「一本勝負だ。貴様が負ければ今後一切付きまとわないで貰う。俺が負ければお前と付き合ってやる」
竹刀を突き出した、剣道の防具を纏った小柄な彼女は、ニールに宣言した
「やべぇ……マジ可愛すぎるどうしよう……」
桜咲き乱れる季節、入学式の手伝いをさせられた高校3年生のニール・ディランディは、自宅のベッドで悶えていた。
「や、マジ気持ち悪いから兄さん」
その様子を冷ややかな視線で、ニールの一卵性の双子の弟、ライルは眺める。
しかし、眺める以外の事は出来ず、またしようとも思わなかった。
あえて言えば、眺めたくも無い。
それでは何故眺める羽目になったのか。
それはニールが悶えているベッドが、ライルのものだからだ。
要領の悪いニールが、罰ゲームよろしく入学式の手伝いをさせられた日、ライルは当然の顔でそれを回避し、自宅でのんびりと休日を満喫していた。
優雅な春の日に、気分よく自室のベッドに寝そべりながら漫画を読みふけっていると、午後になり騒がしく玄関のドアの開く音が家中に響いた後、あろうことか何の前触れもなく自室のドアが開いたのだ。
そして同じ顔の男が自分のベッドにぎゅうぎゅうと潜り込んできて、悶えている。
ベッドは体の大きなライルに合わせて、通常のシングルベッドよりは大きいが、それでもそれはライル一人が寝るための物で、ライルと同サイズの体がもう一人横たわるには当然小さい。
そうなればやはり当然の現象として、二人は密着しなければいけない。
気持ち悪い。
それ以外にどうライルが感想を持てと言うのか。
ホモの趣味もなければ、さらに言えばナルシスの趣味も無い。
同じ顔と同じベッドなど、なんの嫌がらせだとニールを蹴落とそうと努力したのだが、無駄にいい反射神経と鍛えられた筋力で、ニールはライルにしがみ付き続けていた。
故に、眺めるしかないのだ。
傍らに人がいる所為で、今まで眺めていた、クラスのオタクっぽい友人が持ち込んだエロ漫画も開けない。うっかりそんなもので勃ってしまったら、一人なら落ち込むだけで済むが、人の目が合ってはそれだけでは済まなくなる。『お兄ちゃんらめぇ!』で勃起は、なんとしても避けたい所だ。
それを家族に知られることも然り。
妹が居る身としては、本気で避けたい。
それでも続きが気になるのは、多少Mっ気がある所為なのかと、現実逃避的にライルは考える。
とりあえず、同じ体格の男と同衾している事実から目を背けたいのだ。
だが、暫く大人しかったニールがもぞもぞと動き出した所為で、その現実逃避もかなわなくなる。
「ちょ、動くなよ、マジで気持ち悪いからっ!」
ライルの胸に頭を押し付けて、ニールは動き続ける。
その気持ち悪さたるや、嫌いなグリーンピースを大量に目の前に出されたときよりも酷いだろう。
「だって、マジで可愛いんだって!」
真剣な顔で身を乗り出したニールは、勢いあまってライルの上に乗り上げてしまう。
何を考えているのか、ライルにはさっぱりだ。
だが、一つだけ問題が浮上した。
ささやか、と言えばそうかもしれないが、ライルにとっては不名誉で、気分の悪さに吐きそうになる程の言葉が、自室のドアから響いてきた。
「……ニールとライルって、ホモだったのね」
響いてきた声の方向に視線を向ければ、そこには妹の姿が。
その瞳がなぜか輝いて見えるのは、気のせいではないだろう。
妹のエイミーは少しオタクっぽく、何故か男同士のラブストーリの漫画に嵌っている。今回のライルの漫画も、ライルがその話を友人にした所回ってきた代物なのだ。
したくも無い釈明の言葉をライルが口にする前に、テンションの上がったらしいエイミーは、ニールが開けっ放しにしたライルの部屋のドアから、有難くない注意を入れてくれる。
「ドアは閉めたほうがいいと思うわよ。ライル、お風呂は沸かしておいて上げるから、頑張ってね! ニールはライル壊しちゃダメよぉ!」
うふふ、と笑いながら静かにドアを閉める妹にライルは、今日は厄日だと目が遠くなった。
コレは彼女のアニュー・リターナが入学式の手伝いに借り出されたという話を持ってきて、「一緒にやって」とオネダリしてきたのを即答で断ったのがいけなかったのかと、彼女の呪いなのかと、本気で考えた。
容姿端麗、頭脳明晰の彼女は、実のところ少し情が怖いとライルは思っている。別にその気は無いが、仮に浮気などしたら、殺されるか、股間の一物を切り取られると想像して震えているのだ。
彼女の呪いなら、甘んじて受け入れなければと、結婚の約束もしていないのに既に恐妻家っぽい考えに支配されつつ、ライルは己を押し倒しているような兄にため息をついた。
「……で、何が可愛いって?」
間違えても己にではないであろう言葉を繰り返してやれば、ニールはぱぁっと顔を輝かせた。
「もうな、赤っぽい目も褐色の肌も跳ねてる黒髪も、反則なくらい可愛いんだって!」
語りたくて仕方がなかったと言わんばかりのニールの叫びを、ニールの下から聞く。
フムフムと頷いてやれば、更にニールの語りは続く。
「ぶつかった時、頭が俺の胸辺りにあったから、多分身長は160くらいかな。んでももっと小さく感じるかも。背中がすんごい華奢で、壇上に立った時には細っせーって思ったし」
更にフムフムと聞き、どうやらニールの心を射止めた彼女は、新入生の代表をしていたらしい事を察する。
と言うことは、と考えて、根本をニールに問うた。
「……で、名前は」
新入生代表をしていたのだから、当然わかっているのだろうと聞けば、ニールは頬を染めてライルの上でもじもじと体をくねらせ始めた。
気持ち悪い。
本日何度目かの感想を抱き、自分は何があっても決してモジモジするまいと、同じ顔と同じ体格の男をみてライルは心にした。こんなに気持ち悪いものだとは、と。
「わかんないから、ライルに聞きに来た」
「……はい?」
その耳は飾りか作り物かと、あまりにもバカな質問を持ってきた兄を、更に冷たい視線で眺める。
「わかんないって……だって、代表したんだろ? その時名前出なかったとかは無いだろ」
当たり前の事を告げれば、更にニールはモジモジと体をくねらす。
「いや、あんまりにも可愛くって、ガン見してたら、気がついたら入学式終わってて……」
本末転倒。
コイツは本気でバカだと、ライルは思った。
情報収集は基本中の基本だろう。特に、よく知らない相手に惚れてしまったのなら。
名前とクラスがわからなければ、この後どうやって追うのかと、眉をしかめる。
だがここまで来て、何故ニールがライルの元に駆け込んだのかが、おぼろげながらだが解った。
「……電話しろって言うのかよ」
彼女が入学式に手伝いで行っていたのは知っている。おそらくニールは挨拶を交わしただろう。誰にでも友好的で、更にアニューはニールのお気に入りのライルの彼女だ。今までの中で一番気に入っているらしい。ちなみにコレはニールだけではなく、家族全体の総意だ。
とにもかくにも、友人は多いくせに彼女は殆ど作らない、恋少なきニールが恋をしたのなら、多少は手を差し伸べてやるかと、覆いかぶさっているニールを足でどけて、携帯電話に手を伸ばした。
背後で「アンっ」とか可愛い言葉を可愛くない声で吐いた兄のことは、この際そっとして置いてあげようと思った。
きっと久しぶりの恋で、頭がおかしくなっているのだと。
そう思わないとやっていられない。
手早く発信履歴からアニューの番号を呼び出して、通話を押す。付き合い始めてから直ぐに通話定額無制限に加入しているので、いつでも繋ぎ放題だ。何故そんな細かいことをしたかといえば、携帯電話の料金は自分の小遣いから出るので、慎重になっているだけなのだが。
かなりマメな男のライルは、時間を気にしつつも彼女に連絡を入れれば、バイトの時間まで少し間のあるタイミングで電話は繋がった。
背後で枕を抱えてもんどりうっているニールを眺めつつ、本題を切り出す。
果たしてアニューは、あっさりと答えてくれた。
『いたわよ、その子。名前は「刹那・F・セイエイ」さん。F組の子ね』
情報を聞いて、何故中高一貫教育の自分たちの居る学校で、今まで兄が恋をしなかったのか理解した。
F組みは、基本的に外部からの入学者と、成績のいい有名大学への受験組みとして作られているからだ。
だがその名前に、ライルはふと気がつく。
「あれ……その子って、剣道の?」
子供の頃から習わされている剣道の大会で、いつでも女子部を眺めて『いいスタイル』と感嘆していたライルには、なんとも馴染みのある名前だった。
いつでも決勝まで残る、スタイルがいいとは言い辛い事で印象に残っていた少女だった。
『よく知ってるわね。私は今日話す機会があったから、話の流れで聞いたけど、有名なの?』
「ん、いつでも決勝まで残るし、大体優勝してるな」
『ライル、女の子が居れば何でも見るものね』
痛い所を突かれたが、言われた通りなので何も言い返せない。
子供の頃からの習い事の、剣道とサッカーと射撃、全てに大会に出られるまでに練習したのは、偏に女子部の情報を得るにはそこまで上らないと見られないからだ。
両親はその心を小さな頃から巧みにくすぐり、元来やる気の欠けているライルをうまく育ててくれた。
剣道と射撃は、女子部の大会を見る為。
サッカーは上手いと女の子にモテル。
そんなバカらしい理由を諭されて、うっかり真面目にやってしまい、理由の馬鹿らしさに気がつく年齢には、もう引き返すことの出来ないところまで修練してしまった。
反抗期でやめられたのは、サッカーだけだ。
そんな甘酸っぱい過去を降り返りつつ、記憶の中の「刹那・F・セイエイ」を引っ張り出して見る。だが、どうしても顔が出てこない。
理由はわかっていたが。
いつでも大会の後、きゃいきゃいと可愛らしく騒いでいる女の子の群れに、彼女が居なかったからだ。
試合が終わると、愛想無くさっさと帰ってしまうらしいが、それでも体に興味を持てなかったライルは、些細な事と片付けていた。
その相手に、ニールは恋をしたらしい。
物好きな、と、振りかえる。
先ずは体だろうと、人に聞かれれば「最低」と言われそうな事を心の中で呟く。
そんなライルの心を読み取ったのか、電話口から冷気が漂ってきた。
『それで、何で急ぎでそんな事聞くのかしら。浮気でも考えているの?』
どうせニールから聞いたのだろうと、女と見れば即興味を持つライルをよく理解しているアニューは、冷ややかに詰問する。
普段穏やかな彼女は、怒ると恐ろしいことを知っているライルは、慌てて釈明を口にした。
だが、慌てているとろくな事はない。
「違う! 俺じゃなくてニール! 帰ってきたとたん俺のこと押し倒して、可愛い可愛いって悶え続けてて……っ」
思わず馬鹿正直に状況を説明してしまって、はっと我に帰る。
だが、音として口をついた言葉は戻らなかった。
『まあ、押し倒されたの。大変ね。今日私、貴方の世話をしにいってあげてもいいわよ?』
心なしか、アニューの声が弾む。
いや、確実に。
理由は、エイミーが嵌ったホモ漫画を、当のエイミーに吹き込んだのはアニューだからだ。
見かけを裏切る腐女子っぷりに、ライルが引きつったのは、もう随分と前の話だ。
「お前……俺、一応お前の彼氏だよな? 彼氏を妄想の餌食にするのは止めような?」
『男なんて、みんな妄想の餌食よ。何度説明すれば理解してくれるのよ』
「俺がほられて嬉しいのか? 浮気だよな?」
『男相手なら別に良いわ。だからニール君と頑張ってね。心をこめて、アフターケアはさせて貰うわ』
ハートマーク飛び散る明るい声に、ライルはがっくりとうな垂れる。
何故彼女に恋をしてしまったのか。
ニールの事を悪趣味だとは言えない。
お互い様だ。
双子とはそこまで似てしまうのかと、件の「刹那」に対しても恐怖心を抱いてしまうのだった。
やさしくたおやかなアニューが好きな方、本当にすみません(ジャンピング土下座)
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