こんなにも長い幸福の不在


2007.03.16up



 

行かないでと。
一緒にいてと。
泣きながら縋ってきた小さな君を見て、僕は初めて悲しみを覚えた。
けれど、それは幸福の始まりで。
君を思うだけで。
君の事を考えるだけで。
どんな時でも幸せに浸れた。
だから。
君と離れていた時間は、僕にとっては決して不幸ではなく。
寧ろ、至上の楽園の様だった。


けれど。
君と再会した時、僕は楽園から追放された。
君が欲しくて。
君が誰かに向ける笑顔が悲しくて。
焦がれた君が傍にいるというのに、僕は幸せではなかった。
もっと。
もっともっと。
もっともっともっと君を僕の中に取り込みたくなって。
その欲は、際限がなくて。
そして、僕は君を手に入れた。


光の中で君は僕に向かって笑う。
その笑顔は、とても綺麗で。
泣けてくる程、とても綺麗で。
その美しさは僕に恐怖を与える。
失うという、恐怖を。
手にした筈なのに、それがなくなるのではないかと。


もしくは。
これは夢なのではないか。
綺麗な綺麗な、夢なのではないか。
目が覚めたら、やっぱり僕は一人で。
君の姿は、どこにもなくて。
君の存在全てが、孤独な僕が作り上げた虚像なのではないかと。
手にする事の出来ない光を、掴んでいる様な錯覚なのではないかと。


子供の頃、木漏れ日を掴もうと必死になった事があった。
光が当たった瞬間に、掌を握り込む。
だがそれは、当然の様に叶う事はなかった。
拳の上に、僕をあざける様に光は煌めく。
握った筈の光を確かめようと掌を覗いてみても、そこには相変わらず何もなかった。


同じなのではないかと。
木漏れ日を掴む事が出来ない様に、君を手に入れたと思ったのは錯覚なのではないかと。
掌に納めたつもりで、実は握った手の上に降り注いでいるだけなのではないかと。

不安に苛まれて、僕は嘗てない不幸を味わう。

それでも。
不幸だと、わかっていても。
君を手放す事が出来ない。
いつか言われるかもしれない別れの言葉に、いつでも怯えている。


だから、僕は夢を見る。
いつか、「さよなら」と言われる日を。
それは、とても悲しい事だけれども。
例えようのない、悲しい事だけれども。
それを伝えてもらえたら、僕はまた楽園に戻れる。
君を思って、一人過す楽園に。
失う恐怖のない、楽園に。
君を得て、こんなにも長い月日が経ったのに、僕は幸せになる事が出来ない。


長い、長い、幸福の不在。
それ自体が、幸福なのかもしれないけれど。


それでも僕は夢見ている。
君が去って行く瞬間を。
心静かに、君を思う時間を。
その瞬間を、恐れながら。

 

 

 

END




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