君が見ていた空 Act,5

2006.6.30UP




 朋子にバレていたのは和希も知っていた。
 一昨年の長期休暇の前、和希が啓太を自宅まで車で送った時、車中でキスをしている所を塾帰りの朋子に見られたのだ。
 朋子は別段反対する訳でもなく、逆に啓太の良き理解者になっている。
 だが、両親ともなれば、話は違う。
 それは、二人の関係を大きく揺るがす物なのだから。
 啓太は、和希の驚きを流して、話を進めた。
「親も最初は驚いてたんだけどさ。まあ、俺が真剣なのを分ってくれて、色々大人的アドバイスなんて物をしてくれたんだ」
「・・・理解、してくれたのか?」
「うん、まあ一応」
 和希にとって、今日は驚きの連続だった。
 啓太が自分とのささやかな約束を覚えていた事。
 それの為に、一年かけて企画を練ってくれた事。
 さらに、この爆弾発言。
 とてもではないが、こんな予測不能な事柄の連続は経験がない。
 そして更に、啓太の両親が、自分達の間柄をあっさり理解してくれたのだ。
「俺の両親ってさ。堅い仕事についている割には、結構柔軟なんだよ。和希だって何度か会ってるんだから、何となく分るだろ?」
「いや・・・それとこれとは違うだろ」
 愛しい我が子が、世間に祝福されない道を歩みそうになるというのに、それを無条件で承諾出来る親なんて、いる訳がないと和希は思っていた。和希自身、自分が親の立場であれば、確実に反対すると考える。だからこそ今まで悩み、結論が出せずにいた。
「うん。俺も思ってたんだけどさ。自分だけじゃどうにも考えが纏まらなくて、今年の春休みにね。思い切って相談した」
 思い切り過ぎだと、和希は息をのむ。
「で、何だって?」
「うーん、父さん的にはやっぱり別れた方がいいって。母さん的には自分の道を探すのと一緒に、自分で考えて結論出せって。だけど、和希を傷つける結論はやめろって言ってる。あくまでも、二人で一つの考えが出るまで頑張れって」
「じゃあ、お父さんは反対なんじゃないか」
「いや、反対って言う訳じゃないんだって。ただ、一般論的には分かれた方が無難って事なだけで、この先付き合いを続けてても、別にいいらしい。ただ・・・」
「ただ?」
 一旦言葉を切った啓太の顔色を、和希は眉を寄せて伺う。
「和希の立場がね。やっぱり世間的に俺が相手じゃまずいだろうって言っててさ。まあ、それは俺もずっと思ってた事なんだけど・・・ね。俺の家は、世間的には取るに足らない一般庶民だからいいけど、和希はそうもいかないだろ?父さんはそこを心配してる。和希の事だけじゃなくて、その事で俺も誹りを受けるんだって。だけど、そんな事は和希も俺も承知してるんだろうから、一般論しか言えないって言ってた」
 和希は、啓太の両親に心底感服した。
 親として、思う所は多分にある筈なのに、あくまでも子供の気持ちを考えての言葉。
 啓太自身を攻めるでもなく、相手であり、本来なら正しい道に導かなければならない自分が、息子の道を逸らせたと憤る訳でもなく。
 いや、本心では憤りを感じているのかもしれないが、真剣に悩む子供に、それを伝える事を控えて、道を促す。
 啓太がここまで大らかに育った理由が解る気がした。
「・・・で、啓太はどう考えたんだ?」
「うーん、それなんだけどさ・・・」
 難しい顔をしながら、啓太は和希の前に置いていある未開封の缶に手を延ばす。
 和希は無言でその手をぱしっと叩き落とした。
「お泊まりデートなんだから、ちょっと位いいじゃないか」
 叩かれた手をさすりながら、啓太は不満を露にする。
「それとこれとは話が別。ていうか、もう飲んだだろ」
 視線で『めっ』と睨む和希に、啓太は頬を膨らませた。
「で、話は戻るけど」
 そう前置きして、啓太は自分の手元の空き缶を弄りながら口を開いた。
「俺は、自分では和希への想いって遊びなつもりもないし、子供の情熱だけだとも思ってない。だけど、それは今俺が子供で、分ってないだけかもしれないし、10年後にどう考えてるかなんて、正直想像もつかないんだ」
「まあ、正論だな」
 和希の合図値に、啓太は「うん」と、小さく返す。
「だけど、だからって言って、第三者に今すぐ別れろって言われても、納得出来ない。それで、なんだけど・・・」
 途切れた言葉の続きを促す様に、和希は少し頭をかしげて啓太を見つめた。
「・・・和希は、どう思ってる?」
「・・・」
 和希は言葉に詰まった。
 それは、結論の出せない問いだったから。
 何をどうシュミレーションしても、不確定要素の多いこの問題は、到底今現在で答えの出せる物ではなく、それこそ啓太と付き合い始めてから今まで悩み続けている物に他ならない。
「・・・今日、啓太がこの計画をしたのって、この話の為か?」
「ん、まあね。寮とかじゃこういう話、あんまり出来ないから。それに、これから先は俺も受験があるし、ゆっくり話出来るのが何時になるか分んないだろ?」
 『話』と、啓太は簡単に言う。
 だが、これ以上重い話はあるのだろうかと和希は思った。
 ともすれば、二人はこれを切っ掛けに永遠に別れるかもしれないというのに。
「・・・じゃぁさ。啓太はここで俺が『別れたい』って言ったら、どうするんだ?」
 趣味の悪い質問だと、和希は自重気味に笑った。
「和希がそうしたいなら、別れるよ」
「え・・・」
 戸惑う事もなく、いとも簡単に『別れ』を承諾した啓太に、和希は自分が振った問いだというのに愕然とした。
「な・・・んで?」
 驚愕に声が震え、視線がぶれる。
 真っ直ぐに和希を見つめる啓太の瞳は、淀みなく澄んでいた。
「・・・そんなに、簡単に、啓太は俺と・・・別れられるのか?」
 自分はそんなに簡単に切り捨てられる程の存在だったのかと、和希は胸の痛みを覚えた。
「別に、簡単な訳じゃないよ。だけど、それが和希にとって必要なら仕方がないだろ?泣いて縋って側に置いてもらっても、俺には何にも出来ない訳だからさ。まだこんな子供だし、女じゃないから跡継ぎだって作る事も出来ないし。それに、俺は『一般論』を認めない訳じゃない。正論だと思ってる。和希がそれに添いたいって思ってるなら、俺の出番は皆無って事だろ?」
 淡々と語られる、正しい結論。
 だが、その言葉の数々に、和希は激しい怒りを覚えた。
「だからって!啓太にとって俺は、そんなにあっさり忘れられる程の存在なのか!?」
 激昂して怒鳴る和希に、啓太はびっくりして慌てた。
「あ、いや、だから今のは例えばの話だろ?・・・まあ、本音だけど。大体、『別れる』と『忘れる』は同義語な訳じゃないだろ。ていうかその前に、和希から言ったんだけど・・・」
 引きつった笑いを浮かべて、啓太はぽりぽりと後頭部を掻いた。
「俺は、啓太みたいにそんな事あっさり承諾出来ない。お前を手放すくらいなら、死んだ方がマシだっ」
 痛みを抑える様に胸元を抑えて、喉の奥から絞り出す様な声で訴える和希に、啓太は微笑みを浮かべる。
 そして、何事もなかったかの様に、持ってきていた鞄をごそごそと漁り始めた。
 鞄の中から一枚のレポート用紙を引っ張り出し、和希に差し出す。
「・・・なに?」
 折り畳まれたそれに、和希は不審の眼差しを向ける。
「俺の志望大学から計算した、俺の住みたい所」
「・・・は?」
 何の脈絡もないその言葉に、和希は再び目を点にした。
「来年からはもう寮に住めないだろ?だから、俺の住みたい所。あ、部屋は取りあえず別々な?友達も呼びたいし、親も来ると思うし。だから最低2DK希望。それと、家賃は折半。これ基本。なので、俺が出せる範囲でお願いします」
「・・・だから、何?」
 つい今し方の重い会話は何処へ行ったのかと思う程の啓太の笑顔に、和希は動揺を隠せない。
 差し出されたレポート用紙と啓太の顔を、忙しなく見比べた。
「何って、来年から俺たちの住む所の話だろ」
「・・・住む?」
 啓太の唐突な話に、和希の思考は付いて行けない。
 そんな和希の様子に、啓太はあきれた様に溜め息をついた。
「だって、和希は俺と別れないんだろ?俺も別れたくないし。だったら、来年からは一緒に住むのがベストかなと。で、俺はこれから部屋を探す時間なんてないから、和希に頼もうって思ったんだけど」
 だから、さっきの話は何だったんだと、和希は心の中で叫ぶ。
 和希はこの日、地獄と天国の往復に明け暮れて、軽い疲労を感じていた。
 取りあえず別れ話は回避出来た事に、張りつめていた緊張を解く。
「・・・うん。俺が探す」
 呆然とレポート用紙を受け取り、そこに書かれている第1希望から第5希望までを目で追った。
「・・・なんか、あんまり嬉しそうじゃないな。和希、俺と住むの嫌?」
 嫌な訳ではない。寧ろ、それは和希にとってとても嬉しい事で。
 だが和希は、啓太は学園を卒業したら当然実家に帰ると思っていたので、突然切り出されたこの話に戸惑ったのだ。
「嫌な訳ないだろ。でも・・・親御さんは許してくれてるのか?」
「だから、この事もあったから春に相談したんだよ」
 啓太はあきれた様に「何を今更」と呟いた。
 和希がなかなか踏み出せなかった一歩を、啓太はあっさりと突き進んで行く。
 その強さは、和希を憧れさせ、追い求め続けさせる物そのもので。
 果たして自分は一体何をして生きてきたんだと、砕かれた大人のプライドに和希は笑った。
「じゃあ、啓太の勉強の邪魔をしない様に、これから半年かけて、俺たちの愛の巣を探すよ」
「・・・愛の巣って、なんか響きがやらしい」
 ぱっと頬を赤く染めて、啓太は視線を逸らせた。
 相変わらずな啓太のその反応に、和希は破顔する。
「子供の頃のお願い、叶うんだな」
「・・・何?それ」
 頬を染めたまま、素っ気なく啓太は聞き返した。
「覚えてないか?二人で短冊にお願い事書いた事」
「覚えてないよ。俺が覚えてるお願いは、小学生の時の「可愛いお嫁さんが来ます様に」ってのと、「ゲームが欲しい」ってのだけだもん」
 不貞腐れながら、啓太は懲りずに和希の前に置かれている缶へと手を伸ばす。
 当然それは、再び和希の手によって叩き落とされる。
「啓太、しつこい」
「和希もしつこい」
 啓太は頬を膨らませたまま、再び冷蔵庫へと足を向けた。
「・・・で、俺たち、なんて書いたんだ?」
「ん?浮気者の啓太には教えてあげない」
 聞き捨てならない和希の言葉に、眉を寄せながら啓太は振り向く。
「なんだよ。俺が何時浮気なんかしたんだよ」
「だって、俺と約束してたのに、可愛いお嫁さんを欲しがるなんてさ」
「だから、何の約束だよ」
 腰に手を当てて、少し苛立ちながら言い寄る啓太を、和希は優しく抱きしめた。
「『ずっと一緒にいられます様に』って、短冊にお願いしたんだよ」
 その当時の二人は今の様な関係を望んで書いた物ではなかったけれど。
 それでも、意味する所は叶えられた訳で。
 そっと耳元に囁かれた記憶にない優しい思い出に、啓太はふっと笑みを浮かべた。
「じゃあ、これから先の事をもう一回お願いしようか」
 和希の首に細い腕を回しながら、啓太はうっとりと囁く。
 だが、そんな甘い空気は、和希によって一掃される事になる。
「いや、俺は星には叶えられないお願い事があるからいい」
「・・・え?」
 大きな目をぱちりと瞬かせ、啓太は和希を凝視した。
「・・・もう、限界です」
「・・・は?」
 先程とは逆に、今度は啓太が和希の言っている意味が分らずに戸惑う。
 啓太が疑問符を頭の中にいくつも浮かべていると、いきなり体が中に浮いた。
「うわあああああっ!」
 視界が急に天井を捕らえた事に慌てた啓太は、和希の首にしがみついた。
「なっなにすんだよっ!」
「なにって、決まってるだろ」
 和希は啓太を抱えて部屋を数歩歩き、どさりと自分の体ごと啓太をベッドに落とした。
「ちょっ!まだ朋子から電話がっ!!」
「朋子ちゃん、かけてこないよ。あれから何時間経ったと思ってるんだよ。啓太よりよっぽどこの状況を分ってると思うぞ」
「そんな事分んな・・・んんっ!」
 体の下でわーわー叫ぶ啓太の唇を、半ば強引に和希は塞ぐ。
 唇を舌で愛撫し、熱くなった掌で脇腹を撫で上げると、啓太はぴくんと体を震わせる。
 啓太の口から漏れる吐息が熱を帯びた頃、和希はゆっくりと唇を離し、熱っぽく囁いた。
「仕事も終わらせた。啓太の勉強もちゃんと進んでて、朋子ちゃんも楽しませてあげた。その上これからの事の相談も終わったんだから、もう問題ないだろ?」
「・・・さっきまで保護者面してたくせに」
 啓太のそんなささやかな文句は、承諾の証で。
「だって今日は天の神様がセックスを許している日だよ?俺たちだって問題ないだろ」
「問題あってもしてるだろ」
 くすくすと小さく秘め事の様に二人で笑い合い、深く唇を合わせる。
 和希の体が本格的に啓太の体の上に乗り上げると、啓太は腕を延ばしてベッドサイドにある部屋の照明のスイッチを切った。




 天窓から降り注ぐ星明かりを眺めながら、二人で寄り添いながら火照った体を冷ましていた。
「近々俺も、改めて啓太のご両親に挨拶にいかないとな」
 啓太の髪を指で優しく梳きながら、和希はぽつりと言った。
「・・・別にいいよ。結婚する訳じゃあるまいし」
「似た様な物だろ。それに、ちゃんと恋人として挨拶した事ないしさ」
「そんな恥ずかしい事、尚更しなくていい」
 薄闇にもはっきりと分る程頬を染めて、啓太は和希の『ご挨拶』を拒否する。
「そう言う訳にはいかないよ。こうなった以上ケジメは必要だ。ちゃんとこういう事はしないと・・・」
「・・・しないと?」
 和希は悪戯っぽく笑い、啓太の頬に口づける。
「・・・天の神様に、離ればなれにされちゃうよ?」
 子供の頃と同じ口調で、和希は楽しそうに啓太を諭す。
 あからさまにからかう和希に、啓太は和希の頭を片手で掴んで枕に沈めた。
「離されるかっ!ばかっ!!」
「ぶっ・・・啓太っ、苦しいっ」
 体を起こして本格的に和希をベッドに押し付ける啓太の顔は、幸せそうに赤らんでいた。
 そんな啓太の青い瞳を、和希もまた幸せそうに見つめた。




 君が見ていた空は、きっと果てしなく澄んでいて。
 梅雨の時期のこの雲のかかった空も、きっと君には遥か彼方まで見渡せる程蒼く透明で。
 誰もが幸せを謳歌出来る様な、そんな空。
 二人でそれを、見つめ続けよう─────────。

 

 

END

 


TITL TOP