ヒメハジメ

2013/12/29up

 

「あたッ!」
 この小さな叫びは、ロックオンが自室に帰ってきた時に起こった。
 普段ならなんの障害物もない筈の自室のドアに、額に当たった何かを視線で探せば、見たこともない藁で作られているモチーフが目に入った。
 そこで改めてロックオンが周りを見回せば、更にドアの両サイドに、ロープで作られている松のインテリアがあった。
 何故そこにそんなものがあるかなど、当然ロックオンは理解出来ない。
 しばらく眺めて首をかしげ、部屋の中にいるであろう人物に問いかけようと、今度は慎重に扉をくぐった。
「おーい、刹那ぁ?」
 恋人として付き合い始めて2ヶ月の、まだ少しくすぐったい感情と共に恋人の名前を呼べば、声だけの返事が聞こえてきた。
 その声がくもっている事から、シャワー室を覗き込めば、一心不乱にバスタブを磨いている小さい背中と黒い頭。
 いつもの部屋の中のトレーニング用のタンクトップと短いスパッツは、ロックオンには見慣れた刹那の様相だった。
 何が違うかと言えば、いつでも掃除しているその場所を、細部にわたってマイクロ単位で磨いている所だろう。
「……なにしてんの、お前」
「大掃除だ」
「掃除〜? 毎日してるだろ」
「だからタダの掃除ではない。大掃除だと言ったろう」
「何処が違うのかサッパリわからん」
 ロックオンは刹那と付き合い始めてから、掃除道具を握ったことはない。
 それ以前は、なんとなく気が向いた時(3ヶ月前後放置の上)、適当にホコリを払うだけだった。
 毎日の刹那の掃除を見ていて、いつも「よくやるなぁ」と思っている。
 その上の掃除となると、ロックオンには何が起こっているのか、全くわからない。
 普段からユニット式の水場は綺麗になっていると思うし、本日もまたいつもの感想しか浮かばない。
 それに何故年の瀬の忙しい時期に、徹底的な掃除を施さなければならないのか、ロックオンには理解できなかった。
「あー、掃除もいいけどよ。今週中にまとめなきゃイケナイ身体データレポート、仕上げねぇか?」
「ココで最後なんだ。水場はやはり清めて祓わないと」
「……はい? 何しなきゃいけないって?」
「祓うんだ。ちゃんとお飾りは買ってきてある」
「おか……え?」
「年末新年の日本の行事だ。前年の汚れを徹底的に除去して、新しい年に望みをかけるッ」
 相変わらずどう調べたのかわからない日本の文化を突きつけられて、ロックオンはピシリと笑顔を凍らせた。
 刹那が日本の伝統、行事、いや、文化自体を取り入れようとしたのは、ロックオンの好みだと思い込んでいるからだ。
 何度も繰り返している言葉を、地団駄踏みながらしつこくロックオンは叫ぶ。
「だーから! 俺は日本文化なんて知らねぇしッ、日本人が好みな訳じゃないって、何度も言ってるだろ!」
 刹那と付き合うにあたって、腰が引けていた時の言い訳の一つを未だに実行している刹那に、自分の黒歴史を見せられている現状を、ロックオンは耳まで赤く染めながら何度も訂正する。故にこの同じセリフを今回も叫んだ。
 そんなロックオンの姿にもめげず、刹那はスポンジを握り締めた。
「この行事に限っては、お前の好みとは関係ないッ。俺がしたいからしているんだッ」
 何時になく力強い声に、ロックオンは眉をひそめた。
「……なんで、こんな面倒な事をしたいんだ? お前、まさか……」
 符合するロックオンの言葉に、握り締めたスポンジごと、勢いをつけて刹那はバスタブの中でロックオンに振り返った。
「そうだ! 来年こそ、俺はお前の子供を孕む! 俺がガンダムだ!」
「ガンダムは孕まねぇよ!」
 あいも変わらずの刹那の意味不明なガンダム発言も合わせて、ロックオンは我慢の限界を迎え、刹那の泡だらけのスポンジを取り上げた。
「来年はまだ作らねぇ! 16になったばっかりのお前にはまだ仕込まねぇ! せめて18歳までは仕込まねぇからな!」
 ロックオンの叫びに、刹那はいつもの我慢する表情は見せず、フッと不敵な笑みを浮かべた。
「お前がそう言うのはわかっていた。だから俺は願をかけるんだ」
 取り上げられたスポンジの代わりに、手近にあった、ドアにかけてあったものと同じ素材で作られている、白い紙が飾りになっているモノを、刹那はロックオンにつきつけた。
 刹那の冷静な声色に感化されて、ロックオンもまた静かに怒らせた肩を下げ、大きくため息を一つついた。
 その直後、刹那の手からその飾りを取り上げて、輪の部分を引き裂くように握った。
 だが、案外丈夫に出来ているそれを、瞬時に壊すことが出来ず、うごうごしている間にそれは刹那に取り返されてしまった。
「残念だったな。日本の縄は、見かけより強いんだ」
 勝利したように不敵に笑う刹那に、ロックオンは手の代わりに口の攻撃に出た。
「お前ッ、この世に神はいないって、いつもの口癖のくせに、なんでいきなりこんな土着的な神様祀ってるんだよ!」
 普段の無神論者の口癖を浴びせかけられても、刹那は動じなかった。
「別に神に祈っているわけではない。ただ思いの強さをカタチに表してみているだけだ」
「……」
 つまりは、この飾りとドアの飾りは、刹那のロックオンへの訴えというわけで。
 あまりの事に、ロックオンはその場が濡れているにも関わらず、バスタブの淵に縋って崩れ折れた。
「……お前さぁ、どーして子供の事に関してだけは、俺の望みを聞いてくれない訳? 俺、何度も何度も何度も何度もコレでもかって程、夢の家族計画話してるよな?」
「ああ、そうだな。だが俺も、何度も何度も何度も何度も早く子供が欲しいと訴えている」
 お互いの歩み寄りは望めないこの抗争は、付き合う前から続いている。
 だが、色々と言葉巧みに、今まではロックオンが討論の勝利を獲得していた。
 ……ベッドの中で。
 そんな、望んでいない色気のないセックスをしているロックオンは、次の刹那の言葉に、初めて敗北を予感した。
「だがな、ロックオン」
「……なんだよ」
「この年末年始の日本の文化はお前も気に入る筈だ」
「どうして」
「日本には、クリスマスと正月にある風習があってな」
「どんな? つか、その二つに共通点を見いだせないんだけど、俺」
 首をかしげたロックオンに、刹那は奪い返した輪飾りをロックオンから遠ざけて置き、バスタブと自分についた泡を、シャワーを使って洗い流した後、そっとフィアンセに近づき耳に口を寄せる。
「クリスマスには高級ホテルに泊まり、特別なセックスをする」
「ぶッ」
 そんな風習など聞いたことがない、クリスマスを祝う風習のある地域出身のロックオンは、あまりの事に吹き出した。
「そのために、日本の男は一年かけて、女を捕まえるそうだ」
「えぇ!? ちょ、それって夫婦の間だけの話じゃねぇの!?」
「違う。しかも、女が捕まらなくても、その日だけの相手でもするらしい」
「わぁ……日本でキリストはセックスの神様にでもなってんのか?」
 ロックオンも別に神を信じている訳ではないが、それでも道徳の規範とされている宗教が、極東の島国であらぬ変貌を遂げていたと思い、乾いた笑いが止まらない。
 当然、この情報は、刹那の謎のネットの検索結果なのだが、詳しく知らない外国の文化に、ロックオンは口元を引きつらせる以外、何も思いつかない。
 そして未来の嫁の話はさらに続く。
「そして12月25日から、年越しの為の商戦が始まるらしい」
「25日って……クリスマスじゃねぇか」
「日本のクリスマスは24日らしい。だから25日にはクリスマスの装飾は取り外され、正月に向けての準備が始まるんだ」
「準備って……今お前がやってる事か?」
 マイクロ単位の掃除を指してロックオンが尋ねれば、刹那はロックオンがヘタレこんでいる床に正座し、真面目な顔で続きを語る。
「確かにこれも準備の一つだ。『今年の汚れは今年のうちに』と、ヤマトナデシコには代々受け継がれているらしいからな」
 再びロックオンの痛いところを突いて、それに気がつかない刹那は、未来の夫の眉間の動きを気にせず、話し続ける。
 刹那にとってはここからが本題だからだ。
「だが準備はこれだけではない。日本は31日の夜から、延々とご馳走を食べ続ける」
「……へ? ニューイヤーじゃなくて?」
「ああ。まず31日の夜、蕎麦を食べる。そして神社に行き、アマザケやオミキというアルコールを摂取し、そのまま1日の朝を迎え、オセチと呼ばれる何種類もの豪華な料理を食べ、更に酒を飲む」
「飲みっぱなしだな」
「ああ。だがコレは、次の段階の鋭気の為だ」
 主語を抜かした説明に、ロックオンは更に凄いことがあるのかと身構えれば、身構えていて良かったと思う言葉が刹那から囁かれた。
 一度離した体をロックオンに摺り寄せて、刹那は殊更煽るように、ロックオンの耳元に囁いた。
「二日間に渡る暴飲暴食は、1日の夜の『ヒメハジメ』の為だ」
 わからない単語に、ロックオンが首をかしげれば、それを予想していた刹那は、心の中で満面の笑みを浮かべる。
「この行事は、夫婦や恋人同士の必須事項で、その年のセックスの楽しみを願うものだ」
「……ッ!」
  その言葉に、ロックオンのテンションは一気に上がった。
(日本万歳!)
 日頃色気の欠けるセックスを繰り広げる自分たちに、大きな変化を期待したのだ。
 戦況や戦術に関しては先の読めるロックオンだが、男の欲求に直接訴えかけられたこの誘惑には勝つことが出来なかった。
「……さて、どこを掃除するんだっけ?」
 己の言葉をころりと変えて、刹那に協力の体制を構えたロックオンに、刹那は上手く隠せた更なる情報を実行できると、満足気な笑みを浮かべた。