if... Act,2

2009.08.05UP





「海だー!」
 コート・ダジュール空港からヘリを乗り継いで到着して早々に、啓太は海へ出たがった。
 和希はその願いを一つ返事で受け取り、停泊させているクルーザの手配をした。
 それに乗った啓太の興奮は、地中海の青い海と降り注ぐ太陽に、最高潮に達した。
「ねえ、俺泳いで良い?」
 甲板で日差しを堪能していた和希は、今にも船から飛び込もうとしている啓太を見留めてしまって、慌てて啓太の体を抑える。
「ばかっ! どのくらい高さがあると思ってるんだ! 今準備してあげるから、少し待ってろ!」
 何となく啓太なら言い出しそうだと思って、クルーザーにシュノーケルのインストラクターを乗船させていた事にホッと胸を撫で下ろした。
 インストラクターの指示によって船体から下ろされたはしごに、啓太は目を輝かせる。
 うろうろと梯子の周りをうろついている啓太に苦笑しながら、きっと聞いては貰えない注意を啓太に促す。
「いいか? ちゃんとインストラクターの指示に従うんだぞ? ここはビーチじゃなくて海の真ん中なんだから、もし疲れたら直ぐにインストラクターに言って船に戻るんだぞ?」
「わかってるわかってる! でも綺麗な魚も沢山泳いでるんだろ? 凄い楽しみ!」
 口では了承しているが、これは絶対和希の言葉は啓太の耳には届いていない。
 その証拠に、和希が諸注意をしている間も啓太の視線は海面に注がれたままだった。
 そのうち準備が整ったインストラクターが啓太に装具の説明をして、二人で海へと降りていった。
「……大丈夫かな」
 どうせ泳ぐと言っても船の周り100mくらいのものだろうが、それでも慣れていない海では何があるかわからない。
 和希も啓太が降りていった梯子の周りから動く事無く、啓太の姿を視線で追い続けた。
「そんなに心配なさらなくても大丈夫だと思いますよ」
 クルーザーのスタッフが、そんな和希の様子に苦笑しながら飲み物をサーブしてくれる。
「トマは経験豊かですし、きちんと子供に合った楽しみ方を教えて差し上げられると思いますよ」
 スタッフが言った通り、啓太はシュノーケルでぷかぷかと海に浮かびながら海中を楽しんでいるようだ。
 そのうち息が苦しくなったのか、啓太は水面から顔を上げて、和希に手を振る。
「ねー! 凄い綺麗だよ! 和にいもおいでよ!」
 啓太に付き合いたい気持ちは山々だが、和希はこの旅行の為に2日徹夜で、新学期早々取りかからなければならない研究の下準備をしていたのだ。
 故に、ちょっと今はゆっくりしたい気分であった。
「俺は明日のダイビングまで海は遠慮しとくよ!」
 啓太に手を振り返しながら、サーブされた飲み物を片手に再び甲板に戻る。
 背後で啓太が「つまんなーい!」と叫んでいたが、インストラクターも付けている事だしと、和希は自分の時間を満喫する事にした。
 日差しが強い事は自宅のカリフォルニアでも同じなのだが、モナコの日の光はやけに白く感じる。近くに砂漠がない所為だろうか。そして甲板を踊る海風が日頃では味わえない心地よさを与えてくれていた。流石は世界屈指のリゾート地だと再確認して、持ってきた自分の荷物を開いた。
 暫くして食事のスタッフが、子供の啓太の為に用意してくれたおやつが出来たと告げにきた。
 ふと時計を見れば、啓太が海にはいって既に2時間が経とうとしている。
 和希自身も趣味の編み物中だったので、完全に時間感覚が無くなっていた。
 慌てて啓太を呼びに船の端にかじりついたが、丁度インストラクターに促されて啓太が上がってきた所だった。
「ずいぶん長い間入ってたな。疲れなかった?」
 梯子の周辺に準備しておいたタオルを啓太にかぶせて、顔色をうかがいつつ水滴を拭ってやる。
 表面上は健康そうで、和希は安心した。
「疲れたりなんてしないよ! ホントに綺麗だったんだから! 和にいもくればよかったのにーっ」
「だって、明日は午前中に潜る予定じゃないか。何も毎日入らなくてもいいだろ」
「ダイビングとは楽しみ方が違うじゃないか。せっかく来たのに満喫しないなんてもったいない」
 あくまでも目の前の海に捕われている啓太に、和希は笑った。
「俺は俺で楽しんでたからいいの。…それより、おやつ出来てるって。食べるか?」
「食べる! お腹すいた!」
 啓太は和希の腕に飛びついて、その腕を取ってぐいぐい甲板に引き摺って行く。
 よほどお腹が減っているのだろうなと和希が吹き出しそうになった時、啓太の胸が和希の腕に押し付けられた。
「……っ」
 何て言う事無い平らな少年の胸なのに、水気を含んでいる所為か妙に艶かしく感じる。
 更に視線を落とせば、気温より低い水温に晒されていた為に、薄いピンク色の乳首がぽちりと立ち上がっていた。
 その様に、和希の意思を無視して下半身が反応してしまう。
 和希は慌てて啓太の腕を振り払った。
「………和にい? どうしたの?」
 啓太は驚いて和希を見上げる。
 未だかつて、和希が啓太の事をこんなに乱暴に扱った事は無かったのだ。
 だが、和希が本当の事を言える訳が無い。
 啓太の瞳には、あくまでも『兄』としての和希しか映っていないのだから。
「あ……啓太の手、冷たかったから驚いちゃって…ごめん」
 和希の言葉に啓太は素直に自分の手を眺めて、「ああ、そうだった」と納得してくれた。
 ホッとしながらも和希はなるべく啓太と距離を取りながら、甲板に戻った。


 その日はクルーザーの中で一泊する予定だったので、夕食を終えた後は和希と啓太は二人でリビングで、これからの日程を話し合った。
「俺、ダイビング終わったらドライブしたい!」
「もしかしなくてもF1コースだろ? 俺、運転するの嫌だよ」
「和にいが運転してくれるのに意義があるんじゃん! お願い! 連れてって! 俺、助手席から見たいんだよ!」
「だってカーブが半端ないんだって。知らない土地でそんな事したくないよ」
「和にいなら大丈夫だよ! 運転巧いじゃん! だから、ね? お願い!」
 元々和希はそこまで車に興味は無いのだが、啓太のこのおねだり作戦に一度たりとて勝てた試しは無い。
 きらきらと瞳を輝かせて和希を見上げる啓太に、和希は小さくため息をついて両手を上げた。
「あーもう、わかった。啓太には敵わない」
 啓太は和希の了承の言葉に、飛び上がって喜んで和希に抱きついた。
「和にい大好き!」
 和希の頬に何度もキスをして感謝の言葉を述べる啓太に、やはり自分は啓太に甘いなと和希は実感するのだった。


 そして眠る時間になった頃に、久しぶりに啓太はいそいそと枕を持って和希の寝室に現れた。
「今日は一緒に寝てくれる?」
 最近は和希の邪魔をしない様にと遠慮していたが、今は和希も休暇中で時間があるとの確信の啓太の言葉だった。
「お前…もう大きくなったのに」
 去年から比べても、啓太は5B身長も伸びていた。
 だが、問題はそれだけではない。
 成長期は容赦なく、啓太の体を大人のものに作り替えている。
 昼間和希に密着させた綺麗な体が、今はパジャマに覆われている下に息づいているのが和希にとって問題だった。
「いいじゃないか。和にいと一緒だと安心出来てよく眠れるんだもん」
 頬を膨らませた啓太はどう見ても子供で、和希は苦笑するしか無かった。
(……安心、か)
 和希の抱えている気持ちを啓太が知ったら、絶対に出てはこないであろう言葉を心の中で繰り返して、小さくため息をつく。
「……あれ? なに飲んでるの?」
「寝酒。父さん所蔵の棚からちょっと拝借した」
 最近夜型の生活をしていた所為か、久しぶりの啓太の生活サイクルに和希の体はついてこなかった。
 30分前に『おやすみ』と言って啓太と別れた後、眠りが訪れる気配のない体に、久しぶりにアルコールを入れたくなったのだ。
「あれー? お酒も煙草も17の時やめるって言ってなかった?」
 和希の返事を聞く前に、ちゃっかりと和希のベッドに枕を並べて上がり込んだ啓太は、ニヤニヤと過去を突きつける。
 早熟の傾向のあった和希は、親元から離れた13歳から啓太の言った両方に興味を持って、大人に隠れて嗜んでいた事があったのだ。
「別に煙草は吸ってないだろ。それに酒は俺はもう成人したんだから少しくらい良いじゃないか」
「少しじゃないじゃん。開封のがらがあるのに、もう瓶半分まで飲んでる」
「……酒臭いのが嫌なら、どうぞ遠慮なさらずご自分のお部屋にお戻り下さい?」
 グラスを片手に、逆の手で啓太の部屋を手の平で促す。
 和希が酒や煙草をやめると決めたのは、一緒に眠る時に幼い啓太が『くさい』と言って嫌がったからなのだ。
 たまの休暇、和希とて少しは羽を伸ばしたい。
 それに………。
「いえいえ、もう嫌じゃないですよ、和にい。俺も大きくなりましたから。どうぞご存分にお楽しみ下さいませ」
 啓太は両手の平を和希に差し出して、前言撤回とばかりに平身低頭で和希の飲酒を促した。
 和希の苦悩も知らず、啓太は変わらず無邪気に和希のベッドに転がる。
 その体勢のままゴロゴロと和希の近くまで転がってきて、ベッドサイドのテーブルに乗せられていた和希の飲んでいる酒の瓶を手に取った。
「これ、なに? …えーと……スコッチ? おじさんの所有ってことは美味しいの?」
「普通。所詮こんな所に放置出来る程度のモノだよ。父さんは自分が好きな酒は管理うるさいから、絶対こんな所には置かない」
「おお、流石酒屋の息子」
「おお、ちゃんと勉強してるじゃないか」
 現在の鈴菱は多岐に渡って企業運営されている。故に、その根本が酒造だったと言う事は、鈴菱家一党にまつわる者か、伝統を知らない限りはすぐにはピンとくる人は居ない。
「そりゃしてるよ。ちっちゃな頃からずっと先生には『将来、鈴菱の役にたてる様な人になる為に頑張りましょうね』って言われ続けて来たんだもん」
 啓太が感染したウィルスは、まだ未公開の研究段階のものだった為に、その研究に携わった研究者と、和希と啓太の家族しか知らないものだ。だから今、和希と啓太の周りに居る教育関係者は、啓太は特別な才能があって和希と共にいるものだと思っている。
 そして、啓太自身もウィルスに関してはつい最近までは知らなかったのだ。
 定期的に啓太に施されている検診を、啓太がつい最近まで疑問に思わなかったのが原因だ。
 問われた和希が説明すると、啓太は『へー』と言っただけでそれ以上何も言わなかった。
 おっとりとした性格だとは思っていたが、ここまでくると危機管理能力を少し疑ってしまった。
 啓太はウィルスの事を知った後も、素直に周りの言葉に耳を傾け、幼い頃よりの教育を受け続けている。
 幸か不幸か、啓太はその教育の成果を普通に反映させられるだけの才能があった。
 それでも、と、和希は思う。
 あの時…啓太が和希と離れたくないと泣いて縋った時、もし啓太の手を離していたらどうなっていたのかと。
 啓太を連れて渡米をしたのは、結局は和希の希望があっての事だったのだから。
 日本に置いてきても、啓太の体については問題なく和希の祖父が責任を負っていただろう。
 寧ろ、啓太にとっては日本で、家族の元で育った方が幸せだったかもしれないと思う事も最近では少なくなかった。
「啓太は……本当にそれで良いのか?」
 久しぶりのアルコールの所為か、本音が和希の口から溢れる。
「何が?」
「だから、将来ホントに俺の側で働きたいのかって事。他に夢とかあるんじゃないか?」
 本来啓太は、鈴菱に縛られる謂れは無い。
 和希も啓太を縛る為に連れてきたのではないのだ。
「今更なに言ってんの? 俺はその為にココにいるんだろ?」
「俺はそんなつもりじゃ無かったよ。ただ啓太と一緒に居たかっただけだ。啓太に俺と同じ道を強要しようとしていた訳じゃない」
 そう、ただ一緒に居たかっただけなのだ。
 可愛くて可愛くて仕方が無かった。
 姿形だけではなく、啓太の明るい性格や、幼いくせに人の心を敏感に察知して癒そうとしてくれる人柄も。
 和希の留学が決まった時に泣いて縋ったのは啓太だったが、実際には和希が啓太に縋っていたのだ。
 啓太と出会えて、それまで悶々と自分のあり方について悩んでいて、ともすれば病んでいたかもしれない心が救われた。
 啓太と出会うまで和希は人や物に執着する事が無く、その執着の無さは病的だと和希の祖父は心配していた。だから和希が啓太を連れて渡米したいと祖父に伝えた時、和希の祖父は涙を流して喜んだ。そして和希に現状を与えてくれたのだ。
 それで和希はよかった。けれど啓太は?
 愛しさが募る毎に、その考えは和希の中で強くなって行く。
 そして去年からのこの啓太への恋慕。
 いや、恋慕などと生易しいものでは無い。はっきり言えば肉欲だ。
 そんなものを抱えている和希の側にいて、啓太は本当に幸せなのだろうか。
 和希の中でだけでは答えの出ない疑問を流す様にグラスを傾けると、啓太の手がそれを止めた。
「俺はずっと和にいと一緒に居たいよ。勉強も強要されてるなんて思った事無い。俺の事、こんなに大事にしてくれる和にいの事が大好きだから」
 いつの間にか寄っていた和希の眉間の皺に、啓太はキスをする。
 純粋に和希の心を解そうとする心そのままの優しいキスだった。

 和希にもそれは当然わかっていた。
 啓太のキスに他意が無い事を。
 それでもそれが切っ掛けになってしまった。
 一滴ずつコップに水が落ちて溜まり、それが溢れた瞬間だった。

 細く頼りない体を、たまらず和希はきつく抱きしめた。
「……本当に? 俺がどんな事しても、啓太は俺の事好きでいてくれる?」
 真剣な声で和希に抱きしめられるのは初めてで、啓太は首を傾げる。
「どうしたの? 和にい、酔ってる?」
 まるで啓太に縋り付く様な和希を優しく抱きしめ返しながら、啓太は和希を慮って問いかけた。
「なあ、本当に好きでいてくれる?」
 再度の問いに、疑問を感じながらも啓太は答えた。
「う、ん。大好きだよ?」
 その言葉は、和希が心から欲していて、そして今一番欲しくない物だった。
 心の葛藤を表情だけに表して、その表情を啓太に隠す様に、啓太が座っていたベッドに啓太毎倒れ込む。
「ちょ…、和に………」
 啓太の問いかけは、最後まで紡ぐ事を許されなかった。
 和希は無意識で一度だけ触れた啓太の唇に、今度は己の意思で唇を押し当てた。
 啓太は少し驚いたが、それでも思春期の今を過ごしている場所が場所なので、今まで唇にはされた事が無かったが、普通に親愛のキスだと思って受け入れた。
 だが、いつまで経っても和希の唇は啓太から離れない。
 不審に思って和希の顔を離そうと和希の頬に手をかけると、その手は掴まれてベッドに押し付けられた。
 その瞬間、和希の舌が啓太の口内に侵入する。
「……んっ!」
 確実に親愛だけとは違う和希の口付けに、啓太は目を見開いた。
 ぬるりとした感触の和希の舌は、啓太の舌を絡めとろうと忙しなく口内を動き回る。
「んーっ! んぅ、んや!」
 和希の口付けの意味が分からない程、啓太はもう幼くない。
 だが何故和希がその口付けをするのかはわからなかった。
 訳の分からない和希の口付けと未知の感覚から逃れようと啓太はもがく様に頭を振ったが、和希はその動きを抑える様に啓太の頭を抱え込む。
「んっ…! はっ……にぃ! やっ……!」
 和希が角度を変える為に僅かに唇を浮かす瞬間を狙って抗議の言葉を吐こうとするが、それも押さえ込まれる。
 自由な片手で和希の肩を叩いて意思を示すが、それに和希が答える事は無かった。
 長い口付けに啓太は呼吸を奪われて、朦朧としてくる。
 和希の肩を叩く手の力もそれに合わせて段々と弱くなり、暫くすると、だらんと力を失ってシーツの上に落ちた。
 その段になって漸く和希は啓太の唇を解放する。
 はあはあと忙しなく肩で息をする啓太に向かって、和希は熱く囁いた。
「啓太、好きだよ。…愛してる」
「かず……」
 朦朧とする意識の中、聞き慣れている筈の和希の声が、別人のものの様に啓太には聞こえた。

 

 

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