それは、些細な興味だった。
子供の頃には誰もが持つ、人に対する興味。
ソレをライルは30歳になった今も持ち合わせている人物だった。
喫煙スペースのある第二展望室に現れた刹那の視線に、ふと問う。
「そういやお前って、吸ったことあるのか?」
「……無いな」
自身の指に挟まれているタバコを指せば、刹那は首を横に振る。
特殊な生い立ちは聞いていた。
内乱の酷い国に生まれ、貧困生活の中からゲリラ兵に仕立て上げられ、救われた先はテロ組織だ。
日常を知らない彼女は多分知らないだろう味に、吸わせてみたくなった。
とはいっても、24世紀は喫煙は最高の贅沢だ。
一般的な生活を送っていたライルが手にしたのは、本当に偶然だったのだ。
通っていた寄宿学校は、上流家庭の息子が多かった。
故に、裕福であった。
ライル自身は奨学生制度を使って通っていたが、そんな場所の友人が、少し大人ぶりたい年頃に手を出したのがタバコだった。
そしてライルはおすそ分けを頂いたのだ。
ずっと抱えていたストレスが、煙と共に昇華される気がした。
奨学生でいるための品行方正な態度の影で、当然未成年に許されるはずの無い喫煙をする。
その時にはもう、怒ってくれる親もいなかった。
唯一の家族の兄も、殆ど連絡を取らない。
普通の子供が親に向かって発散できる、反抗という名の思春期の心の動きは、ライルにはぶつける場所がなかった。
かといって、犯罪に手を染めるほど馬鹿ではなく。
故に、ささやかな社会に対する反抗の手段として、最初は手にしたのだ。
それ以来、手放せなくなった。
今はもう、反抗心など当然無い。
単なる生活習慣になっていた。
それも宇宙空間に身をおくようになってから、以前よりは本数が減った。
MSなんていう凶悪な兵器を操る時も、タバコなんか吸っている暇は無い。
少し灰に気をそらせた瞬間に命を落としたなんて、馬鹿なことにはなりたくない。
それでもタバコの味はライルに染み付いて、結局すっかりやめることは出来なかった。
乗船しているプトレマイオスで、喫煙者はライルだけだった。
他のクルーは大人の対応でライルを笑い、なれない煙と匂いに、最年少のミレイナは眉を顰める。
なんとなく出た喫煙の話題に、過去に吸っていた時期があると告白したのはラッセだけで、イアンにいたっては「そんな余裕があるなら別の機材に費やすわい」と、研究者らしい発言で場を和ませた。
女性陣は誰も口にしたいと思った事が無いとそろって言った。
今は亡き、アニューも。
彼女はまた特別な生い立ちだとしても、普通の人の感覚とはそういうものだろう。
ライルも勧められなければ思いもしなかったものだ。
そんな会話の中、一言も言葉を発しなかったのが刹那だ。
どういう感情をこの忌み嫌われる嗜好品に対して思っているのか。
そういう純粋な興味だった。
アニューを亡くした後、一時期は刹那に対して抱いた憎悪が、愛情に変わるのに時間はかからなかった。
ずっと守ってくれる女。
憎まれ役を買って出て、付き合っていた、思いを寄せ合っていた二人に、殺し合いをさせたくないという刹那の心は直に理解できたのだ。
それでも心を落ち着けられるまでにかけた時間の間、刹那がなるべくライルと時間をずらして生活してくれていた事に気がついたとき、どれだけ優しいのだと、心の底から刹那に感服した。
そして、気がつけば目で追っていた。
更に、その美しさに目を奪われた。
見た目だけではない、純粋さに。
アニューとは純粋に興味を引かれ、意図しない部分もあったにしても、両思いになった。
その後の刹那は、彼女の男に対する興味の無さも合わせて、必死になって思いを伝えた。
ライルの努力の賜物か、刹那はライルとの付き合いに首を縦に振った。
一言だけ、付け加えて。
「普通の女を、俺に期待するな」
アニューのようなたおやかさも優しさもない。
料理だって出来ない。
そう言った刹那に、ライルは笑った。
そうじゃない。
人の魅力ってのはそういうものだけじゃない。
女としてではなく、人として愛情を感じた。
そう諭せば、刹那は少し眉を寄せながらもライルの気持ちを受け取ったのだ。
そして始まった付き合いは、ライルにとってあまりも気安く、今までの女への態度がどれだけ自分が頑張っていたかを突きつけられた。
本当は、こんなに簡単なのだと。
人の心の向きというのは、努力して修正するものではない。
そんな感想を抱いた。
ドライな関係。
一言で表せば、刹那とはそういう付き合いだった。
二人でミッションをこなし、合間を縫って男女である事の確認作業のようにセックス。
ただそれだけ。
他愛の無い会話は気が向いたときに、本の時たま交わされて、それがお互いに心地良いと感じられる。
そんな存在。
それでも相手に興味がないかといわれれば、当然それはあるのだ。
今も刹那は用も無いのに、ライルがいるとわかっている喫煙スペースのある第二展望室に姿を現した。
二人だけの空間で、お互いに手を上げて挨拶をして、その空気に身を委ねる。
それでも刹那の視線に、興味を引き起こされた。
そして思ったこと。
いつでも冷静で、無表情に近い刹那の顔を、歪めてみたい。
笑顔も当然良いと思えるが、刹那に笑顔を浮かばせる事がどれだけ大変かを、出会ったときからなんとなく理解していて、また態々努力して仕掛けてまで笑わせることも無い。
ソレよりも、簡単だ。
普段と別の表情が見たいというのは、普通の恋心の動きだと思う。
別に虐めたい訳ではない。
ただ、少しだけいつもと違うエッセンスが欲しくなっただけなのだ。
ライルは火のついたタバコを掲げて、刹那を誘う。
「吸ってみ?」
「いらない」
即答されて、肩をすくめてしまう。
実は嫌いなのかとも思ったが、ソレにしては刹那は喫煙しているライルの周りに平気な顔で留まる。
喫煙後にキスすら受け入れる。
なら、少しくらい楽しませてもらっても良いではないかと、ライルは勝手に推し進める。
「一口くらいじゃ中毒にならないって。良いも悪いも、何事も経験さ」
吸った事が無いのなら、おそらく咳き込む。
体調を崩したところなど見た事も無く(怪我を除く)、セックスすら、下手をすればライルの男の沽券に傷がつくと思うほどの体力だ。
何も言われた事はないが、刹那は快感に貪欲だった。
いくら絶頂を迎えても、底なしの体力で求め続ける。
だがソレを自覚していて、強請ることもない。
終わった後に無表情に「終わりか」と視線で訴えられる。
そしてそんな無愛想な女の割りに、性体験は豊富らしく、フェラチオもイラマチオすら受け入れる。
更にはえづかない。
とにかく健康な表情以外を見てみたかった。
ささやかな独占欲。
そんな表情も知ってるんだと、そんな優越感が少しだけ欲しかった。
ライルのしつこい勧めに、刹那はため息をついてライルの指からタバコを受け取った。
「……どう吸うんだ」
「どうって、普通に口に咥えて……」
一旦言葉を切って、思いついたことを提案してみた。
「……ストローで飲み物飲むみたいに、思いっきり吸い込んでみ」
常習者の吸い方を、悪戯心で提案する。
初めて吸う人間がそんな事をすれば、なれない刺激に肺が過剰反応を起して、確実に咳き込む。
しかも、盛大に。
泣くだろうか。
潤んだ刹那の瞳を想像して、ニヤリとライルは口端を上げる。
楽しそうなライルに、刹那はもう一度溜息を零して、言うとおりに肩が上がるほど一気に煙を吸い込んだ。
「……あれ?」
ライルは首を傾げる。
なぜなら刹那は、言われたとおりに思いっきり煙を吸い込んで、そのまま大量に吐き出したからだ。
煙の色に、それがきちんと肺に到達された後の副流煙であると解る。
だが、刹那は顔色をまったく変えなかった。
心の中で、小さくライルは舌打ちをする。
期待してたのに。
涙目で縋る刹那を。
たまにはそんな姿も良いではないか。
そう思っていたのが、見事に覆される。
更に、刹那からは思ってもいなかった感想が流れた。
「……以外に美味いな」
「え……そ、そう?」
ライルは最初に吸った時に、そんなことは思えなかった。
刹那に期待したとおりの反応をしたからだ。
しかも、舌に残る刺激に顔を顰めた。
更には匂い。
独特のニコチン臭に、慣れるのに時間がかかった。
何故、と、呆然と刹那を眺めていれば、刹那は言葉通りに気に入ったのか、貰ったタバコをそのまま吸い始めてしまった。
二口目で、自分を見るライルに咥えタバコで首を傾げる。
「……もらってはダメだったか?」
「い、いや、ドウゾ」
「そうか、ありがとう」
「……イエ、どう致しまして」
そのまま暫く眺めても、刹那に変調は見られなかった。
珍しく機嫌がよさそうに嗜好品を口にする刹那に、当然のように疑惑がわく。
「……お前、吸った事あるだろ」
刹那の指に挟まれたタバコは、刹那が口元に運ぶたびに普通に短くなっていく。
その様子は、慣れた人間の動作と変わらなかった。
ライルの質問に、刹那は煙を吐き出しながら「いや」と返事をする。
その仕草も、立派に慣れた感じに見えた。
「こんなものは、お前が近くに来るまでは見た事も無かったな。タバコといえば、俺の生まれた地方では水タバコが主流だったしな」
「……水って……あのパイプのか?」
「あの、と言われても解らないが、大人たちはタバコバーで楽しんでいた。しっかりと記憶にあるわけではないが、甘い香りは覚えている」
「へぇ……甘いんだ」
「らしいぞ」
そんな会話をしながらも、刹那は最後の一口を吸い終えて、エアカーテンの中で最後の煙を吐き出した。
そしてライルの手の中にある携帯灰皿に、吸殻を押し付ける。
見れば、ライルよりもきっちりとフィルター近くまで吸われていて、どこのおやじの吸殻だと問いたくなる。
極め付けに、刹那は初めてライルに請うた。
「今度入手するときは、俺の分も頼む」
「へ? お前吸うの?」
「ああ、美味かった」
平然と言う刹那に、ライルは自分の行動を後悔した。
ささやかな興味だったのに。
なのに、常習性のあるものを人に勧めてしまった。
更に嵌らせた。
これは仲間に知られたらヤバイと、一人嫌な汗をかく。
だが、次の刹那の言葉に汗は止まった。
「お前の味がした。お前が恋しくなった時には丁度良い」
「……すげぇ口説き文句だな」
「そうか?」
「無自覚かよ」
つまりは、代替品なのだ。
ライルの。
タバコの味に恋しさを表す等、かわいいことを言ってくれる。
滅多に見せない執着を言葉にしてもらい、こちらの方が断然良かったとライルは小さく笑った。
涙よりも、ずっと。
普段のそっけなさも、こういう所で刹那は全て帳消しにして、ライルを満足させてくれる。
つくづく良い女だと笑いが止まらない。
そして刹那の寛ぐ姿に、いつもの確認を請うた。
「時間、あるんだろ? 部屋行こうぜ」
「ああ、俺も誘いに来たんだ」
女らしさの欠片も見せずに、ライルの性欲に普通に答える刹那に、ライルはまた笑ってしまう。
男同士みたいだ。
そう思いつつも、性格に合わず、女を強調する体型に、素直に溺れるのだった。
誰もいない第二展望室で唇を合わせれば、刹那の唇からは当然初めてタバコの香りが漂う。
自分と同じ味に、ひそやかに口の端をあげる。
ああ、嵌っていく。
ニコチンよりも余程常習性のある甘い感覚に、ライルは溺れた。
そして先ほどの刹那の言葉に、この先もタバコはやめられないと思ってしまう。
離れている時、ライルもきっと、煙の向こうに刹那を見るから。
刹那さんは男でも女でも無自覚のたらしだと思ってます(真顔)
そして落ちていく人々に気がつかない最強生物。
そしてアイドルを手に入れて虐められればいい愛しいディランディズです。
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