ラナンキュラスに唇よせて Act,1

2010.07.22UP




「いやだよ」
「そんな事言わないで、な?」
 このやり取りは、既に一週間繰り返されていた。
 あまりの啓太の頑固さに、和希はもう数え切れないくらいのため息を零すのだった。




 幼い日、心を通わせた幼馴染の二人は、突然岐路に立たされた。
遠く離れるか、共にいるか。
結果、自分たちの純粋な心を優先させて。ずっと共にいる道を選んだ。そして二人は共に渡米し、関係を深め、心から愛し合うようになった。
 出会った頃とはお互いに思う愛の種類は変わったが、それでも幸せだった。

 和希と啓太の二人がアメリカ留学を終えて日本に帰国して、既に三年が過ぎていた。
 帰国して直ぐ、和希は鈴菱グループの重役の籍を担い、始めは留学中に研究していたシステム部の総括の役に付き、その後、そのシステムが必要とされている薬剤研究所の所長の任に付いた。更に同じ場所に併設されている、グループが所持している学園の理事長職も兼任し、忙しい毎日を送っている。
 一方啓太は、和希と共に留学を終えてしまった為に、一度は終わっている小学校と中学を、日本でやり直す破目になった。
 それでもそれは和希も望んでいた啓太の学習スタイルであったので、二人は何も思う事無く、その道に邁進した。
 同じ年頃の友人と、楽しく過ごす学生生活。
 和希が望んでも手に入らなかったその生活を、啓太には楽しんでもらいたかったのだ。
 啓太はその意向を汲んで、略初めて、同じ年の子供たちと教卓を囲むことになり、その楽しさに感動を覚えたのは、もう昔の事。
 和希の仕事場に近い場所で、以前と変わらずに二人で暮らし、それぞれの生活を営んでいた。
 そんな折、問題が浮上したのだ。
 和希が担っている部署での、情報漏えいが発覚したのだ。
 情報は多岐に渡っていて、その根源の特定は難しく、更には和希の得意とするシステムからの追尾だけでは難しくなったのだ。
 そこで和希が考えたのが、啓太を自分が責を担っている学園へ入学させることだった。
 アメリカから引き続き自宅で受けている教育は、啓太の学力を既に大学レベルにまで導いている。更には和希に教えを請いながら、啓太はシステムのことにまで詳しくなっていた。
 普通の学生生活を送らせてやりたいと思うが、背に腹は代えられない。
 その上、これ以上情報が漏洩すれば、企業内に保管されている啓太の情報にまで危害が及ぶ可能性もある。
 故に和希は、啓太に頼んだのだ。
 学内での内偵という仕事を。
 仕事の内容は、学内の反理事長勢力の把握。
 更に研究所に出入りしている教師に近づき、研究所の情報も入手。
 それらの人物の、行動観察。
 緊急時には、和希への連絡と、協力。
 普通の学生には荷が重いだろうが、啓太なら出来ると和希は睨んだのだ。
 元々家の中の采配を得意とする啓太は、人の心を動かすのが上手い。和希との二人の家だけではなく、今では和希の実家の事まで啓太の仕事になっていた。和希の両親もそれを喜び受け入れ、使用人の評価も高い。既に学内に呼び寄せているコマを使うことなど、容易い事に違いない。
 もう直ぐ高校の受験も始まってしまうこの時期に、和希は啓太に頼んでいるのだ。
 進学先を変えてくれと。
 二人の住んでいる家から近い場所にある、国立の高校への進学ではなく、和希の管理するBL学園に入ってくれと。
 元々の志望の学校もレベルは高いが、仕事に付随しての学校のレベルも引けは取らない。仕事が終わればそこでも楽しく学生生活を送れる筈なのだ。
 だが啓太は首を縦に振らない。
 理由は極単純なものだった。
「やだよ、全寮制なんて。そんな所じゃ、何の為に日本に帰ってきたか解らないじゃん」
 元々啓太が留学を切り上げた理由は、和希と共にいる為である。
 幼い頃から共に過ごし、思春期の到来と共に恋人関係を結んだ和希と、離れたくなかったからだ。
 首都圏にある実家にも帰らず、現在の保護者である鈴菱グループ総帥の家にも住まず、こうして和希と共に住んでいる理由を捨てられる程、啓太の執着は甘くなかった。
「大体、ベルリバティは特技を伸ばす学校だろ? 俺にそんなもの無い。ずっと和にいだって得意分野探せって言ってるじゃないか」
「あるだろ、特技。人心掌握術。老若男女問わずに交友関係保てるのは、特技だって」
「そんなのが特技になるなら、世の中悩む人なんていないよ! それにそれ、どうやって勉強するんだよ! 入学推薦理由にだって書けないだろ!」
 ベルリバティ学園の入学方法が、理事会の選考のみであることを知っている啓太は、先ずそこで無理だと主張する。
 だが相手は学園の理事長で、そんなものは幾らでも書き様はある。
「なら、表向きの特技は『茶道』って事でもいいだろ。お前、師範免許持ってるんだから」
 幼い頃から情操教育として啓太に施されてきた習い事を上げれば、啓太は呆れた顔をした。
「男子校にお茶室なんてあるのかよ。普通無いだろ。それでどうやって証明しろって? 更にはどうやって磨けって?」
「作る。一昨年だって一人のために弓道場建設したんだ。なんてこと無い」
 啓太が何を言おうと、和希が引くことは無い。
 だがそれでも啓太は粘った。
「安田さんのご飯が食べられなくなるのもヤダ。それにお母さんにだって会えなくなるからヤダ」
 留学中と変わって、頻繁に会えるようになった母親の事をあげれば、和希とて黙るだろうと思った啓太は、意気揚々と告げる。
 だが、亀の甲より年の功。年上の和希には、ささやかな抵抗にしか見えない。
「いいよ、面会場所用意してやる。なんなら啓太の部屋にもう一つベッド入れてあげてもいい。おばさんが泊まれる様にしてあげる」
 肉親の面会はフリーだよ、と、さわやかに笑えば、啓太は我慢限界とばかりに、恋人同士の現状を突きつけた。
「それにどうやってエッチするんだよ! 高校の寮に和にい来てくれるの!?」
「セックスを中心に考えるんじゃありません。そんなのは学校卒業してからで十分です」
 振りかざされた正論に、それでも啓太は半分瞼を落として抗議する。
「教えたの誰だよ。それに一緒に日本に帰ってくるのだって、それが目的だったくせに」
「それだけが目的だった訳じゃないです。ちゃんと啓太を愛してて、それに付随するものがソレだって説明したはずです。っていうかいい加減理解できる年齢だろ。馬鹿なこと言うなよ」
 恋愛関係を確立させた頃は、まだ啓太も幼かったが、今ではもう体も大きくなり、それこそ来年からは高校生なのだ。いい加減、その手の機微にも通じている年齢を、和希は半眼で返す。
 いつまでたっても子供っぽさが抜けない啓太に、責められるのは和希なのだ。
 甘やかし過ぎ、過保護すぎ。
 いつでも啓太に関してはそう周りに諭されてきていて、自覚もしていた。それでも変わらず無邪気に振舞われれば、直すことも出来ない。
 実質的な背景もあるが、これはいい機会だとも考えていた。
 少し、離れる必要があるのかもしれない、と。
 リビングのソファでクッションを抱えて、うーうー唸っている啓太に、埒が明かないと悟った和希は、初めて命令口調で啓太の道を告げた。
「そんな馬鹿な事言うんなら、もう決定。啓太はベルリバティに行く。中で仕事するかどうかは置いておいても、進学先は変更。明日、学校に俺が言いにいくからな」
「だから嫌だって言ってるじゃん!」
「少し、家から離れろ。自分で生活してみるのも、一つの勉強だ。伊藤のおじさんおばさんにも、俺から話しておく。わかったな?」
「やだやだやだー!!」
 小さな子供のように『ヤダ』を繰り返す啓太に、和希は額に手を当ててため息をついた。
 甘やかし過ぎた。
 痛感したが、今更だった。
 それでもこの先を考えて、心を鬼にして、拒否し続ける啓太をリビングに置いて、自室に引きこもる作戦に出た。目の前にいては、折れてしまいかねないからだ。
 和希が自室に入ると、ぴたりとリビングの声も止む。だがその後、和希の部屋のドアに、何か柔らかいものがぶつけられる音が響く。想像するに、啓太が抱きかかえていたクッションなのだろう。案の定、一時間後にトイレに行く為に部屋を出た和希は、自室の前に転がるクッションに足を取られたのだった。



 結局、和希の提案は、啓太以外の人たちの大絶賛を受け、啓太の道は決まってしまった。嫌がる啓太を和希だけではなく、実家の両親までもが説得にかかり、更には和希の両親もその重要性を諭したのだから、啓太に反論の余地は無かった。
 それに啓太は、実家の両親の言葉に弱かった。
 ずっと離れて暮らしている親に、「お前のためだから」や「いい道なのよ、ちゃんとあなたの事を考えているのよ」などと言われれば、従わない訳にはいかない。只でさえ、和希と暮らしたいと言う我侭を叶えてくれている両親なのだ。子供と暮らせない寂しさを理解できてしまっているのも、啓太の敗因と言えよう。
 和希と共に通っている中学校に行き、担任との話し合いが終われば、啓太の受験シーズンも終わりを告げた。
「良太と一緒の高校行こうって、約束してたのに」
 中学校の面談の帰り道、普段啓太が通学に使っている車の中で、啓太は最後の不満を和希に漏らす。
「啓太、良太君と仲いいもんな。でもま、俺としてはちょっと安心」
 仲のいい友達との約束への不満に、和希は小さく笑って返した。
「安心って、なにが」
「だって仲良すぎるからさ。俺、いつ捨てられるのかなぁって、ちょっと心配してた」
「捨てるって、どういうこと?」
「慣れたお兄ちゃんは、もうときめいて貰えないのかなって、そういう事」
 ウィンクをつけておどけた調子で促せば、啓太は言葉の意味を理解して頬を染めた。
「……ばかじゃないの」
「馬鹿だよ、啓太にはね。いつ誰に取られるのかって、いつでも心配してる」
「なら何で全寮制の学校になんて入れるんだよ」
「それも愛故です。啓太に必要だと思ったから、俺も我慢するの」
 肩を抱き寄せて、耳元で運転手に聞こえないように小さく「愛してるよ」と囁けば、啓太も甘えるように和希の胸に縋った。
 いつまでも甘え癖の抜けない啓太を愛しいと思いつつも、それでも先を考えての選択に、複雑な気持ちを隠すように抱きしめれば、慣れた啓太はその先を当たり前のように求める。
 その欲求に苦笑しつつ、「帰ってから」と諭せば、啓太は素直に頷いた。

 

 

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