」
 床は自動掃除機に任せて、棚や机は使う際に、必ず拭く習慣がライルにはあった。
 ライルはずっと学生時代は寄宿生活だ。
 他人とスペースを共有する上で、整理整頓は必須の生活習慣である。
「それでココが寝室。布団も外には干せないけど、朝起きたら毎日乾燥機を仕掛けて仕事に行くから、今日もニーナの昼寝には問題は無い筈だ。必ず滅菌処理してるし、シーツは周期は決めてないけど、最低一週間に二回は取り替える。クローゼットに潜られたら、流石にパンツや靴下は引き出しの中にあるけど、ニーナが被って出てくるような事も無いだろうぜ」
「そ、そうだな」
 証明する様にクローゼットを開けて、ソランのクローゼットと変わりない自分のスペースを見せれば、ソランは何故か少し落胆した様子を見せた。
 納得はしてもらえたようだが、その様子にまたライルは首を傾げた。
 何故落ち込む。
 普通にそう思ってしまった。




 一通り家の中を検分してもらって、再び二人でソファに座りなおした。
 その段階で、ライルはソランの大荷物を問う。
「で、あれは清掃道具か?」
「それもあるが、食材を持って来ている」
「あ、成る程。でも今日は、俺が招待したんだから、お前は何もしなくて良いんだよ」
 至れり尽くせりのソランの行動に、出来すぎだとライルは肩をすくめた。
 おそらく兄のニールは、ソランに甘えっぱなしの生活だったのだろう。
 それで無ければ、今回のこのソランの行動があるわけが無い。
 今までは、兄の痕跡が鬱陶しく思う事が多かったが、それも飛び越えて彼女に思いを寄せた自分に納得してしまう。
 一途で、真っ直ぐにライルを見つめてくれる。
 甚だ不名誉だが、ディランディの血筋と言うことで、汚部屋だと思い、快適な空間を与えにきてくれたのだろうソランに、更に気持ちは高まる一方だった。
 ソランはココアを口に含み、溜息をついた。
「……掃除、したいか?」
 予定を遂行したいのならライルは別に構わない。
 見られて困るようなものも無い。
 ニーナに見られて困るものは、全てデータ保存でロック済みだ。
 やる気が空回りしてつまらないのかと、溜息で察して問えば、赤面物の告白をされてしまった。
「いや、俺の出番等無いだろう。ただ、お前の身の回りを世話できないのがつまらないと、そう思っただけだ」
「……うわぁ」
 凄い殺し文句だ。
 ライルは素直に頬を染めてしまう。
 快適な環境を与えようとしていただけではなく、ライルの身の回りを、即ちライル自身に何かしたかったという女の台詞に、感動しない男はいない。
 それが心を通わせている恋人になら、尚更だ。
 何故今日、早起きのついでに洗濯機を回してしまったのかと、思わず後悔してしまう。
 しかも時間を持て余して、乾燥もアイロンも全て終わらせてしまっている。
 もっとずぼらな性格なら、独身男が誰もが夢見る新婚生活が、擬似でも味わえたかもしれないのにと、初めて自分が一人暮らしに慣れていることを後悔してしまう。

 自分の身の回りを、愛しい女が楽しそうに動く。
 それを視線で追いながら、彼女が疲れるタイミングを見計らって、お茶を淹れるのだ。
 そして二人で楽しむ。
 そんな、甘い生活。
 実際にはソランの家では営まれているが、やはり住居が別だという意識が抜けず、自分のスペースで彼女がしてくれる事を夢見てしまう。
『ありがとう、ライル。とても美味しい』
『ソランが整えてくれる部屋が、俺にも一番落ち着けるよ』
 そんな言葉を交わして、お互いを労う。
 お互いの愛情を表して微笑んで、キスを交すのだ。
 そんなライルに、ニーナが強請る。
『ライル! アタシにも! マムだけずるい!』
 可愛い子供がライルにキスを強請り、三人で笑う。

 想像しただけで涎が出る。
 なのにライルは、うっかり一人で生活出来てしまうのだ。
 久しぶりにニールに対して悔しさを覚える。
 随分いい生活送っていたじゃないか、と。
 汚部屋の主のくせに、こんな良い女に面倒見てもらえるなど、寧ろ自分も汚部屋が落ち着くタイプなら良かったと、一卵性の双子なのに正反対の自分が悔しい。
 ライルはそんな想像をしていたが、実際にはもっと厳しい現実をソランは見ていたのだが、当然知る由も無い。
 ニールは本当に、ライルと正反対だったのだ。
 ライルの家で、ライルにココアを淹れて貰っている最中の、落ち着きのないソランを、ライルは気がつかなかった。
 そして、最近では随分慣れてくれたが、ライルがニーナの世話をする事に、ソランは最初落ち着かなかった事を忘れていた。
 託児所から帰ってきて脱いだ子供の服を、ライルは普通に畳んだりハンガーにかけたりしていたのを、ソランがどう見ていたのかを。
 一瞬必ず、手が浮いていたのだ。
 それだけソランは、男を信用していなかった。
 ソランはライル以外はニールとしか恋愛関係を結んでおらず、即ちどれだけソランがニールに生活という場面に置いて仕打ちを受けていたのか、気がついていなかった。
 普通の甘い生活など、ソランは知らない。
 男は手がかかり、そして部屋を汚す。
 お茶一つ自分では動かない。
 そんな認識だった。
 だがライルは違ったのだ。
 世の中に、こんな男がいるのかと、ソランは驚きっぱなしである。
 寧ろニールが異質だったのだが、他の男を知らないソランには、当然理解出来なかった。
 プトレマイオスの中でも、男性陣は部屋を隠したがっていたので、刹那の想像では、ちらりと覗く範囲はロックオンほど酷くは無いが、掃除が出来ていないのだろうと、そう思っていたのだ。
 男の事情など、少女が想像できるはずも無く。
 堂々と部屋に入れてくれるのは、ティエリアだけだった。
 彼は男の事情などは全てデータで保存していたので、しかもプロテクトを怠っていなかったので、少女の刹那とフェルトも招き入れられていただけだったのだ。
 しかも潔癖症で、自室にいるときは常に掃除をしているのを、誰もが知っていた。
 だが、そんなティエリアを、刹那は「つまらない男」と認識していたのだ。
 どうせ手がかかるのなら、とことん。
 そう考えていた。
 突き詰める性格ゆえに、適当に手がかかるよりも、いっその事全部を自分に任せてくれる方が気が楽だと、そう思っていたのだ。
 それでもライルに出会って、その気持ちは少し変わった。
 身の回りの世話はしたいが、気遣ってくれるその気持ちが嬉しかったのだ。
 ソランの家では、ライルはあまり動かない。
 当然それは、ライルが自分の家ではないからと言う遠慮からの行動だったのだが、ソランは気がつかなかった。
 それでも一泊して部屋を去った後、ライルの使った寝室が整っている事に、いつも首をかしげていた。
 想像できたのは、ニールの外面だ。
 共同スペースでは、普通に生活を送っていた彼を思い、ライルが客間を共同スペースだと認識しているのかと思ったのだ。
 故に、絶対に家は惨憺たる様相を呈していると思い込み、付き合う前に誘われた時には、自分が掃除する前に子供をいれる危険性を思い、今後、恋人として付き合う事を確立させた自分たちには、子供も連れて、是非この部屋に来たいと望み、今日の行動に出たのだ。
 ちなみにソランの計画では、今日合鍵を貰い、略毎日掃除に来る予定だった。
 だが新しい彼氏は、ソランの手のかからない男だった。
 女の視線から見れば、多少埃のたまっている場所も見える。
 床や生活スペースには問題は無いが、窓が少し曇っていると思い、更にカーテンのまとまりが悪い事に気がついた。
 そして更に、座っているソファの革が、やはり手が入っていない。
 基本的にそれを目的にして、ライルはこの家具を選んでいたのだが、ソランは子供の頃に、非文明的な生活を送った割には、こまめな性格だった。
 いや、こまめと言うよりも、何事も徹底的にやらなければ気がすまないタイプだったのだ。
 だからこそ、ニールと共に居られたのだ。
 彼は部屋を汚すが、ソランがどう清掃しようとも、文句を言わない男だった。
 たった一つだけ手を触れてはいけないのは、彼のデスクだけだ。
 それ以外は、デスクの下に至るまで、勝手に掃除をしても怒らない。
 汚部屋の主であり、更に片付けを知らなかった男は、触られたくないものだけは、ある一定の場所に置き、それ以外の汚した部分は、自分に関係の無いものとして認識していたと言う、常人では考えられない思考の持ち主であったと言うことで。
 ライルが子供の頃に、ライルの領域に侵入してきたものをニールの領域に投げてもニールが怒らなかったのは、そういった経緯だった。
 空間があればあっただけ汚すが、彼の認識の自分の空間は、いつでも小さかったのだ。
 そして、人よりも探し物が少ない事に、誰も気がついていなかった。
 自分の法則で、自分の認識内の自分のスペースに、彼は実は整理整頓していた、と言うことで。
 ソランはライルのスペースを見て、自活できる素晴らしさは見る事が出来たが、自分が掃除できる場所が少ない事に、少しだけ不満を持った。
 自分が居る場所は、常に自分で掃除がしたいからだ。
 そしてライルの家も、実は自分の場所にしたかったと言う、本人は気がついて居ないが、可愛い思想を持っていたソランだった。




 ライルはソランの手からココアのカップを取り上げて、ソファを立たせた。
 そして、ソランも気にしたソファを指差す。
「ココ。ココは暫く掃除してない」
「……いいのか?」
 ライルの言葉に、ソランの表情は明るくなる。
 そんな様子が可愛いとライルは目じりを下げ、ソランは掃除が出来る事に喜んだ。
「あ、あと窓もあんまり掃除してない。それと……えーと……まあ何でも良い。とにかく俺は、そんなに掃除してないから、ソランが好きなようにして良いから!」
「こんなにキチンとしているのに、いいのか?」
「良いです良いです! もう好きなようにやっちゃって下さい! 所詮男の雑な掃除だから!」
 会話を重ねるごとに、二人のテンションは上がった。
 考えている事は別々だったが、それでもお互いの求めるものが合致した瞬間だった。




 その後、ソランはイソイソと自分が持ってきた清掃用具を取り出して、ライルの部屋を徹底的に掃除し始めた。
 それでも普段、普通に清掃されているライルの部屋は、大して時間もかからずに、掃除の場所が無くなってしまう。
 まだ付き合い始めで、更に初めて足を踏み入れた部屋を勝手に出来ないと、クローゼットや洗面所などをソランが視線で追えば、ライルはずっとソランの後を着いて回って、 その場所を明け渡した。
 そしてソランは目的通り、一日かけてライルの部屋を掃除したのだ。


 夕方、二人でニーナを迎えに行く時、二人はスキップでもしそうなほどのテンションの上がり方だった。
 ソランは満足のいくまで掃除をさせてもらい、ライルは自分が望んだ通りに、ソランが疲れそうなタイミングを見計らってお茶を淹れ、二人で楽しんだのだ。
 夜、ケータリングの食事が届き、三人でその食事を楽しんで、次回からはライルの家でもソランが食事を作る事をライルは頼み、それにソランは喜んだ。
 徹底的に今日掃除はしたが、家の中の物の場所を、自分で決めたいからだ。
 所謂マーキングなのだが、ライルに異論は無い。
 寧ろもっと徹底的にお願いしますと、土下座で頼みたいくらいだった。
 次回、友人を呼んだときには、自慢してやる。
 そんな思いもあった。
 ソランの家事は徹底されていて、更にライルが使いやすいように考えて、そうして配置するのだ。
 しかも、ライルの生活用品、カミソリやシェービングフォームなどは、ライルが普段使っている配置を変えない。
 トイレに至るまで、普段ソランの家で見ているライルの行動から推察しているのか、ライルの使いやすいように整えてくれたのだ。
 こんな女神、この世のどこに居る。
 この日一日の、ライルの感想だった。
 是非独身の同僚には自慢しなければと、ニヤリと口元を引き上げたライルだった。
 ソランの噂は同僚の間では有名で、ライルはつい先週「いい加減諦めろ」と、友人に言われたばかりだった。
 才女で美女など、落ちるはずがないと。
 更に義姉など、男の夢を詰め込みすぎだと、どこの官能小説だと突っ込まれたばかりだった。
 明日の出社を思い浮かべて、彼を家に誘おうと、ライルはソランとニーナを家まで車で送った後自宅に戻り、ソランがマーキングしまくった自室に笑ったのだった。





 その週、果たしてその友人はライルの家に遊びに来てくれたのだが、その時、夕飯の準備の最中に、リビングテーブルでお絵かきに興じていたニーナがつけたクレヨンに気がつかれて、一気に興ざめされた。
 子供がいたんじゃ、楽しめなかっただろうと。
 ライルには楽しい時間だったが、結局世間の男には魅力は解ってもらえずに、がっくりとうな垂れた。

 あんなに可愛いのに。
 あんなに出来た女なのに。

 そう力説するライルは、結局惚気かよと肩をすくめられて、ただの恋に溺れた馬鹿な男の烙印を押されただけで終わってしまったのだった。
 しかもライルの友人は、ソランの恐ろしさに体を震わせた。
 いくら愛しい恋人でも、ソコまで徹底的に部屋の中を検められるのは良い気がしない。
 物の配置を彼氏本位に考えてくれるのは有り難いが、そもそも弄られたくないのが普通だ。
 それを行使する事を、楽しむ女。
 普通に怖い。
 ライルは喜んでいるが、自分は絶対に嫌だと、そう思った。
 そして喜んでいるライルを、普通に「変態」と認識したのだった。
 兄が兄なら、弟も弟。
 方向性は違えども、やはり双子だなと、ライルの惚気を聞かされながら、ライルの友人は見た事の無い汚部屋の主であったニールを思い、ご愁傷様と、あらゆる意味で心の中で祈ったのだった。





end


「Will〜」での兄さんが「ライルは自分と間違えられると激怒する」という説明は、実はこういう理由でしたw
「俺はあんな汚部屋じゃねぇ!」と、子供の頃から思っていたわけです。
顔については当然理解していたんだよ、という、下らないネタですみませんヽ(;´Д`)ノ